令和4年7月23日(土)
大 暑

二十四節気の一つ。
次の節気の立秋迄を「大暑」の気に入るという。
文字通りの夏の最も暑いときで、暑さの絶頂にある。
土用鰻

夏の「土用の丑の日」に食べる鰻のこと。
土用とは、小暑から立秋迄の一年で最も暑い時期(大暑)を
いい、その時期に夏バテ防止のために食べる鰻を指す。

この日は「鰻屋」が大繁盛し、一年で最も忙しい時である。
鰻は栄養価が高く関東では背開き、関西では腹開きにして、
白焼きや蒲焼等にして食する。

この日に鰻を食べる習慣がいつ頃から始まったのかは定かで
はないが、江戸の中期に平賀源内が鰻屋から頼まれ考案し、
「土用にうなぎを」と宣伝、また「この日の鰻は薬になる」
と吹聴したことが、発端とされているようだ。

平賀源内の肖像 : 中丸精十郎筆
平賀源内は江戸中期の享保から安永(1728~1780年)
の蘭学者」で、医者、戯曲作家、画家で、俳人として俳諧で
も活躍している。亦、発明家としても知れ渡り「エレキテル
の修理、発明」は有名である。
土用の丑の日に鰻を食べる風習は、平賀源内の提唱によると
されて居るが、その明確な根拠や著作は実存しない。
通説によると江戸の中期に平賀源内は、「夏になると鰻が売
れなくなる」という相談を鰻屋から受けて思案「本日丑の日」
と張り紙をする様に提案した。その張り紙を見た客が鰻屋に
入り鰻を食べる、「夏の暑い時期の鰻は精が付き活力が増す、
鰻はくすりとなる」と吹聴した、、それからこの鰻屋は繁盛、
それを見た近所の鰻屋も真似をして張り紙したことから、、
土用にうなぎを食べる風習が広まったとされている。

口コミから「鰻は滋養があり、夏の疲れが吹っ飛ぶ、薬だ」
と大いに流行したようである。
平賀源内は、油絵を描き、浄瑠璃の台本を書き、発明家でも
あり人気者、江戸の町で彼を知らぬ者はいないと云われ、彼
の出したアイデアには誰もが飛びついたと云うのが通説か。
カミさんが「今日は出前を」と鰻を頼んだ。カミさんは鰻が
食べられない、、、チャッカリお寿司を注文した。

私の、

カミさんの、
今日の1句
妻と居て吾一人食う土用鰻 ヤギ爺