岐阜駅前のホテルに泊まりました。久しぶりに大きな都会にでた感じがします。ストリートライブで歌う若者を見て、若者が多い印象でした。
8:00 ホテルスタート
8:20 立派な門構えの脇本陣跡がありました
皇女和宮御仮泊所跡 江戸に向かう皇女和宮の心情を歌った直筆
「遠ざかる 都としれば旅衣 一夜の宿も 立ちうかりけり」
中山道中、皇女和宮は訪れた先々で歌を残しています
8:45 阿賀多神社 加納の一里塚跡(江戸日本橋より百六里目)
加納宿の街道にはとにかく秋葉神社が多かったのが印象的でした。
神仏習合の火除け・火伏の神として当時は火事が多かったことで造られたのではと思います
9:20 多羅野(だらり)八幡宮
中山道の宿間で旅人の往来の休憩所となって、多羅野(だらり)餅が売られていたそうです
今も鳥居脇に休み処があって、私たちも小休止を取りました
秋葉神社と八幡神社、天満神社が同境内に祀り,催事は賑やかなことでしょう
10:00北野神社 祭神は菅原道真
立派な参道でした
10:18 河渡橋
長良川に架かる「河渡の渡し」は、川の行き来で賑わっていたようです
遠くに雪をかぶった伊吹山が、橋下には鏡のようにゆったりと流れる長良川が
10:28 河渡(ごうど)宿入口
橋を渡り、対岸を土手沿いに歩きます
土手脇に小祠が祀られていました(中山道はこの祠を目印にこの土手を下ります。)
10:50河渡宿の街並み
11:00河渡の一里塚跡(江戸日本橋より百七里)
長良川の川幅は広く、宿場も長良川土手近くにあったので
絶えず水害が絶えなかったという記録が残っていました
11:45 代官所跡と五六川
このあたりに幕府の直轄地である代官所(陣屋)を設けたと説明版にありました
高札場跡もすぐ先にあり、次の宿場美江寺の東口にあたります
五六川の名前は美江寺宿が江戸日本橋より数えて五十六番目の宿場ということに由来しています
12:00 美江寺一里塚跡
美江寺の境内に江戸日本橋より百八里目の一里塚跡と高札場がありました
暖かいおそばが食べたいと思いながら食事をとれるところを探しましたが、近くの街道沿いはどこもランチを食べるところがありませんでした。疲れたこともあって、美江寺の境内で朝調達したパンとおにぎりを食べました。ボランティアの方によって、とてもきれいに清掃されたお寺でした。
12:30 美江寺の町並み
宿場の中では規模も小さく、泊まる旅人も少なかったようです
二階の虫籠窓のある大きな元庄屋と問屋を兼ねた本陣跡
12:40 犀川
美江寺の外れに犀川が流れ
広重の木曽街道六十三次はこの辺りを描いたのだろうと言われています
しばらく行くと街道は県道と合流します。付近は大きな浄水場公園になっていて、市民の運動公園も併設されているようでした。中山道は公園の中を通りながら両側に田んぼが広がる農道を進んでいきます。
このあたりは、当時は杉並木だったようです。
13:20 揖斐川 堤防に向かって進むと伊勢湾にそそぐ揖斐川(いびがわ)を渡ります。「呂久川」とも呼んでいたようです。堤防下の良縁寺は、呂久の渡しで舟年寄りを務めた墓標のあるお寺でした。
13:40 小簾梅園
皇女和宮が降嫁の折、揖斐川を渡る舟中から眺めた紅葉した楓の美しさに
「落ち行く身としりながら もみじ葉の人なつかしく こがれこそしれ」と詠まれました
皇女和宮の歌はどんな状況下においても素直で自然で心に沁みるものでした
今まさに公園内はもみじで真っ赤に染まりみごとでした
この公園内のお休み処でボランティアの方から柿を持って行かないかと勧められました
私のザックはもうパンパン、柿など入る余地はありません。が、夫のリュックを見ると
まだほんの少し隙間が・・・
もう疲れているくせに欲張りな私たちは有難く頂いてきました
とっても重かったのに夫は頑張りました・・・
この美江寺の地は柿が名産で「富有柿」の発祥の地なのだそうです
それにしても帰宅してから、大きな柿がたくさんでびっくり、とても美味しかったです
14:20
平野井川を渡り土手の上をしばらく歩きます。「中山道七回り半」と書かれた道標を見ながら七つの曲がりを過ぎます。周りはまた何もない国道沿いに進みます。やがて右方向に「岐阜経済大学」の大きな校舎が見えてきました。
15:00
道は田んぼと比較的新しい住宅の中を右折左折を繰り返しながらやがて名鉄養老線の「東赤坂駅」の線路を横切ります。当初はここでこの日の行程を終える予定でしたが、次のJRの駅まで頑張ることにしました。
15:20 池尻の一里塚跡(江戸日本橋より百十里)
抗瀬川のホタルの碑
国内最大のゲンジボタル(大垣市天然記念物)が生息してるのだそうです
15:15 時の鐘モニュメント
赤坂宿の「時の鐘」モニュメントが宿場町らしい風情でした
赤坂港会館脇のイチョウが見ごろに色づいていました
15:30 JR美濃赤坂駅
予定していた宿場赤坂宿になんとかたどり着きました
岐阜県大垣市の大垣駅と美濃赤坂駅を結ぶその間たった3駅の美濃赤坂線
駅舎は1919年(大正8年)駅開業以来のままというレトロな木造駅舎に
鉄道ファンがよく訪れているようでした
日に数本しかないダイヤなのに、16:07分発に間に合ったのは幸運でした
大垣で乗り換え名古屋で食事を終えて、18:30の新幹線で帰宅しました
(総歩行数:34309歩)