▲放置されているのか徒長枝だらけだが実は生っている
柿の木は昔、どの家の庭先にもたいがい一本はあったもの。
貧しい頃は装飾より「食べれる」という実用性が優先された。
我が家にも横の空き地に大きな木があったが学生の頃に切られて消滅している。
家までの道を変更して歩いていたらトラクター格納庫の横に柿の木があった。
手入れ不良で徒長枝だらけだが実は生っている。
枝の柿を見ると秋だなあとの感慨が湧く。
当地には、正岡子規が残した「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という句がある。
法隆寺近くの茶店で詠んだものとされる。
だが、今は柿の木は減り、時を告げる法隆寺の鐘も聞こえない。
(農作業の時、これは便利だったのに)
騒音ということで止めたのかな。
情緒がなくなったなあ。
現代は情緒を削ぎ落とすことばかり。