観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

天王寺駅 (JR西日本)

2020-07-20 03:55:51 | JR西日本 阪和線・関西空港線・関西本線

天王寺駅(てんのうじえき)は、大阪府大阪市天王寺区・阿倍野区にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の駅である。

大阪市南部のターミナル駅として、難波と大阪の南玄関としての機能を二分する。近鉄阿部野橋駅を含む複数の駅からなる繁華街は、キタ・ミナミに次ぐ規模を誇り、2014年には阿部野橋駅直上にあべのハルカスがオープンしたことで、以前にも増して賑わいを見せている。JR天王寺駅は第3回近畿の駅百選、天王寺駅前駅は第4回近畿の駅百選に選定されている。

駅名は東成郡天王寺村(当時)に最初に開業した駅であることによる。なお、「天王寺」は当駅北方に所在する四天王寺の転訛による地名で、「天王寺」という寺院は存在しない。ちなみに、四天王寺へはOsaka Metro谷町線の四天王寺前夕陽ヶ丘駅が最寄りである。

JRの駅はICOCA、Osaka Metroと阪堺の駅はPiTaPa、Osaka Metroの駅はさらに「スルッとKANSAI」対応各種カードの利用エリアに含まれている。

乗り入れ・接続路線
JR西日本の乗り入れている路線は、関西本線・大阪環状線・阪和線の3路線である。このうち関西本線は当駅の所属線であり、「大和路線」の愛称設定区間にも含まれている。阪和線は当駅が起点であるが、一部列車は関西本線の線路を介して大阪環状線の西九条駅方面に直通し、阪和線日根野駅から関西空港線、阪和線の終点である和歌山駅から紀勢本線(きのくに線)に直通する列車も乗り入れる。特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅である。大阪環状線にはJR-O01、関西本線(大和路線)にはJR-Q20、阪和線にはJR-R20の駅番号が設定される。事務管コードは▲620831。

Osaka Metroは御堂筋線と谷町線の2路線が乗り入れ、御堂筋線にはM23、谷町線にはT27の駅番号が設定されている。このほか、阪堺電気軌道の天王寺駅前停留場(駅番号はHN01)に上町線が乗り入れている。また、近接する近畿日本鉄道南大阪線の大阪阿部野橋駅(駅番号はF01)と地下通路・歩道橋で結ばれており、乗換えが可能となっている。

長らく国鉄→JR西日本における和歌山・紀伊半島方面へのターミナルとして機能してきたが、大阪環状線経由でJR難波駅・新大阪駅(京都方面)・大阪駅・京橋駅への直通運転が一般化してからは、構造上櫛形ホームを残しつつも、同様の境遇を持つ上野駅と同様に途中駅の側面が強くなっている。

駅長が配置された直営駅であり、管理駅として大和路線の平野駅と東部市場前駅、阪和線の美章園駅と南田辺駅を管轄している。

駅構造
上町台地上に位置する地上部と、それを東西に貫通する掘割部の2層構造になっている。地上部に阪和線ホームと中央コンコースがあり、掘割部に大阪環状線、関西本線(大和路線)のホームがある。かつて阪和電気鉄道が使っていた阪和線のホーム(1 - 9番のりば)と、かつて関西鉄道が使っていた関西本線(大和路線)、大阪環状線のホーム(11 - 18番のりば)とで構造的にも実務的にも分かれている。

のりば
のりば 路線 行先 備考
1 R 阪和線・W きのくに線 朝ラッシュ時の到着のみ
定期列車の発車はない
2 R 降車ホーム 3番のりばと線路を共用
3・4 R 阪和線・W きのくに線 鳳・日根野・和歌山・御坊・紀伊田辺方面 当駅始発の快速・区間快速および関空快速・紀州路快速
S 関西空港線 Pictograms-nps-airport.svg 関西空港方面
5 R 降車ホーム 4番のりばと線路を共用
6 当駅始発の普通・区間快速の一部が発車
7 R 阪和線 鳳・日根野・和歌山方面
8 当駅始発の普通が発車
9 R 降車ホーム
11 O 大阪環状線(内回り) 鶴橋・京橋・大阪方面
12 当駅始発のみが発車
13 O 降車ホーム
14 O 大阪環状線(外回り) 弁天町・西九条・大阪方面 京橋・鶴橋方面からの周回列車
15 R 阪和線 鳳・日根野・和歌山方面 大阪環状線からの直通
S 関西空港線 Pictograms-nps-airport.svg 関西空港方面 特急「はるか」・関空快速
W きのくに線 御坊・紀伊田辺・白浜・新宮方面
16 Q 大和路線 王寺・奈良・加茂・高田方面
17 JR難波方面
O 大阪環状線(外回り) 弁天町・西九条・大阪方面 阪和線及び大和路線からの直通
18 Q 大和路線 JR難波方面 朝ラッシュ時のみ
O 大阪環状線(外回り) 弁天町・西九条・大阪方面 阪和線及び大和路線からの直通
A JR京都線 新大阪・京都・米原方面 梅田貨物線経由 特急のみ
2・5・6・9・13番のりばは、降車専用ホーム。
かつて特急専用ホームだった1・2番線には中間改札があった。

1番のりば…阪和5番線
2・3番のりば…阪和4番線
4・5番のりば…阪和3番線
6・7番のりば…阪和2番線
8・9番のりば…阪和1番線
11番のりば…1番線
12・13番のりば…2番線
14番のりば…3番線
ホームのない線路…4番線
15番のりば…5番線
16番のりば…6番線
17番のりば…7番線
18番のりば…8番線


阪和線ホーム
阪和線では1 - 9番のりばを使用している。櫛形ホーム5面5線の地上駅。2・3番のりば、4・5番のりば、6・7番のりば、8・9番のりばそれぞれが1本の線路を共有していて、3・4・7・8番のりばは乗車専用ホーム、2・5・6・9番のりばは降車専用ホームになっている。原則として3・4番のりばは快速列車、7・8番のりばは普通が使っている。10番のりばが存在しない。ただし、大阪環状線からの直通列車と特急列車は、15・18番のりば(一部は17番のりば)を使っている。

1番のりばはかつて特急列車専用ホームで中間改札が設けられていたがのちに撤去され、主に早朝の関空快速やきのくに線に直通する列車を中心に使われていた。2011年現在は定期特急列車はすべて地平ホームの15・18番のりばから発着し、一部のきのくに線直通臨時列車のみが発着する。なお、朝晩には、降車専用ホームとしても使われ、ダイヤ乱れの際には1番線発車の列車(大阪環状線との直通打ち切りにおける関空快速の発着など)がよく見られる。

2007年(平成19年)のダイヤ改正で1番のりばはラッシュ時の快速列車、2番のりばは特急と「はんわライナー」(2011年廃止)が使い、3番のりばは未使用であった。しかし、2008年(平成20年)のダイヤ改正により再度これが入れ替わり、1番のりばが特急と「はんわライナー」用、3番のりばが快速列車(2番のりばは降車用)という形に戻され、同時に3番のりばが有効長8両編成対応のホームに延伸された。

大阪環状線ホーム
大阪環状線の列車は11 - 14番のりばを使っている。有効長は8両編成分。ただし、大和路線・阪和線方面から大阪環状線に直通する列車は、17番・18番のりばを使っている。11 - 14番のりばは掘割部の島式ホーム2面3線の地上駅で、12番・13番のりばで1本の線路を共有している。12番のりばは内回り列車の始発専用となっている。日中は、関空・紀州路快速は12・13番のりばで直接折り返し、大和路快速は14番のりば到着後に一旦引上げ線に入り11番のりばに入線する。周回列車は当駅で時間調整のため3分ほど停車する。

内回りの始発には桜島線(JRゆめ咲線)直通、阪和線・関西空港線直通、大和路線直通列車など他路線直通列車も使用されるが、この際は電光掲示板や車両の行先表示器には誤乗防止のために「普通 大阪環状線」と表記されており、当駅発車後に表示が切り替えられ、隣の寺田町から本来の行き先が表示されるようになっている。

「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として大阪環状線の各駅には「駅シンボルフラワー」が制定されており、当駅には阿倍野区の花でもある「ペチュニア」が割り当てられ、案内サイン類の意匠に取り入れられている。

関西本線(大和路線)ホーム
関西本線(大和路線)の列車は、掘割部にある島式ホーム2面4線の15 - 18番のりばを使っている。有効長は、一般電車は8両編成分、特急電車は9両編成分。15番のりばの特急電車の一番後ろの「はるか」の1号車、及び「くろしお」の9号車は、車掌室から客室部分にかけては柵でガード、柵の切れたところが最後の扉 (最後の車両の前寄りの扉) である。本来は関西本線(大和路線)のホームであるが、1989年(平成元年)7月22日に阪和線と関西本線(大和路線)を結ぶ構内短絡線が設けられて以来、阪和線の列車もこのホームに乗り入れ、大阪環状線との直通が可能になった。短絡線は当初単線で関西本線(大和路線)と平面交差しており、阪和線との直通列車は16番・18番のりばに発着していたことから、ダイヤ編成上のボトルネックとなっていたが、2008年(平成20年)3月15日より短絡線は複線化され、平面交差も解消された。同じ改正より、阪和線は15・18番のりば(一部は17番のりば)、大和路線は16・17番のりば(一部は18番のりば)に発着している。15番のりばから発車する特急「くろしお」は車両形式によりドア位置が異なるため天井に設置されている行灯式号車案内(乗車口のものが点灯)で確認する。関空特急「はるか」はホーム上に乗車口案内が添付されている。一方、18番のりばの関空特急「はるか」の号車案内板が線路側にあるのみで、特急「くろしお」の乗車口案内は設置されていない。

なお、当駅は平日早朝に16番のりばから「大和路線奈良経由の京都行き」と全時間帯に18番のりばから「特急はるか 新大阪経由京都行き」の運転があるため、上下別々ののりばから経路が全く異なる「京都行き」の発着があるという珍しい駅でもある。

引上線など
阪和線のホームの東側には引き上げ線が1本、大阪環状線ホームの西側には引き上げ線が2本設けられている。また、14番のりばと15番のりばの間にはホームのない線路が1本ある。引き上げ線から出区して奈良方面への回送や、大和路線JR難波駅への回送のため、大阪環状線の西側引き上げ線に入りきらない時などに使われる。

構内店舗
阪和線1番ホームの西端と、東跨線橋には「麺家(旧:天王寺うどん)」の店舗がある。ジェイアール西日本フードサービスネットの管理・運営であるが、営業業務は天鉄トラベルサービスに委託されている。

2012年11月、中央コンコースにコンビニエンスストアと土産物の複合店「アントレマルシェ」がオープンした。運営はジェイアール西日本デイリーサービスネット。

 

発車メロディ
「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、2015年3月22日から地元天王寺区出身で大阪を代表する歌手・和田アキ子の代表曲「あの鐘を鳴らすのはあなた」が大阪環状線ホーム(11 - 14番のりば)の発車メロディとして使用されている。当駅近くの四天王寺の鐘に因んでいる。


天王寺駅の歴史は、初代の大阪鉄道が1889年(明治22年)5月14日にのちの関西本線に当たる路線の、湊町駅(現在のJR難波駅) - 柏原駅間を開通させたときに、その中間駅として開業したことに始まる。当時の天王寺駅周辺は、四天王寺に代表される寺社群の集まる地であり、また明治に入って東成郡の郡役所が置かれて発展しつつある場所であった。大阪市街と町続きであった天王寺村の南で上町台地に掘割を設けて線路を敷いた。大阪鉄道は引き続き、後の大阪環状線に当たる路線の建設を進め、1895年(明治28年)5月28日に玉造駅まで開業し、天王寺駅はその分岐駅となった。1900年(明治33年)6月6日に、関西鉄道が大阪鉄道を合併して関西鉄道の駅となったが、その関西鉄道も1907年(明治40年)10月1日には鉄道国有法により国有化され、国有鉄道の駅となった。この間、周辺は急速に市街地として発展しており、大阪馬車鉄道(のちの阪堺電気軌道上町線)が1900年(明治33年)9月20日に、天王寺が10月27日に相次いで開業して、これらの路線の集まるターミナルとしても発展していくことになった。さらに大阪市電も順次建設が進み、1923年(大正12年)4月13日には2代目の大阪鉄道も後の近鉄南大阪線となる路線を開業した。

この時点で、天王寺駅は掘割の中に東西方向に伸びるプラットホームが3本南北に並ぶ構造となっていた。北側から城東線(現在の大阪環状線の一部)ホーム、関西本線上りホーム、関西本線下り、南海天王寺支線共用ホームの順だった。城東線ホームより北側には貨物積卸場と貨物上屋が並んで貨物扱いを行っており、この部分の西側の地上と同じ高さに駅本屋が設けられていた。駅本屋の北側を東西に抜ける貨物扱い用の道路があり、天王寺駅前交差点から貨物積卸場へ荷車が出入りできるようになっていた。駅本屋は地上の高さにあることから、本屋内からそのままの高さで南へ掘割を横断する跨線橋が架かっており、そこから各ホームへ降りる構造だった。また、駅前には大阪市電や阪堺電気軌道の路面電車が走っており、阪堺電気軌道は掘割を横断する橋で南へ延びていた。2代目大阪鉄道の駅はこの国鉄天王寺駅の南側に隣接して東西方向にプラットホームを設けていた。

 

阪和線ホームの増強
第二次世界大戦後はさらなる利用の増加に対応するための改良工事が行われた。阪和線の貨物列車は天王寺駅で関西本線方面への受け渡しを行っていたが、1952年(昭和27年)9月1日に竜華操車場と杉本町駅を結ぶ阪和貨物線が完成して、天王寺駅を通らずに運行できるようになった。そして天王寺駅の阪和線設備が大改良され、一番北側に南紀方面直通列車専用の機回し線を備えた長いプラットホームが建設された。その南側には合計4本のプラットホームが用意され、1本の線路の両側にプラットホームがあって両側の扉を開いて客扱いをできるような構造とされた。番号は北から順に1番から9番までで、1番・2番が紀勢方面直通列車、3番・4番が快速列車乗り場、5番・6番が降車専用、7番・8番が普通列車乗り場となった。当初は紀勢直通用以外は4両対応だったが、後に6両対応に拡張された。

また、戦争で中止されて木造の仮駅舎となったままだった天王寺駅舎の工事も再開されることになった。国鉄以外の会社も出資する「民衆駅」の形で工事を行うことになり、国鉄・近畿日本鉄道・鉄道弘済会・南海電気鉄道・日本交通公社・日本食堂・都ホテルの各社が出資する天王寺ステーションビル株式会社が設立されて、1960年(昭和35年)7月11日に着工した。鉄筋コンクリート5階建てで、阪和天王寺駅の駅舎のあった部分では地下2階・地上10階の建物とされた。戦前に完成していた基礎工事が流用されたが、建物が大型化したため補強工事を行って使っている。1962年(昭和37年)9月20日に竣工式典が行われ、翌日から使用が開始された。これに合わせて阪和線プラットホームがさらに南側に1面増設されて降車専用9番降り場となった。阪和線の輸送需要の増加はさらに続き、8両編成に対応させるための工事が昭和50年代に実施された。紀勢本線直通ホームにあった機回し線を廃止し、スペースを確保して5面5線の現在に見る阪和線プラットホームを完成させた。しかし阪和電気鉄道時代に降車専用客を通す地下道として建設された構造がプラットホームの下に残されており、それに設計を制約された関係でプラットホームの幅がばらばらになったりプラットホームの屋根の柱の位置が中心からずれたりする影響を受けている。

1989年(平成元年)7月22日には阪和線と関西本線を連絡する短絡線の供用が開始された。2008年(平成20年)3月15日にこの線路は複線化されている。一方で、南海天王寺支線は新今宮駅が国鉄・JRと南海の乗換駅として機能するようになったことと、南海の貨物輸送廃止で国鉄との貨物受け渡しの必要性がなくなったことから存在意義が薄れ、1993年(平成5年)4月1日に廃止された。この土地を利用する形で駅ビルを建設する計画が進められ、1985年(昭和60年)4月5日に天王寺ターミナルビルが国鉄と南海の共同出資で設立され、1992年(平成4年)10月16日に起工、1995年(平成7年)9月14日に「天王寺ミオ」としてオープンした。

年表
1889年(明治22年)5月14日 - 大阪鉄道(初代)が湊町駅(現在のJR難波駅)- 柏原駅間(現在の関西本線の一部)を開通させた際に、同線の駅(一般駅)として開業。
1895年(明治28年)5月28日 - 大阪鉄道の天王寺駅 - 玉造駅間(現在の大阪環状線の一部)が開通。
1900年(明治33年)6月6日 - 大阪鉄道の路線を関西鉄道が承継。関西鉄道の駅となる。
1907年(明治40年)10月1日 - 関西鉄道が国有化。官設鉄道(国鉄)の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称設定により、関西本線所属駅となる(玉造・大阪方面は城東線となり、その後1961年に大阪環状線に改称)。
1929年(昭和4年)7月18日 - 阪和電気鉄道の阪和天王寺駅(はんわてんのうじえき)が開業。
1931年(昭和6年)6月3日 - 阪和天王寺駅全面竣工。
1933年(昭和8年)
9月1日 - 阪和天王寺駅の貨物積卸場増築届。
10月27日 - 阪和天王寺駅の貨物引上線延長届(翌1月19日認可)。
1934年(昭和9年)
3月31日 - 阪和天王寺駅駅本館増築届。
4月 - 貨物積卸場を東側約1kmの地点へ移転する工事に着手。
(日付不詳) - 阪和マーケット営業開始。
1935年(昭和10年) - 貨物積卸場使用開始。
1937年(昭和12年)3月19日 - 木造2階建ての仮駅舎に移転。
1940年(昭和15年)12月1日 - 阪和電気鉄道が南海鉄道に合併、路線は南海山手線となる。この時、天王寺支線天王寺駅との徒歩連絡を開始。
1941年(昭和16年)8月1日 - 阪和天王寺駅が南海天王寺駅(なんかいてんのうじえき)に改称(天王寺支線の天王寺駅については山手線とは別改札かつ国鉄と同一敷地であったため、駅名を改称せずにそのままとなる)。
1944年(昭和19年)5月1日 - 南海山手線が国有化され、運輸通信省(後の日本国有鉄道)阪和線となる。同時に南海天王寺駅を天王寺駅に統合し、山手線の南海移管後も天王寺駅の駅名のままで残された、天王寺支線天王寺駅との徒歩連絡を解消する一方、阪和線との連絡運輸を開始。


1960年(昭和35年)
2月11日 - 天王寺ステーションビル株式会社設立認可。
7月11日 - 天王寺駅ビル鍬入れ式。
1962年(昭和37年)
9月20日 - 天王寺駅ビル竣工式。
9月21日 - 天王寺駅ビル(天王寺民衆駅)完成。
1963年(昭和38年)10月1日 - 貨物営業を廃止(旅客駅となる)。ただし、南海天王寺支線との貨車受け渡しは存続。
1969年(昭和44年)6月1日 - 自動券売機の使用を開始。
1977年(昭和52年)3月1日 - 南海天王寺支線との貨車受け渡しを廃止。
1981年(昭和56年)4月1日 - 阪和線乗り場改良工事開始。
1982年(昭和57年)1月29日 - 阪和線ホームで当駅終着の区間快速電車が車止めに衝突する事故が発生。
1983年(昭和58年)10月1日 - 阪和線ホーム改良工事完成、5面5線となる。
1985年(昭和60年)4月5日 - 天王寺ターミナルビル株式会社設立。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1988年(昭和63年)3月13日 - 路線愛称の制定により、関西本線で「大和路線」の愛称を使用開始。
1989年(平成元年)
7月20日 - 駅構内の東側に阪和線と大和路線の短絡線が完成。7月22日に供用開始。
8月27日 - 阪和線ホームで当駅終着の快速電車が車止めに衝突する事故が発生。
1992年(平成4年)10月16日 - 「天王寺ミオ」起工式が行われる。


1993年(平成5年)
4月1日 - 南海天王寺支線が廃止される。
7月1日 - 阪和線に阪和線運行管理システム(初代)導入。
1995年(平成7年)9月14日 - 駅ビルのリニューアル工事が完成し、「天王寺ミオ」オープン。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2008年(平成20年)3月15日 - 阪和線と大和路線の短絡線が複線化。
2009年(平成21年)10月4日 - 大阪環状線・大和路線に大阪環状・大和路線運行管理システム導入。
2013年(平成25年)
5月2日 - 異常時情報提供ディスプレイの使用を開始。
8月7日 - 自動改札機をJR西日本テクシア製、AG50型に交換。
9月28日 - 阪和線運行管理システムを2代目のものに更新。
2015年(平成27年)3月22日 - 大阪環状線ホーム(11 - 14番のりば)に発車メロディを導入。曲は和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」。
2016年(平成28年)7月16日 - 改札内に液晶ディスプレイの案内板が設置される。
2018年(平成30年)3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始する。



JR 天王寺駅

所在地 大阪市天王寺区悲田院町10-45
北緯34度38分50.36秒
東経135度30分50.18秒
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
電報略号 テン
駅構造 地上駅
ホーム 5面5線(頭端式)
4面7線(島式)
乗車人員
-統計年度- 147,871人/日(降車客含まず)
-2018年-
開業年月日 1889年(明治22年)5月14日
乗入路線 3 路線
所属路線 Q 関西本線(大和路線)
駅番号 JR-Q20
キロ程 171.4km(名古屋起点)
加茂から50.5km
◄JR-Q21 東部市場前 (2.4km)(1.0km) 新今宮 JR-Q19►
所属路線 O 大阪環状線
駅番号 JR-O01
キロ程 西九条駅経由:11.0km
京橋駅経由:10.7km(大阪起点)
◄JR-O19 新今宮 (1.0km)(1.0km) 寺田町 JR-O02►
所属路線 R 阪和線
駅番号 JR-R20
キロ程 0.0km(天王寺起点)
◄[j 1](新今宮) (-km)(1.5km) 美章園 JR-R21►
備考 直営駅(管理駅)


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