【 2014年4月20日(日曜日)】 京都Tジョイシネマ
映画案内の記事か予告編をインターネットかどこか見て、京都ではどこで上映するのかと注意していたが、どうも『T-ジョイシネマ』でしかやらない。京都駅の西のはずれにあって、しかも上映時間が19時10分の1日1回だけでは、なかなかタイミングが合わなかったが、今日ようやく時間を調整して車で出かけてきた。
発券カウンターで千円札を1枚出したら、『1100円です。4月から改定させてもらいました。』と言われる。消費税は従来の5%から3%だけ上がったのに、100円も上がるなんて、しかも収入の少ないシニア層をねらい打ちするとは何事かと腹も立つが、どうにもならない。ちなみに後で確認したら、他の料金は従来どうりだったから、値上げ分を全てシニアがかぶることになるのを知って、本当に今回の消費税の値上げは、高齢者と貧困者に最も打撃を与える悪法だと実感し、よけいに腹が立つ。
愚痴は、別の場所で改めて言うことにして、映画のはなしに移ろう。
冒頭、殺人現場を捉えた【実写映像】が数分流れる。6~7人の警官が数人の無抵抗の黒人青年オスカーらをホームの端の座らせ、さらに拳銃で脅し殴りつけ、ちからずくでねじ伏せている。そして銃声が響く。
映画の最後に流されていた〈テロップ〉によると、現場の状況を5~6人の市民がビデオや携帯動画で撮影していたという。そのうちの1本が映画の冒頭でも使用され、テレビにも事件の直後に流され抗議集会や暴動まで起きたという。
冒頭の【実写フィルム】が流された後、映画は、明日、新年を迎える大晦日で、その母の誕生日でもあり、またオスカー自身の最後の1日となる朝から始まる。
恋人のソフィーナと《浮気》のことで口論になり、その場をしのぐが、実は遅刻を2回したためスーパーの店員を首になっていた。何とかしなければいけない元の職場の店長に掛け合うが相手にしてくれない。
思いあまり、かつての薬の売買にかかわる仲間に連絡をするが、服役経験を思い返したオスカーは、娘のT(タチアナ)のためにも、もう薬にはかかわらないと決意する。
そして、夕方いつものように娘を幼稚園に迎えに行った後、ソフィーナにそのことを打ち明け、、母の誕生日を家族が集まり皆で祝ったあと、友達と約束したとおり、新年を祝う「花火大会」にソフィーナも一緒に、電車で街に出かける。
悲劇は、その帰りの電車の駅で起きた。
最後のテロップの続きに、『銃を発射して警官は「殺人罪」ではなく「過失による致死罪」で懲役2年の判決を受け、11ヶ月で出所した。』とあった。
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上映が終わり、明るくなった館内を見渡すと、観客は10名ほどしかいなかった。何か、広い会場にもったいないというか残念というか、寂しい気持ちになってしまった。
【4月22日追記】
最初の投稿で書き残してしまったことがあるので加えておく。
監督へのインタビューで、この作品にかける監督自身の気持ち-【どんな作品にしたかったか】というそれである。
『亡くなったのが誰であろうと、
悲劇の真髄はもっとも近しかった人々にとってその人がどういう人だったのかというところにある。』
というのは、
『・・・裁判の過程で、状況が政治化するのを目の当たりにしていた。その人の政治的な立ち位置によってオスカーは、
何ひとつ悪いことをしていない聖人か、又は受けるべき報いをあの晩受けた悪党かのどちらかに分かれた。 その過程で、
オスカーの人間性が失われてしまったように僕には感じ』て、
この事件を単に人種差別から生じた《悲劇》だけに終わらせたくなかった。つまり、
『状況を変えるために何かしたいと思った。 映画を通してこの話に命を吹き込み、オスカーのような人物と観客とが
一緒に時間を過ごす機会を作ることが出来れば、 このような出来事が再び起こるのを減らせるかもしれないと思い・・・
・・・オスカー・グラントが確かに存在していたことを観客に伝えたい。 あがいていたり、個人的な葛藤を抱えて
いたけれど、希望や夢や目標をもった人間だった。 そして彼がもっとも愛していた人たちにとって、彼の命がとても
大切だったことも。 この作品を通じて、新聞の見出しを読むだけではわからない、オスカーのような人物に近しさを
感じてもらえたらいいなと思っている』、と。
この試みは、映画を見れば分かるように、監督の思っているメッセージが充分伝わってきて、単なるドキュメンタリーに終わらない、より感動的な作品になっていると感じた。
いい映画だ。
『フル-トベール駅で』-公式サイト・・・閉鎖