宇品線は、日清戦争の人員・物資輸送のための軍事専用線として建設された。開戦の1894年(明治27年)年には山陽鉄道(現山陽本線)が広島駅まで開業したため、この広島駅と宇品港(現広島港)とを連絡するために、陸軍省の委託により山陽鉄道が軍用線を建設することになり、1894年8月4日から同年8月20日までのわずか17日間の突貫工事で完成し、翌日から兵員輸送が開始された。しかし具体的な計画は軍部により 1894年の5月末頃から秘密裏に進められていたとも言われていることから、建設についても実際には以前より準備がされていた可能性がある。
その後、宇品港から日清戦争、日露戦争、太平洋戦争に出征・復員する兵士や物資の輸送を担った。1897年(明治30年)には山陽鉄道が陸軍省から借入れて一般旅客営業を開始、1906年(明治39年)に鉄道国有法(同年施行)に基づき国有化されたが、昭和初期には一時的に、旅客列車の運行を芸備鉄道(現在の芸備線の前身)に委託した時期もあった。戦争期間中の一般旅客の利用は軍の規程により、基本的に認められていなかった。
広島陸軍糧秣支廠倉庫壁保存
その後、宇品港から日清戦争、日露戦争、太平洋戦争に出征・復員する兵士や物資の輸送を担った。1897年(明治30年)には山陽鉄道が陸軍省から借入れて一般旅客営業を開始、1906年(明治39年)に鉄道国有法(同年施行)に基づき国有化されたが、昭和初期には一時的に、旅客列車の運行を芸備鉄道(現在の芸備線の前身)に委託した時期もあった。戦争期間中の一般旅客の利用は軍の規程により、基本的に認められていなかった。
広島陸軍糧秣支廠倉庫壁保存