観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

国鉄40系電車 クモハ40074

2014-09-22 05:56:24 | 乗り物(列車・車両)

国鉄40系電車は、1932年(昭和7年)から1942年(昭和17年)にかけて日本国有鉄道の前身である鉄道省が製造した、車体長20m級3扉ロングシートの旧形電車を便宜的に総称したもので、鉄道省の電動車としては初めて全長20m級の鋼製車体を採用した電車です。
具体的には、両運転台型三等制御電動車のモハ40形(40001 - 40080)、片運転台型三等制御電動車のモハ41形(41001 - 41055)、片運転台型三等制御車のクハ55形(55001 - 55096)、二等三等付随車のサロハ56形(56001 - 56013)、三等付随車のサハ57形(57001 - 57047)、モハ41形の電動機出力向上型であるモハ60形(60001 - 60126)、三等荷物合造制御車のクハニ67形(67001 - 67008)の7形式425両を指す。

1932年度、大阪地区で初めて片町線四条畷 - 片町間および城東線が電化され、電車の運行が開始されることとなった。この電化開業に合わせて製造されたのが本系列である。鋼製の20m級車体の電車は、制御車、付随車については32系で実用化されていたが、本系列では初めて電動車も20m級車体で製造された(因みに日本初の20m級鋼製車体を持つ電動車は1928年に登場した大鉄デニ500形である)。大阪地区向けには20m級電動車が製造されたものの、東京地区(山手線)では設備の準備が整わなかったため、1932年度および1933年度は17m級車体の33系が投入されたが、1933年度後半からは京浜線向けに20m級車体の新造車が投入され、これ以降17m級電車の新造はない。本系列は東京・大阪両地区の標準形電車として11年間に400両以上と戦前型電車としては最も長期かつ大量に製造が続けられたため、年度ごとの設計変更が忠実に反映されており、形態もバラエティに富んでいる。

本系列は、大都市圏で通勤輸送に使用するため、20m級の半鋼製車体の側面3か所に幅1100mmの引戸を設け、座席はロングシートである。扉間には幅800mmの二段上昇窓を5個設けている(サロハ56形を除く)。運転台がない側の扉と妻面との間には、扉間と同じく幅800mmの窓が2個設けられている。運転台周りについては、製造年次ごとの変化が大きく、運転台直後の窓配置にはその差が大きく現われている。

クモハ40074は国鉄分割民営化直前の1987年3月30日付けで除籍されていたが、クモハ40054が平妻型であったのに対し、クモハ40074は形態の異なる半流型であったため、これも動態保存することになり、1988年(昭和63年)3月21日付けで復籍した。
両車は、JR東日本管内でイベント用として運行されたが、2000年12月に発生した京福電気鉄道の衝突事故により、ブレーキの多重系統化のできない本形式の運行は停止された。その後は、大宮総合車両センター内で保管されていたが、クモハ40074は2007年(平成19年)10月にさいたま市大宮区に開設された鉄道博物館で保存展示されている。

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伊予富田駅 JR四国 予讃線 | トップ | 日産自動車ティアナ(TEANA)... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
懐かしい^^ (あみん (hgn))
2014-09-22 19:14:05
 旧国はよく分からないのですが、子どもの頃に青梅・五日市線や南武線を走っていたものを見た記憶があります。高校の頃、サヨナラ運転をした南武線なんかを見に行った記憶もあります。
 床が木張りで独特な匂いが充満していて、さらに走りだすと独特の音がしましたね。

 系列は違いますが、両毛線の70系には時々快適な座席の車両が混じっていまして、大人になってから調べてみると、旧サロの格下げ車だって分かりました。あのシートは本当に快適でした。間隔は広いし、フカフカだし、ずっと乗っていたいって思ったものでした^^

 懐かしい思い出をありがとうございました^^
返信する
コメントありがとうございます。 (オーナー)
2014-09-24 18:54:33
九州の人間にとっては余り縁がない車両です。でもシートのフカフカ感覚はよくわかります。
コメントありがとうございます。
返信する

コメントを投稿