【2012年10月30日】 京都シネマ
原題の「Tyrannosaur」は、かの凶暴な肉食恐竜・ティラノザウルスのこと。(あるいは《凶暴な者》の意)
『思秋期』のいうイメージからはかけ離れた粗暴な男が、一見幸せそうな女性と出会い、救われると思いきや、こちらも不幸のかたまりのような生活があった。
仕事に就かず毎日酒場に入り浸りの男・ジョセフは、自制がきかず荒れ狂った生活をしている。店の窓ガラスは壊すし、愛犬もけり殺してしまう。
ある日、逃げ込んで隠れた店の女主に優しく語りかけられるが、敬虔なキリスト教の信者であるその女性も、決して幸せな家庭があるわけではなかった。
家に帰れば、暴力を振るう、これまた《ティラノザウルス》が待っている。自分の《欠点》を棚に上げ、「男に会っていたろう」と妻にあたり散らすのである。(この夫、見るからに《凶暴》そうな気味の悪い面相をしている。さすが、《役者》!)
英国自体が、いい意味での『思秋期』を迎えている国の様な気がする。産業革命から資本主義の先陣を切り、世界各地に進出し、スペインの『無敵艦隊』を打ち破り、『大英帝国』を築いて《陽の沈むことのない》帝国を謳歌していた時が、青年期から壮年期に至る過程だとしたら、その後アメリカにそそ地位を奪われ、《更年期》とも言うべき苦しい時期を乗り越えた今は、かつて持っていた若さやはち切れるようなエネルギーは無くなったが、蓄積された知恵と経験で、以前とは違う大人の方法で、今の国の在り方を静かに模索し、存在感を主張しているように思える。
この春、英国を旅行したとき(外側だけをさらっと見ただけだが)、日本とは違うどこか大人の雰囲気を感じた。日本の《小泉改革》の時と同じように『規制緩和』と『民営化』の《サッチャリズム》が吹き荒れたにもかかわらず、中国の上海などで見た光景とは違って、1つ1つの家が個性を保ちしっかりと生活しているように映った。(もっとも、観光では貧民街のようなところには連れて行かないのだろうが)
映画の中でも、ジョセフはおそらく『生活保護』を受けているものと思われるが、きちんとした家はあるし一応整頓もされているし、明日の食事に困るようなことも無いと見受けられる。そもそも、基準が全然違うし、それを勝ち取ってきた伝統というのも違うのだろうと思う。
映画『ブラス!』では、イギリスの炭坑町を舞台に、かつての日本での『三池闘争』のような廃坑・首切りの環境の中で、近所仲間のと絆と資本と闘う労働者の姿を描いていたし(最後の舞台となった『ロイヤル・アルバートホール』を見てきた!)、『フル・モンティ』も同じ貧しい労働者の街での、陽気でしたたかな人々の生き方を描いたもので楽しかった。
【 ロイヤル・アルバート・ホール 】
監督は、今回の映画長編映画1作目という「パディ・コンシダイン」という人らしいが、主役の「ピーター・ミュラン」はどこかで見覚えのある顔だと思っていたら、「ケン・ローチ」の『マイネーム・イズ・ジョー』で同じような役柄で出ていたのを思い出した。渋い、いい俳優だ。
静かに余韻の残る、良い映画だった。
『思秋期』-公式サイト