廿日市市の代表駅、廿日市駅(はつかいちえき)は、広島県廿日市市駅前にあります。西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線の駅。快速シティライナーは通過、代わりに隣の宮内串戸駅に停車します。
もうちょっと南に150mほど歩くと広電廿日市駅がありまするが、木造駅舎です。駅前はバスの乗り入れはなく地元の人の「出迎え用駐車場」となっています。駅前はあまり賑わってなく閑散とした感じです。
駅は国鉄的なコンクリート駅舎。市の代表駅としては小さなイメージです。それに比べ駅事務室区画は比較的大型です。相対式2面2線のホームを持つ地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡しています。改札上には、巻取式の発車案内がある。桜の古木が上りのホームに植えられており、春には息をのむほど美しいことで有名で桜と廿日市駅の写真画像が数多くくネット上にアップされています。
西広島駅が管理し、ジェイアール西日本広島メンテックが駅業務を受託する業務委託駅です。
廿日市駅プラットホーム
1■山陽本線下り宮島口・岩国方面
2■山陽本線上り広島・三原方面
※上下線の間にホームのない待機線(運転指令上は「2番線」)があるが、現在は架線がなく、配線上の理由(広島側で上り線のみ、岩国側で下り線のみに接続)によって電車は入線できない。かつては両側で上り線、下り線両者に接続した、いわゆる中線であった。この名残で、2番のりばは運転指令上は「3番線」とされている。
現在の廿日市駅は廿日市駅再開発事業の1つとして建て替えられる。自由通路、北口が新しく設置され橋上駅となる。整備事業全体は平成29年完了予定。
徒歩3分の所に広島電鉄宮島線の広電廿日市駅がある。
駅前には、古くからの商店街がある。かつて二十日の日に、市場が開かれていた。廿日市の名前の由来である。徒歩3分の中央公民館のあたりが、西国街道の廿日市本陣でした。
洞雲寺という禅宗の寺がすぐそばにある。とても古い寺で、毛利元就との厳島の戦いで名高い陶晴賢の墓があります。本尊は釈迦如来像。その前には「弾丸列車計画」の杭があったのですが、今はありません。
桂公園という広い公園がある。元は、桜尾城といって海に浮かぶ城であり、厳島の戦いの折には毛利元就が陣を敷き、後には豊臣秀吉も宮島に参詣する際に滞在している。その後荒れていたが、その城主の子孫の桂太郎(明治期の元老・総理大臣・公爵)が土地を買い戻して当時の廿日市町に寄贈し、公園としたので桂公園という。
天満宮がある。高台にあり、廿日市市内を一望できる。大きな楠が名物で、下から眺めてもよく見える。1991年(平成3年)の台風19号によりいくつかの木は倒されてしまったが、残った現在ある楠もすばらしいものである。
駅裏の北側には田や山が残っていたが、駅裏の工事によって一変し宅地に変わろうとしています。
1897年(明治30年)9月25日 - 山陽鉄道 広島駅 - 徳山駅間の延伸と同時に開業。旅客・貨物の取扱を開始。
1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道の国有化により国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。山陽本線の所属となる。
1980年(昭和55年)9月24日 - 車扱貨物の取扱を廃止。駅舎の南側に有蓋車用の貨物ホームが設置されていた。
1987年(昭和62年)
2月14日 - みどりの窓口営業開始。
4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2007年(平成19年)
6月7日 - ICOCA対応自動改札機設置。
9月1日 - ICカード乗車券『ICOCA』使用開始。
2008年(平成20年)10月1日 - ジェイアール西日本広島メンテックによる業務委託駅となる。
電報略号ハツ
駅構造地上駅
ホーム2面2線
乗車人員
-統計年度-3,376人/日(降車客含まず)
-2009年-
開業年月日1897年(明治30年)9月25日
乗換広電廿日市駅(広島電鉄宮島線)
備考業務委託駅
みどりの窓口 有
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