僕はカウンターの片隅に陣取り、ビールをオーダーした。
それから・・1時間。時計を見た、遅いな。携帯にかけてみたが、通じない。
自分から呼び出しておいて一体どういう積りだ。
彼女・・が会社を辞めて、もう4ヶ月。
彼女は、同期でセールストップの成績だった。
会社は当然必死に引き止めたが、彼女は頑として断った。
会社をやめてから彼女がどうなったかは知らない。特に噂も聞かなかった。
ただ・・・僕はときどき彼女のこと思い出してた。
そんな或る日。彼女から電話がかかってきた。大事な話があるという。
喜び勇んで来たら・・・遅刻してやがんの。
帰ろうかと思ったとき、彼女が慌てて入ってきた・・・。
僕を見つけると手をふり、ツカツカと歩み寄ってきた。
「遅い。1時間遅刻だぞ。」と言うと「ゴメン、大事な打合せあって」
「で話なんだけど・・」「おい、オーダーぐらいしろよ」
相変わらずだな・・。自分の話しか頭に無い。
「で何?」「うん、実は私、会社をはじめたんだ。いわゆるベンチャービジネスって奴」「ふーん」。別に驚かない。
彼女の才能と腕なら会社のひとつくらい作りそうだ。
「で何の会社?」「ウン、輸入雑貨の会社。独自のルートで安く仕入れて、
インターネットを通じて売ろうと思ってる。で・・・こっからが本題。是非ウチの会社に幹部として来てほしいの?」
「へ?」「御願い」「オレは事務畑だ。何の役にも立つとは思えないけど」
「いえ、そういう人が欲しいの」。
どうやら、事務方のリーダーとなる人材が欲しいらしい。
しかし僕は今の会社には不満は無い。退屈だけど気楽だし安定してる。
彼女の会社は言っちゃあ何だが海の物とも山の物ともつかない。
頭の中で天秤を図ってみた。
「キミは信頼してる。ただ会社経営ってのは大変なことだ。来いって言われて
ハイ、そうですか、ってワケにはいかない。そっちに行って自分の人生を
台無しにするのはゴメンだ。」
「悪いけど販路は確保しているのか?チャンとした経営プランはあるのか?
簡単に信用できないな。」彼女は黙っていたが、笑い出した。
「何か可笑しいか?」と僕はムッとして聞いた。
「流石ね。相変わらず慎重で頭固いけど・・それくらいじゃないと困るわ」
「私は突っ走っちゃうから冷静な参謀が欲しいの、それは・・貴方以外考えられない」彼女は目を輝かせながら言った・・・
もっともその目には僕に対する個人的感情は微塵も無かったが。
「分った。1ヶ月考えさせてくれ。明日中にキミの会社の資料を出来るだけ沢山送ってくれ」と僕は答えた。
翌日、早速彼女からのメールが届いていた。
会社案内、経営計画、業務説明図、商品の写真、仕入先・販売先、
決算書、資金繰表・・必要な書類は全て揃っていた。
そのうえ、彼女が考える会社の強み・弱みもしっかりとまとめられていた。
彼女のやる仕事はいつも抜かりが無い。
資料をジーッと眺めながら僕は考えてた。
かなり魅力のある事業内容だ。・・・プランの内容も悪くない。
ただ・・矢張りリスクはある。
毎日、資料を読み込んで考えた。
現在の仕事と彼女の誘いを頭の中で何度も比較した。
今の仕事は・・給料は悪くない。安定してる。
このまま勤めれば部長も夢じゃない・・・夢じゃない・・が。
今の仕事には特に興奮や熱を感じない。自分の人生を賭けているワケでもない。
だけど、少なくとも・・彼女は「僕」という人間を必要としている。
そして・・・僕も彼女をサポート出来る自信がある。
確かにリスクはある・・・
ただ、30数年生きてきて危ない橋を渡ったことは一度も無かった。
一度くらいそういうムチャをするのもイイかも知れない。
そして・・・何より「彼女」と一緒に働ける。
それだけでも賭けてみる価値はあるんじゃないだろうか?
彼女が僕に特別な感情を持ってるとは思えない。
だけど、彼女といれば今よりはオモシロイ人生が送れそうだ。
そこまで考えて気付いた・・なんだ、オレ、もうすっかり行く積りじゃないか。
よし、明日電話してOKの返事をしよう。いやいや明日まで待ってられない。
早速これから会いに行こう。僕は彼女の携帯に電話した。
会いたい旨を伝えると、彼女が返事する前に電話を切った。
そして、部屋を飛び出ると車を発車させた。
何だかドキドキしてる、気分がハイだ。
車を走らせながら、知らず知らずのうちに口笛を吹いてた。
さぁ、次の角を曲がれば、彼女の会社だ。