関東地方が例年より10日も早く、昨日梅雨入りしました。空は厚い雲に覆われて、いよいよ長い梅雨の季節のスタートです。
確か、2,3日前に「空気の乾いた今の季節が一番爽やか」などと言っていたはずが、いきなり梅雨入り宣言とは・・・。
正直戸惑ってしまいます。
この湿気が多く、お日様から突き放されたように雨空が続く季節は、気分的に清涼感のあるものを身近に感じていたい気持ち
になり、花もなぜかアジサイを始めブルー系が多くなります。
梅雨に、身体がうんざりするまえに、情熱的な赤い花を
真っ赤なアマリリスの花、確かこの花は、茎先から花茎が3つついて、長い茎にバランスよく大輪の花を咲かせるはずですが、
今年はぐっと茎も短く花は2つだけ、それに隣のハマギクが秋を待たずに咲いてしまいました。
すべてが今年の気象のせいにするのは少し無理があるのかも知れませんが、季節を間違えてしまった感があります。
もう一つの真っ赤な花は、ゼラニュームの仲間のカリエンテ、ふつうのゼラニュームは端境期があるのですが、
このカリエンテはほとんど通年咲いています。丈夫です。花と葉につやがあり、うっとうしい梅雨には貴重な花と言えるかも
しれません。
写真上段右は、シレネユニフローラ、今年は花付があまりよくなかったのですが。
「布袋様のお腹」という命名には、思わずうなずけるものがあります。
写真下段左は、「コンボルブルス」白い花とシルバーリーフ、赤い花とのコントラストはぴったり!
ここしばらく晴天が続き、乾いた空気の気持ちいいお天気が続いています。
今が、一年のうちでもっとも爽やかな心地いい季節なのかも知れません。
間もなく6月、雨の季節はもうすぐそこまで来ているようです。
夏日が続いたこともあって、梅雨の頃咲き出す花が、例年より早く咲きだしているように思いますが。
今年も咲き出しました。クレマチス「白万重(シロマンエ)」。
昨年からわが家に仲間入り、この名前をシロマンジュウと読み間違えたくらい、咲いた姿はふっくらとしていますが、
蕾はツンと先が尖ってライムグリーン色をしています。日に日に白くなり、すっかり開くと花弁は真っ白になります。
匂いバンマツリは、咲き始めが濃い紫色、数日で薄紫色、そして白い色へと変わり、そのためにしばらくは1本の木に3色が
咲き揃い、賑やかな感じがとてもチャーミングです。
みずみずしい若葉が目に沁みるようになって、初夏の気配を感じる頃、どこの植物園でも公園や庭にも、バラの花が今を盛りに
みごとに咲いています。
バラの花ほど、優雅でその姿も香りも人を引き付ける花はないのではないでしょうか。
ところが、私にはどうしてもバラは敷居が高く、我家にあるのは栽培も難しくないミニバラがほとんどです。でもカメラを通すと
大輪でもミニバラでもバラはバラに見えるものなのですね。
ところで、イチョウの苗です。昨年、近所の神社から拾ってきた銀杏の種が発芽して、今年で2年目、1年で数センチしか大きく
なりません。
こちらはまだイチョウの木とは似ても似つかないほんの苗、もっとも大木になってしまったら、我家は傾いてしまうでしょうけど。
GWも過ぎて、ふだんの生活が戻ってきました。
やっとお天気も安定し、どこも花が咲き乱れ、その甘い香りに誘われるように虫たちも活発に動き出しています。
我家の近くの谷戸にも鶯がやってきて、薫風を振るわすようなみごとな鳴き声を披露しています。夏が近づきました。
沖縄はすでに梅雨に入ったようです。
庭の2本ある梅の樹の1本に、たくさんの梅の実がついています。今年は豊作、ただボロボロとその実を落とし始めています。
梅干しを付けるのに熟すほど、樹に留まっているようすがありません。梅酒か梅ジュース用にまもなく収獲してしまおうと思っ
ています。
庭仕事はこの季節、際限なくあるものですが、庭に下りるとあまり手も下さずぼんやり眺めて過ごしてしまいます。この一時が
また至福の時でもあるのですが・・・。
草加宿入口~ 8:00
2日目も晴天に恵まれています。朝8時にホテルを出発しました。草加宿入口は国道4号線からほぼ平行に分岐し、
1.4キロほど続きます。
街道筋には、たくさんの草加せんべいの看板が目につきます。現在でも市内に70軒近くあるそうです。
草加せんべいの元祖「おせんさん」に因んだ、おせん茶屋という公園があったり、草加せんべい発祥の碑もありました。
朝早かったのでほとんどのお店は開店前でしたが、1軒だけ空いていたお店で草加せんべいを買うことができました。
東福寺~ 8:50
草加宿の終わり近くに、草加宿を作った「大川図書(ずしょ)」が建立したと言われる東福寺に寄ってみました。
ここの山門は本柱2本の前後に2本ずつ4本の控柱が建つ四脚門で、彫刻もりっぱで重厚のあるものでした。
草加松原~ 9:20
まもなく国道4号と合流すると、日光街道右側には江戸時代に掘られた水路「綾瀬川」が流れ、これに沿って1.5キロの
松並木が続きます。日本の道100選にも選ばれ、太鼓型の歩道橋は当時の面影を偲ぶことができます。
蒲生一里塚~ 10:10
このあたりには、芭蕉の奥の細道の草加にちなむ句碑などもあり、さらに綾瀬川沿いに進むと埼玉県で現存しているたった
ひとつの一里塚、蒲生の一里塚が残っています。
日光街道から少し外れた一里塚で、私たちが地図で場所を確認していると、近くを散歩していた男性が声をかけてくれ、
さらに詳しいこのあたりの歴史を説明してくれました。リュックを背負い、カメラをぶら下げ、地図を見ていると、土地の人に
よく声をかけられます。誰も親切で、旅先で思わぬ人のやさしさにふれることができます。
瓦曽根 ~ 越谷宿 12:00
蒲生本町で国道4号線(日光街道)に合流し、南越谷から東武線がぶつかる北越谷までが越谷宿場となります。
1899年の大火で宿場のほとんどを焼失してしまい、当時の面影はないようですが、それでも街道に旧家を何軒かみる
ことができました。
元荒川土手 13:10
北越谷を過ぎたあたりに、蛇行した元荒川の土手にぶつかり、この先には鴨場があり、伝統的な鴨猟が行われるそうです。
爽やかな5月の陽と風を受け、ウォーキングには最適な気候とは言え、真昼の太陽は暑く、疲れもピーク。
木陰の気持ちのいい公園があったので、しばらく休憩をとりました。
一の割 ~ 春日部 14:30
これより先はただただまっすぐにのびる国道4号線(日光街道)が続きます。変哲もない国道には寄り道もなくひたすら
歩きます。みごとなマロニエの木に花が満開でした。
東武野田線のガードをくぐり、まもなく左に折れると本日のゴール春日部駅につきました。歩行距離は21.6キロでした。
ところで、道すがら地名が「春日部」と「粕壁」が混在し、はてなと思い、後で調べたのですが、この場所は1944年に町村
合併するまでは粕壁町と呼んでいたようで、そのため、現在でも春日部市内には市名と同音異字の地域があるようです。
午後5時、春日部駅から帰路につきました。帰りは東武スカイツリーラインからJRに乗り換えて、2日間歩いた行程は、
たったの1時間50分の電車の旅でした。
夫と日本橋を出発して京都三条大橋に向かって、旧東海道ウォークをスタートさせたのは、9年前の2004年5月連休でした。
土曜日と日曜日を利用して、492キロの完歩には4年を経過していました。
いずれ、時間が取れるようになったら五街道も歩いてみたいと思っていたのですが・・・思い切ってこの連休に日光街道を
歩いてみようということになりました。お互い9歳も歳を重ねて、健康面での不安はありますが、街道を歩く楽しさをまた肌で
感じてみたいと、スタートを踏み出すことにしました。
日本橋 5月5日 9:00
五街道の起点はまずお江戸日本橋、商業、金融、文化の中心地として発展した日本橋が、高速の下に追いやられてしまった
現実は残念というか、大きな文化的な損失としか言いようがありません。
小伝馬町~横山町~浅草橋9:30
ビルの谷間の駐車場脇に日光街道道標があり、今は問屋街となった小伝馬町・大伝馬町あたりは、荷物を駅伝的に運搬する
伝馬という馬が置かれていた名残りのようです。
十思公園内には時の鐘が残されて、時計を持たない当時の人に鐘をついて時を知らせたものだと説明がありました。
横山町繊維街を通り、屋形船が停泊している隅田川に注ぐ神田川に架かる浅草橋を渡ります。
駒形どぜうの店先にすでに人の列ができ、浅草の喧騒を間近に感じます。バンダイの本社前には、人気キャラクターが並んで
いました。
浅草 11:00
東京スカイツリーがぐっと近くに見え始めると、浅草寺「雷門」交差点にでました。相変わらずの人、人、人。
待乳山聖天(まつちやましょうてん) 11:30
右に隅田公園、隅田川向こうには東京スカイツリーが、すっかり葉の茂った桜の木から見え隠れします。
吉野通りをすすんでいくと、間もなく待乳山聖天があり、この神社にはいたるところに二股大根のモチーフがあります。
大根は人間の深い迷いの心を表すといわれており、大根をそなえることによって洗い清めると言う意味をもっているのだそうで
す。お供え用の大根も用意されていました。また、小説家池波正太郎氏の生家もこの近くにあったそうです。
千住大橋~すさのお神社 12:30
常磐線南千住駅高架近くに小塚原刑場跡、回向院があり、刑場で処刑された人々や牢死者が埋葬されています。
小僧次郎吉、高橋お伝、また吉田松陰のお墓もあり、解体新書ができるきっかけとなった記念銅板もありました。
この先、隅田川にかかる千住大橋を渡り、江戸四宿のひとつ千住宿に入ります。この橋は隅田川最初の橋と言われています。
市場入口~旧千住宿 14:00
千住大橋を渡ると足立区で、芭蕉がここ千住宿で船を上がったという記念碑が建っています。また、足立市場の脇には
奥の細道矢立の碑があり、芭蕉の「奥の細道」の旅が千住から始まったと記されていました。
宿場町通りと言われている商店街は、庶民の生活が息づいている活気ある通りでした。また、旧家が多いのが印象的でした。
荒川~梅島駅~毛長川15:15
大正の時代から昭和にかけて人工的に掘った川「荒川」に架かる橋荒川新橋を渡ります。
東京スカイツリーはすでにはるか遠くに見えます。
この後、旧日光街道はほぼ草加までまっすぐ続きます。
少し寄り道をして、小林一茶も立ち寄って「やせ蛙 まけるな一茶 是にあり」という句を残したと言われる炎天寺に寄って
みました。池のまわりにはコレクションした蛙がたくさん置かれていました。
いよいよ毛長川を越えると埼玉県草加市に入ります。午後5時30分、17.6キロよく歩きました。
この日は、草加駅近くのビジネスホテルが運よく空いていたので泊まり、日光街道を先にすすめることにしました。
今朝のニュースで、富士山がユネスコの世界文化遺産へ正式に登録される見通しになったというニュースがあり、
思わず「やったー!」と思いました。一方、地元近くの鎌倉は残念な結果でしたが。
父の転勤で、富士山のふもと富士吉田市で子供時代を過ごした私は、間近に美しい富士山をいつも仰いでいました。
真夏、夜が更けた富士山には御来光を目指して登山する人たちの懐中電灯の明かりが列となって見えたり、厳しい冬には
富士山から雪が舞って下りることも懐かしい記憶としてよみがえってきます。何と言っても楽しかったのは春、一斉に芽吹く
明るいカラマツ林を吹き抜ける風は楽しげに歌っているようにも聞こえ、足元ではたくさんの野花を見付けることができました。
この地での子供の頃の生活が今の植物を育てる楽しさを育んでくれたのだと思います。
世界遺産登録は、35年ぶりに開かれた同窓会にも転校児の私を忘れずに声をかけてくれた友人たちの長い活動が実を
結んだのだろうと思います。
近いうちに、ちょっと敷居が高くなったけど、なつかしい地へまた訪れてみたいと思いました。
繁殖力抜群の小さな庭の優良児たち