【2013年6月3日】 TOHOシネマズ二条
監督が『ある愛の風景』のスサンネ・ビア監督のデンマーク映画であったのと、映画の舞台がイタリアの、『アマルフィー海岸』も近くにある『ソレント』だったので、興味を持って観に行く。
いつも行く京都シネマではなく、TOHOシネマで、10時からの1日1回きりの上映。普段は高額な『プレミア・スクリーン』での席で、前後の間隔は《ビジネスクラス》並みにゆったりとしているが、観客は私を含めて5、6人程度だったか。やはり、こうした映画は一般受けしないのか。
それにしても、《一般の映画館》の《予告編攻撃》はすざましい。もういい加減終わるだろうと思っていても、次から次に画面が変わり、なかなか本編が始まらない。しかも《地球の危機を救え》だの、《ホワイトハウスがテロ標的の危機に》とかで、ほとんどがそんなアクションものだ。今日のこの映画を見に来た客層の事など考慮外である。
レンタル・ビデオ屋でDVDを借りてきた観る時に、延々と続く《作品紹介の予告編》そのままがスクリーンで展開され、観客は早送りもできないで、じっと本編を待つ。 上映時間に間に合わせようと必死に予定をこなし足を運んだのに、この15分間は時間の無駄以上に、苦痛である。
この映画はどんな話かは、出演者やコメントや映画の背景を含め、公式サイトに詳しいのでそちらを参照してもらおう。
外国映画を見る際の楽しみ方の1つに、『その国の風習や価値観にどんな違いがあるかを観察する』ということがある。
同じ資本主義国家でありながら、社会福祉の進んだ北欧の国・デンマークと日本とでは、人々の意識にどんな違いがあるのか、制度や社会風習がどんな影響を与えているのかが1つの興味である。
家族の在り方や、愛の形ではどんな違いがあるのだろうか、見ていたが、男の側の《横着ぶり》はどこの国にも有りなのかな、と。
結婚式の仕方・祝い方は、本人の気持ちを二の次にした《形式的》で《家と会社》中心のやり方とはやっぱり違うと感じる。やっぱりああでないと、と思う。
資本主義であるから《モーレツ》な働き方はある。しかし、社員全員に強制するようなことは亡いのだろうか。『ボス』(このボス、かっこよすぎるが)のモーレツな働き方を気にかける従業員の行動にそんなことも垣間見られる。
最後はハッピーエンドだが、やはり『ハッピーエンド』を支える個々人の経済的自立というか社会の制度的な仕組みがやっぱり違うのかな、と感じた。
それにしても、『アマルフィー海岸』は明るく開放的でいい。雨でない快晴のソレント、アマルフィーにもう一度行ってみたくなった。
『愛さえあれば』-公式サイト