遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

長崎原爆の日

2018-08-10 15:05:11 | 日記
平成30年8月10日(金)

長崎原爆の日(8月9日、木




爆心地公園

太平洋戦争末期の昭和20年8月9日、
広島(6日)に続いて長崎市街に原爆
が投下され、一瞬の内に7万余の人々が
亡くなられた。 
被爆から73年、平成最後の「長崎原爆
犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれた。


被爆者代表等の「献水」が行われる。


遺族代表等の献花に続き、参列者代表等
が次々に献花を捧げる。


11時20分、「長崎の鐘」を合図に
黙祷が在る、、、、、、、、



田上長崎市長の「平和宣言」が述べられ


「73年前、長崎は一発の原子爆弾に依り
無残な姿に変り果てました。

原爆は人間の尊厳を容赦なく奪う残酷な
兵器です。、、、、、、、、、
15万人が死傷し、今もその後障害に苦し
められて居る。
昨年「核兵器禁止条約の国際キャンペーン
(ICAN)が、ノーベル平和賞を受賞
しました。地球上の多くの人々が核兵器の
無い世界の実現を求めている「証」です。
、、、、、、、、、、、、、
核兵器保有国の傘の下に依存する国の指導
者は、核に頼らぬ安全保障に転換を、、、、

中日新聞より、

日本は、この条約に賛同し非核化に導く
道義的責任をを果たすべきです、、、、。
戦争をしないとの日本国憲法の思いを次世代
に継承すべきです、、、、、、、、、。

中、高校生の輪(中日新聞より)

原発事故からの復興に努力される福島の皆
さんを応援します。」




被爆者代表田中煕巳さんの「平和の誓い」
では、自らの被爆体験から、肉親等の爆死
の生々しい悲惨な思い出を語り、、、
「地獄の惨状は今も脳裏から離れません、
被爆者達のその後の人生も、偏見と差別
の中を苦しみ続けます、、、、、、
被爆者達の願いを、「原水協」と伴に訴え
続け、昨年やっと[ICAN]等で世界の
人々が活動される様になりました、、、、
然しながら、核の傘を着る日本政府や同盟
国はこの条約に賛同せず、、、、
総理は、米国の意のままに従い、この条約
に署名も、批准もしないと公言され、
極めて残念でなりません。
日本国憲法は今の核の時代に誇れるもの
です。私は禁止条約への署名と批准を願い
更なる努力をして参ります。」


次に、」山里小学校児童の歌 「あの子」の
「ああ あの子が生きていたなら、、、、、」
の合唱がある、、、、



安倍総理の挨拶は、6日に行われた広島での
挨拶と全く変わらず、何も感情もなくただ
棒読みされただけ、、、、
式典後の会見で、「核兵器禁止条約」への
参加の意思がないことを改めて説明した。

この後、国連事務総長のアントニオ・グテ
ーレス氏の挨拶がある。


「73年前、一発の原子爆弾が長崎に投下
され、7万とも言われる尊い命が失われ、
街は一瞬に焦土と化しました、、、、、、
2017年、1兆7千億ドル以上のお金が
武器や軍隊の為に使われた、、、、、
世界中の人道支援に必要なお金の凡そ80
倍に値します、、、、、、、。
核保有国は、核軍縮をリードする責任が
在る。 今核軍縮プロジェクトクトは失速
し、停止しているが、、、、、
多くの国は「核兵器禁止条約」を採択し、
これに反対する者へ不満を示した。
核廃絶は国連の最優先課題です。
長崎を核兵器による被害の最後の場にしま
しょう、、、。」

最後に、純心女子高等学校の合唱「千羽鶴」
の合唱が会場に流れた、、、、。




今日の1句

長崎忌いよいよ水の有難み   ヤギ爺