観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

海上自衛隊呉地方総監部

2011-09-09 20:55:23 | 遺構 /人間魚雷 回天の島 大津島など

海上自衛隊呉地方総監部
旧呉鎮守府庁舎は、現在も海上自衛隊呉地方総監部として使用されています。


旧呉鎮守府庁舎。1907(明治40)年に竣工した地下1階、地上2階建て、延べ1,990m2 のレンガ石造の建築で、レンガと御影石(みかげいし)との調和がとれた、呉市に現存する代表的なレンガ構造物です。

外壁はイギリス積みの積み方で、2階に は柱頭に桜を彫刻した石柱が両側にあるなど、凝ったデザインと入念な仕上げが建物の美しさと重厚さを表現しています。


中央部ドームを頂いているのが第1庁舎。 


その右側に続いているのが補給所庁舎。

 

右側やや手前にある三角屋根は地方警務隊本部庁舎。


煉瓦と御影石造りで1906年(明治40年)5月31日に竣工。 


中央部のドームは昭和20年の空襲で破壊された後、1999年(平成11年)に復元されるまで、平屋根のまま使用されていた。


入り口の柱にくっついってる黒い物体は馬車の馬を繋いで置くためのものらしい。


NHKの「坂の上の雲」の撮影にも使用された場所なんですよと説明されていました。


現在は裏であるこちら側が本来の正面だったのだそうです。



この階段、天皇陛下が呉鎮守府に来るという事で天皇陛下が上られるためだけに造られた階段なのだそうです。


が、天皇陛下は実際は海からじゃなくて今の正面側から馬車で来られて、結局一度も使われる事は無かった階段だそうです。


その事で海自内では今でも「いわくつきの階段」と呼ばれているとか。


海側はデザインが少し異なる。海上自衛隊呉警務隊本部庁舎でした。

1889年(明治22年)竣工。 当初は文庫測器庫として使用。 後に事務所として使われた。 鎖守府開庁当時に建設された煉瓦造建物としては、唯一現存するものであ


写真で見えるのは、地下壕の跡。 ここには、終戦後の占領期に英連邦占領軍司令部信号事務所と交換局(呉ドーバー交換局)が置かれていたそうです。

このシャンデリアに使われている一個、一個のガラスも代品がなく貴重なのだそうです。




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