中山道ウォークを3月に終えてやれやれと思っていたところ、そういえば、奥州街道がまだ残っているんだと気がつきました。
奥州街道はほぼ8年前に大田原宿まで歩いていて、残りの43.6キロを残していました。あまりにも長いうえにその間宿泊場所が芦野温泉だけなので、実はビビッていたのでした。
そこで、なんとかしてかたをつけたいと思い、前泊で大田原市内に泊まり半日だけ歩いて、距離を稼ぎ、2日半で歩こうと実行に移すことにしました。
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日本橋から大田原までは、過去のブログにまとめてあります。
奥州街道1日目 宇都宮宿~白沢宿~氏家宿 - 小さな庭 (goo.ne.jp)
奥州街道2日目 氏家宿~喜連川宿~佐久山宿~大田原宿 - 小さな庭 (goo.ne.jp)
10月1日
大田原宿場はすでに昔の面影はほとんど消滅していますが、本陣は奥州道中最大であったようです。
12:50 大田原市の旧跡、愛宕神社の薬師堂
五重塔を乗せた石塔七重塔は市の有形文化財
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金属製の「金燈籠」
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石造の台座には、この交差点が塩原道の追分であることから、江戸と彫られていました
13:30 長い階段の先にある大田原神社
藩祖の大田原資清が大田原城築城の際にご神体を移しました
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その奥州街道を挟んで向かい大田原城があります。土塁が残されていました
蛇尾(さび)川を渡ります
昔は暴れ川だったようですが、今では水も澄んで穏やかな流れでした
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14:25 中田原の一里塚
両塚が残っていたようですが、道路拡幅の際に取り壊されたようです
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14:40 道標(棚倉街道との追分)
材質は安山岩、右奥州道、左棚倉道と刻まれています
棚倉街道は大田原宿を経由して江戸・日光方面に向かう近道として重要な街道でした
15:00 樹齢400年の高野槇(こうやまき)
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市野沢交差点の先にあり、奥州道中三槇のひとつ
ここで、この日の宿泊大田原市内に戻るのにちょうどいいコミュニティバス停があったので、この日の到達点としました。(1日目歩数:17196歩)
10月2日
昨日の到達点市野沢まで、一日に数本しかないコミュニティバスで行くつもりでしたが、日曜日は運休だったことに気がつきませんでした。しかたなくタクシーで行こうと思ったところ、宇都宮で開催されている国体で出払ってしまっていると言われましたが、なんとか手配できたタクシーで、予定よりも遅れて2日目のスタートとなりました。
9:20 永代常夜灯・一九夜塔
市野沢の先、綿貫(ねりぬき)集落の街道沿いにがありました
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10:30 樋沢神社
小さいが階段の先にひっそりと、また神社脇の林のなかに鍋掛の一里塚がありました
鍋掛宿に入ります。ほとんど宿場の面影はありませんでしたが、道路わきに並んだ石碑の石が秋の陽の影を落としていました。
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11:30 加茂神社境内の芭蕉句碑
「野をよこにうまひきむけよほととぎす」
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11:40 昭明橋
「昭和の新しい時代を明るく」という願いを込めて命名された昭明橋
この那珂川は徒歩渡りで水の多い時だけ船渡しだったそうです。
まもなく越堀宿に入ります。那珂川の増水で足止めされた、参勤交代が水の引くのを待った宿として越堀宿ができたということです。
12:35 寺子の一里塚
寺子は越堀宿と芦野宿の間の宿
牛を供養する碑 のんびりとした牛の石碑
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14:00 余笹川が流れる黒川橋
稲刈りがはじまり、日本の原風景を見ているような景色でした
15:00 芦野温泉
思ったより早く今宵の宿に着くことができましたが、疲れました。
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ここ芦野温泉は、昔から湯治場としても有名で、お風呂も何種類かあります。その中に薬草の湯というのがあって、1分も入っていると身体がヒリヒリ・ピリピリして、その刺激は相当なものでした。ほかの湯はとても気持ちがよかったです。ただ、歩き疲れているので、何度も入ることができないうえに翌朝は時間がなく、一度だけ温泉に浸かっただけでちょっと残念でした。また、ぜひ来てみたいところでした。(2日目歩数:29874歩)
10月3日
8:30出発し、芦野宿にはいります。
芦野は東北の入口にあたり、関東へも続き、交通の要所で宿場はにぎやかだったようです。
家の軒先には屋号が書かれて宿場らしい雰囲気でした。丁子屋は当時より鰻が有名で現在も営業していました。
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9:00 三光寺
日本三大聖天の一つで、本堂正面に銘木と言われている松の木がありました。
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9:20 本陣跡
本陣跡には芦野石を使った近代的な石の美術館が建っていました
このあたりに問屋もあったようです
9:40 遊行柳
一遍上人が旅の途中、使っていた柳の杖が根付いて柳になったという伝説の残る場所
ここには、西行、芭蕉、蕪村も訪れ、芭蕉は「田一枚植えて立去る柳かな」と残しました
遠くからこんもりとした場所を眺めただけでしたが・・・
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しばらくは大型車など交通量の多い国道沿いを歩きます
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稲がすっかり色づき、赤とんぼが飛び交い、みちのくらしい牧歌的な景色が続きます
11:20 間の宿である寄居宿に入ります
那須三十三所観音霊場の第10番札所である與楽寺(よらくじ)
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11:40 泉田の一里塚
国道沿いにがあり、きれいに整備されていました
石塔群が一列にならびのどかな街道が続きます
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12:00 初花清水碑
「飯沼勝五郎夫妻」のゆかりの清水、この夫婦のお墓は東海道の箱根山中にあったそうです
そういえば箱根の「初花そば」もこの地と関係があったのかと・・・
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旧道から国道に出る手前にひょうたんの形をした石がありました
石碑には「瓢石 勝五郎旧跡」とありました。単調な国道をすすみます
12:40 境の明神
栃木と福島の県境 関東と奥州の国境を挟んで玉津島神社と住吉神社の2社がありました
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長い緩やかな登りをやっと終えて道は下り坂、街道は白坂宿に向かいます
13:40 白坂宿
当時の面影はほとんどなく、「雨が降っても傘いらず」と言われるほど軒を連ねていたようです
本陣や問屋などもほとんどわからずじまいでした
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14:45 観音寺
本陣を努めた庄屋・白坂家の菩提寺
15:00稲荷山の辺り
戊辰戦争がもたらした悲劇の白河口古戦場跡地
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15:40 奥州街道最後の宿場白河宿場に入りました
本町は白河宿の中心で、本陣跡、脇本陣、などがあり右折左折を繰り返します
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15:50 田町に入ります
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津島神社 お天王さまと親しまれている
16:00 田町大橋で阿武隈川を渡ります
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16:20 奥州街道の終点 女石の追分
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会津街道は左へ入り、奥州街道は右へ仙台・松前と続きますが、この分かれ道が正式の奥州街道の終点となります。
長い長い一日でしたが、お天気に恵まれてケガもなく無事に奥州街道を終えることができました。(3日目歩数:42061歩)
これで4街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道)はすべて踏破ということになります。
2004年にスタートした街道歩き、なんと18年の歳月をかけました。
江戸の時代に作られた街道は5街道、あとひとつ甲州街道が残っていますが、年齢的にもすべてを踏破するのは厳しいことかと思います。
ただ、街道ウォーキングは大変楽しいものでした。街道を歩きながら、史跡や城跡、旧宅など当時のおもかげを辿り、また四季折々の風景も堪能しました。目的地はいつも遥か遠くで、続きがあって、到達目標があったのも旅を楽しめた要因だったかなと思います。
また、機会があったら、今度はワンポイントで訪れたいと思います。