娘たちからの「母の日」のプレゼント。
何より嬉しいのは、「お母さん、いつもありがとう!」という言葉。
これは、母の日の常套句かもしれないけれど、私には「特別」に聞こえる。
「お母さん」という一言で、ドキッ!「いつも」で、ドキッ!!「ありがとう」で、グサッ!!!です。
俗に、「子供を喜ばせるのは難しいけど、親を喜ばせるのは簡単」って言いますけど、その通り。
たった一言で、大喜びしてしまうんですから。
その昔、子供を産んだばかりの頃、「親」として、自分は子供にどう接したらいいか見当もつきませんでした。
「母親」として、何をしたらいいんだろう?って、途方に暮れてしまいました。
もちろん、ミルクをやる、とか、おしめを替えるってことはわかるんだけど、
なにを教えたらいいのか・・・親として子供にする「しつけ」が全くわからなかった。
どんな「母親」になったらいいのか・・・まるで、先が見えない霧の中にいる気分。
そこで、思った。
「友達になろう」って。
困った時は、共に悩み、寂しい時は寂しいって言い、辛い時は共に考え、嬉しい時は共に喜ぶ「友達」でいよう、と。
それなら、私にもできる、それなら、形が見える、って。
息子が結婚をして、我が家にお嫁さんが来た時も、困ってしまった。
私は、「お姑さん」になるわけだけど、「お姑さん」とは、どういう立場でいたらいいのか、わからなかった。
だから、思ったの。
「お姑さん」の形は見えないけど、「友達」なら、わかるって。
だから、「友達になろう!」って思った。
もちろん、本当の友達になるには時間がかかるだろうけど、
焦りは禁物、じっくり時間をかけて、少しずつ「親友」になろうって。
だから、私は「母」としては、失格かもしれない。
だって、「母親」って、どんな存在か、わからないんだもの。
ただ、最高の「友達」でいたい・・って思う。
今までもだけど、これからも。
だからね、こんな中途半端な「母」に、「いつもありがとう」って言ってくれることに、感謝!です。
何より嬉しいのは、「お母さん、いつもありがとう!」という言葉。
これは、母の日の常套句かもしれないけれど、私には「特別」に聞こえる。
「お母さん」という一言で、ドキッ!「いつも」で、ドキッ!!「ありがとう」で、グサッ!!!です。
俗に、「子供を喜ばせるのは難しいけど、親を喜ばせるのは簡単」って言いますけど、その通り。
たった一言で、大喜びしてしまうんですから。
その昔、子供を産んだばかりの頃、「親」として、自分は子供にどう接したらいいか見当もつきませんでした。
「母親」として、何をしたらいいんだろう?って、途方に暮れてしまいました。
もちろん、ミルクをやる、とか、おしめを替えるってことはわかるんだけど、
なにを教えたらいいのか・・・親として子供にする「しつけ」が全くわからなかった。
どんな「母親」になったらいいのか・・・まるで、先が見えない霧の中にいる気分。
そこで、思った。
「友達になろう」って。
困った時は、共に悩み、寂しい時は寂しいって言い、辛い時は共に考え、嬉しい時は共に喜ぶ「友達」でいよう、と。
それなら、私にもできる、それなら、形が見える、って。
息子が結婚をして、我が家にお嫁さんが来た時も、困ってしまった。
私は、「お姑さん」になるわけだけど、「お姑さん」とは、どういう立場でいたらいいのか、わからなかった。
だから、思ったの。
「お姑さん」の形は見えないけど、「友達」なら、わかるって。
だから、「友達になろう!」って思った。
もちろん、本当の友達になるには時間がかかるだろうけど、
焦りは禁物、じっくり時間をかけて、少しずつ「親友」になろうって。
だから、私は「母」としては、失格かもしれない。
だって、「母親」って、どんな存在か、わからないんだもの。
ただ、最高の「友達」でいたい・・って思う。
今までもだけど、これからも。
だからね、こんな中途半端な「母」に、「いつもありがとう」って言ってくれることに、感謝!です。