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【 上海風景の象徴・外灘地区の旧市街地ビル 】
【 2011年10月23日(日)】 旅行5日目-最終日
昨晩は、上海最後の夜で、『上海雑伎団』のショーを観てきて、寝るのも遅くなってしまったので、今朝は7時の起床である。
お腹の調子は、回復した。治らずにこのまま下痢のお腹を空港まで持って行くようだったら、検疫で『申し出』をしないといけないものかと迷っていたが、取り越し苦労だった。食欲も回復して、朝食はいつも通り食べられた。
朝一番から、『買い物ツアー』である。『ラテックス』の寝具の販売で、わざわざ中国まできて寝具を買って帰る人がいるのかと思うが、否が応でもつきあわされる。長々と商品の説明をした後、販売である。「販売部長」?が日本人で、どうしてこんな所でこんな仕事をしているのかといった雑談も混じっていたので多少気が紛れたが、その後の『雑貨店』とあわせて1時間半はもったいない。
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10:00に今日の観光の目玉である、『外灘地区』に到着する。映画でもよく出てくる『上海の顔』みたいなレトロ調の建物が川沿いに並ぶ地域である。川の向かい側の新市街地には、上海に来た初日に訪れた高層ビル群が建ち並ぶ。
ここで30分ほどの自由時間があり、遊歩道の上を左右対象的な景観を見ながら、「もう上海に来ることはないだろう。」とおもいつつ、散策する。
『四川料理』(といっても本格的なものでなく、いつもより多少辛子がきいている程度の代物か)の昼食の後、『魯迅公園』に向かう。
街の中を歩いていくが、いろいろなにおいが漂って来る。初日に『豫園』に行くときも気づいたが、新しい豪華なビルと隣り合わせに今にも崩れそうな木造のバラックのような家が並ぶ。そうした家には『トイレ』がないということだった。共同トイレがあるが、かつての住人だったという添乗員の話では、あまりに汚く使う気になれず、近くのホテルのトイレを毎回借用していたという。貧困と富が本当に隣り合わせなのだ。しかも、ひどい《格差》を伴って。
中国に来て初めて、ポストを見た。形は、以前の日本の古い形のものに近いが、色は緑色である。
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【 中国の郵便ポストは緑色? 】
『魯迅公園』は日曜日とあって家族連れや休みを過ごす若い人や、楽器を奏でたりゲームをする年寄りでにぎわっていた。
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『魯迅』の銅像は公園の一番奥まったところにあった。ここの時間は20分程度だったから、公園を端から端に横切り、銅像を見て帰ったら、それでおしまい。
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【『魯迅公園』の魯迅の銅像 】
『多倫路文化名人街』は『魯迅公園』から歩いて10分ほどの近い距離にある。《L字型》の3~400mほどの路地だが、かつての《日本人租界》の地域らしく、多くの文化人が暮らしていたエリアという。銅像やレリーフが道の両側に点在し、建物も当時のものが復元されているという。
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最後の訪問地は『泰康路』と『建国中路』の間にある『田子坊』と呼ばれている地域だ。工場や倉庫を改装して再生された個性的な店が集まった所で、迷路のような道に人があふれている。
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【 『田子坊』の繁華街 】
店も世界中のものがあれば、集まってくる人も、世界中の人が集まり、他の地区に比べ、ヨーロッパからの人の姿が目立つ。何か、ヴェネツィアの裏通りか、モンマルトルの一角に来たような錯覚を感じる。
こんな所でゆっくり食事をしてのんびり過ごせば、旅をもっと味わうことができると思うが、時間に追われ迷路を逆戻りして集合時間に間に合わせるだけだある。
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【 外国人でにぎわう店 】
最後の車内販売のお願いと記念写真の《売りつけ》があり、1時間ほどで帰国便の出る『浦東国際空港』に着く。現地時間午後6時半すぎ離陸。ここから関空までは2時間ほどの所要時間。時差が1時間だから、9時半過ぎには関空に着く。
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【 上海『東哺空港』】
何の事故もなく、無事到着。乗り合いタクシーの調整に手間取り、京都の自宅に着いたのは24時過ぎ。明日からは早速、月末に向けての仕事が待っている。
【 終わり 】
中国上海旅行・最終日-紹興から杭州湾大橋を渡り上海へ
【 2011年10月23日(日)】 旅行5日目-最終日
昨晩は、上海最後の夜で、『上海雑伎団』のショーを観てきて、寝るのも遅くなってしまったので、今朝は7時の起床である。
お腹の調子は、回復した。治らずにこのまま下痢のお腹を空港まで持って行くようだったら、検疫で『申し出』をしないといけないものかと迷っていたが、取り越し苦労だった。食欲も回復して、朝食はいつも通り食べられた。
朝一番から、『買い物ツアー』である。『ラテックス』の寝具の販売で、わざわざ中国まできて寝具を買って帰る人がいるのかと思うが、否が応でもつきあわされる。長々と商品の説明をした後、販売である。「販売部長」?が日本人で、どうしてこんな所でこんな仕事をしているのかといった雑談も混じっていたので多少気が紛れたが、その後の『雑貨店』とあわせて1時間半はもったいない。
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10:00に今日の観光の目玉である、『外灘地区』に到着する。映画でもよく出てくる『上海の顔』みたいなレトロ調の建物が川沿いに並ぶ地域である。川の向かい側の新市街地には、上海に来た初日に訪れた高層ビル群が建ち並ぶ。
ここで30分ほどの自由時間があり、遊歩道の上を左右対象的な景観を見ながら、「もう上海に来ることはないだろう。」とおもいつつ、散策する。
『四川料理』(といっても本格的なものでなく、いつもより多少辛子がきいている程度の代物か)の昼食の後、『魯迅公園』に向かう。
街の中を歩いていくが、いろいろなにおいが漂って来る。初日に『豫園』に行くときも気づいたが、新しい豪華なビルと隣り合わせに今にも崩れそうな木造のバラックのような家が並ぶ。そうした家には『トイレ』がないということだった。共同トイレがあるが、かつての住人だったという添乗員の話では、あまりに汚く使う気になれず、近くのホテルのトイレを毎回借用していたという。貧困と富が本当に隣り合わせなのだ。しかも、ひどい《格差》を伴って。
中国に来て初めて、ポストを見た。形は、以前の日本の古い形のものに近いが、色は緑色である。
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【 中国の郵便ポストは緑色? 】
『魯迅公園』は日曜日とあって家族連れや休みを過ごす若い人や、楽器を奏でたりゲームをする年寄りでにぎわっていた。
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『魯迅』の銅像は公園の一番奥まったところにあった。ここの時間は20分程度だったから、公園を端から端に横切り、銅像を見て帰ったら、それでおしまい。
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【『魯迅公園』の魯迅の銅像 】
『多倫路文化名人街』は『魯迅公園』から歩いて10分ほどの近い距離にある。《L字型》の3~400mほどの路地だが、かつての《日本人租界》の地域らしく、多くの文化人が暮らしていたエリアという。銅像やレリーフが道の両側に点在し、建物も当時のものが復元されているという。
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最後の訪問地は『泰康路』と『建国中路』の間にある『田子坊』と呼ばれている地域だ。工場や倉庫を改装して再生された個性的な店が集まった所で、迷路のような道に人があふれている。
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【 『田子坊』の繁華街 】
店も世界中のものがあれば、集まってくる人も、世界中の人が集まり、他の地区に比べ、ヨーロッパからの人の姿が目立つ。何か、ヴェネツィアの裏通りか、モンマルトルの一角に来たような錯覚を感じる。
こんな所でゆっくり食事をしてのんびり過ごせば、旅をもっと味わうことができると思うが、時間に追われ迷路を逆戻りして集合時間に間に合わせるだけだある。
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【 外国人でにぎわう店 】
最後の車内販売のお願いと記念写真の《売りつけ》があり、1時間ほどで帰国便の出る『浦東国際空港』に着く。現地時間午後6時半すぎ離陸。ここから関空までは2時間ほどの所要時間。時差が1時間だから、9時半過ぎには関空に着く。
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【 上海『東哺空港』】
何の事故もなく、無事到着。乗り合いタクシーの調整に手間取り、京都の自宅に着いたのは24時過ぎ。明日からは早速、月末に向けての仕事が待っている。
【 終わり 】
中国上海旅行・最終日-紹興から杭州湾大橋を渡り上海へ