年末気分になってきました。
店の隣の中央公園も、大きなツリーがライトアップされてますし。
来年の教室のことも考え始めたせいか、
早くも気分は、年の瀬。
それまでに終わらせたい仕事がたくさんあるので、
それらが終わらないと、のんびりと大晦日を迎えることができそうもありません。
たぶん、多くの方が、そんなところでしょうね。
頑張りましょう、皆さん。
今日の「香港甜品」は、暇でした。
「Yakko」は、すごく忙しかったそうです。
バターも無事入荷し、さあ作るぞ!と、娘は張り切っていたようですが、
忙しすぎて、まったく製造できなかったとか。
「クッキーが、全然ない~」と、焦っておりました。
忙しすぎるなんて、贅沢すぎる悲鳴ですね。
それに比べて、「香港甜品」は、「お客さん、来て~!!」と、叫んでおりました。
この叫びが、県内にとどろきますように。
年末になると、出費も増えますよね。
この年になると、貰うことはほとんどなくて、あげる一方。
懐寂しい初冬です。
そんな折、母から「お誕生日プレゼント」と、一万円もらいました。
まるで、子供のように嬉しくて「やった~っ!」と、はしゃいでしまいました。
金額ではなく、「おこづかい」(誕生日プレゼントなんだけど)を貰うってことが嬉しいのです。
だって、もう母しか、私におこづかいをくれる人はいないのだもの。
子供の頃は、祖母や祖父がいて、おじさん、おばさんもいて、
お正月ともなれば、「どこに行ってお年玉をもらうか?」と算段したものだけど。
その昔、私におこづかいをくれたおとなは、今は、もういない。
そして、私が、その「おとな」になった。
こころは、子供のままなのに。
年末だからかなぁ。
子供の頃、祖父母の家で過ごしたお正月が、
古い写真を見るように思い出されます。
なにひとつ、不安もなく、平和な心で過ごしていたあの頃が、かけがえのない大事な時間だったと、今になって、そう思います。
そして、亡くなった父が、おどけて手品を披露したり、ハーモニカを吹いたりしたお正月も、
涙が出るほど、懐かしいです。
店の隣の中央公園も、大きなツリーがライトアップされてますし。
来年の教室のことも考え始めたせいか、
早くも気分は、年の瀬。
それまでに終わらせたい仕事がたくさんあるので、
それらが終わらないと、のんびりと大晦日を迎えることができそうもありません。
たぶん、多くの方が、そんなところでしょうね。
頑張りましょう、皆さん。
今日の「香港甜品」は、暇でした。
「Yakko」は、すごく忙しかったそうです。
バターも無事入荷し、さあ作るぞ!と、娘は張り切っていたようですが、
忙しすぎて、まったく製造できなかったとか。
「クッキーが、全然ない~」と、焦っておりました。
忙しすぎるなんて、贅沢すぎる悲鳴ですね。
それに比べて、「香港甜品」は、「お客さん、来て~!!」と、叫んでおりました。
この叫びが、県内にとどろきますように。
年末になると、出費も増えますよね。
この年になると、貰うことはほとんどなくて、あげる一方。
懐寂しい初冬です。
そんな折、母から「お誕生日プレゼント」と、一万円もらいました。
まるで、子供のように嬉しくて「やった~っ!」と、はしゃいでしまいました。
金額ではなく、「おこづかい」(誕生日プレゼントなんだけど)を貰うってことが嬉しいのです。
だって、もう母しか、私におこづかいをくれる人はいないのだもの。
子供の頃は、祖母や祖父がいて、おじさん、おばさんもいて、
お正月ともなれば、「どこに行ってお年玉をもらうか?」と算段したものだけど。
その昔、私におこづかいをくれたおとなは、今は、もういない。
そして、私が、その「おとな」になった。
こころは、子供のままなのに。
年末だからかなぁ。
子供の頃、祖父母の家で過ごしたお正月が、
古い写真を見るように思い出されます。
なにひとつ、不安もなく、平和な心で過ごしていたあの頃が、かけがえのない大事な時間だったと、今になって、そう思います。
そして、亡くなった父が、おどけて手品を披露したり、ハーモニカを吹いたりしたお正月も、
涙が出るほど、懐かしいです。