僕と猫のブルーズ

好きな音楽、猫話(笑)、他日々感じた徒然を綴ってます。
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偽善者>卑怯者

2011年10月05日 | 日々の泡(日記)

タテタカコに「卑怯者」という曲がある。とても好きな歌。
他人の痛みを想い自分の弱さを曝け出した唄。その歌にこんな一節がある。


肩がわりする力はありません    導いてゆく力もないです
身変わりになる勇気もありません  共倒れする覚悟もないです。
ただ自分が倒れないように     ただ自分が立って歩くのを
ただ自分が轢かれないように    ただ自分がなってゆくのを

仙台ボランティアから帰ってきて3週間が過ぎた。
会社ではいつも通りのウスノロが続く。理不尽な文句や非難。頓珍漢なやり取り。
「言った言わない」「これは誰の責任?誰が悪い?」小さな世界の中の小さな争い。
ハッキリ言ってオレにはどっちでもイイ。さっさとやっつけようぜ。でも進まない。
色んな立場とか利害関係とか責任の押し付け合いとか、嗚呼面倒くさい(T▽T)

以前はイチイチ腹が立った。ムカついた。ガッカリした。でも、今はどうとも思わない。
面倒くさいだけ。笑うだけだ。割り切れてる。感情的にならなくなってる。何故?

多分、仙台で荒れ果てた海岸を見たから。家に戻れず苦しんでる方に会ったから。
被災地のために一生懸命汗を流して働く若者にあったから。
あの人たちに較べたら会社内のもめ事なんて鼻くそみたいなモン。笑い話しかならん。

これはボランティアを通じてオレが成長したって事なんだろうか?強くなったんだろうか?
よく言う「被災地から勇気やパワーをもらった」ってこと?
でも、それはおかしいだろ?
大切なものを失った人から何も失くしてないオレが勇気を貰ってどうする?
勇気だのパワーを与えるのはこちらであるべきだ。当然だ。
こっちは何一つ不自由してないんだから。
でも結局・・・仙台での体験がオレ自身の成長だか強さに繋がってるなら・・。
それって結局被災地を利用している事になるのでは?

正直オレがボランティアに参加したのは純粋に被災地を応援したいキモチだったか?
というと甚だ疑問だ。
悲しい目に合った場所を訪れたいとか貴重な体験をしたいとか、他人と違う事をしたいとか
それこそ「自分が成長したい」とか・・そういうキモチがあったのは否めない。絶対に。
で実際帰ってきてから以前ほど小さいことが気にならなくなった。

で、またボランティアに行く理由には「何か得たい、手に入れたい」って欲求はある。
無いなんて言えない。絶対ある。そういう「不純なキモチ」が。
結局は自分のためなのだ。自分の欲望を満たすためにやってるんだ。オレは。

最近、嫁がオレにこう言った。
「キミ、オレは悪人です、偽善者ですとか、書いてるけどホントはイイヒトなんですよ
 ってアピールしたいんじゃないか?」って。相変わらず容赦のないヒトだ(^^;)ゞ
ま、そういうトコは確かにあるかも知れないけど・・・
でも、やっぱりオレは自分が善人とは思えない。他人のために働けるそんな男じゃない。

オレは被災地のヒトの代わりに痛みを引き受ける勇気はない。そんな覚悟はない。
何度も現地に足を運んで、被災地のサポートをする力はない。
桑田さんや福山君、サンボマスター、箭内道彦みたいにみんなを喜ばす才能もない。

結局は自分のため、自分がやりたいからやる。自分を満足させるためにやってる。
だから、やっぱりオレがやってることは「偽善」だ。オレは偽善者だ。
そこは勘違いしないようにしないと。キレイごとにして偽らないようにしないと。

ま、動機がなんであろうとボランティアが被災地のために役に立ってるのは違いない。
偽善でも「善」には違いない。何もしないよりは何かした方がイイ。ならばするしかない。
それに1回行っちまったしな、この目で見ちまったからな。既に「当事者」だし。オレは。

もう逃げるわけにはいかない。知らないふりは出来ない。それをやったら「卑怯者」だ。
少なくとも「偽善」は「卑怯」よりはマシだ。ならば、オレは「偽善」を選ぼう。
オレにはそうしかできないから。オレはそうやってオレをやってきたんだから。

チャンと偽善者になるためには、その前に日常のウスノロをやっつける必要がある。
面倒くさくても仕事をちゃちゃっとやっつけなくちゃ。仕方ねーな。仕事なんだから。
こっちは思い切り極悪で行くよ。反則もあり、手段は選ばないぜ。

にゃにゃん、偽善者で極悪人だけどオレを嫌わないでくれよ♪
キミと嫁@パンダの前では大人しい善人だから、ね(゚゜)\バキ☆(゚゜)\バキ☆

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