【2012年9月28日】 京都シネマ
『いわさきちひろ』をはじめて知ったのは高学生の時だった。当時、詩に夢中だった私は、『室生犀星』や『萩原朔太郎』や『立原道造』など読んで夢想に耽っていたが、上田敏の外国の訳詩集『海潮音』を読んで海外の詩にも興味を持った。原語の詩集はもちろん読めないから、全て日本語に訳したものを読むことになるが『アルチュール・ランボー』や『ボードレール』を読みふけり、実存主義哲学にも傾倒していた。
そんな中で、河出書房から出版された『ハイネ詩集』に出合ったのはいつだったか。新書版の簡易装丁の(いわゆる《ペーパーバックス》の様な)本で、ハイネの詩の方にも夢中だったが、その詩のことはさておいて、その詩集の随所に散りばめられている『挿絵の不思議な力』に惹かれた。一度見たら忘れられない魅力(魔力?)を感じさせる絵だった。その時は画家の名前を知らなかった。
ただ、絵のことは頭の中にずっと残っていた。京都の私立大学に入り、はじめは夫である-弁護士で国会議員でもあった-松本善明さんの方であったが、その妻が「いわさきちひろ」という名前の絵本作家と知り、その絵を見てすぐに昔の詩集のことを思い出した。「あの挿絵を描いた人だ」と。
他の何十冊もある《他の詩集》のほとんどは実家のどこかの部屋に埋もれてしまっているが、この本だけは京都に持って帰り、今も手元に置いている。
その後、子どもを持ち、その成長過程で『福音館書店』や『岩崎書店』の絵本を購読する中で、「いわさきちひろ」は我が家には、なくてはならない存在になっていた。
○ ○ ○
映画は、ドキュメンタリー風映画である。予備知識もあるのでおおよその展開は分かっていたが、新たな発見もあった。前夫が自殺していたことは初めて知った。そういう結婚を強いた、そういう母親だったのかも知った。
しかし、一番の再発見は、生活を支えるため、あれだけ必死に絵を描き《働いていた》のかということだった。淡い色彩の甘美な絵を描く『マリー・ローランサン』との、受ける感性の似ているようで決定的に異なる違いが、その変にあるように思った。
「ハイネの詩集」の挿絵も、必死に家計を支えるために必死で描いた『ちひろ』の努力の痕跡かもしれない。
『いわさきちひろ-27歳の旅立ち』-公式サイト
『いわさきちひろの絵に出会えるサイト』