大井川鐵道で動態保存されている。1930年(昭和5年)に製造された、日本国有鉄道(国鉄・製造時は鉄道省)のタンク式蒸気機関車である。
1930年(昭和5年)7月24日に川崎車輌で製造された(製番1363)。同年8月2日に大宮機関区に新製配置され、東北本線や高崎線の旅客列車に使用された。1932年(昭和7年)9月1日に高崎機関庫に転属してからは新小岩機関区や田端機関区、水戸機関区に貸し出された。1941年(昭和16年)3月31日には仙台機関区に転属、そして1949年(昭和24年)3月1日に盛岡機関区に所属してからは、山田線の旅客列車に使用された。1961年(昭和36年)3月31日に会津若松機関区会津線管理所に所属し、会津線の旅客・貨物列車に使用され、1962年(昭和37年)3月31日に廃車となった。
その後、同年8月に岩手県宮古市のラサ工業に譲渡され、同社工場と宮古駅を結ぶ専用線の貨物輸送と、宮古駅構内の入れ換え作業に使用された。国鉄の無煙化後も使用されたが、ディーゼル機関車の入線により予備機となり1979年(昭和54年)4月に再び運用を終了し、1986年(昭和61年)11月に再び廃車となった。
1987年(昭和62年)3月に宮古市に譲渡され、観光列車としての使用のため、同市によって修復された。同年4月17日に動態復活し、7月19日より宮古駅付近と宮古港出崎埠頭を結ぶ旧国鉄臨港線で「SLしおかぜ号」として保存運転が行われていた。しかし同線は海沿いを走るとはいえ、実際には堤防沿いを走るので海はほとんど望めず、1990年(平成2年)1月3日に運転を終了し、休車となった。
宮古市は譲渡先を探していたが、適当なタンク機関車を探していた大井川鉄道(現・大井川鐵道)と意見が一致したため、1994年(平成6年)4月17日に同鉄道へ譲渡された。なお、大井川鉄道への譲渡話は、ラサ工業時代から度々あったというが、最後までなかなか結論が出なかったという経緯を持っている。同月22日に保存場所から搬出され、同24日に大井川鉄道へ搬入された。新金谷車両区での整備や千頭駅での有火展示会を経て、1997年(平成9年)9月に営業運転開始に向けての試運転が行われた。同月25日に車籍復活し、翌月14日にC11 227との重連で営業運転を開始した。外観はC11・C12形と同様のタンク機関車だが、リベットを多数使用しているので、古典的な雰囲気が出ている[5]。現存するC10形は同機が唯一で、それ以外の車両は廃車後、すべて解体処分された。2018年(平成30年)現在、単機での牽引は客車4両まで(以前は5両まで)が可能である。
主要諸元
全長:12.65m
全高:3.940m
全幅:2.936m
重量:69.70t
空重量:55.51t
燃料:3 t
火室面積:1.60 m2
登場した作品
いずれも大井川鉄道(現・大井川鐵道)のC10 8が登場した。
コンピューターゲーム:SL
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