【 3月22日通りとモイゼ教会 】
【 2011年1月24日(月)】 旅行6日目・午前後半
『リアルト橋』辺りの探索を一通り終え、『カ・ドーロ』に向かう。
途中、お腹がすいてきたので『アポストリ広場』のベンチで、朝ホテルの朝食会場から持ち出したチーズとクラッカーをかじる。目の前に教会の塔がそびえるほっこりする広場だ。それまでも樹木に出合っていると思うが、葉はすっかり落ちてしまっているものの、ここで初めて木らしい木を見たような気がする。暖かい日差しが気持ちいい。
【 サンティ・アポストリ広場 】
精気を取り戻し、また歩き始める。
もう歩いた距離からして『カ・ドーロ』辺りに来ていると思うのだが、運河側から見ているのと違い、どれも同じような建物に見えて、どれが『カ・ドーロ』か、その入り口もわからない。
運河への路地に入り、確認するとその隣が目指す『カ・ドーロ』だった。入り口はその路地側にあり、これならわからないはずだと思う。
『カ・ドーロ』の内部は美術館になっていた。最初に目に入ったのが下の写真の『聖セバスティアヌス』だ。
【 聖セバスティアヌス 】
ガイドブックによれば他にも見るべき作品が沢山あるということだが、どうもこの時代の絵画には疎いし、あまり興味もないのでその貴重さがわからない。
1階から3階まで各部屋の作品を見て回った後、バルコニーから運河を行き交う船をみて退散する。
近くにあるスーパーで水と食料を少しかって、いったんホテルに戻り昼食とする。
【 2011年1月24日(月)】 旅行6日目・午後前半
荷物を置いて、お腹を満たし、改めて出発する。三度『サンマルコ広場』を横切り、『3月22日通り』を経て、『アカデミア橋』方面に向かう。
【 3月22日通りとモイゼ教会 】
『モイゼ教会』のファザードを背中にして、西に延びる『3月22日通り』周辺は有名ブランド店が集まっているところだ。『エルメス』、『ルイ・ヴィトン』、『フェンディ』、『プラダ』、『フェラガモ』、『ブルガリ』、その他諸々と並んでいるが、縁がないので通り過ぎる。
小さな運河から「カンツォーネ」の歌声が聞こえてくる。スピーカーから流れているのかと思いきや、ゴンドラからきこえる生の声である。ビデオには収録したがブログでは再生できないのが残念。建物に反響しているせいもあるが、辺りに響き渡る良い声だった。
また、歌に聞き惚れてじっとしていたのでは、先の予定がつかえる。『アカデミア橋』も3度目を渡り、『バルナバ広場』に急ぐ。
【 映画『旅情』のロケ地のバルナバ広場 】
広場に出ると『バルナバ教会』のファザードが広場を見下ろしている。目を教会の左手に移すと、《あの店》があった。運河に架かる橋のたもとの小さな店は、映画の中のそれと同じだ。もう何十年も前の映画なのに、同じようにあるなんて不思議な感じだ。
《ヘップバーン》の泊まった宿はどの辺りで、屋上からの景色はどの方向を観たものかと、辺りを見渡すがわからない。
また、この教会と広場は映画『インディー・ジョーンズ最後の聖戦』の舞台になったというが、そちらのほうは知らない。
【 バルナバ広場の船着き場 】
橋を渡り、さらに来たに向かう。
この辺りは、『スクオーラ』と呼ばれる独自の《信者会》の建物が多い。どのような組織かよくわからないが、それぞれの『スクオーラ』(集会所みたいなものか)は建物も装飾も祭壇もみな立派で、とても《集会所》と呼ぶには豪華すぎるものばかりである。
【 スクオーラ・グランデ・ディ・サン・ロッコ(大信者会)】
中でも、『サン・ロッコ大信者会』の内部は『ドゥカーレ宮』のものとも劣らないと思えた。ティントレットの作品が縦横に飾られている。
隣の、『サンタマリア・グロリオ・デイ・フラーリ教会』の内部も目を見張る。ティツィアーノやベッリーニの作品が惜しげもなく飾られている。『ベニスの商人』の財力を誇示するものか。
【サンタマリア・グロリオ・デイ・フラーリ教会】
時間があったらゆっくり観たいところだが、朝から歩き通しで、いい加減気力も萎えてきた。そろそろホテルに戻ることにする。
前日も土産物店や露店で、店先に飾られた《カーニバルの仮面》をさんざん見せられたが、そういえばヴェネツィアの記念になる品物を買っていない。ヴェネツィアン・グラスもどうかなと思ったが、かさばるし、割れでもしたら元も子もない。
いろいろな店を覗いていると、仮面の作風にも個性がある。何件か覗いた末、気に入ったのが飾ってある1軒の店に入る。店の備え付けの工房で主人自らの手作りだった。露店で売っている羽根のついた《ハデハデ》なのは10ユーロもしないものもあったが、ここのは小さなシンプルなものでも50ユーロはする。
気に入ったのを1つ買ってきた。
【 仮面を買った店の主 】
【 2011年1月24日(月)】 旅行6日目・晩
ホテルの部屋に戻り、買い物の荷物を置いて、一息入れる。
昨晩、宿で改めて『ワインめぐりの本』を見ていたら、オストリア『マスカロン』とバーカロの『マスカレータ』が宿のすぐ近く、距離にして200m程のところにあるのを《発見》した。晩に改めて外出するのは《シンドイ》ものがあると思っていたが、こんな近くにあるなら行かない手はない。
午後7時半、身支度を整えいざ出陣!
場所はすぐわかった。世界中の有名人も来るというから、ちょっと躊躇して店の前を2、3度行ったり来たりしたが、意を決して中に入る。割と空いていた。地元の人からすれば、早い時間帯だったのかもしれない。というのも、このあと次から次に人が入ってきて、1時間もしたら満席になったから。
【 レストラン「マスカロン」の盛り合わせの前菜 】
前菜の盛り合わせは、ガイドブックで見たのと同じだった。実際のほうがボリュームがあり、一人では食べきれない量だ。ワインも注文する。パスタとサラダも。
【 マスカロンの店内 】
店内には絵がたくさん飾られており、どうも依頼されて販売もしているような感じだった。アメリカから来たとい夫若い夫婦が、1つの絵を指し、気に入ったようで、しきりに「ワンダフル」を連発していた。
【 パスタとサラダ 】
ガイドブックには、必ず《予約のこと》と書かれていたが、予約をしそびれ、《ともかく行ってやれ》と行ってみたら、席が空いており、無事食事にありつけたわけだ。
予定していたレストランの1つで食事をすることが実現し、しかもイタリアに来て2度目の『イカ墨パスタ』にもありつけ、満足だった。
ほっこりしてふと思う。ひと通り食事はすんだが、『バーカリ』というかイタリアの居酒屋には入っていない。同じ路地の50mほど行ったところに『マスカレータ』という名物の店があるはずなので、せっかくだし、ここまできて《悔い》を残してはいけないと思い、《はしご》をすることにする。
ちゃんと店はあった。もう一度《勇気を出して》中に入る。
【 居酒屋『マスカレータ』の牡蠣 】
ほろ酔い気分だから、怖いものはない。『生牡蠣』と白ワインを注文する。行きつけの呑み屋にいるのように、何の違和感もなくワインと牡蠣を味わう。
《ここはヴェネツィアなんだ。今、ヴェネツィアに居るんだ》という感慨にしたりながら。
【 マスカレータ店内 】
【 2011年1月25日(火)】 旅行7日目-最終日
ヴェニツィア最終日は、夜もまだ明けない午前4:40に起床。本館のフロントまで行ってチェックアウトの清算をすませて、初日にきた道を大きな旅行バッグをがらがら引きずりながら、運河に架かる橋では、一段一段引きずるようににして持ち上げながら上がり下りする。人気の全くない土産物屋の建ち並ぶアーケードを行き、『サンマルコ寺院』の横手に出てくる。ここにも人気はない。
がらーんとした『サンマルコ広場』を横切り、塔の前を通り、ヴォバレットの乗り場に向かう。他に誰も居ないのに、ヴォバレットが本当に運行しているのか、時間通りやってくるのか不安になる。
前の晩の考えでは、サンマルコ広場の乗り場から、空港行きの船で直接『マルコポーロ空港』に行くつもりでいた。それの方がバスに乗り換えていくより、時間的にも早いと思った。行き先が違えば乗り場が違うのはわかっていた。空港行きの時間を確かめ、自動発券機で乗船券を買おうと思うがうまくいかない。誰かに聞くにも、自分ら以外に誰も居ない。しばらく思案して、空港に直接行くのはやめにして、隣の乗り場に荷物を引いていく。やはり、こちらの方が便が多く、他に客も居たので安心する。
若い女性が船の接岸の操作をし切符を売っていた。車掌みたいなものか。それにしても早朝から重労働であるのにきびきび動き回っている。途中の乗り場からも一人ふたりと乗り込んでくる。観光局というより、早出のサラリーマン風である。出張帰りか、それとも島の外の《本土》に出勤するのだろうか。ヴォバレットに乗るまでは心配だったが、こうしてみると朝早くから島全体が活動を始めていた。
【 夜明け前の『リアルト橋』】
船は、大きく弧を描いて『リアルト橋』に近づく。昼間観た橋とは違って静けさの中に佇んでいた。これでフィレンツェともお別れだ。それまで右に大きく曲がっていた運河がここから左に弧を描く。
サンタルチア駅の前を通る。駅はまだ寝ているように静かだ。
【 まだ薄暗いサンタルチア駅 】
船は、終点の『ローマ広場』に到着する。時間は6時25分。ここから空港行きのバスが出る。
帰国便の離陸時刻は9:50だから、バスが1時間かかったとしても時間は充分間に合うはずだ。添乗員がいないということは、こういうことを全部自分で考え予定を組まなければならないということだ。最後の最後で失敗は許されないから慎重になる。
空港行きののバスを聞くのに『サンマルコ空港』といったら係りのおじさんが『マルコポーロ空港のことか?』と聞き返す。『サンマルコ寺院(広場)』に『サンタルチア駅』と『マルコポーロ空港』とややこしい。
無事『ローマ広場』から空港行きのバスに乗り込み、7:10に空港到着。あとは、荷物を預け搭乗手続きをするだけだ。
ほぼ定刻の10時に乗り継ぎ空港のパリドゴール空港に向け離陸。機内に自分ら以外の日本人・東洋人の姿は見られない。
窓の下にはヴェネツィアの街を取り巻くラグーナの海が広がる。
【 サンマルコ空港から飛び立つ-窓には『ラグーナ』】
イタリア北部を横断しフランスかスイスの国境に差し掛かった思われるころ窓の外を見ると一面雪で覆われた山々が目に入ってきた。
本場の『アルプス山脈』だ。上から見ると山の形がわからない。どれが『モンブラン』でどれが『マッターホルン』あるいわ『アイガー』なのか、わくわくしながら窓に顔をおしあて見入る。
【 アルプス上空から 】
思いがけない景色のプレゼントに心が踊る。
【 アルプス山脈-何の山か?】
雪山の景色を抜けると、まもなく降下体制に入り、11:40分、パリ『ドゴール空港』に着陸。
【 乗り継ぎでパリ-ドゴール空港に到着 】
乗り継ぎ便までの約2時間、ドゴール空港の広い空港ビルを探検して、13:40分、関空に向け離陸。翌、26日(水)の朝、9:20前、定刻よりやや早く関空に到着。
予約してある乗り合いタクシーで12時過ぎに、8日ぶりに帰宅。
明日から、早速仕事だ。
【 終わり 】
昨年の1月の下旬に旅行に行き、直後から記事を書き始めたが、途中いろいろな出来事で、そちらに気を奪われたり、怠慢だったりして1年近くたってしまった。これを書き終えないことには、年を越せないと思っていたが、年も変わってしまった。ようやく書き終え、ほっとしている。
2012/01/09 記
《連載第1回にジャンプ》
【 2011年1月24日(月)】 旅行6日目・午前後半
『リアルト橋』辺りの探索を一通り終え、『カ・ドーロ』に向かう。
途中、お腹がすいてきたので『アポストリ広場』のベンチで、朝ホテルの朝食会場から持ち出したチーズとクラッカーをかじる。目の前に教会の塔がそびえるほっこりする広場だ。それまでも樹木に出合っていると思うが、葉はすっかり落ちてしまっているものの、ここで初めて木らしい木を見たような気がする。暖かい日差しが気持ちいい。
【 サンティ・アポストリ広場 】
精気を取り戻し、また歩き始める。
もう歩いた距離からして『カ・ドーロ』辺りに来ていると思うのだが、運河側から見ているのと違い、どれも同じような建物に見えて、どれが『カ・ドーロ』か、その入り口もわからない。
運河への路地に入り、確認するとその隣が目指す『カ・ドーロ』だった。入り口はその路地側にあり、これならわからないはずだと思う。
『カ・ドーロ』の内部は美術館になっていた。最初に目に入ったのが下の写真の『聖セバスティアヌス』だ。
【 聖セバスティアヌス 】
ガイドブックによれば他にも見るべき作品が沢山あるということだが、どうもこの時代の絵画には疎いし、あまり興味もないのでその貴重さがわからない。
1階から3階まで各部屋の作品を見て回った後、バルコニーから運河を行き交う船をみて退散する。
近くにあるスーパーで水と食料を少しかって、いったんホテルに戻り昼食とする。
【 2011年1月24日(月)】 旅行6日目・午後前半
荷物を置いて、お腹を満たし、改めて出発する。三度『サンマルコ広場』を横切り、『3月22日通り』を経て、『アカデミア橋』方面に向かう。
【 3月22日通りとモイゼ教会 】
『モイゼ教会』のファザードを背中にして、西に延びる『3月22日通り』周辺は有名ブランド店が集まっているところだ。『エルメス』、『ルイ・ヴィトン』、『フェンディ』、『プラダ』、『フェラガモ』、『ブルガリ』、その他諸々と並んでいるが、縁がないので通り過ぎる。
小さな運河から「カンツォーネ」の歌声が聞こえてくる。スピーカーから流れているのかと思いきや、ゴンドラからきこえる生の声である。ビデオには収録したがブログでは再生できないのが残念。建物に反響しているせいもあるが、辺りに響き渡る良い声だった。
また、歌に聞き惚れてじっとしていたのでは、先の予定がつかえる。『アカデミア橋』も3度目を渡り、『バルナバ広場』に急ぐ。
【 映画『旅情』のロケ地のバルナバ広場 】
広場に出ると『バルナバ教会』のファザードが広場を見下ろしている。目を教会の左手に移すと、《あの店》があった。運河に架かる橋のたもとの小さな店は、映画の中のそれと同じだ。もう何十年も前の映画なのに、同じようにあるなんて不思議な感じだ。
《ヘップバーン》の泊まった宿はどの辺りで、屋上からの景色はどの方向を観たものかと、辺りを見渡すがわからない。
また、この教会と広場は映画『インディー・ジョーンズ最後の聖戦』の舞台になったというが、そちらのほうは知らない。
【 バルナバ広場の船着き場 】
橋を渡り、さらに来たに向かう。
この辺りは、『スクオーラ』と呼ばれる独自の《信者会》の建物が多い。どのような組織かよくわからないが、それぞれの『スクオーラ』(集会所みたいなものか)は建物も装飾も祭壇もみな立派で、とても《集会所》と呼ぶには豪華すぎるものばかりである。
【 スクオーラ・グランデ・ディ・サン・ロッコ(大信者会)】
中でも、『サン・ロッコ大信者会』の内部は『ドゥカーレ宮』のものとも劣らないと思えた。ティントレットの作品が縦横に飾られている。
隣の、『サンタマリア・グロリオ・デイ・フラーリ教会』の内部も目を見張る。ティツィアーノやベッリーニの作品が惜しげもなく飾られている。『ベニスの商人』の財力を誇示するものか。
【サンタマリア・グロリオ・デイ・フラーリ教会】
時間があったらゆっくり観たいところだが、朝から歩き通しで、いい加減気力も萎えてきた。そろそろホテルに戻ることにする。
前日も土産物店や露店で、店先に飾られた《カーニバルの仮面》をさんざん見せられたが、そういえばヴェネツィアの記念になる品物を買っていない。ヴェネツィアン・グラスもどうかなと思ったが、かさばるし、割れでもしたら元も子もない。
いろいろな店を覗いていると、仮面の作風にも個性がある。何件か覗いた末、気に入ったのが飾ってある1軒の店に入る。店の備え付けの工房で主人自らの手作りだった。露店で売っている羽根のついた《ハデハデ》なのは10ユーロもしないものもあったが、ここのは小さなシンプルなものでも50ユーロはする。
気に入ったのを1つ買ってきた。
【 仮面を買った店の主 】
【 2011年1月24日(月)】 旅行6日目・晩
ホテルの部屋に戻り、買い物の荷物を置いて、一息入れる。
昨晩、宿で改めて『ワインめぐりの本』を見ていたら、オストリア『マスカロン』とバーカロの『マスカレータ』が宿のすぐ近く、距離にして200m程のところにあるのを《発見》した。晩に改めて外出するのは《シンドイ》ものがあると思っていたが、こんな近くにあるなら行かない手はない。
午後7時半、身支度を整えいざ出陣!
場所はすぐわかった。世界中の有名人も来るというから、ちょっと躊躇して店の前を2、3度行ったり来たりしたが、意を決して中に入る。割と空いていた。地元の人からすれば、早い時間帯だったのかもしれない。というのも、このあと次から次に人が入ってきて、1時間もしたら満席になったから。
【 レストラン「マスカロン」の盛り合わせの前菜 】
前菜の盛り合わせは、ガイドブックで見たのと同じだった。実際のほうがボリュームがあり、一人では食べきれない量だ。ワインも注文する。パスタとサラダも。
【 マスカロンの店内 】
店内には絵がたくさん飾られており、どうも依頼されて販売もしているような感じだった。アメリカから来たとい夫若い夫婦が、1つの絵を指し、気に入ったようで、しきりに「ワンダフル」を連発していた。
【 パスタとサラダ 】
ガイドブックには、必ず《予約のこと》と書かれていたが、予約をしそびれ、《ともかく行ってやれ》と行ってみたら、席が空いており、無事食事にありつけたわけだ。
予定していたレストランの1つで食事をすることが実現し、しかもイタリアに来て2度目の『イカ墨パスタ』にもありつけ、満足だった。
ほっこりしてふと思う。ひと通り食事はすんだが、『バーカリ』というかイタリアの居酒屋には入っていない。同じ路地の50mほど行ったところに『マスカレータ』という名物の店があるはずなので、せっかくだし、ここまできて《悔い》を残してはいけないと思い、《はしご》をすることにする。
ちゃんと店はあった。もう一度《勇気を出して》中に入る。
【 居酒屋『マスカレータ』の牡蠣 】
ほろ酔い気分だから、怖いものはない。『生牡蠣』と白ワインを注文する。行きつけの呑み屋にいるのように、何の違和感もなくワインと牡蠣を味わう。
《ここはヴェネツィアなんだ。今、ヴェネツィアに居るんだ》という感慨にしたりながら。
【 マスカレータ店内 】
【 2011年1月25日(火)】 旅行7日目-最終日
ヴェニツィア最終日は、夜もまだ明けない午前4:40に起床。本館のフロントまで行ってチェックアウトの清算をすませて、初日にきた道を大きな旅行バッグをがらがら引きずりながら、運河に架かる橋では、一段一段引きずるようににして持ち上げながら上がり下りする。人気の全くない土産物屋の建ち並ぶアーケードを行き、『サンマルコ寺院』の横手に出てくる。ここにも人気はない。
がらーんとした『サンマルコ広場』を横切り、塔の前を通り、ヴォバレットの乗り場に向かう。他に誰も居ないのに、ヴォバレットが本当に運行しているのか、時間通りやってくるのか不安になる。
前の晩の考えでは、サンマルコ広場の乗り場から、空港行きの船で直接『マルコポーロ空港』に行くつもりでいた。それの方がバスに乗り換えていくより、時間的にも早いと思った。行き先が違えば乗り場が違うのはわかっていた。空港行きの時間を確かめ、自動発券機で乗船券を買おうと思うがうまくいかない。誰かに聞くにも、自分ら以外に誰も居ない。しばらく思案して、空港に直接行くのはやめにして、隣の乗り場に荷物を引いていく。やはり、こちらの方が便が多く、他に客も居たので安心する。
若い女性が船の接岸の操作をし切符を売っていた。車掌みたいなものか。それにしても早朝から重労働であるのにきびきび動き回っている。途中の乗り場からも一人ふたりと乗り込んでくる。観光局というより、早出のサラリーマン風である。出張帰りか、それとも島の外の《本土》に出勤するのだろうか。ヴォバレットに乗るまでは心配だったが、こうしてみると朝早くから島全体が活動を始めていた。
【 夜明け前の『リアルト橋』】
船は、大きく弧を描いて『リアルト橋』に近づく。昼間観た橋とは違って静けさの中に佇んでいた。これでフィレンツェともお別れだ。それまで右に大きく曲がっていた運河がここから左に弧を描く。
サンタルチア駅の前を通る。駅はまだ寝ているように静かだ。
【 まだ薄暗いサンタルチア駅 】
船は、終点の『ローマ広場』に到着する。時間は6時25分。ここから空港行きのバスが出る。
帰国便の離陸時刻は9:50だから、バスが1時間かかったとしても時間は充分間に合うはずだ。添乗員がいないということは、こういうことを全部自分で考え予定を組まなければならないということだ。最後の最後で失敗は許されないから慎重になる。
空港行きののバスを聞くのに『サンマルコ空港』といったら係りのおじさんが『マルコポーロ空港のことか?』と聞き返す。『サンマルコ寺院(広場)』に『サンタルチア駅』と『マルコポーロ空港』とややこしい。
無事『ローマ広場』から空港行きのバスに乗り込み、7:10に空港到着。あとは、荷物を預け搭乗手続きをするだけだ。
ほぼ定刻の10時に乗り継ぎ空港のパリドゴール空港に向け離陸。機内に自分ら以外の日本人・東洋人の姿は見られない。
窓の下にはヴェネツィアの街を取り巻くラグーナの海が広がる。
【 サンマルコ空港から飛び立つ-窓には『ラグーナ』】
イタリア北部を横断しフランスかスイスの国境に差し掛かった思われるころ窓の外を見ると一面雪で覆われた山々が目に入ってきた。
本場の『アルプス山脈』だ。上から見ると山の形がわからない。どれが『モンブラン』でどれが『マッターホルン』あるいわ『アイガー』なのか、わくわくしながら窓に顔をおしあて見入る。
【 アルプス上空から 】
思いがけない景色のプレゼントに心が踊る。
【 アルプス山脈-何の山か?】
雪山の景色を抜けると、まもなく降下体制に入り、11:40分、パリ『ドゴール空港』に着陸。
【 乗り継ぎでパリ-ドゴール空港に到着 】
乗り継ぎ便までの約2時間、ドゴール空港の広い空港ビルを探検して、13:40分、関空に向け離陸。翌、26日(水)の朝、9:20前、定刻よりやや早く関空に到着。
予約してある乗り合いタクシーで12時過ぎに、8日ぶりに帰宅。
明日から、早速仕事だ。
【 終わり 】
昨年の1月の下旬に旅行に行き、直後から記事を書き始めたが、途中いろいろな出来事で、そちらに気を奪われたり、怠慢だったりして1年近くたってしまった。これを書き終えないことには、年を越せないと思っていたが、年も変わってしまった。ようやく書き終え、ほっとしている。
2012/01/09 記
《連載第1回にジャンプ》