本来は軍事補給専用線としての宇品線ですが、戦後はこの駅のように市民の足としての駅もありました。
また、昭和23年初夏には、2両の婦人専用車が運行されたといわれ、当時の乗降客の込み合いを想像できると思います。客車不足のため、その頃使われていたのは大半が貨物車で、中は薄暗く、空気の入れ替え用の小窓があるくらいで、出入り口の中央には転落防止に角材を打ち付けただけの粗末な列車でした。そんな中、女性への特別な配慮だったのでしょうが、意外にも不評で約半年で姿を消したといいます。
また、昭和23年初夏には、2両の婦人専用車が運行されたといわれ、当時の乗降客の込み合いを想像できると思います。客車不足のため、その頃使われていたのは大半が貨物車で、中は薄暗く、空気の入れ替え用の小窓があるくらいで、出入り口の中央には転落防止に角材を打ち付けただけの粗末な列車でした。そんな中、女性への特別な配慮だったのでしょうが、意外にも不評で約半年で姿を消したといいます。
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