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ヨッシーの道楽趣向-別冊-【yoshy's Garage】

【Welcome to yoshy's Garage ♪】

【ご自由にご覧下さい♪ - 94 -】

2018-07-30 | magazine(雑誌紹介)

Web yoshy'sGarageへようこそ♪
管理人のヨッシーです。

雑誌のご案内です

☆RACERS Volume51
30年前のヤマハ鈴鹿8耐テクノロジー
設計目標は耐久単能機
'87&'88 YZF750[OW89&OWAO]

YAMAHAが「FACTORY」として
鈴鹿8時間耐久レースに参戦したのは、
1985年のこと...。
あの時から33年が過ぎ、
2018年の今年、
「YAMAHA FACTORY RACING TEAME」は
鈴鹿8時間耐久レースの4連覇を成し遂げた。
HONDAも「FACTORY体制」で参戦した中での
勝利は凄いとしか言いようがナイ...。
まぁ...
久し振りのFACTORYで参加のHONDAが
3連覇をしていたYAHAMAに対して、
同一周回でレースを終えたのは
「流石」とも言えなくもないが...。
どちらにしても
今のYAMAHAの快進撃は、
あの時(1985年)、
チェッカーの振られる
約30分前に起きた「出来事」が
全てなのではないだろうかと私は思う。
4サイクルヤマハの歴史を知ることのできる
今回のRACERSは、
間違い無く「買い」の1冊である。
表紙に描かれている
TEAM LUCKY STRIKEY ROBERTSの
YZF750[OWAO]...は、
ヨッシーの大好物なMachineの1台です♪

レースは終わりましたが、
あの興奮を感じさせる動画を...。

2018 鈴鹿8耐 番宣CM BS12 トゥエルビ

Realyoshy'sGarageの本棚に
ご紹介した冊子を置いておきますので、
冷たいコーヒーでも飲みながらご自由にご覧下さい。

では
Thanks for coming!
Web yoshy'sGarageはライダーの皆さんのお越しを
お待ちしております♪


ヨッシーは走ることで日本を応援しています。

コメント (4)
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【群馬ツーリング♪- 幻のうどん&遺跡巡りの巻】

2018-07-26 | TOURING

Web yoshy'sGarageへようこそ♪
管理人のヨッシーです。

以前に公開した
関東遠征(前・後編)のやり残し...
「幻のうどん」を食すことを含めた
マニアックな群馬県ツーリングを企画し、
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2改を
走らせてきました♪
暑い夏...群馬県といえば
草津(志賀・万座)・榛名周辺・赤城周辺等々、
涼風を感じながら
走れるツーリングスポットは数あるも、
敢て今回は、
『マニアック』な場所に
拘ったツーリングをしてきましたので
ご覧下さい♪

この計画の、
ある意味では「柱」とも言えるのが
「幻のうどん」。
万一にでも
「臨時定休日」に当たる様なことが
在っては成らぬな...と、
出発前日に
営業確認の電話を入れてみると...。
小気味の良い「爺さま」の声で、
「明日の事は分んないなぁ~」
「朝の8時半頃には仕込みしてっから」
「また明日、電話してみてちょぉ~だい」
「よろしくねぇ~」
とのご返答...。
この時点で既に
「まぁぼろしぃ~!(IKKOさん風)」感
全開のマニアックツーリングの出発と
相成りました(笑)

【Day1】2018年7月14日(土曜日)
am4:00-
うどん店のある
群馬県は多野郡上野村という場所は、
近年では上信越道の
下仁田インターと短絡する
長大トンネル(湯の沢トンネル)が完成したので、
かつてのイメージは
かなり薄らぎつつあるのだが、
険しい峠を隔て
佐久(長野県)や秩父(埼玉県)と隣り合う、
まさに秘境の趣がある村だ。
間違っても到着時間が押して、
「うどんを食べ損なってしまう」
などと言う失態が無い様に、
到着時間を逆算し
お得意の朝駆けデッス♪

名古屋IC==名神高速道路==
小牧JCT==中央自動車道==
岡谷JCT==諏訪IC==
国道152号線(大門街道)==
白樺湖==国道142号線より
国道254号線(富岡街道)へと入り、
内山隧道を抜けたチョイさきの
PAに愛車を止める...。
晴れた日にはここから美しい
「荒船山」を望むことができるのだ♪
『荒船山』
群馬県の南西部に位置する
妙義荒船佐久国定公園の名峰で、
「下仁田町・南牧村・長野県佐久市」にまたがる。
荒海に浮かぶ
「不沈航空母艦」のような姿の荒船山は、
古代人も崇拝した山。
どこから見ても分かる
特異な山容でファンが多い。
長い間の浸食によって、
山頂にメサ状の台地が誕生したという。
頂上北端の、
船の艫(とも)にあたる所が艫(とも)岩で、
200mにもおよぶ断崖は見る人を圧倒する。
絶壁上の見晴台からは、
神津牧場や佐久高原、
浅間山から遠く北アルプスまで一望できる。
- YAMAKEI Onlineより -


PAを後にし
下仁田こんにゃく観光センターで、
御手洗いと
うどん屋さんへ営業確認を済ませたらば...、
下仁田交差点を右折し
県道45号線(西上州やまびこ街道)で
山に分け入ります♪
湯ノ沢トンネルを抜け
「塩の沢温泉方面」へと
Machineの鼻先を向けると...

峠のうどん屋/藤屋さんに
到着となります♪
暖簾を掲げるまでには
まだ少し時間がありましたので、
あたりを散策しながら開店を待ちます♪


通常営業は
am11:30-からのところ、
私の為に
少し早目のam11:00-に
お店を開けていただきました...
ありがとうございました♪
素朴な店内はもちろん、
誇らしく掲げられた
メニュー札がまた良い。
「手打ちうどん一筋」という潔さ...
素晴らしい♪


席につくと
お手製の「漬け物」と
お茶が運ばれてきます。
ちなみに...
「野菜天ぷら手打ちうどん」
一筋のお店なので
注文を聞かれることはありません(笑)
ネットの口コミでも高評価の
激ウマの漬け物を頬張りながら
暫く待っていると...
幻のうどんが運ばれてきました♪
長野は善光寺の「八幡屋礒五郎」さんの
七味唐辛子/14g缶と比較してみると、
その量(大きさ)に驚かされます。

極太に切られた
手打ちうどんの上に、
野菜の天ぷらと刻みネギ...
そして、
ゆで卵がトッピングされています♪

不揃いの太麺が真に手打ちの良さ♪
太麺でモチモチとした食感は
好みが分かれるところではあるが...、
濃いめのうどん出汁に
野菜の天ぷらを浸し、
太麺のうどんをズルズルと啜りぁ、
このお店の人気の秘密が
自然に全身に伝わってくるというもの...♪

峠のうどんは、
ご高齢の店主が切り盛りされているので、
1日に提供できる数は
精々40~50杯ほどが限界。
その為ほとんどが
「電話予約」で売り切れるのだとも聞く...。
特に週末に訪れる際には、
事前に電話で営業確認をしておくことを
強くお勧めしておきます。
幻と呼ばれるうどんを完食し終え...。
店先に咲いていた
美しい「野ユリ」を眺めながら、
また
気さくなご店主が丹精込めて打った
うどんを食べに来たいものだナ...
と心から感じるのであった♪
(少しでも長く
続けていって欲しいものだなぁと願う)

峠のうどん屋/藤屋(食べログ)
峠のうどん屋さんで
腹をみたしたらば、
国道299号線を秩父方面へ向け
走り出します...。
峠道を越えてゆくと道路脇に
『瀬林の漣痕』という場所を
見付けることができます。
またマニアックと言える場所に
到着デッス♪
漣痕...!?
※漣痕:堆積物の表面に
周期的な波状の模様が作られた
規則的な微地形のこと。

『瀬林の漣痕』
- 中里村指定 天然記念物 -
この岩壁は、
中生代(約1億年前)に
この地方が海に面していた頃、
水深の浅い「流れのあと」が
砂浜に残って化石となり、
その後の地殻変動により
現在のような崖となって
姿を現わしたものです。
岩壁を観察すると、
中生代に生息していた生物(貝殻など)の
生活の痕跡も認められます。
特に昭和六十年には、
専門家の研究により
「恐竜」の足跡が
残されていることが証明され、
この岩壁の重要性が再確認されました。
日本列島では初めての発見となった
大型・小型の数種類の恐竜の足跡をはじめ、
太古の生物や気象などの貴重な情報を
現代に伝える「ささなみ岩」なのです。
- Ripple Marks in Sebayashi -
This rock wall is type of fossil made 
of shallow stream vestige.
During the Mesozoic era,
more than a hundred million years ago,
this area faced the sea,
whose shores were shallow sandy-beaches.
The ripple were fossilized in the sand,
then a series of 
natural disaster revealed it as rock wall.
If you observe the wall carefully,
you will also find some trace fossils 
form the Mesozoic era,i.e.shellfish.
In Showa 60 (1985),
severral pits on the wall were proven to be 
dinosaur footprints by seientisits,
which strengthened the value of the era's data.
At one time,
various types of dinosaur footprints were 
first discovered here in Japan.
MarKs,"for they give us baluable information
about Cretaceous libes an their environment.


ここ「瀬林の漣痕」の岩肌には、
クッキリと恐竜の足跡が残っているのです♪
今から1億年もの太古の昔...。
人間などまだ存在すらしないこの地を
恐竜達が確かに歩き回っていた...
真に「ジュラシック・パーク」。



映画「ジュラシック・ワールド/炎の王国」の
公開による影響なのか...。
恐竜が生きていた痕跡を楽しめる(学習できる)
「瀬林の漣痕」には、
多くのファミリーが訪れていた。


『ジュラシック・ワールド/炎の王国』特別映像<The Jurassic Legacy>
国道299号線を
秩父市内へと下ってくると、
猛烈な暑さに襲われた...。
ジリジリと肌を刺す様な陽射しが
容赦なく照りつけてくる。
こりゃマジ暑い...。
体感温度(感覚で)では、
外気温35℃を
Overしていたのではなかろうか。
Machineのエンジンを止め、
ガソリンを給油しているだけで
汗が噴き出るのが感じられた。
しかし、
マニアックツーリングは続く...(笑)
この日最後となる
マニアックな地を目指し、
秩父市から
東秩父村へと抜ける
県道11号線-埼玉県-は
定峰峠(さだみねとうげ)越えを敢行する。
タイトな峠道を楽しみながら、
峠のうどん屋さんの駐車場に
スッと愛車を止めた。

ここ「鬼うどん」さんの駐車場は、
しげの秀一作の漫画(講談社)
『「イニシャル」頭文字D』
22巻Vol.268「再開」で、
トラブルで止まってしまった
岩瀬恭子の「FD3S」を高橋啓介達が
修理した場所のモデルとなったトコロ...
マ・マニアック!(笑)
現在、鬼うどんさんは
残念なことにご店主の
都合により休業中とのこと...。
再開されたら
是非訪れてみたいものです♪

人気漫画のモデルとなった地...
確かにマニアックではありますが、
残念ながら定峰峠は
この日最後のマニアック地点にアラズ。
単なる通過点に過ぎません(笑)
峠を越え
関越自動車道を潜り
県道11号線を更に進み、
熊谷市から
国道125号線(行田バイパス)にのり...。
加須市に入り
県道46号線・国道354号線と渡り
ドン付きの柏戸(遊水池)交差点を左折し、
県道9号線の護岸を進めば目的地はスグソコ♪
『三県境(さんけんきょう)』
三県境とは、
3つの県で構成される
1か所の県境のことを言います。

三県境は
全国に48箇所あるのだそうですが、
その殆どが
河川の中か山中(山頂・尾根)と、
到底人が気軽に
歩いて訪れる様なことが出来ぬ場所に
存在しているのです。
そう...
もうお分かりですよね(笑)
平地でかつ
手軽に歩いてゆける「三県境」...
それこそが
この日最後のマニアックな場所なのです♪

北緯36度12分26秒
東経139度39分52秒
(国土地理院地図閲覧サービスより)
『群馬県板倉町』
『栃木県栃木市』
『埼玉県加須市』の三県境。
手作り感満載の立て札が...
マニアックで良いですねぇ♪

5月(2018年)に整備されたばかりの
真新しい遊歩道を歩けば...。
綺麗に区画化された
『三県境』が目の前に現れる♪
単に県境ジャン...
などとは言わないで下さいね。
3歩で3県に行ける
場所は本当に珍しいのですから♪
中心の『三県境界杭』を、
ジーッと見つめていると
なんとも堪らなくなってきませんか...(笑)


三県境に設置されている
『三県境記念スタンプ』を
木製の専用BOXより取り出し。
ツーリングマップルの現在地点に
ポンとスタンプを押し付ければ...
三県境「Complete」です♪


7月の中旬というのに...
暑さとエンジンからの熱気に
朦朧(もうろう)としながらも
なんとか宿泊地に到着し、
室内をエアコン(冷房)の冷気で満たすと、
この日に予定していた
マニアックな場所の
その全てに到達できたという
達成感に全身が包まれてゆき、
アッと言う間にDay1を終えた...。

【Day2】2018年7月15日(日曜日)
am8:30-宿泊地出発♪
この日の
群馬県前橋市は良く晴れ、
朝だと言うのに既にかなりの暑さ...。
高原ツーリングにしておけば
良かったかな?などと
心折れそうになりながらも、
マニアックツーリングを続けます(笑)
この日最初のマニアック地点は...
『上毛野(かみつけ)はにわの里公園』にて
古墳時代に「TimeSlip」しちゃいます。
到着後、
さっそく復元された
前方後円墳(八幡塚古墳)をバックに
記念撮影デッス♪


『八幡塚古墳』
八幡塚古墳は、
5世紀後半に建造された
大きな前方後円墳です。
八幡塚古墳は発掘調査の結果に基づいて、
造られた当時の形に復元されました。
住時の古墳とは、
石と埴輪(はにわ)で飾られ、
遠くからも白く浮き立つ
構造物だったのです。
- 上毛野はにわの里公園ガイドより -


八幡塚古墳は
復元された前方後円墳となりますので、
前方後円墳に登ることが可能なのです。
まずは前方後円墳の外周を
ジックリと散策しながら頂上を目指します♪


前方後円墳を取り囲む堀には
青々とした芝がはられ、
それらの縁には
前方後円墳の美しさを引立てるのかの如く
埴輪(はにわ)が並べられています。




何だかこの世界観は、
ジブリアニメの...
『風の谷のナウシカ』のワンシーン
を想像してしまうのは私だけでしょうか?

風の谷のナウシカ(Battle music)
さて...
話しが逸れましたので元に戻しますと、
この地は
『保渡田(ほどた)古墳群』と呼ばれ、
榛名山東南麓の井野川上流域にある、
3基の前方後円墳の総称です。
それらは、
5世紀後半から6世紀初頭にかけて、
当時の東日本において
きわめて優勢であった
「豪族達」の墓所として、
二子山古墳→八幡塚古墳→
薬師塚古墳の順に造られました。
これらの古墳は現在
「国指定史跡」に指定されています。

いよいよ石段を
前方後円墳の頂上を目指し登ります。
石段を降り終え
階段を降りると
そこは「棺室」になっています。


6畳間ほどの狭い空間に、
石棺(舟形石棺)が置かれています。
後にご紹介する
博物館で学んだことなのですが、
死者は死後直ぐに
「前方後円墳内の棺」に埋葬されるのではなく、
一端他の場所に埋葬され
「遺骨」となった後に、
改めて「前方後円墳内の棺」に収めたのだと
推測されているのだそうです。


建造された時期が
逆になってしまいましたが、
二子山古墳にも登ってみました。
『二子山古墳』
古墳群の中で最初の、
5世紀第3四半期ごろに
築造された前方後円墳。
昭和5年、
帝室博物館(現東京国立博物館)の
後藤守一氏が初めて発掘し、
内堤(ないてい)から
埴輪片などを発見した。
平成15年~17年には
史跡整備の調査を行ない、
朝鮮半島製を含む多量の
遺物破片が見付かった。
- 上毛野はにわの里公園ガイドより -


前方後円墳より
『かみつけの里博物館』に
場所を移し「古墳時代」のお勉強と
展示物見学です♪


『かみつけの里博物館』
- 甦る5世紀の世界 -
かみつけの里博物館は、
榛名山東南麓で出土した
5世紀後半(古墳時代)の
人物・動物埴輪や当時を再現した模型が
展示されている考古博物館です。
館外には国指定史跡の
保渡田古墳群のうち、
八幡塚古墳・二子山古墳が復元整備され、
遠く1500年前に思いを馳せ、
古代人の生活のたくましさ、
技術の素晴らしさ、
埴輪(なにわ)に見る
彼らの心の豊かさに触れられます。

『常設展示』
かみつけの里博物館は
「上毛野はにわの里公園」の特別施設として、
平成10年春にオープンし
はるか古代の栄華と神秘の謎に迫ることのできる
施設となっています。
館内は、
榛名山麓の古代文化を9つのコーナーで紹介し、
遺跡から出土した埴輪(なにわ)、
土器、日本最古の飾履(くつ)などの
遺物や、ビジュアルな復元模型により
古墳時代を詳しく解説をされています。




様々な形をした
埴輪を見学しているダケでも
面白いのですが...。
古墳の作り方や
古墳時代の農作業(米・麦)の様子などを、
丁寧に分りやすく
解説されていたりします♪




常設展示物の中に、
「海の向こうからきた人たち」
というコーナーがあり、
下芝谷ツ古墳から発見された
日本最古の飾履(くつ)が展示されています。
朝鮮半島の影響を受けた
積石塚古墳分布や様々な渡来文化も
紹介されています。

日本最古の飾履(くつ)の
実物(出土品)と精巧な復元(Replica)
も対比展示されていました。
実際には履かな(履けな)い靴に
これだけの贅沢な装飾を施せる
財力・権力と技術力には驚かされます。

これだけのQualityで
入館料が一般/¥200-と
超お得なのも嬉しいところなのですが、
さらに猛暑のなか、
前方後円墳見学でヒートアップした身体を
空調の効いた館内で
クールダウンできたことも
とても有り難く感じました♪

かみつけの里博物館(高崎市観光情報)

歴史探訪に興ずるのもまた
マニアックな行為か...(笑)
古墳時代の次は、
飛鳥・奈良時代へと
『TimeSlip』しちゃいます♪
真に『TimeHunter』の如く
時代を行き来します。
お次に向かうは
『上野三碑(こうずけさんぴ)』です。
上野三碑とは、
群馬県-古代上野国(こうずけのくに)-
高崎市南部地域に所在する、
飛鳥・奈良時代に造立された
三つの石碑の総称です。
日本国内で現存する
平安時代以前の古碑は
僅かに二十例ほどに過ぎず、
高崎市域における三例の集中は、
歴史的に極めて特筆されます。
それそれの石碑からは、
千三百年前頃の地方行政制度のあり方、
古代豪族の婚姻や氏族のつながり、
仏教思想の広がりなど、
実に多くのことが明らかになり、
古代東国史の一級史料と評価されています。

さぁーて!
暑さに負けずに
三碑巡りのスタートです♪
最初に訪れたのは...
『金井沢碑(かないざわひ)』
金井沢碑は、
奈良時代初期の
神亀3年(726年)に、
三家(みやけ)氏を名乗る氏族が、
同族とともに
仏教の教えで結びつき、
祖先の供養・一族繁栄を祈るために
造立した石碑となります。
- 上野三碑パンフレットより -
金井沢碑は駐車場より
少し小高い山を登った場所にあります。



<金井沢碑Information>

碑文(刻まれた文字)

<現代語訳>

次に向かったのは、
『山上碑(やまのうえひ)』となります。
山上碑は、
完存するものに限れば
日本最古の石碑として知られ、
古代最大の内乱「壬申(じんしん)の乱」
を征して即位した、
天武天皇の時代に
造立された石碑となります。
- 上野三碑パンフレットより -
その名の通り...
かなりの階段を登った
山の上に「山上碑」はあります。
暑い日に
この石段を登るのはキツイ(汗)
然れどココまで来て
「日本最古の石碑」を見ずには帰れマイ。
石段下に設置されていた「杖」を使い
一段一段...石段を登り
「山上碑」を目指します...。



<山上碑Information>

碑文(刻まれた文字)

<現代語訳>

山上碑の東隣には、
「山上古墳」がある。
碑文の「黒売刀自」の父の墓として造られ、
後に黒売刀自を追葬したものとされる。
『山上古墳』
山上古墳は山上碑の東隣にある
直系15mの円墳で、
南斜面に山寄せ式で造られている。
中心には南に開いた
横穴式石室(奥行き7.4m)があり、
凝灰岩を切り組んで仕上げあれている。
こうした切石積み石室は
古墳としては最末期のもので、
飛鳥時代に盛行したものです。
- 上野三碑パンフレットより抜粋 -
この古墳...
驚く事に中に入る事ができます。
しかし、
墓所である
古墳内部はやはり「不気味」の一言。
灯りを照らすと壁面には無数の...。
これ以上は書きませんが(汗)
良い経験とはなりますので、
興味のある方は是非
古墳内部へ入ってみることを
お勧め致します(笑)



三碑巡りの
ラストは『多胡碑(たごひ)』です♪
多胡碑は、
中央政府からの命令で、
上野国(こうずけのくに)の
片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡内から
三百戸を割き、
新たに多胡郡を建てたことを記念した
建郡碑となります。
他の二碑とは違いこの多胡碑は、
朝廷の左中弁正五位下の位にある
「多治比真人」から
上野国に宛てて発行された、
和銅四(711年)年三月九日宣旨の
公文書を略記したものとみられています。
末尾には太政官の穂積親王、
左大臣の石上尊(和銅四年当時は石上麻呂)、
右大臣の藤原尊(同じく藤原不比等)など、
政府高官の名を挙げて建郡を
正統化していると考えられます。
- 上野三碑パンフレットより -
多胡碑は、
多胡碑記念館横の公園内にあるため、
比較的楽に見学する事ができます♪


<多胡碑Information>

碑文(刻まれた文字)

<現代語訳>

金井沢碑・山上碑・多胡碑と巡り、
「上野三碑」を
全てCompletedすることができました。
暑い中の三碑巡りは正直堪えたので、
『多胡碑記念館』で涼を取りながら
上野三碑の魅力を
今一度お復習い(おさらい)します♪
『多胡碑記念館』
- 多胡碑(特別史跡)から生まれた記念館 -
多胡碑の碑文が「続日本記」の
「和銅四年三月の辛刻」の条と一致するなど、
日本古代史上の重要史料の一つとして
知られる多胡碑。
碑の書体は多くの人々に愛好され、
拓本が朝鮮・中国に伝えられたことを契機に、
近代以降の日本の書道界に影響を与えた。
館内には、
奈良・平安時代の多胡碑をうかがわせる
考古資料や多胡碑の書に通じるとされる
古代中国の拓本などが展示されている。

多胡碑記念館には
上野三碑の精巧な「複製(Replica)」が
展示されているほか、
世界の「古代碑拓本」が
多数展示されています。
三碑を巡る時間の無い方や
古代の文字(世界文字文化)などに
興味のある方は是非多胡碑記念館に
訪れてみると良いでしょう♪
実際の三碑は、
貴重な歴史遺産("ユネスコ世界の記憶")の
保全を目的に『覆い屋』と呼ばれる
建屋越しでの見学となるため、
この記念館の複製(Replica)で、
「上野三碑」の魅力を
間近に感じてみるのも良いでしょう♪

多胡碑記念館
【上野三碑めぐり情報♪】
- ボランティアガイドさんの話しに耳を傾けよう♪ -
上野三碑(多胡碑・金井沢碑・山上碑)では、
土日・祝日に
「上野三碑ボランティア会」の皆さんが、
碑文の内容や
碑にちなんだエピソードなどを、
ユーモアを交えながら
説明(解説)して下さっておられます。
パンフレットだけでは伝わらない
「上野三碑」の魅力を余すこと無く
感じることができますので、
上野三碑に訪れた際には是非、
ボランティアガイドさんの話しに
耳を傾けてみて下さい。
- 上野三碑めぐりバスを有効利用しよう♪ -
高崎市教育委員会が主体となり、
上野三碑を見学される方の
利便性向上のため、
無料巡回バス
「上野三碑めぐりバス」を
無料運行しています。
このバスは、
上野三碑のデザインラッピングを
施した特別車両で、
上信電鉄吉井駅を起点に、
多胡碑・山上碑・金井沢碑間を
およそ45分間隔で巡回運行しています。
上信電鉄山名駅(山名八幡宮)にも
停車しますので、
上野三碑の見学の際には是非、
利用されると良いでしょう。

三碑の場所は
然程(それほど)離れてはいないのですが、
ヨッシーが巡った日は、
7月としては
まれにみる『猛暑日』...。
早朝に訪れた、
「保渡田(ほどた)古墳群」での
前方後円墳巡りの際に受けた
暑さによるダメージ(疲れ)も相俟って、
最初に訪れた「金井沢碑」で
もうバテバテ...(笑)
金井沢碑に居られた
「上野三碑ボランティア会」の皆さんに、
「上野三碑めぐりバスは無料だよ♪」と
教えていただいたことで、
愛車を金井沢碑の駐車場に置いておき、
冷房の良く効いた送迎バスで
上野三碑を巡ることができました♪
暑い夏...
上野三碑を訪れるならば、
無料の送迎バスを利用しない手はアリマセンヨ♪
乗り降りは
下記の5箇所から自由にできます。
※送迎バスは
下記の5箇所を巡回運行されています。
①上信電鉄「吉井駅」
②多胡碑
③上信鉄道「山名駅」(山名八幡宮)
④山上碑
⑤金沢碑
巡回送迎バスを巧みに乗り継ぎ
快適に「上野三碑」を巡っちゃおう!

上野三碑CM~序章篇~

上野三碑物語~前篇~
CMの挿入歌となっています
Lacco Tower さんの『最果』...
とても素敵な曲となっていますので
是非ご一緒にお楽しみ下さい。
上野三碑

無事に
金井沢碑駐車場に置いていった
愛車KawasakiZRX1100-C2改に戻り、
上野三碑ボランティア会の皆さんに
手を振ってお見送りしていただきながら
高崎市を後にします。
『さぁ...300km戻る(帰宅する)ぞ!』
と気合いを入れ直して、
吉田ICより上信越自動車道に入り...
妙義山を仰ぎ見れば、
さきほどまで肌に纏わり付く様な
生暖かい空気感は一変し、
快適な高速走行となる♪
佐久小諸JCTより
「中部横断自動車道(無料区間)」を使い
一気に八千穂高原まで抜け、
遠く八ヶ岳を望みながら
吹く風(走行風)爽やかなる
国道141号線(野辺山界隈)をゆけば、
晩御飯を...ココでと考えていた
清里に到着デス♪
『グラタン専門店アミ』
清里高原の新鮮な牛乳を
たっぷり使用した、
素朴でまろやかなホワイトソースが
自慢のグラタン専門店。

ランチ時には
座席待ちのお客さんで
ごった返していたであろう店内も、
夕刻迫るこの時間には
穏やかさを取り戻している♪
白州ソーセージと
スモークサーモンとオニオンサラダを
食べながらグラタンの焼き上がりを待ちます。


メインとなるグラタンを、
マカロニ系のものにするかを
とても迷ったのですが、
今回は
「ハンバーググラタン」を選んでみました。
お手製ハンバーグと高原野菜に
たっぷり掛けられた
アミさん自家製のホワイトソースが
巧く調和していて堪りません♪

清里はバブル景気時代の華やかさは
影を潜めて久しく、
一時期はシャッター街の様相を呈し、
街全体に
寂しい雰囲気が漂っていたのだが、
拘りをもったお店はいまなお健在♪
八ヶ岳周辺の
ツーリングを企画する際には今一度、
清里を候補に加えてみては如何だろうか。

グラタン専門店アミ

清里より、
国道141号線(清里ライン)で
長坂ICに向かうことはせず、
陽も暮れ四輪車が激減する
県道11号線(八ヶ岳高原ライン)を、
野生動物の飛び出しに
細心の注意を払いながら、
小淵沢ICマデ駆け抜け
中央自動車道へ流入すれば、
あとは、
自宅マデ約230kmほどの
勝手知ったる道を残すのみダ。
快調に...
そして軽快に
中央高速道路を
愛車Kawassaki/ZRX1100-C2改を
自宅へ向け走らせながら、
7月中旬としては
異常とも思える暑さであった
このマニアックツーリングも、
「充分に満喫することができたな...」
と心満たされながら、
群馬ツーリングは
終わりを迎えるのであった。

2018年の七の月、
埼玉県は熊谷市で41.1℃という
観測史上最高気温が観測された...。
気象庁がこの暑さは
『命に危険があるような暑さで
災害と認識している』と
発表するほどのもの。
ツーリングに出掛ける際には、
こまめな水分補給をして、
暑さ対策・熱中症予防を
お忘れ無き様に願います。
どれだけ暑い夏であっても、
人生に「この夏」は一度限り!
オートバイライフを
目一杯楽しみましょう♪

では
Thanks for coming!
Webyoshy'sGarageはライダーの皆さんのお越しをお待ちしております♪


ヨッシーは走ることで日本を応援しています。





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【関東遠征♪(後編)- Tour of the museumの巻 -】

2018-07-04 | TOURING

Web yoshy'sGarageへようこそ♪
管理人のヨッシーです。

『関東遠征♪』の後編になります♪

前編にも書いたのだが、
今回の関東遠征は
「梅雨時期」ということもあり、
このツーリングの企画段階から、
ある程度までは
天候に左右されても大丈夫な様に
バリエーションを持たせた
企画を練っておきました♪
前編である『Day1』は
奇跡的に天候に恵まれ、
最高のコンディションで『奥多摩&秩父』を
楽しむことが事ができ安堵できた訳ですが、
Day1(1日目)の終わりに
Day2(2日目)の天候を確認してみると...。
秩父方面は曇り時々雨で
降水確率60%以上と危うい感じ...d(_ _。)・・・ビミョウ
宿泊地(埼玉県熊谷市)も、
pm18:00-以降は
どうやら高確率で雨予報...。
秩父にやり残しがあるものの、
それも晴天あってのことと
頭を切り換え...。
Day2は、
Tour of the museum(博物館巡り)
と銘打った雨天用プログラム(企画)で
出発することにした♪

【Day2】
Saturday morning/am8:00-
出発時に青空というのは気持ちのよいもの♪
しかし...
この青空も時間を追うごとに
ゆっくりと下り坂となってゆくハズ...。
天候悪化を予測して、
ホテルへの帰着時間は
pm16:00-と決め、
タンク内を燃料で満たし出発♪

国道125号線(行田バイパス)から
県道85号線に渡り、
「羽生IC」から東北自動車動を
一気に加速し向かったさきは、
栃木県は宇都宮市大谷町...。
物知りな方なら
『おおや(大谷)』という地名を聞けば、
建材として使用されることの多い
『大谷石』を思い浮かべるのでは
ないでしょうか...。
『大谷石(おおやいし)』
大谷石とは、
栃木県宇都宮市
大谷町付近一帯から採掘される、
流紋岩質角礫凝灰岩の総称です。

目的地に近付くと...
山肌から露わになった
「流紋岩質角礫凝灰岩」の迫力に
圧倒される...。
岩を切り通し、
縫うように作られた道を
己の小ささを感じながら走ると、
特撮TVドラマや映画等々、
数多くの撮影に使われることの多い
『大谷資料館(大谷石地下採石場)』に
到着デッス♪
『大谷資料館(大谷石地下採石場)』
大谷資料館(おおやしりょうかん)は、
大谷石の採掘の歴史がわかる資料館。
展示場には採掘が本格的に始まった江戸中期から
昭和34年頃までの手堀り時代の道具や採掘方法、
運搬の移り変わりなどの資料を展示してます。
圧巻なのは地下採掘場跡で、
そこは2万平方メートルにも及ぶ大空間で、
深さは最も深いところでは
地下60mもあるという巨大な地下空間で、
通常坑内の平均気温は8℃前後。
切り出された石は約1000万本で、
まさに地下の巨大な建造物といった感じでもあり、
コンサートや演劇、
ショー、能楽などの会場にも
よく利用されています。
- とちぎ旅ネットより -

大谷資料館はかなり以前より
TV番組等で紹介される度に、
いつか機会が有れば訪れたいと
心の中で温め続けてきた場所ダ♪
博物館のエントランスには、
大谷石地下採掘場で撮影された
映画の宣伝用ポスターや
撮影実績がパネルを使い展示されている。
確か...
ヨッシーが初めて
大谷石採掘場を見た(知った)のも、
特撮ヒーローものだったか
サスペンスドラマだった様な...(笑)

大谷石地下採石場へ向かう前に...。
資料館で『大谷石採掘』についての
お勉強デッス( ̄^ ̄) エッヘン
『手堀り時代の採掘』
採掘が本格的に始められた
江戸時代の中頃から、
機械化になる1960年(昭和35年)頃まで
の道具といえば、
数本のツルハシ類と石を運ぶときに使われた
背負子ぐらいしかありませんでした。
採掘の方法や道具などを中心に
構成された展示内容で、
当時の苦労がしのばれます。

『機械化後の採掘』
現在では、
色々な採掘や裁断が機械で出来るようになり、
大谷石採掘に産業革命というべき、
一大変革をもたらしました。
ここでは、
初期の機械や現在の採掘機などを展示しています。


『大谷石の採掘方法と採掘形態』
大谷石の採掘方法には、
「平場掘り」と「垣根掘り」という
2つの掘り方があります。
この2つの採掘方法を組み合わせ、
「露天掘り」「坑内掘り」というような
採掘場の形態がみられ、
採石が行われているのだそうです。
※上記のことは、
下記にリンクのHP(大谷資料館)に
更に詳しく紹介されていますので
そちらをご覧下さい♪
さて、
大谷石の採掘のことを学んだあとは...。
この資料館に訪れた多くの方達が、
地下の大迷宮・ピラミットの内部の様と
表現されることの多い
『大谷石地下採石場』に突入です♪

坑内の年平均気温は8℃前後と
薄手の上着が必要なほど涼やか...。
夏場のツーリングには最適な場所ダナ...
などと考えながら、
1歩...また1歩と...階段を降りてゆくと、
そこには目を疑う様な信じられない
『巨大空間』が広がっていました♪
真に映画「インディージョーンズ」の
主人公にでもなって、
地下の大迷宮・ピラミットの内部...
に迷い込んだかの様です。
...って
大迷宮もピラミットの内部も知りませんが(笑)



大谷石採石場は資料館ですから、
大谷石の採掘の様子(痕跡)を
各所に垣間見ることができます。
岩肌に残された掘削痕も
ハッキリと見て取れます。





大谷資料館の地下採掘場は、
1919年(大正8年)から
1986年(昭和61)年までの約70年をかけて、
大谷石を掘り出して出来た巨大地下空間。
戦時中は地下の秘密工場として、
戦後は政府米の貯蔵庫として利用され、
現在では資料館の役割とともに、
コンサートや美術展・演劇場・地下の教会として、
写真や映画のスタジオとしても注目されています。
『 Plénitude P2 Deuxième』
- Champagne Dom Pérignon P2 Vintage 1998 -
ドンペリニョン「P2」の
日本発売日の前日に開催されたレセプションで、
ゲストを撮影するために使用された
フォトセッション用エンブレムも
展示されていました。
流石はドンペリ...
フォトセッション用のエンブレムも美しい♪

ドンペリニョン「P2」は、
1998年に収穫されたぶどうを
16年熟成させた力強くふくよかなシャンパン。
ドンペリニヨンでは
熟成期間をプレニチュード(Plénitude)と呼び、
第1から第3プレニチュードまであるうち、
第2プレニチュードを経たシャンパン...
それがP2なのです。
- Japan released in 2014 -
※熟成期間(Plénitude)
第1Plénitude-8年/第2Plénitude-16年/第3Plénitude-25年

広大な地下採石場の持つ雰囲気を、
巧みに利用した
美しいディスプレイ(展示)にも
心を奪われます♪

華道家/假屋崎省吾さんの
作品も展示されていました。
この空間は異彩を放つ...。
美しい掘削面を残した白い壁面に、
假屋崎氏の作品を照らす
青いLightingが反射し、
地下採掘場を一流の
美術館に換えていた♪


地下採掘場という
人工的に作られた「無機質な空間」に
自然からの恵みが射し込むことで、
幻像的な『美』が創り出されている...。


採掘場跡を満喫した後は、
2016年にリニューアルされた
『OYA MUSEUM-ROCKSIDE MARKET-』
お土産品を物色しつつひと休み♪


アイスコーヒーを
とも思ったのだが...。
坑内(気温8℃)と屋外(気温32℃)の
気温差が身体に堪えたので、
栃木県の名産『とちおとめ』を凍らせ、
丸ごと砕いた苺ソースが
タップリと掛けられた
『日光天然かき氷』を
いただく事にしました♪

甘酸っぱい「苺のソース」が掛けられた
かき氷を食べながら、
フッ...と窓の外に目をやると...。
数台の観光バスが着いたのか、
巨石(大谷石)の向こうに見える「資料館」に
大勢の人々が吸い込まれてゆくのが見えた。
さきほどまで居た幻想的な地下空間も
今や観光客で
ごった返しているのだろうと思うと、
博物館や美術館は空いている時間帯に
来るに限るナ...と
ヨッシーは感じた。

大谷資料館
大谷資料館から程近くに
『日本最古の石仏』があるというので...
大谷観音(大谷寺)に足を向けることにした。
『大谷寺(おおやじ)』
日本最古の石仏「大谷観音」。
石の里・大谷にある寺社。
大谷寺は洞窟に包まれるように建てられた
非常にめずらしいお寺です。
神秘的な本堂内には
自然の岩壁に彫られた美しい
磨崖仏(まがいぶつ)が10体あり、
全てが国の特別史跡かつ
重要文化財となっている。
中でも本尊の「千手観音」は
日本最古の石仏であり、
弘法大師の作とも伝えられている。
大谷寺の洞窟に見られる遺跡からは、
縄文人が生活した跡があり、
併設された宝物館では、
大谷寺から発掘された
1万年以上前と推定される
縄文人の人骨が展示されています。


『大谷観音』
- 日本のシルクロードと呼ばれる千手観音像 -
大谷寺本尊千手観音(高さ4m)は、
平安時代(810年)弘法大師の作と伝えられる。
古くから「大谷観音」と称され、
鎌倉時代に坂東19番の霊場となり、
多くの人々から尊崇されてきた。
最初は、
岩の面に直接彫刻し表面に赤い朱を塗り、
粘土で細かな化粧を施し、更に漆を塗り、
一番表には金箔が押され、
金色に輝いていた。
最新の研究では、
バ―ミヤン石仏との共通点が見られることから、
実際はアフガニスタンの僧侶が彫刻した、
日本のシルクロ―ドと考えられています。
-- 大谷寺HPより --
境内で寺の成り立ちの説明を受け、
いよいよ
御本尊(千手観音像)のご開帳となりました。
当然のことながら
御本尊は写真撮影禁止ですので、
その美しいお姿は
下記の写真及びHPよりご覧下さい♪

『大谷寺の石仏群』
- 東の磨崖仏と知られる技巧を究める石仏 -
本尊の千手観音はじめ、
脇堂の「釈迦三尊・薬師三尊・阿弥陀三尊」の
合計10躰の石仏は、
日本の石像彫刻中優秀なる技巧を究めたものとして、
昭和29年3月に国の特別史跡に、
昭和36年6月には重要文化財に指定されました。
西(大分県)の臼杵磨崖仏(うすきまがいぶつ)に対し、
東の磨崖仏として知られ、
美術的にも優れた貴重な石仏です。
※磨崖仏:自然の岩壁や露岩、
あるいは転石に造立された仏像を指す。

大谷寺を後にし参道を少し歩くと...
大谷石で彫られた
「観音像」を見ることができると聞き
足を運んでみることにした。
大谷石の切り通しを抜けたさきに
忽然と現れた観音像の巨大さに
ヨッシーはただただ圧倒された...。
『平和観音』
- 戦没者供養と世界平和を祈る27mの観音像 -
太平洋戦争の戦死戦没者の供養と、
世界平和を祈って彫刻された、
高さ27メ-トル(88尺8寸8分)の観音像。
昭和23年より、
当時の大谷観光協会と
地元の熱心な後援のもと、
東京芸術大学教授/飛田朝次郎氏が
制作を手がけ、
大谷の石工達が彫刻した。
6年の歳月をかけ昭和29年に完成し、
昭和31年には
日光輪王寺門跡/菅原大僧正により
開眼供養が行われました。
現在は、
宇都宮市公園管理のもと
自由に参詣できる憩いの場として、
多くの人たちが訪れています。
-- 大谷寺HPより --


大谷寺でも説明を受けましたが、
『大谷観音(大谷寺)』と『平和観音』
大谷資料館に足を向けた際には是非どうぞ♪
大谷寺

時は昼食時。
宇都宮と言えば餃子の街デショ♪
ということで...。
『和の中』さんに
餃子を食べにきました♪

『和の中』さんは
モンゴル出身のご主人が
「医食同源」をコンセプトに、
素材と調理法にこだわった
「薬膳中華」のお店♪
餃子専門店も悪くはないのですが、
和の中さんの餃子(餡と皮)が
専門店とはひと味違う「美味さ」があるとの
有益な情報を得たので、
迷うことなく「和の中」さんに
訪れることにしました♪

注文の品を待っている間、
店内に流れるBGMが
やたらと良い音がするので...
店員さんに話しを伺うと、
店の奥から女将さんがでてきて
常連客の方が
真空管増幅回路(アンプ)を使って音響システムを
構築して下さったのだと説明して下さいました。
どうやら料理もさることながら
音響にもかなりの拘りがあるらしい...マニアック♪

耳あたりの良いBGMを
楽しんでいると...、
程なくして
茹で餃子セットと焼餃子(単品)が
運ばれてきました♪
他の中華メニューもあったのですが、
完全に口は餃子を求めていたので
種類の違う餃子を注文してみました♪
笊にのせられてきた
茹で餃子をひと口頬張る...
美味い!
自然発酵させた皮のモッチモチ感と
香辛料の利いた餡とのバランスが秀逸♪

続いて焼餃子をパクリッ...
美味い!美味い!
パリッ...とした皮の中から
うま味タップリの肉汁が
溢れ出てきてもぉ♪堪りません♪♪

デザートに
ライチー(茘枝)と黒砂糖グラニタをいただきました♪
このグラニタがまた...
美味い!
※グラニタ(グラニータ):
シロップやジュースを混ぜ加えて冷凍させた、
シャーベット状の氷菓のこと。

後日談で知ったのだが、
「和の中」さんの餃子は、
「マツコの知らない世界(宇都宮餃子)」で
紹介された際に、
マツコさんに絶賛されたのだとか...。
まぁ...
TV番組での批評はともかくとして、
『和の中』さんの餃子は絶品♪
是非味わってもらいたいものです。
そうそう!
『和の中』さんで無料で提供されている
烏龍茶がまた美味いんだナ♪
店員さんの対応も素晴らしく、
入店から退店まで
満足できる素晴らしいお店でした♪
和の中(食べログ)

美味しい餃子で
お腹を満たした後は...。
大谷石をバックにした
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2改の写真撮影♪
数枚納得できる写真を撮り終え...
宇都宮(大谷)から次なる目的地へと
向かう事にした♪



ここで時刻はpm13:30-。
天気予報(アメダス)によると
pm18:00以降は確実に雨ダ。
次なる目的地(Museum)に向けて
先を急がねばならぬな....。
宇都宮ICより東北自動車動に乗り...
テキトーなペースメーカーを
意図的に作り出したらば(笑)
一気に東京方面へ向け南下開始♪
久喜白岡JCTから圏央道に入り
川島ICを降りると...
目的地はもうスグソコ♪
埼玉県の珍名所に到着です。
『岩窟ホテル/高荘館』
明治の時代、
土地の農夫/高橋峰吉は
加工しやすい凝灰岩をノミやつるはしで堀り始めた。
峰吉がこの岩窟を掘り始めた理由として、
アルコール醸造用の冷蔵庫として、
西洋文化を模した建築物として等々、
理由は諸説あるようであるが、
岩窟ホテルというネーミングの由来は
岩窟を掘る峰吉を見た人達が
『岩窟掘ってる』と噂していたのが、
『岩窟ホテル』に変化したものだ
ということに統一されている。

この岩窟ホテル...。
峰吉はホテルとして
掘っていた様では無い様なのだが、
大正の初め頃には
整理券を配布するほどの人気で、
ロンドンタイムズにも紹介されるほどであった。
峰吉没後作業は中断されるも、
昭和の始めからは息子(養子)の奏次が受け継ぎ
1982年(昭和57年)と1987年(昭和62年)の
2度の台風被害による崩落と奏次が亡くなったことで、
閉鎖を余儀なくされるに至っている。
これ以上に『岩窟ホテル』に
興味の有る方は、
多くの資料がネット上にあがっていますので
ご自身でお調べ下さい♪

岩窟ホテルより数百m...
国指定史跡の
『吉見百穴(よしみひゃくあな)』は在る。

『吉見百穴』
今から約1400年前の
古墳時代後期(6世紀-7世紀頃)の横穴墓群であり、
大正12年に国史跡に指定され、
現在確認されている219基の穴数は、
国内最大規模となっています。

『吉見百穴横穴墓分布模型』
吉見百穴横穴墓の分布状況は、
施設内の「吉見百穴資料館」内に
展示されている模型で確認することができる。

吉見百穴にある説明看板には
こう記されている...。
「百穴」の名が文献にみられるのは
今から約二百年前からで、
江戸時代の中頃には
「百穴」の呼び名も生まれ、
不思議な穴として
興味をもたれていたと思われる。
吉見百穴が化学的に検討されだしたのは
明治になってからで、
内外の著名な考古学者によって
調査が行なわれ、
横穴の性格をめぐって
さまざまな意見が発表された。
明治二十年、
坪井正五郎氏(当時東京大学院生)によって
大発掘が行なわれ、
人骨・玉類・金属器・土器類が出土した。
坪井氏はこの横穴を
土蜘蛛人(コロボックル人)の
住居として作られたもので、
のちに墓穴として
利用されたものであると発表した。
しかし大正時代になると、
考古学の発達によって
日本各地で横穴の発見発掘がなされ、
出土品や横穴の構造から、
この横穴は古墳時代の後期に死者を埋葬する
横穴として作られたものであることが
明らかにされ、
「住居説」は覆されることとなった。
---more

『吉見百穴/特徴』
横穴墓群は、
岩山の表面から
数メートルの小穴(古墳の玄室に相当するもの)を
多数掘って造られた集合墳墓で、
穴内の台座に棺桶を安置したとされています。
なお、
台座は穴によっては複数存在しており、
このような穴には
家族単位で葬られたものと考えられています。
多くの穴の入口の周囲には段差状の構造があり、
ここには緑泥片岩という
緑色の石で作られた
板状の蓋(閉塞石)がはめ込まれていました。
これは後から穴を容易に開閉可能とするものとされ、
複数の台座状構造と合わせて
同一の穴に追葬が行われたことを
示すものと考えられています。
場所によって穴の並びが整然、
不規則と各箇所で差がありますが、
不規則な箇所は比較的初期に、
整然と並んでいる箇所は後期に
造られたものと考えられています。



『吉見百穴横穴墓模型』
資料館にある「横穴墓構造模型」で、
横穴墓の形状を学ぶことができる♪



『天然記念物ヒカリゴケ』
ヒカリゴケはコケ類の一種であり、
緑色の光を放出しているように見えるところから、
この名がついている。
ヒカリゴケの生育には、
一定の気温と湿度を保つ環境に恵まれることが必要で、
この条件に合った吉見百穴の横穴墓内には
ヒカリゴケが自生している。
ヒカリゴケは一般的に
中部以北の山地に見られるが、
関東平野に生育(自生)していることは
植物学上極めて貴重なのである。


吉見百穴には
史跡として以外の顔が存在する...。
『軍需工場跡』
昭和19年~20年に、
吉見百穴とその周辺の丘陵地帯に
大規模な「地下軍需工場」が造られた。
今でも通行可能な
直径3メートル程の開口部を持つ洞窟が
地下軍需工場の跡である。
縦と横の洞窟がそれぞれ交差し
碁盤の目のようになっているのが特徴である。


太平洋戦争の末期、
米軍の大規模な空襲によって
日本の航空機製造工場の生産能力は
壊滅的な打撃を受けた。
東京都武蔵野市の「中島飛行機工場」は、
空襲から逃れるために
地下に移転する計画があったが間に合わず、
昭和19年11月と12月の2度に及ぶ空襲によって
生産能力が10分の1に落ち込んだと言われている。
そのため、
「中島飛行機工場」の移転の必要性が急速に高まり、
生活物資の調達に便利で、
掘削に適した場所である「吉見百穴地域」に
軍需工場が造られることになった。
吉見百穴にある地下軍需工場跡は、
こうした空襲を避けながら
航空機の部品を製造する目的で造られたのである。
本来、
市ノ川は湾曲しながら百穴の裾の付近を流れていたが、
地下軍需工場の前面に
平地を確保するため川を西に移動させ、
湾曲した川を直線に改修し
現在のようになったと言われていることから、
この工事が大規模なものであったことが理解できる。



『吉見百穴のオカルト話...。』
軍需工場は大きく分けて
「松山城跡下」「百穴下」
「百穴の北側」「岩粉山近辺」の4工区あり、
それぞれの工区は独立していた。
ダイナマイトを使用しての工事であったが、
地下施設工事に適した凝灰質砂岩の分布は
百穴と岩粉山付近でしか認められず、
松山城下には
第三紀層の固い岩盤があり落盤が起こりやすく、
百穴と岩粉坂の中間は
山が低いので掘削に適さず
工事は難航したと言われている。
また、
この工事は設計後の図面に基づいて
実施しているわけではないので、
工事を進めながら設計を進めるという作業であった。
そのため掘削しては測量し、
高低や方向を修正していたと言われている。
七月頃には機械が搬入され
エンジンの部品が製造され始めた様であるが
本格的な生産活動に移る前に終戦となった。
この工事に携わったのは
全国から集められた3000~3500人の
「朝鮮人労働者」で昼夜を通した突貫工事であった。
この様な背景から、
この難工事に従事し亡くなった
朝鮮人労働者の御霊(ごりょう)が
軍需工場跡(坑道内部)に彷徨いでると言う
オカルト話が後を絶たない...。
※御霊:怨念を持った霊のこと。

霊能力を持たないヨッシーは、
この手のオカルト話の真意は図りかねるが、
※オカルト話を否定も肯定もしません。
掘削工事に従事した最後の人の帰国に際し、
日本と朝鮮との平和を希望して
植えられた「ムクゲの木」は、
現在でもこの地で成長を続けている。
...それがこの場所の確かな事実である。
吉見百穴(吉見町観光みどころガイド)

pm17:30-
Day2の目的であった
「大谷資料館」
そして...
「岩窟ホテル」
「吉見百穴」を巡る
『Tour of the museum』を無事に終え、
ホテルに帰着するとほどなくして...
天気予報(アメダス)が予測した通り
激しい雨が降り出した...。
食事は簡素なもので済まし、
温泉(人工温泉)に浸かり
これまでの疲れを癒やしたら、
翌日の天気をチェックする。
『明日は...確実に雨になる』と
確信できたので
雨天走行の為の下準備を整え就寝した。
【Day3】
関東遠征最終日は
天気予報通りに朝から
雨ダ...。
梅雨時だと言うのに
よくここまで
降られずにこれたものだな...
と思いながら、
「雨天走行」の準備を整えた。


雨天走行の為の準備は万全。
これまでの旅(ロングツーリング)で得た
経験を駆使すれば雨天走行など
...It's easy.
埼玉県(熊谷市)から愛知県(名古屋市)までは、
高速道路を利用しても約400kmの距離。
少しでも雨を回避出来ぬものかと
アメダスレーダーを確認すると、
どうやら雨雲は
海側(太平洋)より徐々に上がってくる様子。
...ならばと少し「博打」をする。
総走行距離では短く済む
海側の東名高速道路を回避し、
圏央道は八王子JCTより
山側を中央突破(中央自動車道)する
ルートに決めた。
走り出しは酷い雨...。
されど押し寄せる雨雲は
いまだ山岳部には到達ぜず...
そうヨッシーは踏んだ。
中央自動車動へ流入する頃には
路面はズブ濡れなれど雨は止み
曇り空が続いた。
これも経験則か...
『読みは...当たったナ♪』と
ヘルメットの中でほくそ笑みつつ、
Machineを加速させた...。
途中のSAでは、
秩父で食べ損ねた悔しい思いが
こころのどこかに残っていたのか、
日頃は注文することは少ない
『かつ丼』を頬張った(笑)

最終休憩地点で
アメダスレーダーを再確認すると...
中津川を越えた辺りからは
「Heavy Rain」の様ダ。
もう逃げ場は無い。
ツーリングは甘くないな...(笑)
アメダスレーダーの予測通りに
中津川ICを越えた辺りから雨は
その降りを増し、
多治見を抜け
小牧JCTから名神高速道路に入るころには
本降り(ドシャ降り)となった...。
しかし...
ヨッシーは一抹の不安すら感じてはいない。
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2改に履かせた、
MICHELIN/PILOTROAD3に施されている
特徴的なグルービングは、
雨天走行時にこそ
その真価を発揮させる。
その「絶対的な安心感」が
憂鬱なはずの雨天走行を
楽しいものに換えていた♪
『雨天走行心意気』

ツーリング...
特にロングツーリングは、
オートバイを走らせることを
楽しむ行為なダケでは無い...。
経験則を活かし起こる事象に
適時適切なる対処をしつつ
目的を果たす(走破する)行為も、
ツーリングにおける
醍醐味のひとつであるのは間違いない。
いまの時代のツールは正確無比で便利。
どのツールも
欠くことのでぬ物ではあるのだが、
されど面白味には少々欠ける...。
ホント...
我がままで贅沢な話しだ(笑)

前編・後編に分けお届けした
『関東遠征♪』の記事は、
楽しんでいただけましたでしょうか?
最後に少しダケ...
---おまけ---
大谷資料館の迷宮(地下採掘場跡)で、
偶然に人の少ないタイミングが訪れたので、
その場に居合わせた方に
お願いして撮っていただいた、
超レア物のヨッシーの画像です(笑)
それにしても...
大谷資料館(地下採掘場跡)は
画像であってもその迫力に圧倒される♪


インディー・ジョンズのテーマ/ジョン・ウイリアムズ(作曲)

【関連記事】
【ショートツーリング ♪ - 妻籠宿の巻 -】<2018年6月20日更新>

【関東遠征♪(前編)- 奥多摩・秩父の巻 -】<2018年6月28日更新>

では
Thanks for coming!
Webyoshy'sGarageはライダーの皆さんのお越しをお待ちしております♪


ヨッシーは走ることで日本を応援しています。

 

コメント (4)
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