僕と猫のブルーズ

好きな音楽、猫話(笑)、他日々感じた徒然を綴ってます。
コメント欄はモラルを守った上で御自由に書込みどうぞ。

あの空に帰ろう

2013年06月12日 | 東北のためできること

今週はJ-SOX最後の仕事。残った最後の関門。
なんとか無事終了。特に問題もなかった。
事前に色々横槍が入り振り回された。
でも基本「他人の言うことは信じない」ので客観的に仕事が出来たと思う。(^_^:
今日は役員への報告会。これも無事終了。
裏でSクンが色々動いてくれたお陰でスムーズに進んだ。感謝☆
後は明日の社長への報告が終われば昨年度の仕事は全て終了だ。

8月からは今年度の仕事が始まる。あたらしいことにチャレンジしていこう。
昨年度は色んなトラブルが起きた。今年度は問題点に斬りこんで行こう。
で「あたらしいこと」・・・もう1つはじめようと思う。

前にも書いたが仙台ボランティアが滞っている。
色々調べたが仙台若林区荒浜へのボラツアーは無い。
他の場所に行くことも考えたが、やはり「荒浜」にこだわりたい。
此処はオレにとっての「ピンポイント」だから。

群馬発のツアーはあったが東京から群馬で既に2時間掛かる。
コスト的にも時間的にもかなりキツイ。
でいろいろ考えて決めた。


「NPOや旅行会社に頼らず自分独りで個人参加する」

東北ボランティアも、もう2年目。何時までも他人頼みでどうする?
嫁@パンダも「自分で企画して参加するぐらいの覚悟は無いのか?」と言ってたし(^^;)ゞ

ウン、これしかない。
現地NPO「ReRoots」のHPを見ると主宰のボラ活動に「個人参加」も受容れてくれる様子。
http://reroots.nomaki.jp/
深夜バスで東京から仙台に入り、仙台から市営バスで荒浜に向かい
「ReRoots」で受付けてもらえばボランティア活動に参加できる。
個人参加だからボラ活動が終われば後は自由行動が出来る♪
仙台市内で遊んで夜高速バスに乗って東京に戻ってこればイイ。
なんだ、簡単じゃん。なんで今までやらなかったんだ?(゚゜)\バキ☆

正直、細かい処は不安がある。今までは旅行会社主宰で色々ケアして貰えた。
個人参加となると誰にも頼れない。全部自分で責任を取らなくちゃイケナイ。

でも、いいんだ。もう、そういうのは。悩んで迷っても何も動かない。
要は「覚悟」だ。覚悟さえ決めれば何とかなる。覚悟を決めて、後は動くだけだ。

あの荒れた海岸は少しは穏やかになったんだろうか?
Re-Rootsの若き勇者たち(大学生)は今でも頑張っているんだろうか?
そして荒浜に植えられたヒマワリは現在(いま)も真っ直ぐと咲いているだろうか?

もう1度、あそこに立ちたい。見たい、逢いたい。だから行こう。
とりあえず、目標は来月、7月だ。7月の「良き日」に独りで行ってこよう。

さぁ、にゃにゃん、行くぜ。荒浜に。東北に行くセカンドシーズン、はじめるぜ☆

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タンポポ~南相馬ボランティア記

2013年05月20日 | 東北のためできること
週末、福島南相馬にボランティアに行って来ました。
東北へのボランティアは2011年から数えて9回目。
今年福島に行くのは旅行も含めて3回目。どれだけ福島が好きなんだ(^^;)ゞ

金曜日は会社を定時で退け帰宅。いつもと違う雰囲気を感じるのかヨモちゃんが甘えてくる。

ヨモちゃんと遊んで何時までも出発しようとしないボクに嫁が「早く行け」と一喝。
ボクが「夫に『がんばっていってらっしゃい』の言葉も無いのか」と反論すると嫁は

 「キミが勝手に一人で決めて勝手に行くんだから勝手にがんばってこい!」
とのたまいました。このコには適いません\(T▽T)/

主催者はお馴染みJTB。東京駅前で待合わせて高速バスで出発。
今回の目的地は前回同様、南相馬小高区で個人の家の瓦礫撤去やお掃除、除草。
ボクの隣はクロアチア人。高速バスのボランティアは初めてみたいで矢鱈話しかけてくる。
ゆっくり本を読んで音楽を聴きたいボクは少しペースを乱される。(^_^;
彼の事が気になってか、あまり眠れず。

バスは南相馬に入り原町にある「南相馬道の駅」で休憩。朝食を摂り作業着に着替える。
前回2月は直接小高区に入った。そこは人が住んで居なくて完全に「ゴーストタウン」。

でも、原町は住民らしい人が犬を連れて朝の散歩をしてる。
コンビニも飯屋も普通に営業。道の駅内には沢山の鯉のぼりや旗が舞っている。

原町と小高は隣り合っている。生活がある原町と生活が無い小高区。
区が1つ違うだけでこんなに変わるのか。その事実に戸惑う自分が居る。
一方、原町には仮設住宅があって避難してる人が住んでて・・・なんかワケわかんない。

小高区に入りボランティアセンターで現地リーダーの指示を待つ。
放射能数値は0.1マイクロシーベルト。決して高くは無い。
ボラ参加者は若い男女(大学生)が多い。放射能は気にならないのかな?
オレは・・気にしてない。彼らも気にしてないんだろう。

バスで今日の作業場に向かう。途中、壊れた家や自家用車、トラクターを見る。
前、来たときは建物は無事で人が住んでない状態だった。
でも、少し場所が変わると地震や津波の傷痕も残っている。多分2年前のままの状態で。

ただ、荒れ果てた光景を見ても何も感じない、当然の様に受容れている自分がいる。
東北ボランティアも9回目。色んな光景を見てきた。こういう景色を見るのも慣れてしまった。
以前のように一々嘆いたり落ち込んだりしない。オレは鈍感になってしまったんだろうか?

リーダーに引率されて作業場に着く。あるお方のお家で瓦礫の分別。
此処では大勢の方が亡くなっている。先ずは黙祷(v_v)”
敷地内に山ほどの土嚢が積まれている。でも片付けるべき瓦礫は未だ沢山ある。
彼方此方に家具や柱、電器が散乱している。30名ほどで作業開始。
ボクは数名と一緒にスコップで土を掘ったり木材を片付ける。
陽気は上々。暑い。作業着で完全武装してる身にはこの暑さはキツイ。
大学生の皆さんは手際よく作業を進める。オジサンは少し焦る(^^;)ゞ

お昼休み。暑さでかなりバテて食欲が無い。メンバーと色々話す。
毎月の様に来ている60代のおじさん、親子で来ている人。
みな「東北を見捨てていない」。心強い。

午後は再び瓦礫の分別。木材を片付け、瓦礫を分別して土嚢に詰める。
土を掘っているとヘドロが出てくる。臭くて息が出来ない。
ここで完全に手が止まっている。なんかテンションが上がらない。
バスでよく眠れなかったから?暑さのせいか?
今までだったら「東北の皆さんの傷みを考えて」頑張れたのに。
それからも作業はこなしているが何か「流している」自分が居た。
うーーん、どうした?自分。

夕方まで作業して一定の区画は片付いた。
近くの畑(いや元畑と云うべきか?)にタンポポが咲いていたのでパチリ。

バスに乗ってボラセンに戻る。喉が渇く。暑い。風呂に入りたい。
近くに自販機があったのでお金を入れる。反応しない。
そう、此処は人が住んでない。だから機械は止まっている。
当然なんだけど。。。改めて「それ」を実感して慄然とした。

リーダーに別れを告げてバスに乗り込む。
窓の外には緑が広がっている、色とりどりの花が咲いている。
こんなキレイな街なのに誰も住んでいないなんて。

途中温泉で休憩。カラダのあちこちが痛い。矢鱈疲れている。
以前はこの痛みや疲れが嬉しかった。
「東北で見たこと、感じたこと」を自分の中に刻み付けることが出来たと。
でも、今回はそういう感慨も無く、何処か醒めている自分が居た。

帰りのバス。外には荒れた光景が拡がる。半壊の家、崩れたロードレール。
ジッと見てた。ひたすら見てた。この景色、胸に焼きつけておこう。
安達太良のサービスエリアで空を見た。夕暮れに染まってキレイ。

今回のオレは「ダメ」だったな。イマイチがんばれなかった。
311から2年、ボランティアを続けてきたがマンネリ化してるのかも。
何処かで「飽き」や「倦み」があるのかも知れない。
かと言って現在(いま)の自分はボランティア以外に出来ることを思いつかない。
まぁイイさ。今回はダメだったが次回は必ずリベンジしてやる。

バスは東京駅に着いて解散。丸の内の煌びやかなビル郡に目眩がする。
南相馬で見た光景とのあまりの落差。仕方が無いけど違和感を拭えない。

帰宅して嫁とヨモギの顔を見て、ようやく一息。ウン、やっぱり我が家が一番。
ヨモギは矢鱈甘えてくる。ヨシヨシ、オレが居なくて寂しかったのかい?
イイ子、イイ子~( ̄∇ ̄~)(~ ̄∇ ̄)~


今回のボランティアは反省点が多かった。
いろんなことに慣れて鈍感になって以前の様な真っ直ぐさを失くしてる気がする。

次回は・・・ひさしぶりに仙台に行ってみようか。
仙台若林区荒浜・・・オレがボランティアで初めて行った場所。
今、ボランティアツアーは無くボクも去年の9月以来行っていない。
あそこに立てば初心に戻れる気がする、あの燃えるようなキモチを取りもどせる気がする。
ツアーは無いけど、何とか伝手を探して行ってみよう。

オレの偽善はこれからも続く。まだまだ終わらない。まだ白旗は揚げないぜ☆


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決めた~NHKドラマ「ラジオ」によせて

2013年04月05日 | 東北のためできること
NHKで放映されたドラマ「ラジオ」。録画してたのを昨日ようやく見た。
宮城県女川町に実在する「女川さいがいFM」から生まれたドラマ。
高校生某ちゃんを主人公に繰り広げられる人間模様。

某ちゃんがブログの中で書いてた「被災地、被災者と呼ばれることに対する違和感」。
その想いに触れたときズシンと感じた。

「被災地、被災者」・・・オレも使いがちだよな。
東北支援のことを説明するときに、「わかり易いし、説明し易いし」。
ここのブログの311関連の記事カテゴリーも「被災地応援」としてる。
それで読んでくれる人や興味を持ってくれてる人も居るかも知れない。

でも、若し自分が災害にあったとして、そう呼ばれたら・・・・ヤダよな。
オレは東京都荒川区に住む「ながわ」であって「被災地の被災者」と
一括りで呼ばれたら・・・・たぶん、ムカつく。(-_-)
オレが行ってる仙台若林区はあくまで「仙台若林区」。
福島相馬もそう。石巻もそう。それぞれ違う。

ということで今後、「被災地、被災者」のコトバを使うことを止める事に決めた。
記事カテゴリーも「被災地応援」から「東北のためにできること」に変えた。
「東北」。。ってのも大雑把な括りだけど。<(_ _)>

とは言っても、今後も使っちゃうだろうな。
でも、なるべく意識して使わないようにしよう。ウン、そう決めた。

ヨモちゃんはヨモちゃん。「猫」って一括りにされたくないよな?

ヨモちゃん♪にゃにゃん♪王子♪って呼び方いくつあるんだ(゚゜)\バキ☆
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2年目~区切りはつけない

2013年03月11日 | 東北のためできること
今日は東北大震災311から2年目。
ボクは所用があって会社は休み。今、家で追悼式を見ながら書いている。
地震が起こった2時46分。東北を想った。
でも・・追悼はしなかった。できなかった。
実際に惨事が起きて大勢の方が亡くなったのは2時46分以降。
皆さんが逝った時間、場所、残した想い・・・それぞれ違う。
だから、「まとめて追悼」はしたくない。
追悼の代わりにただ東北を想った。悼んだ。

あれから2年・・・・・・・・・・・・・。
去年の「この日」は日曜日。1日中、TVの震災特集番組を視てた。
TVの中に溢れる悲惨な映像に、ひたすら向い東北の人が感じた恐怖、痛み
を同じように感じたいと思った。おかげでその後、一時的な欝になった。
我ながらバカ、と思う。でも、あのときはそうせざるを得なかった。
そうしなければ、自分の中にある「罪悪感、申しわけなさ」が消えない。
そう思ってた。
今年はそんなバカなことはしない。自分の感情も制御できている。
この1年東北を色々廻ってTVでも東北関連番組を視て流石に「慣れた」。

自分自身の変化とは別に、去年と変わっていないことが沢山ある。
TV、新聞から流れるのは「忘れないように。風化しないように」のみ。
次に何をするか?何をやるべきか?の議論はない。それは去年と同じ。
いや、きっとメディアも明確に「NEXT」を語れないんだろう。

それはオレも同じ。定期的にボランティアには行っている。でも、それだけ。
「もっと何か出来るはず」と思いつつ、新しいアクションは興せていない。
NPOや旅行会社の仕掛けに乗っかって数ヶ月に1度、瓦礫を除く「だけ」。
例えば自分でNPOを立ち上げて東北を支援する。東北に住んで何か始める。
いや、そこまでしなくても苦手なメンタル系のケアに挑戦する、とか。
それさえもしていない。できることの以上はしていない。しない。
所詮、その程度の覚悟だ。その程度の偽善だ。

あれから2年・・と言っても、何かが変わったワケじゃない。
何も進んでいない。復興は未だに遅々としてる。
それは実際に行って、この目で見て、イヤというほど感じている。
復興が進んでる場所もあるけど、それは景気が少し潤ったとかその程度だ。
津波、放射能、その他いろんなウスノロの邪魔で生活を取り戻せないヒトが多く居る。
個人それぞれの生活(くらし)、幸福、笑顔が本当に取り戻せているのか?
そう云えるか?云いきれるか?答えは、もちろん「NO!」だ。
まだ終わっちゃいない。区切りさえもついてない。

「2年目」だと?ふざけんな。
一斉に「みんなで」振返って、まとめてイベントにして、それで区切りをつける積りか?
その後は「ハイ、ここからは忘れて日常に戻りましょう」ってか?
ヤなこった。オレは忘れないし、振り返らないし、区切りもつけない。
絶対、終わらせもしない。「当事者」なんだから。

仙台荒浜の荒れ地に咲いたヒマワリ、福島相馬にはためいた旗。
石巻の荒れ果てた海岸、南相馬の誰も住んでいない街。
ボランティアを通じて話した東北の皆さん。あの日、視たもの、感じたこと。
オレの中で、ずっと生きてる。ずっと息づいてる。死んでない。
忘れられるワケがないだろう。区切りなんかつけられるワケがないだろう。

来週、福島県いわきと相馬に行ってくる。
大好きなコレクターズ、そしてChaboさんを見に。
福島の現在(いま)を視るために。自分の中に刻みつけるために。

まだ2年だ。終わらせねーぞ。終わらせてたまるか。まだまだ、だ。

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南相馬でみたこと、そして新年会

2013年02月11日 | 東北のためできること
金曜日から土曜日に南相馬にボランティアに行ってきました。
主催者はお馴染みJTB。東京駅前で集合してバスに乗って現地に向かう。
参加者は全部で40人。女性の方が多い。学生さんも居る。
途中で佐野SAで一休み。あるバスの後ろに「がんばろう!東北」のコトバが。

「がんばれ!」ってコトバはキライだ。でも「がんばろう!」は好きだな。
他人に求めるのでなく自分自身が「がんばる」っていう意志表示。ウン、イイ言葉だ。

今回作業を行う場所は南相馬市小高地区。福島原発から20キロ圏内にある地区。
今まで何度も東北に行ったがここまで原発に近い場所に来るのは初めて。

窓の外には極くフツーの街が映ってる。ときどき震災や津波の影響か建物が壊れてる。
でも大半は普通のお店や住宅街・・・・人気が全くないのを除いて。

この地区は指定区域解除はされているようだけど住人は戻っていない。
建物は普通なのに人間の住んでいる気配がない。この静けさが少し不気味だった。
同じ福島でも生活の匂いがある相馬とはまた違う。

ボランティアセンターに到着して今日の仕事の説明。
ボラセンの前にある線量計。ここで示される放射能の数値は決して高くはない。
ただ、これをどう受け取るか、ここに住むか、避難するか、は個人それぞれの判断だ。
それが正しいとか、間違ってるとか、は何ともいえない。何ともいいきれない。

今回の作業はある個人のお宅の掃除。バスで作業場所に向かう。
旧い造りの家が並ぶ。良い街だ。
でも・・住めない(住まない?)何ともやり切れない。

作業開始前に区長さんが来て挨拶。「ありがたいです!ウレシイです!」と言われる。
東電が此処で作ってる電気は東京で使うもの。御礼を言われると却って申し訳なくなる。
作業は畑の除草、蔵の掃除。雑草が伸び蔵の中にある物は汚れネズミの糞が沢山。
家が放置される・・・というのはこういうこと。
参加者は皆さんボランティア慣れしてるようでテキパキと働く。
途中でボクは資材を取りにトラックでボラセンに往復。
生まれて初めてトラックの荷台に乗った。ちょっと楽しいかも(^^;)ゞ

ボランティアは夕方終了。ご主人夫婦が挨拶に来る。80を超えたお爺さん。
家族は3箇所に分かれて避難してるそう。「ありがたいです。涙が出ます」と言われた。
最後は握手してお別れ。この家族のことは一生忘れない。自分の中にしかと刻んだ。

スーパー温泉で一汗流す。同行者と話す。
滋賀から高校生が1人で参加。自分でネットで探して参加したそう。素晴らしい!
他にも若い人が大勢参加していた。みんな東北を忘れていない。
バスの中で音楽を聴きながら南相馬に別れを告げた。

ありがとう、さよなら、でも、また来るぜ。絶対だ。絶対にまた来る。

深夜、東京駅に到着。華やかな東京ステーションホテルの装飾。

派手で賑わっている街並。今日見た南相馬の光景とのあまりの差異に愕然。
でも・・・それをどうのこうの言っても仕方ない。
帰宅したらヨモギが少し甘えてくれた。ヨシヨシ。ウチはやっぱりイイ♪

昨日はWEB友さんを家に呼んで遅い新年会。
嫁の手料理に舌鼓を打ちながら美味しいお酒を呑む。
元春の初期のDVDを見て皆笑いながらツッコミを入れる。(^^;
「もやサマ」「有吉マツコ新三大○○」話題があっちこっち飛ぶ。
何故か録画していた東京都知事選マック赤坂の政見放送を皆で見る(゚゜)\バキ☆
ワケわかんないけど、楽しい~!~( ̄∇ ̄~)(~ ̄∇ ̄)~

ヨモギはおねえさんにナデナデされて満足そう。

皆さん、ありがとうございました<(_ _)>元春最終公演でまた会いましょう。

今日はボラ作業の影響で全身筋肉痛(^^;)ゞ
天気がイイので散歩に行ってきます。あ~お休みってイイな、休み大好き!
(゚゜)\バキ☆(゚゜)\バキ☆


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南相馬へ

2013年02月08日 | 東北のためできること

今夜から明日まで福島県南相馬にボランティアに行って来ます。
JTBが昨年末から南相馬支援ツアーを企画していて(Good Job!)
それに乗っかって行くことにしました。
今年初のボランティアは「南相馬」からはじめます。

ツアーに申し込んでから昨日まで正直気が重かった。
放射能の影響で復興は進んでないだろう。残酷な景色が広がってるかも知れない。
ボランティアは決して楽しい作業じゃない。
自分の意志で申込んだんだけど、矢張り「いざ行く」となるとブルーな気分になる。

自分で決めたことだ。直に行って直に見て直に感じる。
どんな景色が広がっていようが視て感じて動いて自分のココロとカラダに刻みつける。
楽しむために行くんじゃない。リアルがほしいから行くんだ。
そうしてやっと「当事者」になれるんだ。
そう思うと弱気な気分は消えた。

血が騒ぐ。凶暴な気分になってる。普段の仕事じゃ感じない。
早く行きたい、視たい、そして放射能野郎と津波野郎にパンチをくらわせたい。
何だか武者震いをした。知らず知らずに拳を握りしめてた。

準備は万端。
嫁が以前くれたお守り、東北の女性が造ったミサンガ。
東北に行くときはいつも持っていく伊坂さん「終末のフール」
ウォークマンには元春新曲、カネ、Cocco、Patti Smithが入ってる。
いつもの、そしてあたらしい旅のお供。
これらはきっと道中ボクにPOWERと勇気をくれるだろう。

ヨモちゃんは雰囲気がいつもと違うのを感じたのか、矢鱈甘えてきます。
ヨシヨシ、いいコだ。嫁@パンダと仲良くお留守番しててね☆


さぁ試合開始だ。はじめるぜ☆

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相馬へ

2012年11月02日 | 東北のためできること

10月以降いろんな仕事が立て混み今週は深夜残業続き。
今日は一段落して小休止。午後はもう疲労困憊でへばってた(^^;)ゞ
ホントは官邸前デモに参加したかったが明日のことを考えて自重。

そう、明日福島県相馬に行ってきます。
福島は5月にボランティアでいわきに行ったことはあるけど、相馬に行くのは初めて。
早目に相馬に入って街中を散策してみよう。

ボクは仙台を中心に復興支援をしてるけど福島に対しては仙台とは別の想いがある。
仙台は大好きな街。震災や津浪で傷ついたなら立ち上がるのをお手伝いしたい。

一方、福島はご存知のように原発事故、放射能の影響で中々復興の途につけない。
そして「原発事故」が起きたことについてボクは何処か「後ろめたさ」「責任」を感じてる。
東京に住んでいて東北で作った電力を使って勝手気ままに生きてきた。
原発のリスクは昔から言われていたのに気にも掛けず「知らないふり」を決め込んでた。
昨年の原発事故は自分自身も「加害者」の様な意識がある。罪の意識をぬぐえない。
「わかっていたのに変えようとしなかった、見てみぬフリをしてきた」
だから政府や東電を罵倒する気にはなれない。自分自身も彼らに手を貸してきたのだ。
オレも同罪だ。

だから、福島を支援したい、というキモチの中には何処か「贖罪」の意識がある。
こんなの勝手なオレの想い。単なる感傷と自己満足。福島の人には迷惑なだけだろう。
分かってる。でも、その罪の意識は消えない。
だからこそ、福島にチャンと向かい合いたい。
相馬に行って自分の眼で見て感じて・・・今後、何をすべきか、かんがえてみたい。
単に「反原発」を叫ぶのではなくて福島のために何ができるのか、をみつけたい。

また、ライブの後のパーティにも参加する。ぜひ、福島の人と色々話してみたい。
グリーンのジャケットを着た矢鱈デカイ野郎が居たらそれはオレです。(^_^;
皆さん「怖がらずに」気軽に声を掛けてください。怪しいものではありませんから(゚゜)\バキ☆

では、相馬で逢いましょう!にゃにゃん、良い旅になるようにお祈りしてくれ、な☆

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終わらない空~仙台若林区ボランティアレポ

2012年09月23日 | 東北のためできること

金曜日夜から仙台市若林区にボランティアに行ってきました。
今年3回目。企画は例によってJTB。添乗員さんともすっかり顔なじみになった。
道中、添乗員さんからJTBの仙台支援ツアーは今回で一旦終了との説明。
これから観光シーズンに入り運転手さんの確保等いろんな事情があるそう。
そうか、終了は残念だけど毎回のケアは素晴らしかった。再開したら、また参加しよう。

仙台市内に入り荒浜周辺を走る。壊れた建物は全て撤去されている。
唯一残ってたガソリンスタンドも取り除かれた。農地の裂け目も修復された。
重機が沢山動いている。これだけ見ると地震の被害は分からず再開発してるみたい。

先ずは深沼海岸の見学。ここは荒れたまま。破壊された住宅跡に雑草が生えている。
災害指定地域。津波が襲ってくる可能性があるので此処は住めない。
「戻りたい」と訴える看板や黄色いハンカチが彼方此方で見える。読んでココロが疼く。
慰霊碑にお参り。現地のお爺さんが居たので少しお話しする。
心なしかお元気が無いような。ボクが東京からボランティアで来たと云うと
「立派だ」と誉めてくれた。
いえいえ、こんな東京でノウノウ暮らしてるオレが立派だなんてトンでもない。
立派なのは現地で頑張ってる皆さんだ。今日のボランティア絶対がんばろう。そう想った。

海岸は荒れているが、あちこちで花が咲いてる。現地ボランティアが景観を美しくしよう
と花を植えているらしい。いくつか写真を撮る。
被災地の写真を撮るなら、破壊された建物や景色は撮りたくない。
今更「悲しい写真」を撮っても現地の人は喜ばないだろう。ならばキレイな花を撮りたい。


現地ボランティアre-Rootsと合流して説明を受ける。いつもどおり「農地の整地」。
作業場所に行って細かい瓦礫の除去作業。日差しは強いが風が涼しくてキモチいい。
前回は暑さにヤラれてイマイチ。今回はチャンとがんばる気だった。
スコップで土を掘り起こして瓦礫の仕分け。普段使わない筋肉を使って体が痛い(^_^;
同じチームの若いお嬢さん方がテキパキと進めるのを見て少し焦る。
スコップを使わず手で掘った方がスピードが上がるのに気付き作業方法を変える。
どんどん進むぞ。とりつかれたように土を掘り進める。

昼食。re-Rootsのリーダーの大学生や参加者と雑談。
リーダーは大学1年生。九州出身、震災後親御さんの反対を押し切って東北大学に入学。
ボラ活動も自然な事として受止めてる。また全国の大学生が応援に駆けつけてくれるとの事。
うーん、オレの大学時代は遊んでばかりで社会に無関心。ボランティアなぞしなかった。
昔のわが身を反省(^^;)ゞ現在(いま)の大学生。凄いぞ。
ボランティアに参加しなかったら現地の大学生と話す機会なんて無かった。
東京に居ても何も見えないしワカラナイ。行って見て感じる、一番大切なことだ。

午後もひたすら作業。ひたすら土を堀り瓦礫を除く。ただただ必死に何も考えずに。
ホント真っ白になっていた。
作業は2時に終了。かなり進んだけど当初の目標には届かず。ただ自分的には満足。
何か真っ白になってた。燃えつきてた(オレは「あしたのジョー」か?(゚゜)\バキ☆)
仙台の空は真っ青でとてもキレイだった。


re-Rootsに別れを告げ帰りのバスに乗る。温泉で汗を流して帰路に着く。
元春、Cocco、カーネーションを聴きながら窓の外の空を見ていた。
夕陽が輝き空が黄金色に染まっている。あまりに美しく見入っていた。

ウォークマンでカーネーションの「遠くへ」が鳴る。
直枝さんの声と窓の外の空が重なった


 「でもありがとう そしてさよなら また会おうよ ねぁまた会おうよ」

何故だか涙がとまらなかった。わけもなく涙があふれた。
今回でボラツアーが終わるから?仙台の未来が心配だから?
今回、自分なりに頑張れて満足できたから?ワカンナイ。
どれも当たってるような、違ってるような。
黄金色の空が外に広がっていた。今日見た空は一生忘れないだろう。絶対に。

上野で解散。添乗員さんにお礼を言って別れを告げる。
この添乗員さんは東北支援にホント一生懸命でケアも素晴らしかった。
ありがとうございました<(_ _)>再開したら、絶対また参加します。

帰宅。嫁に「ヨモギはオレが居なくて寂しがってなかった?」と聞くと「別に」との返事(^_^;

今朝目覚めたら全身筋肉痛。嫁にJTBのボラツアーが終わった話をすると嫁曰く

「他人様をあてにしてどーする?自分で企画して行け」
 「現地にボランティア団体あるんだろ?直接行って参加して来い」

見事な正論、嫁@パンダは素晴らしい!!\(T▽T)/
でもなぁ、自分で企画したり直接行くのは時間もお金も掛かるし・・・・
新たに組むNPOや旅行会社を探してみよう(テメェの情熱はその程度かい(゚゜)\バキ☆)

東北ボランティアに初めて参加したのが去年の9月。それから1年。
その間、7回ツアーに参加した。仙台荒浜には5回行った。
JTBの仙台ツアー終了で、オレの中でも一区切りが着いたかな?第一章が終わった感じ。

「一区切り着いた」と言っても当然終わるわけがない。復興はまだ進んでいない。
仙台が「大逆転する」ためには、これからも支援が必要だ。
そう、終わっちゃいない。「また」は絶対ある。いつか、また会おう。

にゃにゃん、オレの東北シリーズとりあえず「第1ラウンド」が終わったよ。
オレ、がんばったよな?オレ、凄いよな?オレ、エライよな?
さぁ、にゃにゃん。オレを誉めろ!オレを讃えろ!
オレ、凄い!オレ、偉い!オレ、サイコー!オレ、万歳!(゚゜)\バキ☆(゚゜)\バキ☆


(ヨモギの声:コイツ何言ってるかワカンナイにゃ。オレはパンダちゃんと遊ぶにゃ☆)

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ひまわり~仙台若林区ボランティアレポ

2012年08月26日 | 東北のためできること
金曜日の夜から仙台若林区にボランティアに行ってきました。
前回行ったのは6月。今回も前回同様JTBのツアーを利用しました。
上野からバスに乗って仙台に向かう。道中、伊坂さんの「夜の国のクーパー」を読む。
思わぬ設定にドキドキ。バスの中ではあまり眠れず。

朝食は塩釜市場の定食屋さんでいただく。何でも「鶴瓶の家族に乾杯」で紹介されたそう。
鮭イクラ丼、美味かった~!おばさんがボクの格好からボランティアと気付いたのか
「暑いけど頑張ってね」と言ってくれたのが嬉しかった。


仙台に着いて先ず深沼海岸を見学。仙台ボランティアもここを見るのも4回目。
この周辺はまた津波が来る危険があるので人は住めない。
戻りたい人の「また住みたい」と書いた看板や黄色いハンカチを飾っている。
行政に対する攻撃的な文章も見られる。読んでて胸がつまる。
大きな瓦礫は重機で撤去されたけど、それだけで復興が終わるわけじゃない。
周辺は平地状態。誰も住まず、また壊れた建物や一箇所に山と積まれた瓦礫。
この瓦礫はどう処理するのだろう?何処が引き取るのだろう?
「現実」を目の前に立ちすくむだけ。何も言えない。

ここの景色は何度見ても胸が痛む。いつまで経っても馴れない。

海岸のあちこちにヒマワリが咲いている。地元の学生ボランティア「reRoots」
の皆さんが被災者が此処に戻るとき、あまりに殺風景だと気が滅入るだろうから
ヒマワリを植えて気分を明るくなってもらうため植えているとのこと。
荒れた地に花を咲かせる・・・とてもステキなことだ、素晴らしいことだ(v_v)”


reRootsの学生さんの指示の元、ある農地の雑草除去と瓦礫除去。
農地は手入れしないと雑草が伸び放題、また地面に細かい瓦礫が残っていて
これを取り除かないと作付けが出来ない。
参加者と一緒になって作業。参加者の中に陽気なお爺さんがいて和気藹々と活動。
ただ・・暑い。睡眠不足もあって30分ほどでフラフラ(^^;)ゞ
参加者皆さん、頑張って雑草がどんどん取り除かれる。対してワシのペースは遅れ気味。
うーん、ボランティアも既に6回目というのに情けないぞ。

お昼休み。暑さにやられて食事を残してしまう。スミマセン<(_ _)>
参加者の皆さんと話す。今回、現地の人とは話せなかったが参加者と話せたのは良かった。
reRootsのリーダーに例のお爺さんが話しかけ笑いを誘う。良いムードメーカーだ。
日陰で少し眠り体調回復。午後は涼しくなってきた。よし!頑張るぞ!

午後は瓦礫の撤去。津波の影響で土の中に色んなモノが入り込んでいる。
石、木片、金属、セトモノ、ガラス。これを一個一個拾って取り除く。
午前中より順調に進むが、途中で手足にミョーな痺れが出てきた。暑さのせい?
お昼過ぎまで作業。雑草はほぼ取り除かれ瓦礫も沢山撤去できた。
ウン、これで農家さんが前に進めたら良いな。

帰りは「reRoots」に寄って「復興風船」と「カメの根付」を購入。
カメは仮設住宅に住むお年寄りが作ったもの。その代金は支援に使われる。
風船の代金は「reRoots」の活動費に使われる。

現地が復旧するには現地のボランティア団体を応援するのは絶対必要。

帰りはスーパー温泉で一息。体のアチコチにミミズ腫れや痣が出来ている。
うーん、今回は暑さにやられて全力で頑張った!とは言えないなぁ。
「暑さなんぞ蹴散らしてやる」と言ってたのに情けない(^^;)ゞ

帰りのバス。窓の外には仙台の風景が広がっている。見ていて胸がつまる。
宮城県は被災地の中で復興が進んでいると言われる。
でも、1年経っても未だ戻れない人、仮設住宅住まいの人は居るし、
農地の整備も進んでいない。これはまだまだ支援が必要ってことだ。
それは忘れちゃイケナイし忘れない。忘れない、だけじゃなくって行動しよう。


帰宅するとヨモギが甘えてきました。よしよしオレが居なくて寂しかったのか?

仙台ボランティア。今回の出来はイマイチだったな。ま、次回がんばるさ。
ホンキのオレはこんなもんじゃない。次回はオレのホンキを見せてやるよ(゚゜)\バキ☆

来月も予定が合えばまた行こう。あのヒマワリに逢いに行こう。



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一期一会~仙台荒浜ボランティアレポ

2012年06月17日 | 東北のためできること

金曜日の夜仙台荒浜にボランティアに行ってきました。
ここに行くのは昨年11月以来。ボクが初めてボランティアで訪れた地。だから想い入れが強い。
津波で徹底的に傷ついた景色。あれを忘れたことはない。だから、また来ようと決めてた。
今回はいつものグリーンバードでなく旅行会社JTB企画のボランティアツアー。
金曜日の深夜、ツアーバスに乗って仙台に向かう。老若男女40人が参加。
Coccoを聴きながら戦闘モードに入る。血が滾る。興奮してよく眠れない。
早朝、菅生サービスエリアに着く。天気が曇りで陽の出は見れず。残念。
構内に「原発避難の方は・・」と書いてるポスターが貼ってある。気が引き締まる。


周囲を散策。他にもボランティアツアーのバスが停まってる。
みんな「東北を見棄てていない」。そう思うとうれしかった。
構内に大きな松が生えてる。大きく強く逞しい。見てて力が湧いてきた。

仙台若林区に到着。街は緑で溢れている。稲が生えてる田んぼが続く。
更に行くと雑草しか生えてない畑が増えてくる。作付けに入れない畑も多いんだな。
亀裂が入った畑。破壊された建物も見える。被災地の光景、過去何度も見ている。
でも慣れることはない。絶対ない。何度見てもココロが痛くなる。ざわざわする。
窓の外に見える「現実」。ただただ見るしかなかった。

ただ、破壊された建物が以前に比べて減っている。撤去されキレイな更地になってる。
荒れた農地も整地が進んでいる。この半年で復興が進んだんだな。少し安心した。
海岸近くでバスを降りて見学。基盤しか残ってない住宅が続く。
でも、ここもキレイに撤去されている。以前は倒木が多かったけど除去されている
幾つかのお家の前には花が咲いてる。避難した住民が戻って植えたんだろう。
また幾つかの家には黄色いハンカチが結わえられている。
この地区は「災害避難地区」に指定されている。津波の危険があるのでここには住めない。
黄色いハンカチは戻りたい方の意思表示。
「荒浜に戻りたい。人が住まなくなってバラバラになると街の歴史、文化が消える」
そう訴えた看板があちこちに立っている。

・・・なんかワケもなく泣きたくなった。
危険を心配する行政も分かるし戻りたい方のキモチも分かる。安全、帰りたいキモチ。
どっちも大切。どうすればいいんだろう。というか、これは部外者は踏み込めない。

情けない涙を流してると地元のおじいさんたちが集まってきて慰霊碑にお祈りする。
ボクもお祈りした。おじいさん達と話す。311に起きたこと、津波について楽しそうに話す。
おじいさん、笑ってるんだよ。それを見てて胸がつまった。何も言えなかった。
自分の悲しみを笑って話す人に掛けるコトバをオレは知らん。尻尾を巻いて逃げ帰った。

地元ボランティア「Re-Roots」で手続きを済ませていよいよ作業開始。

今日はある農家のお宅で農地の整地と蔵の中の掃除。
倉庫の半分が折れ曲がったようにひしゃいでいる。蔵も崩壊寸前。よし、やろう!
午前中は畑のガレキやガラス、木屑を取り除く。涼しくてキモチよく作業できる。
別部隊は蔵の中の材木の運び出し。散乱して手がつけられない状態。
でも10人がかりで次から次へと材木を運び出す。やるね☆

お昼休み。農家のおじさんと話す。「荒浜来るの3回目だけどキレイになりましたね」
そう云うと嬉しそうだった。311のとき撮った自宅の写真を見せてくれた。凄い被害。
おじさんも楽しそうに話してくれた。やはり掛けるコトバが見つからなかった。
「午後もがんばります!」と言うしかなかった。

午後はボクは蔵の材木の運び出し。午前中でかなり掃除が進んだ。
おじさんの指揮のもと、10人がかりで運び出す。1時間ですっかりキレイになった。
凄いな。人間って。あれだけの量の材木が数時間で撤去されるんだ。
畑に戻って聖地。ゴミの分別。小雨が降ってるけどキモチいい。2時半に終了。

バスが迎えに来たので、おじさんに別れを告げる。
「来月、またここにボランティアに来ます」というと笑顔で握手してくれた。

この家族と会うことはもうないだろう。でも、この笑顔と握手は忘れない。一生忘れない。
「一期一会」なんてオレは信じない。でも、この日は確かにそれがあったんだ。

雨が強くなってきた。ひたすら窓の外の光景を写真に撮る。ありがとう、仙台、また来るぜ。

バスの中で伊坂さんの本を読みながら元春、Coccoを聴く。
伊坂さんの本の中のセリフ「大逆転だ。大逆転が起きたんだ。」にグーッとくる。
東北地方の大逆転。信じてるし、そのためにしなくちゃいけないこと山ほどある。
もっともっと頑張らなくっちゃ。

窓の外に流れる東北の空。ひたすら撮った。この瞬間(とき)を焼き付けたかった。


深夜の上野に到着。人で賑わってる。東北で見た光景との温度差。でも、もう気にしない。
今回いろんなところでボランティアツアーのバスを見た。
「忘れてない。気にしてる。行動してる」人はたくさんいる。それが分かったからもう気にしない。

帰宅。嫁にボランティアのことを沢山話す。

嫁は「そんなに東北が好きなら東北に住んじゃえば?」と云った。
嫁に「家を出て行け」と云われた!\(T▽T)/


東北、仙台は大好き。住んでみたい、とも思う。
でもオレのケンカは東京にいるからこそ出来る。東北の外から応援しよう。それがオレの役目だ。
ヨモギは少し甘えてくれた。東北の土の匂いが珍しいのかオレの手にチューしてくれた(^_^;

今日は筋肉痛で一日寝込んだました。ということで明日は会社はお休み(をい)
伊坂さん原作・仙台が舞台の映画「ポテチ」を見てきます(゚゜)\バキ☆

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