【2012年8月11日】 京都シネマ
韓国の寒村にある視聴覚障害者の施設で実際にに起きた《児童性虐待》の事件をもとにした映画である。
この手の映画のあらすじというかストーリーの展開というのは、おおよその予想が立つから、《悲惨だ》という意識が先に立ってしまうと《見るのをやめようか》となってしまうが、やはり《見ておかねば》という気持ちが勝つ。やはり【悪のからくり】というのは知っておかねばならない。
臓器移植を前提にした臓器売買を扱った『闇の子供たち-値札のついた命』もかなり悲惨だったが、施設内暴力・虐待を扱ったこの映画も実際に起きた事件をもとに作られた映画といわれると、問題はかなり深刻だ。《教師の職を金で買う》などという話は日本ではあまり聞かれないが、施設内の虐待は有りうる事である。
『猟奇的な彼女』でチョン・ジヒョンの演じた『彼女』も、『息もできない』の高校生ヨニ(キム・コッピ)も、韓国の女性はたくましかったが、この映画にも人権センター幹事(行政室長とか幹事という役職名が日本のそれと語感が違いしっくりこないが)のソ・ユジン(チョン・ユミ)がしょっぱなから登場して、息苦しい場面をなごましてくれる。
ストーリの展開は、『それでも僕はやっていない』ほど緻密ではないが、深刻な内容にもかかわらず、展開は変化をつけ、息を抜ける場面もあり、事件の真相に迫っていく。被害者の少女が真犯人を特定する場面は感心した。
それにしても、あの「校長」と「行政室長」の二人、良く似ているな~。一人二役なのか、本当の双子なのかと、目を凝らして見ても分からなかった。
映画の中ではある程度、悪人か善人か区別がついた方が分かりやすいかもしれないが、教師カン・イノの役柄は(国民的俳優といわれるコン・ユが敢えて希望したらしいが)表情があまりにも正義の権化みたいで、わざとらしい。
悪人面しているのが皆悪者で、好男子が善人だったら単純この上ないのだが、世の中はもっと複雑で分かりにくいのが現実だ。
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終幕は韓国映画特有の二枚腰(三枚か?)のネバリで、《終わり》だと思ったらまだ続く。
最後の字幕で、『学校は廃校になり、この映画の力で真相の再解明が開始された』とあり、少し救われる気がした。
『トガニ-幼き瞳の告発』-公式サイト