駆逐艦「雪風」の錨です。雪風は、陽炎型の8番艦です。太平洋戦争を戦い、当時の艦隊型新鋭駆逐艦であった、朝潮型駆逐艦、陽炎型駆逐艦及びその改良型夕雲型駆逐艦、そして「島風」の計50隻の中で唯一終戦まで生き残った艦です。日本海軍の駆逐艦は、激戦区に投入され非常に損耗率が高かったが、本艦は16回以上の主要な作戦に参加し、戦果を上げつつほとんど無傷で終戦を迎え「奇跡の駆逐艦」と呼ばれました。
敗戦後は武装を全て外して、復員輸送艦として活躍。雪風の輸送によって祖国の土を踏んだ将兵は1万3千人以上にもなるという。その中には今、NHK朝ドラマでも話題になっている漫画家として有名な水木しげるもいます!。
その後、復員輸送の任務を終え、戦時賠償艦として連合国へ引き渡される事となりましたが、乗組員たちは自棄になって手を抜く事をせず、最後まで入念に整備し、連合国側から「敗戦国の軍艦でもかくも見事に整備された艦を見た事が無い。まさに驚異である!」と感嘆され、乗組員は米海軍から感状を授与されたというエピソードがあります。
1947年7月6日、賠償として中華民国に引き渡された雪風は「丹陽(タンヤン)」(DD-12)と名を改め、駆逐艦ながら中華民国艦隊旗艦として迎えられた。「丹陽」とは中国江蘇省の小都市名であるとともに、字義通り「赤い太陽」の意味でもあり、大日本帝国海軍由来の艦艇であることを堂々と示唆していることをみても、中華民国海軍が相応の敬意を払って自軍に受け入れたことは想像に難くない(この事は司馬遼太郎のエッセイにも記述されているとのことです)。
国共内戦の国民党軍の敗北に伴い、その他の艦艇とともに台湾に逃れ、引き続き中華民国海軍所属として第一線で活躍し、1964年12月に行われた観艦式では雄姿を見せたが、機関の老朽化によって1966年11月16日付で除籍されたとの記録でした。
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