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あき亀山駅(JR西日本)可部線

2018-03-01 07:02:30 | JR西日本 芸備線 / 可部線

あき亀山駅(あきかめやまえき)は、広島県広島市安佐北区亀山南一丁目にある西日本旅客鉄道(JR西日本)可部線の駅である。

可部線の延伸区間の終端駅である。旧・可部線の廃線区間を活用したものであり、旧・可部線時代は400mほど可部駅方向に河戸駅が設置されていた。一度廃線になった可部線の可部 - 三段峡間の一部が当駅まで電化復活になった経緯だが可部駅 - 三段峡駅間 (46.2km) は、2003年(平成15年)12月1日に廃止された。廃止当時は、可部駅 - 加計駅間で1日8往復(2時間に1本程度)だったが、三段峡駅までは5往復で4時間ほど運行されない時間帯があった。むしろ、並行する路線バスの本数がはるかに多かった(毎時1 - 2本、広電バス・広島交通の2社共同運行。安芸飯室駅までは前記2社の区間便と中国ジェイアールバスも加わり、2 - 3本)。


可部駅 - 三段峡駅間は開業してから、何度か廃止議論が起こった区間であった。具体的な動きで初めて表面化したのは、1968年(昭和43年)9月の赤字83線の中で、当時開業していた可部駅 - 加計駅間を廃止すべきと勧告された。当時の営業係数(100円稼ぐのに必要な費用)が、赤字83線で廃止された宇品線が464円に対し、可部駅 - 加計駅間が519円だった。しかし、その時は地元議会の反対や、当時建設中だった「本郷線」(加計駅 - 三段峡駅間の工事名称)の建設、さらには、山陰とを結ぶ今福線構想もあったため廃止されず、翌1969年(昭和44年)7月に加計駅 - 三段峡駅間が開業。さらには、1974年(昭和49年)には三段峡駅 - 浜田駅間の建設を開始した。


しかし今福線建設は、1980年(昭和55年)に国鉄再建法成立で工事中断。進捗率もわずかであった。国鉄再建法で可部線は廃止対象になる特定地方交通線ではなく地方交通線とされた。1984年(昭和59年)に、可部線非電化区間は廃止の議論に上ったが、その中で、可部駅 - 河戸駅間に関して電化して存続する案が示された。実際に同時期に、部分電化を行って部分存続および非電化区間の廃止が行われた路線に新潟県の弥彦線がある。特定地方交通線を指定するための検討では、全線の旅客輸送密度で考えられたので、電化区間の乗客数を合わせて平均したことで、廃止基準の4,000人を超えていたことや並行道路の状況が良くなかったこと、また翌年の1985年(昭和60年)2月19日に、広島市を含む沿線5市町村が『国鉄可部線対策協議会』を結成し反対運動を行ったことで、廃止にはならなかった。1987年(昭和62年)国鉄は分割民営化され、JR西日本に移行した。


1998年(平成10年)に入り、可部線の部分廃止がささやかれていたが、同年9月にJR西日本が、正式に可部駅 - 三段峡駅間の廃止・バス移行の方針を打ち出した。
1997年(平成9年)当時の収支が、横川駅 - 可部駅間が収入15億円に対して経費20億円で5億の赤字。可部駅 - 三段峡駅間が収入1億4000万円に対して経費7億4000万円で6億の赤字。横川駅 - 可部駅間の赤字は好転の見通しがあり看過できるが、可部駅 - 三段峡駅間の赤字は看過できないとした。もっとも、赤字理由には今後の架構施設の維持管理費が膨大にかかるからだとする意見も存在している。


可部線沿線住民は、利便性が高まれば利用者は増えると主張し、河戸駅周辺住民による存続・復活運動や津浪駅の駅名と当時のヒット曲を掛けた存続運動、地元役所の出張に可部線を使うなど、存続活動が行われた。
JR西日本は、地元の存続運動に応える形で、2000年(平成12年)11月からの104日間と、2001年4月からの1年間の2回、列車の試験増発を行った。結果、乗客が増えたのは土曜・日曜日に運転された広島駅からの臨時快速「三段峡観光号」だけで、地元の利用、とりわけJR西日本が重視していた定期利用客はほとんど増えなかった。
JR西日本が設定した存続の条件・輸送密度800人/日には達せず、廃止が決定した。その後、地元自治体を中心とする第三セクターへの移行も検討されたが、2002年(平成14年)11月22日、可部線対策協議会は断念を決めた。JR西日本は同年11月29日、廃止届を提出。翌2003年11月30日、廃止となった。
廃止後は広島電鉄(可部駅 - 三段峡駅間、国道191号経由)、広島交通(可部駅 - 安芸飯室駅間、広島県道267号宇津可部線経由)による代替バスに転換された。鉄道施設・線路跡については、JR西日本から広島市、山県郡加計町、戸河内町、筒賀村、佐伯郡湯来町(現在、湯来町は広島市に編入、加計町・筒賀村・戸河内町は合併し安芸太田町)の各沿線自治体に無償で譲渡され、各自治体は跡地の活用についての検討に入った。


一方、廃止後も廃止区間を鉄道として再生しようという動きがあり、2004年(平成16年)1月、住民グループ「太田川流域鉄道再生協会」(会長・伊藤稔、事務局長・山根弘司)が結成され、駅舎・線路や踏切などの鉄道施設の撤去に反対する運動が行われた。同年4月、同協会により「太田川鉄道株式会社」(代表取締役社長・山根弘司、同年12月に有限会社に改組)が設立され、事業計画を加計町、戸河内町、筒賀村、湯来町および広島市に提出した。事業計画の内容は、第1段階として2004年9月から秋の観光シーズンや週末に観光鉄道として運行、第2段階として地域鉄道と観光鉄道の両立し、廃止区間の再生を目指すというものであった。また課題として (1) 潤沢な資金の用意 (2) 鉄道事業の認可申請 (3) 可部駅及び存続区間への乗り入れに関わるJR西日本との交渉を挙げていた。しかし住民グループの地域おこし企画程度の内容であり、路線調査や集会などは開催したものの、大口の出資者は全く無かった。

このため協会は「太田川流域鉄道再生基金」と称する基金を設立し、地域のテレビ番組やウェブサイト等で募金を呼びかけ、その募金を基に観光鉄道としての運行再開を目指した。しかし集まった募金はわずか700万円ほどで、同規模の第三セクターと比較すれば工事費はおろか開業時の運転資金にすら遠く及ばない額であった。安芸太田町議会の中にも路線の再生に肯定的な意見を持つ議員が数名いたものの、著しく実現性の低い構想であるため、佐々木清蔵町長他町幹部やほとんどの町議は鉄道の再生に否定的な見解を示した。

廃線跡の譲渡を受けた安芸太田町は同年12月、「可部線廃線跡地利活用計画」にかかる予算が町議会において可決されたことを受け、所有者・管理者として安全上線路や旧鉄道施設を放置できないため、線路、枕木の撤去や駅舎解体などを開始、町は2005年(平成17年)内には廃線跡全区間の施設撤去と再整備に着手する方針を示した。この結果鉄道の復活が不可能となり、太田川流域鉄道再生協会は活動を断念。集まった支援金の返還を決め、同年5月25日に伊藤稔・太田川流域鉄道再生協会会長の名義で募金・支援金の返還を発表した。同月返金作業を終え、同年6月29日、太田川鉄道有限会社は定期役員総会において会社解散を決議、太田川流域鉄道再生協会も同7月1日、会社清算完了後解散することを公表。月内に会社清算結了、太田川流域鉄道再生協会は解散した。


そのほか、可部線の広島市内の廃線跡の処置については、2006年(平成18年)3月に広島市がビジョンを公表している。これによれば、河戸駅の先、長井・荒下地区までは電化再生、それ以外の区間は道路拡幅用地や自転車道、公園などへの整備が謳われている。また、長井・荒下地区までの区間についてもスケジュールや費用負担などの具体的な言明は一切なく、現状の再確認にとどまっている。その上で当面は廃線跡にヒマワリを植える計画であり、市として復活関連の事業は、その時のビジョンでは当面何も行わないことを事実上明らかにしていた。。廃止された安芸亀山駅とは直線で3.4km程離れている(従来の安芸亀山駅と区別するために旧国名を平仮名としている)。


正式駅名が決定する前の仮称は「新河戸駅」(しんこうどえき)であった。
かつては当駅の予定地周辺には荒下県営住宅があり、跡地に広島市立安佐市民病院の移転が計画されている。


頭端式ホーム1面2線を持つ地上駅。太田川の流れをイメージした波打った形状の屋根をもつ平屋の鉄骨造駅舎です。2番線の南側には電化された留置線が2線、その南側にさらに非電化の側線が1線ある。当駅の場内信号機は1基のみで、その下方に進路表示機が設置され、進入可能な線路番号が数字で表示される。夜間留置の設定駅である。


改札とホームの間は階段がなく、バリアフリー対応となっている。改札外に車椅子対応トイレが設置されている。
自動券売機および簡易自動改札機が設置されており、ICOCAが利用可能。JRの特定都区市内制度における「広島市内」の駅である。
当駅は無人駅であるが、線路西側に駅舎がある。これは、乗務員宿泊所と非常用の連動装置制御盤が設けられているためである。


のりば 路線 行先
1・2 B 可部線 緑井・横川方面


2014年(平成26年)
2月25日 - 新河戸駅を含む延伸区間の鉄道事業が許可。
12月19日 - 広島市による駅建設用地取得の手続きが遅れていることから、開業が2017年春に1年延期が決まった。
2015年(平成27年)2月6日 - 延伸区間の駅舎の設計がほぼ終了した為、新駅イメージパースを発表。
2016年(平成28年)
7月8日 - JR西日本が正式駅名を「あき亀山駅」に決定。
12月23日 - 可部線の可部駅 - 当駅間の試運転を開始。
2017年(平成29年)3月4日 - 可部線の可部駅 - 当駅間の開通と同時に終着駅として開業。


所属路線 B 可部線
キロ程 15.6km(横川起点)
広島から18.6km
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 2017年(平成29年)3月4日
備考 無人駅(自動券売機 有)
広 広島市内駅

 

 


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