第1巻を読み始めたのが昨年の9月9日で読み終えたのが今年の1月28日だから4ヶ月半。
そして今日、ちょうど3ヶ月で第2巻を読み終えた。
例えば「田楽異変」という章の文章を引用する。
世俗は、怪異を好む。
と、云ってはやや語弊はあろう。だが怪異を怖れすぎる人心は、本当は怪異でもなんでもないものを、まことの怪異としてでっち上げてしまう。
怨霊思想が瀰漫していた中世の末期だから、それは当然だった。
社会の上層の一部知識階級にこそ、新しい学問である宋学が、すでに輸入されて、程朱の新釈が学ばれていた。進歩した頭脳の所有者たちは、訓詁の学を捨てて、意義と道理の学問についていた。因襲と典故の呪縛から脱して、窮理博物の独立心を養いつつあった。また宗教の方面でも、超物越祖を手段として、個人の独知独覚を重んずる禅が、大きな勢力を得ていた。後醍醐の帝のごときは、禅の哲理に通暁あらせられ、宋学によって独闢乾坤の御英気をつちかわれた。そして「今の例は、昔の真儀なり。朕の真儀は後の世の例たるべし」
こんな具合だから、同じ直木賞を受賞した歴史小説家、海音寺潮五郎や村上元三、山本周五郎あたりの文章と比べると骨がある。はっきり言って分かりづらい。
太平記とあるように南北朝時代(鎌倉時代と室町時代の間)の話で、第2巻は副題にあるように高師直の死までの話。
主人公は楠木正成の三男、楠木正儀。
これが頭脳明晰、雄大豪壮、温厚篤実でしかも眉目秀麗ときているもんだから、数ある歴史小説の中で最も魅力的な男だと思う。
悪役の高師直については「暴慢、暴虐、乱倫、淫縦ー不逞、不信、不義、不敬」と徹底的にこき下ろしている。
そしてもう一人の魅力的な登場人物は、敷妙という美しくてお淑やかで艶かしくて知的な女性。年の頃は二十歳そこそこ。
正儀の愛妾なのだが、正儀は敷妙をハニートラップとして利用する。
何人かの男どもを惑わせ、高師直や足利直冬をメロメロにする。
小説を読みながら、もし私が映画のプロデューサーか何かで配役を決める権利があるとしたら、この役には誰を起用しようか、なんて考えることが多いが、敷妙は誰も思い浮かばん。
あえて言えばこの人なんかいいかも。
5巻まであるんだよなぁ、これ。