「Yakkoだより」

お菓子のこと、わんこのこと、おいしいもの、そして今日のハッピーを書き綴ります。

老後の老後

2021-07-02 10:20:57 | 今日のできごと

昨夕、

赤ワインを飲みながら、晩ご飯のしたくをしていた時、

ふと、心に浮かんだのは、

お酒が好きだった母のこと。

 

私は、少ししか飲めないけど(ビールなら、コップ1杯くらい)

飲みながら、料理を作るのが好き。

週に2回か3回くらいは、そんな日があって、(体調が良い日)

ご機嫌で、料理を作る。

 

そこで、初めに言った話に戻るけど、

母は、お酒が好きで、若い時は大酒飲みだったし、

ほぼ毎日のように、飲みに出かけていた。(笑)

でも、年と共に、酒量は減り、ほんの少し口をつける程度になったけど、

我が家に泊まりに来て、一緒に飲む時は、ニコニコの上機嫌だった。

きっと、ほんのひと口でも、最上の喜びだったのだと思う。

 

ところが、晩年、「レビー小体型認知症」と診断されてからは、

お医者さんから、「お酒は厳禁」と、言われた。

母に、少しでも元気でいて欲しかった私は、

「お酒は飲まれんよ」と、母にお酒を勧めなくなった。

好きなお酒を禁じられて、

母は、どんなにか寂しかったか、と、今、思う。

たいした量を飲むわけじゃなく(ほんのひと口なのに)

なぜ、飲んではいけなかったのか。

そして、私は、なぜ、お医者さんの言いつけを頑なに守ったのか。

 

その後、介護施設に入った母の楽しみは、

もともと、好きだった甘いものに代わり、

私は、セッセと買い求め、母の所に届けた。

でも、そんな大好きな甘いものも、施設で管理され、

自由に食べられなくなった。

もう、食欲も落ち、寝たきりになった母の最大の楽しみを、

奪ってまで、数ヶ月、長生きして、なんの意味があったのだろう?

 

 

義父も、お酒が好きで、甘いものが好きな人だった。

義母が亡くなり、施設に入った義父も、

お酒も甘いものも断たれ、

生きている喜びはあったのだろうか?と思う時がある。

お見舞いに、小さな和菓子を持っていった時、

静かに横になっていた義父が、

目を輝かせ、大喜びで、和菓子を頬張った姿が忘れられない。

 

私は思う。

最後の最後まで、

私の自由を尊重してもらいたい。

たとえ、数ヶ月、命が縮まろうと、構わない。

食べたいものを食べる自由を、

泣く自由、怒る自由、笑う自由を尊重して欲しい。

周りに迷惑をかけようとは思っていないし、

できる限り、困った老人にならないように気をつけるから、

どうか、「私のために」という正義の元、

自由を奪わないで欲しい。

 

ここ数年で、3人の両親を看取って、そう感じた昨夜のワインでした。