【 2018年12月25日 】 京都シネマ
人生の最終盤を迎える仕立て屋のアブラハムは娘たちの思惑とは別の計画を思い立つ。今住んでいるアルゼンチンのブエノスアイレスから遠く離れたポーランドまで、70年来の約束を果たしに行くというのだ。
【 娘たちと・・・ 】
足の自由もきかなくなり、家を処分して老人ホームに入所しようと荷物の整理をしていた時に思い立った。
【 おせっかいを焼いた青年が・・ 】
スペインのマドリッドの飛行機の中では、隣の若者におちょっかいを出して、まんまとシートを独占し体を横にするしたたかさも持っている。
【 マドリッド駅で 】
EUへの入国審査では、入管審査でひと悶着を起こす偏屈さも見せ、マドリッドの宿では、ちょっと変わった女主人に宿代を値切ろうと仕掛けるが、逆にやり返される。そこからが問題だった。EUに入ったら、ポーランドまでは陸つづきで、普通だったら難無くいけるのだが、こだわりがあった。
実は、アブラハムはユダヤ人だった。ホロコーストの犠牲になるところを辛くも友人の助けで難を逃れ、アルゼンチンに移ってきたのだった。持ち金もすべて奪われ、この先どうなるのかと思いきや、助け舟ならぬ美しい助け人が現れるのである。
【 街にて 】
【 ドイツを経由しないでポーランドに行くには? 】
【 あくまでドイツの土を踏まない 】
親切で美しい歴史学者の協力で、《ドイツの土を踏まず》にポーランドに乗り込めるようになったが、列車内では《かつての悪夢》を見て、倒れてしまう。
【 列車の中の悪夢 】
気が付いた病室の看護師が、またしても優しく故郷の街まで車で送ってくれる。
【 親切な看護師に連れられて 】
『幸せの黄色いハンカチ』の中の《夕張に行くかどうかを言い合う場面》を連想するようなセリフが出て、少しおかしかったが、最後はやっぱり涙がにじんでしまった。
いい映画だった。
そういえば、アイヒマンが戦犯追及の手から逃れ、その後「モサド」によって拘束されたのもアルゼンチンだった。何か因縁があったのだろうか。
〇 〇 〇
ナチスの犯罪を描く映画は多数あるが、最近、その手の映画の傾向が若干変化してきているように感じる。それを感じる1つの契機は、映画『顔のないヒトラーたち』だった。
それまで、日本人の大多数の人たちが漠然と考えていたように、「日本が侵略したアジアの人々に謝罪もせず戦後処理をいいかげんにしてきたのに対し、ドイツは周辺国に対し『ナチスの蛮行』を徹底的反省し謝った。」と私も思っていた。しかし、ちょっと違うようだ。ドイツもつい最近-少なくとも1960年代まで国民は第二次世界大戦中にドイツ・ナチ政権が行ってきた蛮行について、あまり知らされていなかったようだった。A級戦犯が政府の中枢に戻り、暗躍していたのに対し、ドイツは戦後すぐにナチス色を払拭し、法律でもそれを禁止して、日本とは対照的な道を歩んできたと思っていた。しかし、それは間違っていた。
その映画の中の「アウシュビッツ裁判」に至る過程で、記者が一般市民・学生に対し「アウシュビッツの事を知っているか?」と問いただすのに、多くが「知らない」と答える場面があった。1961年にイスラエルで「アイヒマン裁判」が行われたが、「アウシュビッツ裁判」は、1963年暮れから1965年にかけて、戦後初めてドイツ国内でドイツ国民自身によって行われた裁判だった。戦後、20年たっており、戦犯の時効が迫ったときでもあった。
しかし、それだけではなかった。下の本を読んでいたら、思いがけず、もう一つの新たな発見があった。
左のものは「ユーロは世界を変える」とか「品ある資本主義」とかを書いている経済学者の相澤幸悦さんの本であるが、「ドイツと日本の戦後処理の違い」を力説する中で、「ドイツは侵略戦争について謝罪していない」という言葉が気になった。「ナチスに全責任をかぶせてドイツ国民を免罪している」と。少し、論理が飛躍しているのではないかと気になって、その件でたびたび引用してある右側の本『〈戦争責任〉とは何か』(木佐芳男著)を読んでみたら、なるほどと思った。
アデナウアー首相もヴァイツゼッカー大統領の演説も《裏》があったのだ。『顔のないヒトラーたち』を改めて観たら、「そうだったのか」と合点がいった。
『家へ帰ろう』-公式サイト