【2011年7月19日】 京都シネマ
一週間以上前に見た映画であるが、記事を書くのが遅れてしまった間に、中国でまた不可解な、というか前近代的な事件が起きた。『高速鉄道の衝突事故』の後始末をめぐる動きである。どうしてそんなことをするのか、現代の日本(あるいは世界)の状況からは理解しがたいことである。
この映画の背景にも、同じような中国の前近代的な状況があって、そうした『意識の遅れ』が引き起こした事件といえる。
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ある青年に、2台の車を盗んだという窃盗の罪だけで死刑の判決が下される。
市場経済が展開される中、経済犯罪が多発するため、『見せしめ』的な効果をねらって、死刑を温存させた時期もあったようだが、『民主化』の波もあって、たかだか窃盗犯に死刑は重すぎるという背景から、刑法が改正される。この事件は、改正前に起きた事件だから、『旧刑法』が適用されるという裁判長の判断により、死刑判決が下され、まさに実行されようとするその日は『改正刑法』が施行された後の日だ。
その直前になって、裁判長は決断する。
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処刑を、郊外の《原っぱ》で実行するというのもびっくりであるが、裁判長の身分の軽さや、周囲からの圧力を受けやすい環境も驚きである。
中国の悪口ばかりも言っていられない。民主国家ぶっている我が日本でも、各種の冤罪事件が後を絶たない。最近見た『ショージとタカオ』(冤罪事件である布川事件の被告であった桜井昌司さんと杉山卓男さんの二人が再審請求から無罪を勝ち取るまで描いた映画)でも分かるように、でたらめな捜査と新証拠を取り上げず、事実を認めようとしない司法当局のかたくなな態度により、人生の大半を獄中につながれる例があるのである。
『布川事件』-ホームページ
なお、この映画のテーマとなっている中国の死刑制度と裁判の状況について、オフィシャルサイトの田中信行東大教授の解説「中国の死刑と裁判」が参考になるので、興味ある人は一読を。
『再生の朝に-ある裁判官の選択』-オフィシャル・サイト