【 2018年4月3日 】 京都シネマ
人の能力が遺伝によるものか、それとも環境に左右されるのかという問題は興味に尽きない。音楽の才能というのはモーツァルトを出すまでもなく天賦の才能が大きくものを言うのははっきりしている。数学もそうだ。オイラーもガウスもすごいが、ガロアが決闘で亡くなる前までの短いわずかな時間に遺したといわれる群論に関する覚書などを見ると同じ人間のなせる技とは思えない。こうした人々の頭の中はいったいどうなっているのかと思う。
映画は、こんな数学の天才たちの同類が屯する家系を背景に、数学のミレニアム問題を題材にちりばめながら展開する。
しかし主題は、如何にも現実的だ。
「天賦の才能」を持った7歳の少女を巡っって、いかにその才能をはぐくむか、環境をどうするのか、誰が養育するのかを、亡くなった母を軸に関係者が争うことになる。
この映画を観る少し前に、上にあげた3つの本のうち一番右側の本を読み終えたところだった。もうかれこれ20年以上前に購入したものだったが「公開暗号鍵システム」の要になる素数に関する本を読んでいたところ、この本の事を思い出し読み返したところだった。以前は仕事にかまけて読破することができなくて放り出していたが、サイモン・シンの本と合わせて読むと、なかなか楽しく読めた。(とは言っても、後者の本の数学の核心部は雰囲気を嗅いだだけで理解はできなかったが。)
実在の「セアラの物語」の方は理想的な展開で《めでたしめでたし》で終わったが、映画の方は後半に意外な展開があり、観る映画としてスリリングでハッとさせられたり、考えさせられたりのして、さやかな気持ちが残る後味のいい作品だった。
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自分としては、数学は好きな分野であったが、どういう訳か、子どもたちはいずれもそうではないようである。それどころか女子組(妻も含め)は「数学(算数からして)なんか無い方が、人生どんな幸せか!」とまで言い切るからわからない。ところが孫のうちのひとりだけが、「どの勉強が好き?」との問いに「算数」というではないか。
【親ばか】ならぬ【爺バカ】は、早速「セアラの本」と数学パズルの本をその孫に送ったりしたものだ。
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