いわき市のおやじ日記

K流釣り、K馬、そして麺食いおやじのブログ。
山登り、読書、映画、陶芸、書道など、好きなことはいろいろです。

鳥居先生(長文)

2018年04月11日 | エッセイ

長岡の大学に編入学してすぐ、クラス全体で1泊の研修会があった。

研修内容は覚えていないが、夜は先生を交えての宴会。

当然酒が入る。

 

私はその頃大酒飲みで、花見の時期に行われた歓迎会では2升の酒を飲み、寮まで10キロ近くの道のりを歩いて帰ったことがある。

 

宴会が中盤に差し掛かった頃、私と石川県出身の四蔵(しくら)の二人で、余っている酒を片っぱしから飲み干そうではないかということになり、コの字型に並んだ40人分のお膳の、私は左から、四蔵は右から徳利を倒しながら酒をしこたま飲んだのだった(ちなみにこの二人に薩摩出身の竹井を加えて、建設系の三酒豪という。竹井は芋焼酎をどんぶりで飲む強者である)。

 

宴会が終わる頃、「担任のG先生がみんなに話があるから隣の部屋に集まるように」という連絡が入った。

そしてG先生の説教が始まった。

クラスのほとんどが正座をして聞いている中、四蔵と私は寝っ転がって片肘をつき、つまらなそうな顔をして聞いていた。

そしたら副担任と思われる先生がいきなり立ち上がり、四蔵と私をひっぱたき「こら起きろ」と怒鳴った。

「G先生がお話をしているのに、なんちゅうカッコして聞いとんじゃぁ」というわけである。

 

私は渋々起き上がったが、「酒を飲んだ後に説教するなんて酒癖悪すぎる。こんな説教まともに聞いていられるか!」と思って、ひっぱたいた先生の顔を睨み続けた。

たぶん20分は目をそらさず睨み続けたと思う。

その私たちをひっぱたいた先生が鳥居邦夫先生だった。

 

2年後、修士論文を書くにあたり、どの研究室に入るかを決める時期が来た。

私は鋼橋の設計をしたかったのでH先生の研究室に入ろうとしたが、H先生から「お前は私の講義にろくに出ていないし単位も取れていない。鳥居研究室に行きなさい」と言われてしまった。

鳥居研はゼミが厳しいという噂だし、2年前の苦々しい思い出がある。

しかし残された道は無さそうだ。仕方ない、2年間耐えることにしよう、と思って鳥居研に入った。

 

ゼミではある専門書(英語)の内容を、先生を含むゼミのメンバーに説明し、最後に英語の原文を読む。

英語の訳とか発音がちょっとでも違うと、「違う」と怒鳴られる。「お前はちゃんと理解してみんなの前で喋ってんのかこら!」なんて言われる。

毎週一人が説明役になるので、自分が担当の週は憂鬱な気分になる。一つ上の先輩も滅茶滅茶口撃されていた。

 

1ヶ月後ぐらいに私の順番が来て、説明し英語を読んだら、鳥居先生は、しばし無言。

一呼吸おいて「素晴らしい!完璧な発音だ!!」と褒めてくれた。

私が研究する環境も特別な場所を用意してくれた。

 

鳥居先生は二十歳の頃、三国志を読んで読書の楽しみを知ったらしい。

先生に倣って私も読んでみようじゃないか、と思って読み始めたらこれが止まらない。

寝る時間も食べる時間も惜しんで三国志を読んだ。

朝方まで読んで寝坊したら、鳥居先生から電話。

「こら起きろ 寝てんじゃない!!!さっさと学校に来なさい!!!!」

 

昼過ぎに学校に行くと先生はニヤッと笑って「おい、今からゴルフに行くぞ。」

授業中である。ということは先生は仕事中のはずである。

 

授業中に1時間ぐらいドライブして蕎麦を食べに行ったこともあった。

冬はスキーにも行った。

研究室ではしょっちゅう一緒に酒を飲んだ。

何泊かで瀬戸内海の島に泊まりに行ったり、鎌倉に行ったりした。

自宅に招かれ、奥さんの料理をご馳走になったこともあった。

 

卒業論文の発表では「完璧!」と言って最高点をつけてくれた。

就職するにあたり、本四公団を希望していた私は受験願書を出し忘れるという失態を演じた。

こうなったら仕方がない。

「先生、願書間に合わなかったので、(先生が前に勤めていた)横河に行くことにします。推薦書書いてください」とお願いした。

 

先生は「しょうがないなぁ」と言いながら、その場で推薦書を書いてくれた。

 

就職した横河技術情報では貴重な経験をさせていただき、たくさんの知人ができ、そして妻とも知り合った。

結婚披露宴でスピーチを頼んだら、「普通、こういう所では褒めるんですけどね。私は褒めません」とか言ってこき下ろしてくれましたね、先生。

 

その後は年賀状のやり取りだけ。元気そうだった。

4月7日朝、鳥居先生は癌で亡くなった。

今日は長岡で告別式。

家族葬ということだったが、最後の挨拶に出かけた。

 

柩の中で安らかに眠る先生に向かって私は、「おい、起きろ」と3回、声を出して話しかけた。

「寝てんじゃない」とも。

 

私も来週から癌の治療。

こんなことまで先生に倣わなくていいんだが。

 

霊柩車を見送るとポツポツを雨が降り出し、徐々に雨は強くなった。

涙雨ですか先生、演出としてはベタですが許しましょう。

 

帰りの車の中では先生が好きだったスイング系のジャズをかけた。

グレンミラーをシャッフルでかけたら流れた曲は「At Last」。

やるな先生!

Glenn Miller & His Orchestra- At Last

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2 コメント

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Unknown (福はうち。)
2018-05-24 23:37:27
久しぶりにブログにお邪魔しました。
先生にもとっても素敵な恩師がいたんですね。
先生の人柄に鳥居先生が重ねられる部分がありました。
社会人になってからのたった5ヶ月だけでしたが、國井先生は私の恩師です。
前向きに楽しもうとする、優しい、人を尊敬する、知識をひけらかさない、でも知的でこんな大人になりたいと思いました。
はじめて勉強が楽しいと思えました。

今、無事やりたいと思ってた業種につき、毎日イラストレーターと向き合ってます。
教えてもらったこと、資格がなかったら雇ってもらえなかったですし、やりたい仕事に就けなかったと思います。
また次のステップに行きたいな・・・なんて思いながらなかなか踏み出せないでいたところでしたが、先生のブログを見て前向きに楽しむ生き方しようと思えました。
先生と出会った人はそう思ってる人いっぱいいると思います。
先生、応援してます。絶対治してください。
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お礼とお詫び (おやじ)
2018-09-19 13:04:55
福はうち。さん、数か月遅れの返事です。
大変申し訳ありません。

イラストレーターを向き合っているんですね。
創造的な仕事ですよね。自分のやっていることに誇りと自信をもってやってほしいと思います。

私はがんになってしまいましたが元気です。
うれしいコメントを見てさらに元気になりました。
ありがとうございました。
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