さて、5月5日は朝7時50分にホテルをスタートしました。歩いて30分もすると、自転車に乗った年配の
男性が中山道の旧の旧街道があるので、30分ほどの寄り道になるけど是非歩いて見ないかと言われて、
ちょっと先の時間が気になったのですが、折角だったので案内してもらいました。
街道の蔵造りの商家の軒先に燕が巣を作り、可愛い声が聞こえていましたが、側の電柱から親鳥が心配そ
うにしていました。
慶長3年に建立した高崎の総鎮守「高崎神社」(8:40)
この高崎神社の先にあった長松寺は新緑が見事でした。(9:00)
山田文庫は実業家で学者でもあった山田夫妻が創設した私設の図書館で、現在でも公開されているよう
でした。
明治11年に明治天皇が馬車で木橋を渡ったことを記念して命名された「君が代橋」、妙義山がだいぶ近
くに見えるようになってきました。(9:20)
自然石の道標で「右はるなみち、くさつみち」と書かれていました。この中山道は草津にもに繋がって
いたのでしょう。
鳥居の向こうに見える山門は若宮八幡宮 (9:45)
飯野茶屋本陣跡と上州櫓造りの旧家、養蚕が盛んであったことが伺えます。(10:15)
藤塚の一里塚は群馬県下で現存する唯一の一里塚で江戸日本橋より二十八里目、碓氷川の土手片方にあ
り、川に沿った国道18号線の向い側には浅間神社がありました。
少林寺の交差点に差し掛かると、左手奥に「高崎だるま」発祥の地である達磨寺があるようでした。
少し街道から離れていたので寄らなかったのですが、近くのだるま店を覗きました。(10:30)
板鼻宿に入ります。
板鼻宿場にある旧旅籠の板鼻館は四代続く「かつ丼」の老舗で、別皿に盛ったタルタルソースを自分で
つぶしてかつ丼の上に乗せて食べるものでした。
衣にも味がついていてとても美味しいものでした。(11:30)
板鼻宿の街道筋は当時の雰囲気が残るひなびた感じでした。
妙義山の切り込んだ山容がはっきりと見えてきました。また、右手にはかっては安中公害訴訟となった
東亜亜鉛の工場が見えてきました。
安中宿に入りました。(13:10)
気温は上昇し、思ったより交通量の多い街道に私はバテバテになり、大泉寺(井伊直政の正室唐梅院の
お墓がある)の境内で休憩。多分軽い熱中症だったかもしれません。水分をとって30分ほど横になった
らなんとか元気を出して歩きだすことができました。
なにせ引き返すこともできない交通の便の悪いところを歩いていたもので・・・
ほとんど当時のままに保存されている旧碓氷郡役所と大泉寺
大泉寺となりの、安中教会は新島襄召天30周年を記念した建物(13:45)
地方武家屋敷の造りを今に残している旧猪狩邸と旧安中藩武家屋敷(14:00)
安中の街道は庚申塔や道祖神の石塔なども残り、街道には旧家もありました。
便覧舎跡碑 醤油醸造の老舗「有田屋」当主が私財を投じて創立した日本初の私設図書館
国道18号線を横切った先に安中市杉並木碑があって、かっては立派な杉並木だったのでしょう。近年
に植樹されたものがだいぶ大きくなっていました。(15:00)
この日のゴール松井田宿に入ります。(15:30)
丸太の道標に「←松井田宿1.9キロ・→安中宿6.7キロ」もう疲れていても先に進むしかありません。
景色がぐっと変わってきました。中山道道標分岐点から細い山道に入っていきます。(16:35)
県道33号渋川松井田線にでました。(17:00)
この街道の仲町交差点からJR信越本線松井田駅に向かいますが、アップダウンが続く道を15分ほど歩
くと駅が見えてきました。ちょうど上り電車が来たようで、最後の力を振り絞って電車に飛び乗りま
した。このちょっと危険な飛び乗りは戒められる行為だったとは言え、実はこの17:29の電車を乗り
過ごしてしまうと、次は18:21で1時間近くも何もない山間の駅で待つことになってしまうところで
した。高崎駅で駅弁を買って帰路につきました。
次回は松井田宿からスタートになります。(40950歩 26km)