コロナ、コロナでもうネタがない。
苦し紛れの一発。
今まで自転車で徘徊していた「斑鳩三塔」の「三塔めぐりバギー体験」プロモーションビデオがあったので掲載。
ただし、バギーは利用したことがない。
この歳で・・・知人に見つかると恥ずかしい。
トラクターやテーラーならOKなのだが(笑)。
コースは、法隆寺→天満池→法輪寺→法起寺をベースに編集。
なお、食事している「布穀薗」は同HPには次のように説明されている。
小生らは単に結婚式場と言っていた。
(HPから引用)
幕末・維新期の尊攘運動家、明治期の司法官である北畠治房(きたばたけ はるふさ)が晩年隠棲していた屋敷が「布穀薗」(「布穀」は治房の号)でございます。江戸から大正にかけて、宮家であった有栖川宮殿下と親交があり、殿下直筆の「布穀薗」と書かれた額が母屋にございます。昭和29年から斑鳩町の結婚式場として多くの方々に利用されておりました。(以下省略)
では、バギーで行ってみよう。
苦し紛れの一発。
今まで自転車で徘徊していた「斑鳩三塔」の「三塔めぐりバギー体験」プロモーションビデオがあったので掲載。
ただし、バギーは利用したことがない。
この歳で・・・知人に見つかると恥ずかしい。
トラクターやテーラーならOKなのだが(笑)。
コースは、法隆寺→天満池→法輪寺→法起寺をベースに編集。
なお、食事している「布穀薗」は同HPには次のように説明されている。
小生らは単に結婚式場と言っていた。
(HPから引用)
幕末・維新期の尊攘運動家、明治期の司法官である北畠治房(きたばたけ はるふさ)が晩年隠棲していた屋敷が「布穀薗」(「布穀」は治房の号)でございます。江戸から大正にかけて、宮家であった有栖川宮殿下と親交があり、殿下直筆の「布穀薗」と書かれた額が母屋にございます。昭和29年から斑鳩町の結婚式場として多くの方々に利用されておりました。(以下省略)
では、バギーで行ってみよう。