12月は慌ただしくてやはり中山道を歩く余裕がありませんでした。今年のスタートはまだお正月気分も
抜けきらない4日に決行しました。というのも比較的電車が空いているお正月休み中にと思い、早起きし
て頑張ったのですが、なぜか1時間のロスを作ってしまい、桶川の駅に降り立ったのは9時予定を大幅に
遅れること10時でした。我が家からはJR上野ラインの東海道線1本で行けると安心しきって乗った電車
が大宮から宇都宮線と高崎線に分かれることをうっかりして宇都宮線に乗ってしまい、大宮から2駅ほ
ど過ぎて気が付いて引き返したという始末。気を取り直して桶川を10時にスタートしました。
駅を降りて左折すると中山道沿いに、紅花の穀物問屋だった商家の土蔵が今も残っていました。珍しい
「鳥おどし」と呼ばれ鳥よけに使われた棘状の胸飾りがありました。
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稲荷神社の境内には力石も置いてあって、610キロもあるものは日本一と言われているようです。
持ち上げた怪力はいたのでしょうか。
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この辺りはケヤキの樹が多く、街道沿いにも大きなケヤキが目立ちました。
神社のはずれにあった大ケヤキの樹洞には稲荷社が祀られていました。
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上下1車線の県道164号線をまっすぐ進むと桶川北本宿の道標が見えてきました。この北本(きたもと)
という名の由来は慶長9年(1604年)に宿場が鴻巣に移転され、そのため北の元宿ということから北本
の地名になったということです。
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中山道北本宿碑
少し歩き進めて行くと街道筋に、多聞寺(たもんじ)があり本尊は毘沙門天立像でした。
ここの境内のムクロジは推定樹齢200年という立派なものでした。
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実の中の黒い種は羽根つきの黒い玉に使われますが、果たしてお正月の羽根つきの音は何処・・・。
この先で道は江戸時代初期の古中仙道と中山道にしばらくの間わかれますが、私たちはそのまま
中山道を進みます。
そろそろお腹も空いてきた正午前、古民家風の和風レストランがあったので、ここでランチをとること
にしましたが、ランチメニューであるにもかかわらず、注文した料理がでてくるのに時間がかかり、
ここでも思わぬ時間のロスが・・・。中山道を歩いている旅人がこんな悠長な時間を過ごしていていい
ものかと大いに反省!(どうもこのレストランは新年会の団体客で混雑していたようでした。)
1時間の大休憩を取ったあと、少し先を急ぎます。
古中仙道と合流した先で、北本市から鴻巣市に入りました。
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鴻巣市は雛人形の街と言われるだけに、街道筋には雛人形店が軒を連ねています。
ひなの里鴻巣市産業観光館があり、雛人形が展示されていました。歴代のひな人形が飾られていて
とても興味深かったです。
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これは変わりびな?、桃太郎のおとぎ話がそのまま雛段に
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しばらく進むと左手に浄土宗関東18檀林(僧侶の学問所の一つ)で徳川家の三つ葉葵を使用するこ
とを許されているという由緒ある勝願寺がありました。
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鴻巣駅入口の交差点付近には本陣跡、脇本陣跡、問屋場跡などがあり宿場の起点だったようです。
この先右手にある鴻神社は地名の由来になった「こうのとり」の伝説のある神社で鴻巣宿の総鎮守です。
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子授けと安産の神社でもあり、たくさんの参拝客でにぎわっていました。
中山道は今まで、県道164号線をまっすぐに進んでいたのですが、加美(かみ)交差点からY字路に
分かれ、中山道は左の県道365号線にすすみます。この分岐点には「中山道こうのす」があり、標石
には「京三条大橋百二十三里六町 江戸日本橋十二里十八町」と刻まれていて、この先の旅の長さに
気の遠くなる思いです。
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陽も傾き始め、この日の予定はあと2時間弱、ロス時間もあったことを考えると、一駅手前(予定で
はJR吹上駅)のJR北鴻巣駅に変更して、日暮れまでのあと1時間をなんとか頑張ることにしました。
1月とは言え、穏やかなとても暖かい日でしたのであまり寒い思いもせずなんとか19キロを進めるこ
とができました。