志和地駅は、広島県三次市下志和地町にあります。志和地は室町時代(1392)志賀の里といわれ、秀吉検地(1589)以前から志和地となっており、明治20年まで志和地村となっていました。
室町時代から信長の天下統一まで当地は安芸の国吉田の地頭毛利氏と出雲の国の守護代尼子氏との合戦の地です。西日本旅客鉄道(JR西日本)芸備線の駅ですが同じ芸備線内に名前の良く似た下和知駅・志和口駅があり混同しそうです。
駅前には広場があります。駅は島式ホーム1面2線を持ち列車の行き違いが出来る地上駅である。
線路北側に古びた木造瓦葺の駅舎があり、ホームへは構内踏切で連絡しています。広島駅管理の無人駅となっており、自動券売機等の設備もありません。
かつては個人商店での乗車券が委託販売されていた簡易委託駅でした。便所は外観から男女共用の汲み取り式の存在が確認出来るが2011年1月現在は閉鎖されていて使用出来なくなっているので注意が必要であるとのこと。
雪が多い地域なのでしょうか駅舎の屋根が屋根を二つ重ねたような特徴ある屋根で勾配角度が急です。駅の周りは田園が広がっています。駅事務室スペースは「志和地駅会館」として公民館の寄合所のようになっています。
志和地駅プラットホーム
駅舎側 ■芸備線 上り 三次・備後庄原方面
反対側 ■芸備線 下り 志和口・広島方面
※案内上ののりば番号は設定されていない
改札口からホームへの通路の途上にある、本線と直角に設けられた線路。いったいなんのための線路でしょう。
1915年(大正4年) 4月28日 - 芸備鉄道開業と同時に同路線の終着駅として設置。
6月1日 - 芸備鉄道が当駅から三次駅(現・西三次駅)まで路線延伸、途中駅となる。
1937年(昭和12年)7月1日 - 芸備鉄道買収により国有化。国有鉄道芸備線の駅となる。
1983年(昭和58年)3月8日 - 無人駅化(簡易委託駅化)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)に継承。
2009年(平成21年) - 簡易委託解除
電報略号 シワ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1915年(大正4年)4月28日
備考 無人駅
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