2日目(4月1日)のスタートは、名鉄名古屋本線「本笠寺駅」から。予定では昨日、宮宿(熱田)まで歩く予定でしたが、今回のコースは東海道の街道と名鉄線の鉄道が常に付かず離れずほとんど並行にあったことで、いつでもリタイアできるという気楽さから、寄り道が多くなり、思ったより歩数が進みませんでした。
本笠寺駅の東側にある笠寺一里塚は、他の一里塚と比べ、塚を覆うように榎木の根が張り、その大きさに圧倒されました。案内板には、市が200万円かけて、老木を補修して蘇らせたと書かれていました。
鳴海宿から宮宿へと歩き進めると、満開の桜の中に笠寺観音が見えてきました。雨に濡れていた観音に笠を差しかけた下女のやさしさが縁で、後に藤原兼平の妻になったという「玉照姫」の話が言い伝えられているお寺で、境内はなかなか賑わっていました。
名古屋市の市街地近くなると、当時の面影はすでになく、史跡の立て札だけをたよりにすすみます。まもなく熱田神宮の杜を右前方に見ながら、新堀川と掘川の合流点に到着します。ここは、当時宮宿と桑名宿の間を船で渡った「七里の渡し」、高櫓風の常夜灯が渡しの在りかを示します。宮から桑名までは、昔なら渡しで七里の船旅だったそうです。所要時間は、2時間とも5時間とも、時には7時間掛かったという記録もあるそうですから、昔の旅は、ほんとにたいへんだったのでしょう。
今回の街道歩きはここまで。名古屋名物「味噌カツ弁当」を買って、新幹線の人となりました。あぁー、楽チン、楽チン。
本笠寺駅の東側にある笠寺一里塚は、他の一里塚と比べ、塚を覆うように榎木の根が張り、その大きさに圧倒されました。案内板には、市が200万円かけて、老木を補修して蘇らせたと書かれていました。
鳴海宿から宮宿へと歩き進めると、満開の桜の中に笠寺観音が見えてきました。雨に濡れていた観音に笠を差しかけた下女のやさしさが縁で、後に藤原兼平の妻になったという「玉照姫」の話が言い伝えられているお寺で、境内はなかなか賑わっていました。
名古屋市の市街地近くなると、当時の面影はすでになく、史跡の立て札だけをたよりにすすみます。まもなく熱田神宮の杜を右前方に見ながら、新堀川と掘川の合流点に到着します。ここは、当時宮宿と桑名宿の間を船で渡った「七里の渡し」、高櫓風の常夜灯が渡しの在りかを示します。宮から桑名までは、昔なら渡しで七里の船旅だったそうです。所要時間は、2時間とも5時間とも、時には7時間掛かったという記録もあるそうですから、昔の旅は、ほんとにたいへんだったのでしょう。
今回の街道歩きはここまで。名古屋名物「味噌カツ弁当」を買って、新幹線の人となりました。あぁー、楽チン、楽チン。