昨夕、
赤ワインを飲みながら、晩ご飯のしたくをしていた時、
ふと、心に浮かんだのは、
お酒が好きだった母のこと。
私は、少ししか飲めないけど(ビールなら、コップ1杯くらい)
飲みながら、料理を作るのが好き。
週に2回か3回くらいは、そんな日があって、(体調が良い日)
ご機嫌で、料理を作る。
そこで、初めに言った話に戻るけど、
母は、お酒が好きで、若い時は大酒飲みだったし、
ほぼ毎日のように、飲みに出かけていた。(笑)
でも、年と共に、酒量は減り、ほんの少し口をつける程度になったけど、
我が家に泊まりに来て、一緒に飲む時は、ニコニコの上機嫌だった。
きっと、ほんのひと口でも、最上の喜びだったのだと思う。
ところが、晩年、「レビー小体型認知症」と診断されてからは、
お医者さんから、「お酒は厳禁」と、言われた。
母に、少しでも元気でいて欲しかった私は、
「お酒は飲まれんよ」と、母にお酒を勧めなくなった。
好きなお酒を禁じられて、
母は、どんなにか寂しかったか、と、今、思う。
たいした量を飲むわけじゃなく(ほんのひと口なのに)
なぜ、飲んではいけなかったのか。
そして、私は、なぜ、お医者さんの言いつけを頑なに守ったのか。
その後、介護施設に入った母の楽しみは、
もともと、好きだった甘いものに代わり、
私は、セッセと買い求め、母の所に届けた。
でも、そんな大好きな甘いものも、施設で管理され、
自由に食べられなくなった。
もう、食欲も落ち、寝たきりになった母の最大の楽しみを、
奪ってまで、数ヶ月、長生きして、なんの意味があったのだろう?
義父も、お酒が好きで、甘いものが好きな人だった。
義母が亡くなり、施設に入った義父も、
お酒も甘いものも断たれ、
生きている喜びはあったのだろうか?と思う時がある。
お見舞いに、小さな和菓子を持っていった時、
静かに横になっていた義父が、
目を輝かせ、大喜びで、和菓子を頬張った姿が忘れられない。
私は思う。
最後の最後まで、
私の自由を尊重してもらいたい。
たとえ、数ヶ月、命が縮まろうと、構わない。
食べたいものを食べる自由を、
泣く自由、怒る自由、笑う自由を尊重して欲しい。
周りに迷惑をかけようとは思っていないし、
できる限り、困った老人にならないように気をつけるから、
どうか、「私のために」という正義の元、
自由を奪わないで欲しい。
ここ数年で、3人の両親を看取って、そう感じた昨夜のワインでした。