『「大発見」の思考法 -iPS細胞 vs.素粒子』 【文春文庫 2011年刊 】
ざっと、本の構成を書くと以下のようになる。
第1章「大発見はコロンブスの卵から」
第2章「『無駄』がボクたちを作った」
第3章「考えるとは感動することだ」
iPS細胞が生み出されたいきさつや、素粒子に関する新理論が構築されていくいきさつやエピソードが語られている。
60兆個の細胞すべてが3万ページの同じ設計図を持っているというが、発生によってそれぞれがどうして、個別の部署に特化していくのかとか、トップ・クォークの予想、『対象性の破れ』とか、わけのわからない話の中にも、それなりに興味深い話がちりばめてあるが、関心があって面白いのは以下の章である。
第4章「やっぱり1番じゃなきゃダメ」
第2章にも触れられているが、坂田昌一研究室の自由な雰囲気がかんじられる。坂田昌一といえば、物理学に弁証法的唯物論を適用して、物質の階層性の考え方等をもって、日本の理論物理学を湯川秀樹や朝永振一郎らと世界一のレベルに押し上げた第一人者だ。飾らなく率直にモノをいう益川さんの土壌はそんな環境でも育てられたかと思うと興味深い。
改めて、腹が立つのは、日本の科学者の置かれている貧困な現状である。
事業仕分けで、「この研究は何の役に立ちますか?」とよく聞かれるという。
しょうもない「箱物」を作ったり、実体のない事業の役員に高額な報酬を出したり、確かに無駄は多い。そのような無駄は見直したほうがいいに決まっているが、あれもこれも十把ひとからげに、バザーに出された古着の選定でもあるまいし、専門知識も経験もなく、経緯、事業の実態も周知していると思われない輩が集まって、短時間で「これは使える」、「これはダメだ」と判断が下せるものかと、テレビを見ながら思っていた。
実際のところ、俄か作りの経験のない国会議員に何ができるのかと冷ややかな目で見ていた。
ところで、最近とみに目立つのだが、旧政権党下の泥にまみれた古参議員が、同じような口調で「新米議員に何ができるか」みたいな発言をしたり、「民主党は政権に就くには早すぎた」みたいなことも言うのを耳にする。自分らの悪政を棚にあげて、『何をかいわんや』である。原発も不良債権も赤字国債も年金・医療保険の窮状も、非正規労働者の増大や雇用不安や、沖縄の基地問題まで、ツケはすべて旧政権から回ってきたものだ。「あんたらに、とやかく言う資格はない。」と言いたい。
話は戻って、かの看板議員がいう。「なぜ、一番でないといけないんですか?」と。
「受験競争の渦中に巻き込まれた教育ママの発想と一緒にするな!」といいたい。
「いろんな尺度の『一番』を持っていることを無視して『なぜ一番でなければいけないんですか?』と訊くのはおかしい。、益川さんも当然反発する。山中教授も「1番を目指さなかったら、結局、2番、3番どころではなくなってしまう。」という。(P-144)
それに、日本を含めた世界の現状を知らなすぎる、と嘆かわしい現状を憂う。
全くそのとおりだ!といいたい。
世の中は、日本人3人同時にノーベル賞物理学賞受賞の報に沸き返るが、何のことはない、以前から『頭脳の海外流出』が取りざたされたが、南部さんにしても何十年も前にアメリカ国籍を取得している「アメリカ人」ではないか。
「何に役立つか」の言葉とともに、貧困な予算のもと、目先の成果とそれに向けての競争に、大学全体が煽り立てられている。
以下の章は、
第5章「うつと天才」
第6章「神はいるのか」
となっているが、印象的な箇所を引用する。
(山中さんが、「益川さんはクラシックでどんな作曲家が好きですか」との問いに)「バッハ、ベートーベン、バルトーク。」
と答えて、『モーツァルトは好きではない』と、モーツァルト論を展開している下りは、面白い。
「モーツァルトは『天才』ではなくて、『天才的」なの。だから、嫌いなの。やりっぱなしで磨きをかけていない。推敲していない・・。(後略)」
「自分の中に思い浮かんだメロディーの面白さに酔っているだけ・・・(後略)」
と手厳しいが、私も上の質問の応えに【バルトークの代わりにチャイコフスキーかヴェルディまたはベルリオーズを入れる】くらいで共感できるから、面白い。
。モーツアルトは、何か流暢過ぎて、言葉は悪いが「はしゃぎすき」というか「軽い」感じがする。(もちろん、そうばかりではなくいい曲もあるのだが。ただ、モーツァルトの中で『ピアノ協奏曲21番-第2楽章(アンダンテ)』だけは、全然モーツァルトらしくなく好きだ。先日、『ナンネル・モーツアルト』という、一般にはあまり知られていない-私もその映画で初めて知った-モーツァルトの姉を描いた映画を見たが、何の根拠もなしに、『ピアノ協奏曲21番』はナンネルが作曲したのではないかと思ったりもする。)
益川さんが、ウツと長い付き合いがあるというのも初耳だが、その対応の仕方もユニークである。
最後に、神はいるかの問いに、
山中教授が、『科学者にとって、「神」の英語訳は「ゴッド」でなくて、「ネイチャー」なんですね。』と言うのに対し、益川さんは、
「・・・前略・・悪いことに僕は無宗教なんです。それも、ただの無宗教でなくて、『積極的無宗教』。」
「・・・『信じない』のでなく、『信じている人をやめさせる』ほう(笑い)」、だそうである。おもしろい。
科学一般に対し、
「自然界には、・・・解明されていない謎が多い。『科学万能の世の中』などと言われますが、我々人類は、もっと検挙にそれらの謎に向き合わなければいけないと思います。」(P-188)
「答えがわからなければ、わからないままにしておけ。いつかわかる時期が来るだろう。・・・それが近代科学の基本な姿勢です。」
と言い切っている。(P-184)
それにしても、痛快で示唆の多い、興味深い対談だった。