秋分の日を境に急に秋らしくなったかと思われた先週末、酷暑で行けなかった街道歩きがやっとできると、甲州街道ウォークを再開することにしました。(ところが、この2,3日また暑さがぶり返しました)
甲州街道は江戸以前から甲州古道と呼び、地域の人々の生活や交流の場として使用されていました。江戸時代に幕府が甲州古道を五街道のひとつとして整備し発達しましたが、途中、山間僻地の通行が多いので、旅人は比較的少なかったそうです。
参勤交代した大名は、諏訪高島藩(3万石)、伊那高遠藩、伊那飯田藩の三藩でした。
確かに今まで歩いた東海道や中山道と違うのは、見附が残っておらず宿場と宿場の区切りが分かりづらいなと思いました。
6時50分 自宅をスタート
9:35 JR相模湖駅到着、前回(7月10日)の到達点
与瀬宿の坂本本陣は石垣と築山のみで、「明治天皇興瀬御小休止跡」碑のみが残っていました
10:05 慈眼寺(虫封じの寺)そのとなりに興瀬神社
大きな鳥居があり、神社はその奥鳥居の長い急な階段の先にありました。体力温存のため入口まで
10:15 与瀬の一里塚跡あたり(日本橋から16里目)
旧道を進んで、高速ガード下を潜ると国道20号線と合流します
本来の旧道がカーブしているようでしたが、草が覆い茂り不明でした
10:30 石碑群
首の欠けた地蔵尊像など庚申等などがありました
10:40 甲州古道標柱「子の入り」あたり
急坂の上にガイドブックの「回り込む」の表記にまどわされ、迷った挙句に高速を下にみながら橋を渡ります
11:15 椚戸旧道江戸口―甲州古道赤坂標柱
迷いに迷って山道に人家あったので、行き会った土地の人らしき人に聞くと、この先は行き止まりだと言われ
その人は竹林の細い道を下りていきました。
少し先に行くと「観福寺」に通りかかりました。この道で間違いないと思い、先へ進むとやはり行き止まりでした
庭先にいた人にもう一度聞くと、先ほど道を尋ねた人と同じ竹林の細道を行くと吉野宿にでるとのことでした やれやれです
11:40 吉野橋(小猿橋)
大月の猿橋と構造も工法も同じで、規模の小さいところから「小猿橋」呼ばれていたそうです
橋げたを立てることができず、両側からせり出した橋木によってかけられていたそうです
(現在はコンクリート)
11:30 吉野本陣跡
吉野宿は歩道のない交通量の多い20号線
旅館「ふじや」跡は資料館としてかたちを残しています
11:50 関野の一里塚 津久井の銘木「エノキ」 江戸日本橋より17里目
12:00 藤野駅前 ランチ(12:50まで)
13:10 関野本陣跡 説明版のみ
13:18増珠寺
大相撲の「追手風」のゆかりのあるお寺 「関野宿講中」と刻まれた庚申塔
13:40 名倉入口
甲州古道標柱に従って細い道を登っていき、結局また道に迷うことに
13:45 境沢橋
相模と甲斐の国境に架かる橋で、神奈川県から山梨県に入ります
14:00 諏訪関所跡
武田氏が設置した「甲斐国二十四関のひとつ
14:45 諏訪神社(古都神社)境内に芭蕉の句が残っている
5本の大きな杉が並び、ヒガンバナの赤色が緑の境内に点在して、とても雰囲気がよかったので小休止
塚場の一里塚(不明)
14:40 疱瘡神社
水疱瘡や皮膚病にご利益がある
塚場の旧道沿い
15:00 牛倉神社
旧上野原村の鎮守
15:10 若松屋脇本陣跡(現ホテルルートイン)
現上野原の街並み このあたりに本陣や脇本陣
このあたりからしばらくJRと街道は離れていくので、最寄り駅(JR上野原駅)に
比較的近いといっても25分の地点でこの日の甲州道を終了としました
(歩数:29354歩 距離:17.6キロ)