【『水曜日のエミリア』 2011年8月29日 】 京都シネマ
【『メタルヘッド』 2011年9月3日 】 京都みなみ会館
ナタリー・ポートマンの映画を2つ続けて観てしまった。2つの映画ともポートマンが制作に関わっているというから、ただの女優ではない、才女なのだ。
2つの映画は、ポートマンの役柄も、映画の趣向も全然違う。
1つ目の『水曜日のエミリア』は、日本のホームドラマのような感覚の映画だ。もちろんアメリカと日本ではしきたりも法律感覚も違うから、細部では当然違ってくるのだが、見ていてどうも面映い感じになってしまう。
だいたいあのダンナ、《できすぎている》というか、《いいとこ取り》している。
話の筋は、妻に愛想をつかした子持ちの男が、職場の新しく若い仕事仲間と再婚し、連れ子に苦労するという話である。このガキが小生意気で腹が立つが、なんとかうまくやっていけるようにとエミリアは努力する。で、結局どうなったかな・・・。
観た後の印象の薄い映画である。
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もう1つの『メタルヘッド』は、TJという子供が主役である。
TJが、事故でめちゃめちゃに壊れて修理業者から解体業者に渡っていく車を執拗に追いかける。どうして何のためにその車にこだわるか、はじめは分からない。学校でも行く先々でもいじめられる。
父親は生活する力を失い1日ソファーに寝転んでいるだけだ。
何らかの事情で、心に傷をおった父子が先の見えない生活をしているところに、おかしな闖入者《ヘビメタ野郎》ヘッシャーが強烈な《音》と共に現れる。
強引に家庭に入り込み、パンツ1丁で徘徊し、勝手に場所を占拠し食べ物を我が物顔にあさる。
その家の中で。、一人何の違和感もなく受け入れているのは、体の不自由なおばあちゃんだけである。外に散歩に連れて行ってもらいたいのだが、なかなかかなわない。
ヘッシャーの奇怪な行動は家の中だけではない。TJをいじめる悪ガキの車に火をつけたり、売り出しのための留守宅に勝手に入り込んで荒らしまわる。普通に考えたら突飛でありえない行動をする不思議な存在なのだが
ポートマンはというと、スーパーのレジ係で、めがねをかけたさえない役回りで登場する。いじめられているTJを助けたり、自分の苦境を語ったりする、ごく平凡な《女の子》である。
駐禁の切符を切られ、支払いに窮したり、がんばって働こうと思っても、110時間以上勤務に入れてもらえない現実を嘆いたり、そんなところに、《貧困なアメリカ》の断面が覗けたりする。
TJは事故にあっても、邪魔されても執拗に赤い車を追いかけ、普通なら大怪我をするところだが、奇跡的に立ち上がる。その車は、母の思い出なのだ。
ある日、おばあちゃんが亡くなる。そのおばあちゃんを送る教会で、ヘッシャーはまた常識はずれの思いがけない行動をとるが・・・。
見終わった後、不思議な感覚にとらわれる。いったい、あの男は何なのだ、と。それは、誰にでも自分の心のどこかにある《もう一人の自分》を、《ヘッシャー》が代弁・代行をしていると考えたら、違和感なく受け入れられる理由がわかる。
思っていたより、ジーンとくる映画だった。
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ポートマンの最近の映画に『ブラック・スワン』があるが、それよりももっと以前に観た『宮廷画家ゴヤは見た』のポートマンの強烈な印象が残っている。
わたしのお気に入りの映画『アマデウス』がミロス・フォアマン監督のものというのは知っていたが、『カッコーの巣の上で』も、『宮廷画家~』も同じ監督の作とは今まで意識していなかった。
そうだったのか!
『水曜日のエミリア』-公式サイト
『メタルヘッド』-公式サイト