僕と猫のブルーズ

好きな音楽、猫話(笑)、他日々感じた徒然を綴ってます。
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PRECIOUS

2017年06月16日 | 日々の泡(日記)

今日で友が旅立ってから3年が経った。
友は「描く人」だった。「創る人」だった。

正直、彼女のプライベートはそんなに知らない。
ただ、アートについて話し作品を観る。彼女との交流はオレにとって刺激が有った。
アートについてメールで意見交換する時間は楽しかった。
それは男女とか年齢を超えての共鳴だったと・・・オレは勝手に思ってる。

同時に創作の際の彼女の格闘、苦闘も僅かながら知ってた。
相談事があって電話した時、彼女は電話に出なかった。
後で「描くことに必死でそれどころじゃなかった」と聞いた。笑った。爽快だった。

オレにはそんな我を忘れて打ち込むモノは無い、のめり込むモノは無い。
彼女はそれを手にしていた。確かに持っていた。
オレは彼女が羨ましかった。彼女に嫉妬した。そして同時にリスペクトしてた。

そのことを伝えたくて、彼女の作品を観る度に必ず感想を書いて送った。
数行の文章だが必死に書いた。ホンキで書いた。借り物で無い自分のコトバで書いた。
それが彼女・・・いや作品に対する礼儀だと思った。
幸いなことに彼女はオレの感想を喜んでくれていたようだ(彼女の気遣いかも知れんが)。


現在(いま)、彼女が描いた線に触れることはもう無い。彼女の色彩(いろ)にはもう逢えない。
そして・・・何より彼女と逢えないこと、話せないこと・・それがホントに悔しい。

3年が経った。だけど、悲しみも悼みも後悔も未だに自分の中に或る。未だ残っている。
そのことが・・・・とてもウレシイ。未だ、消えてないんだ。生きてるんだ。
大切な人を喪うと・・・自分の中の一部(どこか)に雨が降る。
父、別の友人・・・ずっとそうだった。時間が過ぎても止むことはない。晴れることはない。

いや・・晴れなくてイイ。むしろ降り続けてくれ。
晴れるってことは悲しみが消えるってことだ。あったことが無かったことになるってことだ。
それは真っ平御免だ。未だ悲しくていい。いっそ土砂降りでもいい。


また・・・手紙を書くよ。また、来年・・・・な。じゃぁ、ね☆

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