2月3日から2日間かけて、赤坂宿(日本橋から77里地点)から、旧東海道を知立まで歩きました。だんだんスタート地点が遠くなり、小田原を朝8時8分の新幹線に乗り豊橋から、名鉄名古屋線に乗り換え赤坂駅に降り立ったのが10時30分、随分遠くに来たものだと改めて思いますが、それだけ京都に近づいたわけで、到達点三条大橋も現実おびて来たようです。
2月3日
午前10時30分 赤坂 大橋屋
赤坂宿のたたずまいを今に残すのが旅籠大橋屋で、現在でも旅館として現役で、風情のある建物が往時のまま残っていました。
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午後1時 法蔵寺
徳川家康が幼少時代に過ごしたという家康ゆかりのお寺で、本堂の墓地には新撰組隊長の近藤勇の首塚がひっそりと木漏れ日の中にありました。
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午後2時30分 藤川宿
家康伝説を色濃く残している藤川宿。安藤広重も描いた宿場入り口「東棒鼻跡」の柳の木は、今もまっすぐに伸びたしなやかな枝ぶりでした。
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午後4時 天然記念物 岡崎源氏蛍発生地
旧東海道を歩いていると、各地で芭蕉の句碑を見ることができるのは、芭蕉がいかにきめ細かく歌を残したかがよくわかります。「草の葉を落ちるより飛ぶ蛍かな」乙川に西に傾いた太陽が長く射していました。
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2月4日
午前9時 岡崎二十七曲がり
岡崎城の防衛上、外敵に城までの距離を長くするために設けられた「二十七曲」の屈折、これも旧東海道。まるでクイズを解くように歩きました。
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午前11時 知立市松並木
大気汚染に逃れたのでしょう、きれいな松並木が続いていました。冬の間の養生でしょうか。まるで腹巻を巻いているようにも見えました。
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午後2時 無量寿寺
在原業平が東下りの途中に立ち寄って歌を読み、「伊勢物語」の「八橋の杜若」でも有名なお寺。そういえば、あの京都の銘菓八橋にもカキツバタのイラストがあったような・・・。
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午後3時 名鉄名古屋本線・知立駅
名鉄を乗り継いで、新幹線三河安城駅から帰路へ。お天気に恵まれ、なんとか2日間を歩き通すことができました。