僕と猫のブルーズ

好きな音楽、猫話(笑)、他日々感じた徒然を綴ってます。
コメント欄はモラルを守った上で御自由に書込みどうぞ。

宮城県名取閖上ボランティアレポ

2014年05月25日 | 東北のためできること
2011年から応援していた仙台若林区の復旧活動は一旦収束。
今後は農業の復興活動を中心に展開。ボランティアの受入も停止。
当然、ボクは復興活動にも参加する積りだけど参加回数は減らざるを得ない。(良いことだけど^^;)
で折角なので宮城県で新しい場所を支援しようと思った。
気になっていたのが以前「助け合いジャパン」のHPで見た「名取市閖上」の側溝探索活動。
未だに津波の行方不明者が発見できず遺骨や遺品の捜索活動を展開しているらしい。

最初は個人で参加しようかと思ったけど初めての場所で不安なのでNPO tvtのツアーに参加。
金曜日深夜、渋谷に集合。参加者は若い人が多い。中年の男性はボクも含めて3、4人。
道中、主催者から説明がある。tvtは早大の学生さんが中心になってできたNPO。
過去も閖上の支援ツアーを行って来たけど諸事情でツアーは今回が最後とのこと。
これで最後なんだ・・残念。・・・でも、間に合って良かった。

隣の人と話したり参加者の自己紹介をしたり、参加者に同じ大学の出身者が居たりして
ボランティア前に既に和気藹々としたムード。

バスは閖上地区に入る。窓の外に広がる荒れた土地。破壊された建物。
あれから3年も経っているのに・・未だこの状態なのか?諸事情で現在復旧が遅れているとの事。
知らず知らずに気合が入る。拳を握りしめていた。

日和山神社にお参りして、今日の作業場所である閖上中学校に行く。
津波の被害の痕が生々しく残っている。時計は「2時45分」で止まっている。
生徒さんが十数名、命を失い献花台があった。
その横に学友が寄せたメッセージ。「死んだら終わりですか?死んでもここに命はあります」
・・・・・・声が出なかった。コトバなんぞ意味がない。唯、手を合わせるだけだった。

先ずはラジオ体操。某NPOが作った「東北弁ラジオ体操」に合わせて準備運動。
今回はtvt以外にもボランティアチームが参加。
地元NPOのSTEPのリーダー指示のもと、作業開始。


・側溝を掘り起し遺骨や遺品が無いか?探す。ボクは大学生の男の子と話しながら作業。
・晴天だけど風が気持ちいい。途中で虹が出たけど写真を撮れず。残念。
・過去参加したボランティアでは瓦礫を発見したら集めて捨てるんだけど、今回は
 あくまで「遺骨、遺品捜索」が目的なので瓦礫を元の場所に戻す。
・午前中作業したけど残念ながら遺骨も遺品も見つけられず。
・現地のボランティアの方が連れてきたワンちゃんが矢鱈人懐こくて人気者に(^^:


お昼休み。お弁当を食べていると行方不明のお子さんの
ご家族が来られてお菓子をくれた。笑顔だったけど、その心中は如何程のモノか。
いや・・オレにはワカラン。「わかる」なんて言ったら絶対ウソだ。
食事をしながら参加者と話す。大学生の皆さんはホントしっかりしている。
その後は「語り部」の方に311当時のビデオやその後の復興活動の様子を教えていただく。
子供たちが造った「閖上の未来」を表したジオラマが素晴らしかった。

午後は海岸沿いの側溝に移って作業。泥まみれになって作業するがお喋りしながらで楽しい。
ここでも残念ながら遺骨も遺品も見つからなかった。
海岸地区も荒れているけど朝市やお土産屋さんが出来ている。
雑草の中に花が咲いている。

虫やミミズも住んでいる。ここの土地は死んでいない。まだ生きてるんだ。確かに。

現地の皆さんにお別れを告げてバスに乗り込み帰路に着く。窓の外は美しい空が広がる。

正直、今回閖上を見て、その荒れ様にショックを受けた。
瓦礫やヘドロが未だ沢山あり、荒れた土地が広がっている。
あれから・・・もう3年だぜ?なのに・・復旧が全然進んでいない。
復興にはまだまだ時間を要するだろう。

でも、今日60人もの人が集まって一緒に頑張った。
これを続けていれば・・・いつか「閖上の大逆転」の日は来るだろう。絶対来る。
オレはそう信じている。

帰りのバスの中では疲れて眠ってしまう(^^;
一方で隣の席の大学生たちと「映画のタイトルしりとり」をして遊ぶ。
大学生・・発想がオモシロいな。こういう遊びはオレは思いつかん。

深夜東京駅着。再会を誓って別れる。
山手線は混んでいた。今日閖上で見た光景とのあまりの落差。
以前だったら東北と東京の様相の落差に違和感を憶え落ち込んだ。
でも、今はそんなことは無い。もう、そういうのは超えた。
今回、全国から東北に大勢の人が駆け付けた。風化なんて全然していない。
多くの人が東北のことを忘れていない。多くの人が東北に関心を持ち続けている。

確かに東北や原発に無関心な人も多くいる。でも、無関心な人を責めても仕方ない。
関心ある者で集まって動けば良い。
オレだってアフリカの飢餓や台風や洪水の被害には関心が無いし(^_^;
もしかして、目の前の派手なお嬢さんが老人介護で頑張ってるかも知れないし、
酔っぱらったオジサンがブラック企業と戦ってるかも知れない。
東北や原発に無関心でも、それぞれがそれぞれのリアルで頑張ればイイ。

オレのリアルは東北にある。
だから行く。もう、それでイイ。それだけでイイ。

帰宅したら新しいソファが来ていてヨモちゃんは何かドキドキしている様子(T▽T)

閖上、行ってよかったな。ホントによかった。また行くぜ。

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未来(あす)への胎動~福島南相馬ボランティア記

2014年04月21日 | 東北のためできること

週末は福島南相馬にボランティアに行ってきました。
利用したのはJTBの企画。南相馬に行くのは去年10月以来、JTBツアーは去年5月以来。
以前はボラツアーの前はミョーに殺気立ってたが、今回はそれも無い。
早目に帰宅して嫁とご飯を食べて寛ぐ。ヨモちゃんはボクにあまり近寄らない(^_^;

東京駅から高速バスに乗って福島に向かう。参加者の中に他のボランティアで
会った人が数人いる。顔見知りが居るのは心強い。
嫁@パンダがボクの携帯にヨモちゃんのカワイイ写真を送ってくれた!
一気にヒートアップ、ヨモちゃん、オレ、ガンバルからね~( ̄∇ ̄~)(~ ̄∇ ̄)~

南相馬着。原町区にある道の駅で朝ご飯。鯉のぼりならぬ鯉吊るし(?)が沢山ある。
人通りが以前来た時より多い。まだ早朝なのに。
避難した人が戻ってきてるのか?それとも馬追が近付いてるので観光客が来てるのか?

作業は小高区。帰宅制限地域。放射能のため住んでた人は一時帰宅しか出来ない。
ボランティアセンターで福祉協議会の会長とセンター長のお話を聞く。

「少しづつだけど前に進んでいるんです!」というコトバにグッと来るV(^^)
実際、ボランティアセンターの前は多くの車が行き来していた。
以前はほとんど車通りは無かったのに。馬追か、ボラか、除染かはワカラン。
でも、確実に「変わってる、動いてる」、それを感じた。

作業する場所に向かうと桜が満開。でも人が住んでいなくて当然花見も出来ない。
ただ、ある学校には人が大勢集まってる。建設会社が合同で除染作業を進めてるらしい。
原発事故で被害を受けた福島、大勢の人が避難し未だ還れる見込みはない。
一方、福島に残った人もいろいろと悩んでいる。
でも・・決して見棄ててはいない。忘れてはいない。除染、ボランティア今でも続いてるんだ。


今回はあるお宅のビニールハウスの解体。40人程度で5、6棟のハウスを解体。
以前、荒浜でやったことがあるが複雑で難しい作業。2チームに分かれて作業開始。
先ずは黙祷(v_v)”。そして、ここにかって在った生活(くらし)を想った。
リーダーの指示の元、スムーズに作業が進む。1時間程度で2棟を解体。
なんだ?軽いじゃん。ビニールハウス何するものぞ。ヌルい、ヌルい(゚゜)\バキ☆
で他の班の作業を手伝う。こっちは難航。親指の爪が剥がれて軍手が破れる。
1時間程度作業したら、体のあちこちが痛み出してグロッキー(゚゜)\バキ☆

お昼休み。参加者と色々話す。埼玉から来たお爺さんは毎月の様にボラ参加。
元気で明るくペースメーカー。皆、連絡先を交換。ワシは引っ込み思案で出来ず(^_^;

午後も作業。器具の取外しの複雑な作業は人に任せてワシは単純な力作業に注力(^^;)ゞ
「できないことをムリにやる」より「できることを確実に」。これが大事です(゚゜)\バキ☆
ビニールハウスを構成している金属の梁や器具がどんどん積み上がっていく。
最終的には5、6棟全て解体できた。凄い!積みあがった梁の前で記念写真。

バスを待つ間、野に咲く花の写真を撮る。南相馬は自然が美しくステキな街。
放射能の影響で現在(いま)は一時帰宅のみで住民は戻っていない。
でも、除染が進んで放射能が低くなれば避難した住民を呼び戻して
以前どおりの生活を始める・・・そんなプランもあるらしい。
「避難した住民を戻す」・・・それには色んな意見や見方があるだろう。
戻る人も居るだろうし、戻らない人も居るだろう。オレはどっちも支持したい。
「放射能が残る街に住むべきでない」・・よくある意見、公式(りくつ)。
でも、オレは余所者が勝手な公式で福島の人が決めたことを非難するのには賛成できない。
非難や批判なんぞ要らん。やるべきは支持と応援だ。

温泉に浸かって酒を呑んで東京に向かう。
東京駅で皆さんと別れる。また東北の何処かで会えるでしょう。その日を楽しみに。
帰宅して風呂に入って一息。ヨモちゃんはあまり近付いてこない(^^;)ゞ

昨日は午前中は筋肉痛でダウン、午後散歩してまたダウン。
ヨモちゃんがボクの横でお昼寝。イイこ、イイこ♪やっぱウチはイイなぁ。

今日は定期検査でお休み。週末、体を動かしたお陰か、数値がイイ!

福島・・南相馬、未だ難題を抱えている。「前に進んでる」と簡単に言ってイイかはワカラン。
でも、久しぶりに訪れて「胎動」を感じた。
未来(あす)に向かって何かが変わり始めている。動き始めている。
ならば、また行って見届けよう。当然だ。

荒浜は当然行くし、閖上も夏には訪れたい。
ま、焦ることはない。感じたままに動けばいい。動いていれば、また会える。
サンキュー、南相馬、福島、そして東北。楽しかったよ。また行くぜ。

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区切りの季節~仙台荒浜ボランティアレポ

2014年03月31日 | 東北のためできること
週末、仙台荒浜にボランティアに行ってきた。今回も個人参加。
学生ボランティア団体「re-Roots」の皆さんの頑張りで3月末で「復旧」は終わる。
4月以降はいよいよ「復興」に入る。ひとつの区切り。その場に自分も居たかった。

高速バスで早朝仙台に着く。朝焼けがキレイ。あちこちに楽天のポスターが貼ってる。
「挑戦」か・・・イイ言葉だ。

バスで荒浜に向かう。今回のボランティアで決めていたことが2つあった。
1つはいとうせいこうの「想像ラジオ」に倣って・・「亡くなった人、景色、物」
を「想像する」ということ。目の前にあるモノがすべてじゃない。
「かって此処にあったもの」に想いを馳せる・・・それをやりたかった。
そして、出来るだけ荒浜の風景を目に焼き付けること・・そう決めていた。

深沼海岸に到着。嵩上げ工事が進んでいる。津波の危険があるので此処には人は住めない。
土を高く盛って防災道路の工事を進めている。
住んでいた方が荒浜のかっての景色を写真に撮って飾っていた。
美しい景色、楽しそうに笑う住民、地震と津波で荒れた土地。
ここは昔から更地だったわけじゃない。此処には昔「暮らし」があったのだ。確かに。
慰霊碑にお参りする。亡くなった方のお名前、年齢が書いてある。
同じ姓・・夫婦だったり親子だったり兄弟だったり・・此処には「個人」が居たのだ。
被害者なんて一括りにしちゃいけない。「個人」が生活していた事を忘れちゃイケナイ。
ヒートウェイヴ「満月の夕」を聴きながら歩いた。涙が止まらなかった。
復興を遂げたとしても、此処には昔の暮らしも景色ももう戻らない。戻らないのだ。

「re-Roots」に着く。日本各地から色んな人が来てる。
「3月末で一旦終了」ということで集まったらしい。初参加の人も居る。
顔見知りの地元の人も居る。

今日の作業は農地の雑草抜き。
メンバーでワイワイガヤガヤと話しながら楽しく作業。
兵庫から来た大学生が明るく場を盛り上げてくれる。
横浜から来た司法書士さんが同じ大学出身ということで色々話した。
お昼休み、それぞれがボランティアに参加した切っ掛けについて話す。
地元の人が東北の実情を教えてくれる。決して「良い話」ばかりじゃない。
でも、知って良かった。いつまでも「キレイごと」で済ませるワケにはいかない。

午後も引き続き作業して完了。すっかりキレイになった。
今度は別の農地で瓦礫撤去。こちらも順調に進む。
以前は1日大勢で作業しても終わらなかった。
でも今は午前午後で別の場所で作業できる。
「復旧」はホントに進んでるんだな。何だか嬉しくなった。

re-Rootsに戻って談笑。司法書士さんから名詞を貰って連絡を誓う。
re-Rootsのメンバーからお礼の挨拶。皆で写真を撮る。
その様子はre-Rootsのブログに載ってます(「ながわ」も写ってます(^^;)ゞ)
http://reroots.blog.shinobi.jp/
re-Rootsの皆さんは大学生。311発生後、自主的にボランティアを立ち上げ
農地復旧や避難した住民のサポートや荒地にひまわりを植える等色んな活動を展開した。
3年で復興まで進めたのは彼らの力だ。勿論外部ボランティアのサポートもあるけど
地元の若い衆が自らの力で「おとしまえ」をチャンとつけてる。ホント尊敬する。

来月からは「復興」に入る。ボランティア受入は無くなるようだけど復興イベントが
あれば参加しよう。当然だ。「荒浜」はオレのピンポイントなんだから。
ボランティア参加者に再会を約して別れを告げる。

夜はクリスロードにあるバー「龍頭」で呑む。昨年末に訪れた店。
とても雰囲気が良い店だったので、また行きたかった。
店長さん(ちょい福山雅治入ってる(^^;)ゞ)はオレのこと憶えていてくれた。
美味しい料理とお酒、店員さんと話して楽しく過ごせた。
疲れのせいかかなり酔っ払い。店長さんにも再会を約して店を出た。

嗚呼、楽しかったな。今日は色んな人と話してホント楽しかった。また来よう。

深夜バスで帰宅。ヨモちゃんが矢鱈甘えてくる。オレが居なくて寂しかったのかい?
ヨシヨシ、イイコ、イイコ~( ̄∇ ̄~)(~ ̄∇ ̄)~

帰宅後、Facebookを通じてボランティアで会った人に連絡。
同じ東北を応援してる者同士・・・つながりを持つのも良いことだと思う。

荒浜ボランティアはこれで一旦区切り。勿論また行くよ。
他の地域も行く積り。4月には南相馬に行くし。
名取市閖上で「遺骨・遺品探索」のボランティアがあるらしい。そのうち行こう。
福島原発避難区域に放置されたペットの保護ボランティアもある。これも考えてみよう。

オレの偽善(おとしまえ)はまだ終わらない。これからも手を変え品を変え続けるぜ♪
な、にゃにゃん☆

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3年目のこれから

2014年03月11日 | 東北のためできること
今日で東日本大震災から3年目。







3年目?だから何だ?ふざけるな。区切りなんかつけてたまるか。
風化?忘却?そんなのオレには関係ない。世間が勝手に言ってるだけだ。

まだ、何も終わっちゃいない。何も変えちゃいない。
だから、これからも東北に行く。何度でも。
「おとしまえ」は、これからはじまるんだ。

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ボランティア初め~宮城県山元町ボランティアレポ

2014年01月27日 | 東北のためできること
先週末、今年第1回の東北ボランティアに行ってきました。
今回はツアーでの参加。場所は宮城県亘理郡山元町。
http://www.amy-go.com/tour/volunteer/
今回はいつも行ってる仙台荒浜、福島南相馬とは別の場所にしようと思ってた。
新宿から深夜バスで宮城に行く。総勢40人程度。老若男女、今回ボラ初参加の人も多い。
山元町は津波で被害を受けた場所。あまりメディアでは取上げられない。

鉄道は津波で破壊され駅は無人状態。幾つかの民家も全壊。撤去されている。
一方でイチゴやリンゴの栽培は再開されていたり新たに商店も開いている。

先ずは現地の方の案内で「浜中小学校」を見学。今回は建物の中に入れる。
過去、何度もボランティアをしたが壊れた建物の中に入るのは初体験。
ショックを受けると共に・・・ホンネを言えば少し興奮も感じた。
以下、案内の方のお話。


・以前から津波対策はして土を盛っていたが311のときの津波は想像を超えていた。
 2階まで届いたので屋上まで逃げた。屋上の狭い倉庫の中で先生と生徒は一晩過ごした。
・翌朝自衛隊が空から救出、ピストン運搬して避難所に運んだ。幸い避難した人は無事だった。
・ここの小学校は無事だったが近くの自動車教習所では多くの人が亡くなった。
 また別の幼稚園や保育園ではお子さんが亡くなった。遺体が損壊していてご両親に
 見せられる状態じゃないので先生が確認した。2年過ぎた今になって先生が精神的に
 参ってしまってる。
・子供たちも転校が続いて精神的に参ってる。不登校も増えている。
・この小学校は遺構として残すことを検討している。でも、お金がかかる。
 老人ばかりのこの町でそんなお金は負担できない。是非国で負担してほしい。
・私の家も全壊した。補助金を使って建て直したけどそれでも3千万円借金した。
・被害の大きい地域と小さい地域では温度差がある。一枚岩になっていない。

小学校の中は凄まじい風景だった。破壊しつくされていた。
見ていてコトバが出なかった。また、ガイドの方のお話にも声が出なかった。
3年過ぎても精神的な疵が癒えていない、むしろ疵が酷くなっている。
また、同じ町でも色んな温度差がある。これが「この場所の現実」なのだ。
東京に居ると得てして
「被災地では皆、心をひとつにして復興に向かって頑張っている。」なんて勘違いする。
そんなことは無い。未だに色んな問題を抱えているのだ。そこのことは忘れまい。

以下、浜中小学校の写真。


そして壊れた駅の線路、ホーム。現在JRの駅、線路は別の場所で再開を計画中らしい。


午前中はある個人宅の整地。お庭の土を新しい土に入れ替えて固める。
寒いけど作業をしている間に汗が出てくる。和気藹々と作業を進める。
ガラの悪いオジサンと若者の一団が居るが手際よく作業をこなしていく。
ガテン系の会社の人?
大勢で頑張って午前中に作業は終了。凄いV(^^)
午後は別のお宅で瓦礫撤去。ひたすらうつむいて仕事。腰が痛い(^^;)ゞ
ボクはある大学生と組んで作業。彼はボラ初参加。ボクが指示する。
会社じゃ人と話すのは苦手、部下に指示するのも面倒くさい。
でも、ここじゃ極く自然に出来た。普段の仕事じゃできないのに。
こちらも思った以上に作業がスムーズに進む。瓦礫を積んだ袋が山積み。

現地のボランティアリーダーの人は大喜び。良かった(v_v)”
また参加者の人が感想を言う。先ほどのガテン系のリーダーの人が
「荒れた小学校を見たとき泣きたくなった。そして、こんな大勢で作業しても
ホンの小さなスペースしかキレイにできない。」とおっしゃってた。
ウン・・・・そのとおりだ。

帰りのバスの中・・外に空が広がっている。雲が流れていく。
山元町は傷つきながらも前に進んでいる。でも・・・まだ時間が掛かるだろう。
だけど・・・きっと「大逆転がある」。そう信じてる。
フと涙が出てきた。ぬぐうこともなく・・ひたすら泣いた。

深夜に東京着。東京は華やかな光に包まれている。
あちらこちらでライトアップのオンパレード。節電なんか忘れたみたいだ。
こんな・・派手な光や装いは必要なんだろうか?
山元町で見た光景とのあまりの相違に・・違和感と苛立ちを覚える。

でも・・その東京に「東北のことを想う人」が確かに居る。
今回のツアーでは「ボランティア初参加」の人が大勢居た。
「3年」経って動き出した人も居る。忘れていない人も居るんだ。
そして・・今回のボランティア、凄く楽しめた。いつも感じる後ろめたさは無かった。
3年経って、ようやっと「後ろめたさ、申しわけなさ」は吹っ切れた。

山元町に行ったこと、あそこで見たもの、感じたこと・・忘れない。
そして・・・また東北に行こう。次回は、いつもの荒浜か、南相馬に行こう。
オレは東北が好き、東北の「大逆転」を手伝いたい。
だから、もう後ろめたさや申しわけなさは捨てよう。
楽しむために・・・そして、リアルを求めて行こう。何度でも。

今日は定期検診で会社はお休み。
帰宅後、ヨモちゃんと遊ぼうとしたらウッカリぶつかってしまった。
ヨモちゃん、ビックリして「にゃー!」と鳴く。ゴメンゴメン<(_ _)>
その後も、またぶつかってヨモちゃん、またまた「にゃー!」。
でも、ナデナデしてたらゴロゴロ甘えてきました。
こいつぅ、カワイイぞ~( ̄∇ ̄~)(~ ̄∇ ̄)~
だけど嫁@パンダが帰宅したらオレは放って嫁にベッタリ。\(T▽T)/

明日から、また仕事。その前に東北で頑張ったオレに祝杯♪
オレ、エライ!オレ、サイコー!さ、呑むぞ(゚゜)\バキ☆(゚゜)\バキ☆

(ヨモちゃんの独り言:こいつは直ぐ調子に乗る。アホにゃ)

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見事な空~仙台荒浜ボランティア記

2013年12月01日 | 東北のためできること
金曜日夜から仙台荒浜ボランティアに行った。今回も個人参加。
今週は仕事はボロボロ、全てが裏目になり最後に爆弾が落ちた。
全てはオレが悪い。激しく落ち込む。休み明けの仕事を考えてBLUEになる。

ボランティアに行くのを止めようか、と考えたが決めたこと。チャンとしなくちゃ。
同時に「被災地で頑張ってるヒトを見て勇気を貰いたい」なんて浅ましいキモチ
があったのも事実。何、都合のよいこと考えてるんだ、テメェ(オレ)は(-_-;

新宿から深夜バスで一路仙台へ。ゆったり座れてグッスリ眠れた。
早朝の仙台、通りのあちこちに楽天優勝の旗が舞ってる。元気な仙台を見てオレも元気出た。
空はキレイに晴れている。さぁ!しっかり頑張ろう!

バスで荒浜海岸に向かう。窓の外には「見事な空、見事な雲」が広がっている。
思わず見惚れる。東京じゃこんな見事な空は見れない。

先ずは深沼海岸を見学。慰霊碑に向かって祈る。
その傍には亡くなった方のお名前と年齢を書いた碑もある。見てて心が痛む。
荒れていた土地も整地されキレイになった。ボランティアが植えた草花もある。

確実に前に進んでいるけど一方でこの地域は津波危険区域に指定され誰も住めない。
住んでいた家、土地を失くすってどんなキモチなんだろう。オレなぞには想像つかない。

現地ボランティア「ReRoots」に行きボランティアを申込む。
仙台地元の人や千葉、東京から個人での参加者が居た。
「忘れていない人」は確実に居る。そう思うと嬉しくなる。
ボランティア代表から「復旧はかなり進んだためボランティア受入は12月で終了」
との発表がある。そうか、ボランティア受入停止は残念だが復旧が進んだのはウレシイ。
今後は「復興」に向かって進むとのこと。ただ復興と言っても山ほど課題がある。
春先以降に活動が開始。また参加させてもらおう。絶対に。

以下、今回の活動の様子


 ・午前はある農家さんで畑の整地。土を掘り起こして小さな瓦礫を除く。
  学生リーダー、ボク、千葉から来たお爺さん、地元の女性、東京から来た女性
  と話しながら楽しく作業を進めた。
 ・農家のおじさんに被災時、その後の話を教えていただく。
  被災直後の瓦礫だらけの家の写真は・・・・・凄まじかった。
  また、避難所、仮設住宅での「綺麗事じゃない話」も教えていただく。
  人間、追詰められると変わってしまう。リアルな話を聞けて良かった。
 ・学生リーダー、他のボランティアさんとも話す。それぞれの想い聞けて良かった。
 ・午後は別の農地の整地。三毛猫や黒猫が迷い込んできて個人的に盛上がる(^_^;
 ・3時まで作業して終了。力いっぱい働いた。凄く充実感があった。

「ReRoots」に戻って歓談。ここから見える空も見事。
代表の提案で希望者は深沼海岸見学に連れて行くことに。ボクも申込む。

代表とはここでお別れ。「春、また来ます!」と云うとニッコリしてくれたV(^^)

学生リーダーの案内で深沼海岸を見学。皆さん声が出ない様子。
ボクは荒浜に8度来た。初めて来たときよりはキレイになった。
でも・・2年前見たあの荒れ様は未だに忘れない。いや忘れちゃいけない。
津波で破壊された松林の上に広がる夕空は・・・痛いくらいに美しかった。見事だった。

学生リーダーとはここでお別れ、再会を約束する。いろいろありがとう<(_ _)>

ボランティア仲間の人と雑談しながらバス停まで歩く。楽しい。
仙台駅でお別れ。また会えるとイイですね。

汗だく。お風呂に入りたい。ということでネットカフェでシャワーを浴びる。
スッキリした。さぁ次は晩飯。クリスロードを歩いているウチに洒落たお店を見つける。
http://www.hotpepper.jp/strJ000026979/ ダイニング居酒屋「龍頭」
お洒落だけど気取ってない。店員さん(イケメン♪)も気さくに話しかけてくれる。

料理もお酒も美味しい。店長さん(福山雅治が少し入ってる笑)はボクがボランティア
で来たと知ると311当時のことを色々話してくれた。
中心街はそんなに被害を受けなかったとは言え、やっぱり色々な傷がある。
店長さんは賄いをサービスしてくれた。このお店、気に入った。また来よう。

駅前のクリスマス飾りつけが暖かく光る。

今回のボランティア今までで一番楽しかった。色んな人と話せた。
また会いたい人も出来た。来て良かった。

ボクの今年の東北ボランティアは今回で終了。来年も当然続ける。
荒浜、福島南相馬にはまた行くし、他の場所にも行ってみよう。

深夜バスで東京に戻る。今日は近場を歩いただけでノンビリした。
明日から仕事の現実がまた始まる。かってないハードな状況。
でも、負けない、負けてたまるか。
こんなことでくじけていちゃ仙台で会った皆さんに恥ずかしい。

逃げずに立ち向かおう。誠実に、心を込めて。それだけ、だ。ね、にゃにゃん♪

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南相馬ボランティアレポ

2013年10月06日 | 東北のためできること

5月の南相馬ボラは暑さにやられて全然働けなかった。
そのリベンジをしたい。倍返し、いや100倍返しだ!(゚゜)\バキ☆

今回はこちらの団体のツアーに申込んだ。
http://3dcadseminar.web.fc2.com/index.html
会社を定時で出て早目に帰宅。嫁と晩御飯を食べてヨモちゃんと遊ぶ。
「あまちゃん」の最終回を見て気合いを入れる。よし、行くぜ。

東京駅で集合。バス中で自己紹介。大学生、親子連れ、官僚、ボクサー色んな人が居る。
総勢40名。こんなに多くの人が東北を気にかけてる。
中にはボランティアに50回以上行っている強者もいる。心強い。

今回の目的地は小高区。原発事故のため住民が避難し今年一時帰宅が認められた町。
隣の原町区の道の駅で朝ご飯。こちらは人が歩いたり犬の散歩、店が開いてたり
「生活のにおい」がある。

小高区に入りボランティアセンターに。「負けるもんか小高区」のコトバが力強い。
名物センター長の挨拶に思わず笑ってしまう。
今回のボクのミッションは「工場の瓦礫撤去」、よしガンばるぞV(^^)

現地ボランティアから貰った地図を元に班長と目的地まで歩く。
普通の住宅街。旧い蔵、瀟洒なお宅が並ぶ。凄くキレイな街並み。
でも、誰も住んでいない。「生活のにおい」が無い。
あるお宅の窓から部屋に呑みかけのビール缶が置いてあるのが見えた。
もしかして311からそのまま?何とも言えない感情が湧いてきた。

手違いで工場での作業は中止になった。ボラセンに戻って次の指示が出るまで待機。
中止は残念だけど「南相馬の現在(いま)」を視れて良かった。
指示が出てまた移動。ミッションは「個人宅での草刈り」。
行ってみると、これまた立派なお屋敷。でも・・やっぱり誰も住んでいない。
隣のお家は半壊状態。目の前には荒れた土地が広がっている。
此処は・・・2年半前のままだ。あれから前に進めていない、進めないんだ。

班長が放射能数値を図ると0.5マイクロシーベルト・・低くはない。
でも、除草すれば放射能数値が下がり除染と同じ効果がある。よし!やったる!
メンバーひたすら草刈りをする。雑草だらけの庭もキレイになる。
開始が遅かったので休憩は取らず昼休みも短め、ひたすら草を刈った。
これで少しでも放射能の数値は下がっただろうか?
ここの住民が「戻れるようになる」には未だ時間が要るだろう。
でも、自分の家が雑草や放射能に塗れているのはイヤだろう。
少しでもキレイにして、戻ったとき喜んで貰えるなら・・・ウ・レ・シ・イ☆

午後1時間作業をして終了。短時間だけど集中して出来た。満足。
前回のリベンジは果たせたかな?
荒れ地に咲く花、雨に濡れてキレイ。

ボラセンに戻り集合写真を撮る。皆さん、疲れながらも良い笑顔をしている。

帰りは温泉に浸かる。カラダのアチコチが痛い。
でも、この痛みは「オレが確かに南相馬に来た」という証拠だ。
FBに「南相馬でボランティア」と書くと相馬の知人が喜んでいた。
ウン、喜んで貰えてウレシイ。

帰りのバスの中で参加者が感想を述べる。皆さん街の様相にショックを受けたそう。
それはオレも同じ。南相馬に来るのは今回で3回目。でも、慣れない。
あんなに美しい街に誰も住めないなんて・・その理不尽な現実に声が出なくなる。
皆さん「また来たい」と仰ってた。オレも同じキモチ。また来るぜ、絶対だ。

帰宅して風呂に入って酒を呑んで一息。ヨモちゃんは少しだけ甘えてくれた(^_^;


今回のボランティアは短期間だけど集中して取組めた。
前回の仙台で「リアル」を取りもどし、今回の南相馬で全力で取り組めた。
一時期陥ってた「飽きや倦み」が消えたような気がする。
以前、持っていた「情熱」を取り返せたような・・・そんな気がする。

今年、もう1回か2回、東北に行くかな?次回は荒浜にするか。また南相馬にするか。
「鉄は熱いうちに打て」って言うしね(゚゜)\バキ☆

「頑張った自分へのご褒美」として今夜はカーネーションのライブを見に行きます。
そして、明日はお休み♪ステキなことがある日♪♪
ヨモちゃん、たっぷりあそぼうな☆

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「リアル」を取り返した日~仙台若林区ボランティア記

2013年09月01日 | 東北のためできること
週末は仙台にボランティアに行ってきました。前回同様、個人参加。
早目に帰宅して準備。ヨモギは殺気立ったボクを見て「なんか変だにゃ」という顔。
ボクにあまり近寄らない。お出掛けのときも机の下に隠れてたし。(^_^;

新宿から深夜バスで仙台に向かう。今回は奮発して少し豪華な席のバスにした。
1人座りで隣の席は無く、伸び伸びと座れる、と思ったら意外と狭い。(゚゜)\バキ☆

仙台に早朝着。とても涼しい。湿気も無く過ごしやすそう。

作業着に着替えて朝食摂ってバスで深沼海岸に向かう。

深沼海岸の前は花で色採りどり。地元ボランティア「Re-roots」の皆さんが植えた花。
一面に広がるヒマワリを見て思わず声を出した。
あの茶色くくすんだ荒れ地がキレイに生まれ変わっている。凄い!



海岸近くの慰霊碑にお参り。以前は津波で破壊された住居の基礎が残ってたけど
それも殆ど撤去されている。311から2年半。ようやく此処まで進んだ。
いや、まだこの程度しか進んでない?・・・・うーーーーん(v_v)”
ちょうど東京から見学に来てる人がいたので話す。
「以前よりキレイになったけど、まだまだ復興は先だね」と話していた。

お別れして「Re-roots」に向かい受付けを済ませる。
京都、山形から大学生がボラで来てる。Re-rootsのリーダーから最初に説明。
「大きな瓦礫は除去したけど農地には未だ小さい瓦礫が残っていて作付けが出来ない」
「農業は少しづつ復旧している。でも耕作放棄地、農家の後継ぎが居ない等の問題
 が山積み。「復旧から復興」に早く進めるようにすべきことは多い」。
聞いている間に気合いが入る。「仙台は復興が進んでいる」とか言うけど・・
「まだ復旧途中」なのだ。それを忘れちゃいけない。

チーム分けしてボクは「農家で壊れたビニールハウスの解体」をすることに。
大学生リーダーについて作業場に行く。ビニールハウスが崩壊状態。
メンバーと金属の梁を解体していく。
暑いけど涼しい風が吹いて爽やか。最初は順調に作業が進む。
でも、梁の繋ぎ目の螺子が錆びていて色々やってみたが外れない。
段々焦ってくる。何?こんな簡単なこともオレ、できないの?
若い奴らの前で見っとも無い。カーッとアタマに血が上る。
ちょうど此処でお昼休み。

Re-roots学生リーダー、ボランティアの学生と色々話す。
仙台へのボランティアツアーは大きく減っているけど未だ支援は必要。
大学生ボランティアは結構来るので助かってる、とのこと。
現在(いま)の若い衆は素晴らしい。オジさんも負けてられないな。(^_^;

仕事再開。午前中に終わらなかった螺子外しに再挑戦。やはりダメ。
うーーん、どうしようか。困ったな。一瞬、嫁@パンダのコトバを思い出す。
「キミはあわてなけりゃ、大抵のことは上手くできるんだから」
落ち着く。学生さんに協力を仰ぐ。オレの自力でやりぬきたいけど、ムリなら
誰かの力を借りるしかない。カッコなんてつけてられない。
学生さん2人で挑戦。でも外れない。一旦、ペンディングに。

螺子は後回しにして他の作業に精を出す。梁は複雑な構造で皆さん苦労している。
ボクも瓦礫撤去や除草は経験あるけど構造物の解体は初めて。四苦八苦。
あと1時間で終わり、というところで再度「螺子外し」に挑戦。
学生さんに手伝って貰って何とか「1個」外した。
いや、実際に外したのは学生さんだけど(^^;)ゞ

ここで終了。結局「螺子」に振り回された1日だった。
でも、自分なりに全力は出せた。成果を出せたか?はかなり怪しいが
自分的には精一杯やった。それで満足。

Re-rootsの皆さんに別れを告げて仙台駅に戻る。
バス停までの道にもヒマワリが沢山咲いている。
足腰が痛い。でも、この痛みはオレが「仙台に来た」という証だ。

駅に向かうバスの中、CARNATIONの「遠くへ」を聴きながら仙台の空を見てた。
ひたすら見てた。また、来るからな。絶対来るから。そう誓う。

市内に戻って銭湯に向かう。先ずは汗を流したい。
広瀬通近くに小さな銭湯があったので入る。銭湯はうまれてはじめて入る。
チョッと楽しいかも。
全身筋肉痛。でも、この痛みこそ「リアル」だ。
仙台(ココ)で見たもの、感じたもの、確かにこのカラダにきざみつけた。

その後は市内散策。ある横丁では夏祭り。イベントゲストの鼠先輩を見た(^^;
サンモール通りで、とある中古CDショップに立ち寄る。
70年代~90年代のコアな音楽CD、アート本、芝居関係の書籍で溢れている。
昔よく聴いた坂本龍一の「BEAUTY」が中古であったので購入。
歩いているうちに筋肉痛がぶり返す。駅近くの餃子屋で一人で酒盛り。


呑みながら1日のことを想い返す。作業は上手く出来なかったが満足してる。
それは、今回仙台に来たことで以前の様なモチベーションを取りもどせたから、だ。
ここ最近のボランティアには飽きや倦みがあった。
ボランティアも10回近く行ってると、そろそろ慣れが生じてた。
被災地の破壊された光景を見ても何も感じず作業も唯のルーチンとなってた。
以前あった「地震野郎、津波野郎にパンチをお見舞いしてやる」みたいなファイトが
薄れていた。ホントにこれでイイのか?東北支援、もっと良い方法があるんじゃないのか?
凄い中途半端。ホンネを言えば「面倒、あきた、やめよう」というキモチもあった。

でも、ここで止めたら、それこそ「中途半端」だ。
東京にいてやれる東北支援には限界がある。ならば、やはり東北現地でやれることをやろう。
数ヶ月に1度でも、実際に現地に行って行動して話して感じて帰る。
「リアル」はそこにしかない。ならばボランティアを続けよう。
続けてこその「偽善(リアル)」だ。
今回、仙台に来たことでオレは「リアル」を取りもどせた。それがサイコーにウレシイ。

仙台から深夜バスで本日早朝帰宅。
ヨモギは仙台の土の匂いが珍しいのか?矢鱈ボクを匂いスリスリする。
なんだよ!出かける前は近寄らなかったクセに。この甘えっこ\(T▽T)/

今日は1日家でノンビリして疲れを取る。

収穫の多い旅だった。東北は今年中にまた行く。いや、行かねばならない。
次回は、もっともっともっと、頑張ろう。
明日からはまた別の「リアル(仕事)」と取っ組み合いだ。
こっちは、あまり頑張りたくない。そこそこテキトーで何とか切り抜けようっと♪

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あたらしいドア~仙台荒浜ボランティア記

2013年07月21日 | 東北のためできること
週末、仙台荒浜にボランティアに行ってきました。
新宿から旅行高速バスに乗って仙台に向かう。座り心地が良くてグッスリ眠れる。
接触事故で仙台到着時間は1時間遅れる。「がんばろう東北、宮城」を見てグッと来る。
適度に涼しくて風も吹いていて爽やか。ウン、ちょうどイイ天気だ。

朝食を摂り市内バスで海岸地区に向かう。道中Coccoを聴きながら気合いを高める。

仙台荒浜に来るのは10箇月ぶり。街中を抜けると一気に田園地帯。緑が広がる。
以前は更地だったのに、現在は耕作に入れてるんだ!復興は進んでる。胸が熱くなる。

深沼に到着。歩いて海岸に向かう。
瓦礫処理施設が出来ていたり、コンビニが新しく営業を始めてる。
荒浜小学校の前を通ると以前あった沢山のバイクの残骸が片付けられている。
この10箇月でこんなに復興が進んでいるんだ。

道端に花が咲いている。きっと学生ボランティアの皆さんが植えたのだろう。
ヒマワリが気高く咲いていた。とても美しかった。



海岸地区に入る。住居跡はそのまま残っている。でも瓦礫はキレイに整理されていた。
歩きながら色んな想いが溢れてくる。還ってきたぞ!オレは現在(いま)ここに居る!
我知らず涙が溢れてくる。なぜだ?ワカンナイ。わけもなくひたすら泣いた。
慰霊碑にお祈りをする。よし、今日はがんばるぞ。

現地ボランティアRe-Rootsの事務所に到着しボランティアに参加したい旨を伝える。
歓迎を受ける。ところが・・・ここでトンでもない事実が発覚。


ボクのボランティア保険は期限切れで瓦礫撤去の作業が出来ないそう!(T〇T)


ボランティア保険に入ってない人間は危険な作業で作業は出来ない。
え~!今年の8月まで有効な筈?な・・なんで?
有効期間は申込期日から1年でなくて年度末3月で切れるらしい。
オレは申込んだ日から1年と勘違いしてた。こんな事なら先週更新するんだった(゚゜)\バキ☆
ということでボランティアは参加できなくなった。何のため仙台に来たんだ\(T▽T)/
受付けてくれた女性が気の毒がって、保険に入って無くても出来るボランティアを紹介
してくれた。ありがとうございます。次はチャンと保険を更新して参加します<(_ _)>

紹介してもらったボランティア団体「おもいでかえる」を訪ねる。
http://www.omoide-kaeru.com/
津波で流され汚れた写真を復元し持ち主の下に帰す活動。
こういうボランティアがあるのは知っていたけど参加するのは初めて。
先ずは主宰者の方から活動の説明を受ける。2年前から活動を開始し、
多くの写真を復元し返却したけど、まだまだ沢山の写真が残っているみたい。

10人ぐらいで作業を分担。ぬれた写真をアルバムから剥がしたり、写真の修復
の高度な作業は初心者のボクにはムリ。修復した作業を新たに分類する作業を行う。
参加者は現地ボランティア、京都や千葉、名古屋から来た人。
お喋りしながら作業を進める。
結婚式、家族旅行、運動会、そしてお葬式。家族の色んな想い出が込められた写真。
できるだけ多くの持ち主の元に戻るといいな。
もし本人の手元に・・・戻すことがムリなら、せめてその家族、友人に届くといいな。
夕方まで作業して終了。まだまだ修復すべき写真は山ほど残っている。
お盆時期に写真の展示会を開催し地元の人に見てもらうそう。上手く行くといいな。

ボクはボランティアというといつも瓦礫撤去や整地の肉体作業ばっかりやってた。
今回、偶々写真修復に係わったけど・・・そうか、こういう支援もあるんだな。
従来の瓦礫撤去も続けるけど・・こちらもチャンスがあれば参加してみよう。
・・・「あたらしいドア」、見つけることができたV(^^)

皆さんに別れを告げてバスで市内に戻る。そのとき、またまたトラブルが。
そのことを電話で嫁@パンダに報告すると、呆れてました(^^;)ゞ

東京行きのバスは夜11時出発。時間が山ほどあるので市内を散策。
ジュンク堂書店の「伊坂幸太郎コーナー」を見たりクリスロードでお茶したり。
新しいお店が結構できている。地元の人の話す東北弁が耳に心地いい。

オンガクを聴きながら、ひたすら歩く。暮れていく空がキレイ。

ウン、仙台。やっぱりステキな街だ。好きだな。また、来よう。

夕食を食べようと歩いてるとバー&ライブハウスがあったので入ってみる。「仙臺ZA」。

普段はジャズのライブをやってるみたいだけど、今日は津軽三味線のライブ。
結構、若い人が演奏。エレキモードでロック&フュージョン風味のサウンド。楽しめた。
料理も美味しかった。ウン、こういう風に旅先でオンガクを楽しむのもイイな。

深夜バスで東京に戻る。ウチに帰って一息。嫁@パンダに報告。
嫁からは「他人のお世話をする前に先ず、自分のことをチャンとしなさい」と諭される。
ハイ、おっしゃるとおりです。(v_v)”

今回のボランティアは失敗だらけだったが、新しい体験、貴重な体験が出来た。
そして荒浜に行ったことで失いかけていたモチベーションを取りもどせた気がする。
ただ、本来の目的だったre-Rootsのお手伝いが出来なかった。
だから、来月また行こうと思う。チャンと保険を更新して、ね(゚゜)\バキ☆

今日は参議院選挙。東北復興の為に一番頑張ってくれそうな党に投票した。

ヨモちゃん、仙台に行って良かったよ。またケンカのやり方を1つおぼえたぜ。
次回こそ・・・次回こそ・・・はオレのホンキを見せてやるよ。
楽しみに、見ていてくれよ☆


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いざ東北へ

2013年07月19日 | 東北のためできること
今夜、仙台荒浜に深夜バスでボランティアに行ってきます。
ボランティアに行くのは今回で10回目。
2011年9月開始、2年間で10回。多いのか、少ないのか、はワカラン。

ボランティアで最初に行ったのが仙台若林区荒浜。
オレにとってのピンポイント。大切な場所。
行くのは去年9月以来、10箇月ぶり

今回はNPOや旅行会社企画のツアーじゃない。個人で参加する。
ボランティア参加も2年目、そろそろ独り立ちして良い頃だろう。

会社の帰り、Coccoを聴いて気合いを入れる。
そして、自分が何で「東北ボランティア」をしているのか分かった。
怒りじゃない、憎しみじゃない。
偽善やカッコつけはあるだろう。贖罪や後ろめたさもあるかも知れない。
でも・・・行き着くところは「愛」なのだ。
書いてて、思い切り照れ臭いしアホ臭いが・・・要は「愛」なのだ。

仙台、相馬、いわき、石巻・・・要は東北が好きなのだ。だから、行くのだ。
好きな場所だから、何かしたいし、何度でも行くんだ。
こんな単純なことが2年経って、ようやくわかった。アホだな、オレは(^^;)ゞ

ヨモちゃんは嫁@パンダに撫でられてデレデレ。\(T▽T)/
さ、ヨモちゃん、キミと同じくらい愛してる東北に行ってくるよ。
前回の相馬の出来はイマイチだったけど今回はオレのホンキを見せるぜ☆

さぁ、行くぜ。仙台へ♪
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