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管理人のヨッシーです。
東北ツーリング- 後編 -は、
闇夜迫る豪雨の中...
突然「土砂崩れ」に見舞われ
愛車Kawasaki/ZRX1100ーC2が
「大破」してしまうという
想像(おもい)もしなかった現実に、
ただただ
喪失感に包まれながら、
逃げるように東北を後にした
忘れ得ぬ昨年(2017年の夏)の出来事に
終止符を打つ為の旅の記録ダ。
このツーリングの"核心部"ダ。
この旅は、
跳ね返され(拒絶され)続けた東北に対する
"再挑戦"ナノダ。
計画した通りに...
いや!それ以上の形で
東北を走り倒し、
あの日、
あの場所に置き忘れてきた
"旅する情熱"を再び我が手に取り戻し、
新たな一歩を踏み出す為に
再びあの震災の
"被災現場"へと足を向ける。
では...
『2018年東北ツーリング - 再挑戦(後編) -』
をご覧下さい。
- 再挑戦(後編) -
am5:15-
10月22日(月)am4:30-起床。
窓に掛けられたカーテンを
勢い良く開くと...
八戸市内の朝焼け広がる。
am5:50-
魚市場が軒を連ねる
"陸奥湊海鮮市場"の通りに店をかまえる
"みなと食堂さん"に飛び込む♬
みなと食堂さんは、
市場で働く人達だけでなく
噂を聞きつけた多くの観光客が訪れるため、
午前9時を過ぎた頃からは
行列が絶えない人気店である。
このお店の噂は...
この旅の途中で出会った
八戸市民の方が
『あぁ...あそこは混むよ(人気店だよ)』
と教えてくれるほどだ...。
以前に東北出身のお笑い芸人の
「サンドイッチマン」さんが
「いきなり!黄金伝説。2時間SP」で、
「他県からなぜかお客が集まる大人気ローカル食堂」
と題して紹介したお店でもある。
魅力的なメニューが、
壁に貼り出され心揺らぐ...。
しかし"初志貫徹"に
「平目の漬丼・せんべい汁のセット」を注文。
『せんべい汁』
青森県八戸市周辺の郷土料理で、
同料理専用の「南部煎餅」を用い
醤油味で煮立てた汁物のこと。
『南部煎餅』
小麦粉を原料にした煎餅の一種。
八戸南部氏が藩主家だった
「旧八戸藩地域」に伝承の焼成煎餅である。
青森・岩手県全域が主な生産・消費地で、
同地域の名物である。
※南部煎餅は下記リンク
「八戸観光Navi」内で
詳しく紹介されています。
白飯の上に美しく盛られた
"平目の切り身"に、
質の良さそうな
"玉子の黄身"がポコリッ♬とノル。
その上に、
"山葵(さび)"が
スッと盛られている姿がなんとも美しい。
玉子を潰し、
白飯と切り身を
特製のタレとよくかき混ぜ食ス♬
これが、
この丼の味わい方なのだと
笑顔で女将さんが教えてくれた。
黄身に箸を入れると...
"プツッ!"とした感触を残し黄身は弾けル。
すると...
卵黄と絡まった平目の切り身は
"あめ色"に輝きだすノダ♬
特製にタレと白飯に
あめ色に輝く切り身を
"Collaboration"させ終えたら、
一気に"かっ喰らう"。
...美味い!美味すぎる!
すかさず
"せんべい汁"を啜る♬
すると...
お野菜たっぷりの温かい汁に
"ホッ...♪"と心が穏やかになる♬
あぁ...
東北(日本)の味が心に沁みる♪
平目丼単品注文も出来るが、
是非!
"南部煎餅汁"と合わせて
注文されることをお薦めします。
『再挑戦』am7:30-
お宿に戻り旅支度を整え、
いよいよ「あの場所」へと向かう。
言葉に出来ぬ思いが心に刺さる...。
八戸市内を抜け
国道4号線から国道104号線へと抜けると、
景色は山間の様相と変る。
『朽ち果てたGS』
...あの日。
2017年8月22日(火)pm6:00ー。
闇夜迫る豪雨の中、
十和田湖に取ったお宿へと急いでいた...。
国道103号線と104号線の分岐に
差し掛った時...。
国道103号線(発荷峠)は
「土砂崩れで通行止め」...と
慌てて消防団が行く手を塞ぐ。
行く手を断たれる形となり
『マズイ...』と感じ、
雨と落雷から避難するため
「朽ち果てたGS」の屋根の下に
愛車を放り込み進路を探る。
来た道(国道103号線)を戻るか...。
しかし、
来た道は山肌から大量の水が溢れだし
まるで「川の様相」を呈していた。
ならば...
十和田泊は断念し
国道104号線で八戸に抜け宿をとるか...。
どの選択をするのが
「最善の策」かと己に問いかけ、
国道104号線を八戸方面へ
走り出した瞬間に...。
2017年夏のツーリングは終わる。
『あれから1年』
pm6:30ー運命の時来ル。
国道104号線を八戸方面へと向い、
数百m走ったところで
「土砂崩れ」に見舞われた。
-あれから1年-
「被災現場」へ来訪。
自然の中にあるオートバイは
...とても小さな存在に見える。
何かの手掛かりを探し
辺りを見回してみるが、
1年という時間(とき)が
この場所を
「何事もなかった」かの様な姿に戻していた。
ほんの少しの痕跡を見付けるも...。
足下には弾け落ちた
「秋」が美しく輝いていた。
...自然は強いナ。
「あの日」の続きを
するつもりは毛頭無い。
新たなる旅路に...
ここから一歩踏み出す。
『発荷峠展望台』
焼き団子を頬張りながら
十和田湖の紅葉を楽しむ。
国道103号線を下り、
湖畔に出た後
国道454号線を北へと進む。
国道102号線(十和田道)に分岐し
沢伝いに進む。
...秋深シ。
浅瀬石川ダム(虹の湖)を抜けると
目的地はもう直ぐソコ。
『中野もみじ山』pm2:30-頃
青森県下有数の紅葉の名所。
弘前藩主の「津軽寧親公」が
京都から百余種の楓苗を取り寄せ移植して以来、
モミジの名所として親しまれている。
林の中には中野神社、不動舘城跡があり、
彩り豊かな紅葉は滝と渓流に映え、
鮮やかな世界を展開する。
紅葉期間中はライトアップが行われる。
- Walker+(全国紅葉の名所)より -
...まだ少し早いか。
然りとてこの美しさは
流石は「紅葉の名所」だけある。
オートバイは
「やすらぎの駐車帯」に駐車できるが、
数台であれば
中野神社参道前にも
置くことができますので、
秋に訪れる機会があればお薦めです♪
「黒石IC」より「鹿角八幡平」まで
東北自動車動を高速移動。
国道341号線を進み
「北緯40℃ラインモニュメント」
駐車場内に...。
「ババヘラアイス」を発見♪
『ババヘラ』
「ババヘラ」は、
主に日本の秋田県で
露天販売されている氷菓の一種、
およびその販売形態。
「ババヘラアイス」とも呼ばれ、
また一部地域では
「ババベラ」とも発音される。
販売員を務める中年以上の女性(ババ)が、
金属製の「ヘラ」を用いて
コーンへ盛りつけることによる呼び名である。
幹線道路やイベント会場近くで
しばしば見られる。
降雪期を除いた
春から秋にかけて販売されるが、
一般には夏場に多く出店され、
夏の秋田の「風物詩」となっている。
- Wikipediaより -
----
秋深い10月中旬に
「ババヘラ」と出会えるとは...
これは食べぬわけにはいかぬ(笑)
「ババヘラアイス」で冷えた身体は、
県道23号線(八幡平アスピーテライン)で温める。
県道23号線を一気に駆け上がり、
標高をあげてゆくと木々達は
...落葉。
「見返り峠」pm4:00ー着。
「見返り峠(八幡平山頂駐車場)」に
他のオートバイの姿は皆無、
アスピーテラインに来て
この様な経験も無し(笑)
『見返り峠』
見返り峠(八幡平山頂駐車場)は
岩手県と秋田県の境にある峠。
岩手山や秋田駒ヶ岳が一望できる
展望台とレストハウスがある。
----
何度訪れても
八幡平からみる「岩手山」は
...素晴らしい。
途中の駐車帯にて
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2を撮影。
...この場所に長居しても誰も来ズ(笑)
貸し切りの
アスピーテライン(県道23号線)をくだる。
真っ正面に見える「岩手山」を睨み付け
...「源太岩」まで一気に下る。
Newタイヤの感じも良し♪
「御座所PA」向かえの
「地熱発電所」からは
囂々(ごうごう)と噴煙吹き上がる。
『一服』pm4:30-
気持ち良く走った後は
"Coffee Time"が良い。
「松尾八幡平ビジターセンター」で
サイフォン式「八幡平コーヒー」。
...ホッ♪
一服つけて盛岡へと向かう。
『盛岡ナイト』pm7:00-夕食。
盛岡といえば、
「わんこ蕎麦」「盛岡冷麺」「じゃじゃ麺」の
三大麺を味わいたいものだ...。
※三大麺の説明は割愛(笑)
「わんこ蕎麦」で目を付けていたお店は
団体さんの予約が有りあっさりNG。
...ということで、
盛岡冷麺を
「焼肉・冷麺 ぴょんぴょん舎」さんで
いただくことに。
...「麺」が異次元の美味さ♪
我慢し切れず...
焼肉も(笑)
赤身も内臓も良質。
肉のうま味が堪りません♪
飲んで一気に焼肉を暴走...
しそうな気持ちを抑え込み(笑)
盛岡三大麺「じゃじゃ麺」も制覇ス。
じゃじゃ麺といえば
「白龍(ぱいろん)」さん。
麺を食べ終えた後の
「ちいたんたん(玉子スープ)」が
また美味しいノダ♪
盛岡の食文化に舌鼓。
お宿に戻り「フト」思い返せば、
ここまでの行程は
「理想」とする形であることに
感謝しつつ眠りに落ちた...。
10月23日(火)am6:00-起床。
この日は
少しゆっくりと起床とし、
長年の懸案事項でもあった
「遠野」をじっくりと巡りながら
仙台へと抜けるルートをとった。
『遠野物語』
- 不思議な伝説の残る地 -
岩手県の遠野は
「民話の里」とも呼ばれるほど
古い言い伝えがたくさん残る町。
それらの伝説を
民俗学者の「柳田國男」がまとめ、
今から100年以上も前に
刊行したのが「遠野物語」。
岩手県の“遠野”に
古くから伝わる言い伝えや
民話などをまとめた「遠野物語」は、
日本民俗学の金字塔的な存在。
当時の庶民の思想や暮らしぶりを
知ることのできる貴重な資料として、
長きにわたって愛されている。
----
『伝承園』am10:00-着。
曲り家・水車・養蚕・昔話し・神様・しきたり...
「伝承園」は、
その昔当り前にあった遠野の人々の
生活文化を守り、
日本の故郷の原風景を、
目で・耳で・肌で感じ
後世に語り継いでゆくための施設。
『座敷童子』
「座敷童子(ざしきわらし)は、
主に岩手県に伝えられる精霊的な存在。
座敷または蔵に住む神と言われ、
家人に悪戯を働く、
見た者には幸運が訪れる、
家に富をもたらすなどの伝承がある。
柳田國男の
「遠野物語」や「石神問答」などでも知られ、
「遠野物語」の17話・18話および
「遠野物語拾遺」87話に
「ザシキワラシ」または
「座敷ワラシ」の表記で話が掲載されており、
17話には
「この神の宿りたまふ家は
富貴自在なりといふことなり」
「ザシキワラシは座敷童衆なり」
と記述がある。
----
平日の早朝...
伝承園は貸し切り状態。
「座敷童子」に会える
雰囲気はあったのだが...。
『重要文化財/菊池家曲り家』
1750年頃に建てられたといわれる
最も古い時期の南部曲り家。
直家から曲り家へ発展経過が
垣間見られる貴重な建物で、
昭和51年に国の重要文化財に指定される。
人と馬がともに生きた
「遠野の文化」を伝える施設として一見の価値あり。
往時の農家の調度品、民具を展示している他、
「囲炉裏を囲んだ昔話(要予約)」
「蚕の飼育」「伝承行事の再現」等を行っております。
「オシラ堂」へはこの建物から入ります。
繭玉から糸を取る体験コーナーもある。
- 伝承園HPより -
『御蚕神堂(オシラ堂)』
曲り家の奥の細い薄暗い廊下を抜けると、
およそ六畳程の小さなお堂が現れ、
中には、
娘と馬の恋物語で知られる「オシラサマ」を
千体展示しています。
「オシラサマ」は、
蚕の神さま、農業の神さま、馬の神さま、
そして「お知らせ」の神さま
とも言われています。
願いを込めて「オシラサマ着布」を
体験することができます。
----
独特の雰囲気漂う「オシラ堂」。
静まり返った「オシラ堂」で
願いごとを「着布」に書き込んでいると
不意に背後から...。
などと想像してしまう様な
日常とはかけ離れた異空間に感じた。
『オシラサマ伝説』
その昔農家の娘が飼い馬に恋をした...。
怒った娘の父親が桑の木に馬を吊り下げ殺す。
それを知った娘は
驚き悲しみて桑の木の下にいき
死したる馬の首にすがりて泣きゐたりしを、
父はこれを憎みて
斧を持ちて馬の首を切り落としに、
たちまち娘は
その首に乗りたるまま天に昇り去れり。
「オシラサマ」といふは
この時よりなりたる神なり。
(遠野物語第69話)
『かっぱ淵/常堅寺』
土淵町の常堅寺の裏手を流れる小川に、
通称「カッパ淵」といわれるところがあり、
その昔たくさんのカッパが
棲みついていたといわれている。
「遠野物語」の中にも、
小川に水を飲みに来た馬を引き込もうとする
いたずら好きなカッパが登場します。
境内には「かっぱ狛犬」と呼ばれる
珍しい狛犬もある。
『かっぱ捕獲証明書』
- かっぱ密漁NO! -
かっぱ淵にて
「河童」を捕獲するには、
「かっぱ捕獲証明書」を
手に入れる必要があるので
けっして「密漁」などせぬように(笑)
『早池峰古参道跡』
古来より信仰の対象とされてきた
早池峰山には多くの参拝者が訪れたと云う。
古参道入口にたてられた「鳥居」は
長く風雪に晒され傾きながらも路傍にたち、
早池峰山信仰を象徴している。
----
「早池峰古参道」にたつ鳥居。
この地の「早池峰山信仰」を
伺い知ることのできるものだ。
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2を傍らにとめ
撮影してみた。
『山口デンデラ野』
「遠野物語」には
デンデラ野について3つのエピソードが
紹介されている。
①かつてここに十王堂があり火事で焼けたが、
その時十王像は木の枝に逃げ出した。
しかし火の勢いが強かったため
像は少し焼け焦げている。
②村に死人が出るときは
デンデラ野に前兆があるという。
死ぬのが男なら夜中に馬を引く音が、
女なら歌声や話し声、臼を搗く音がするという。
③デンデラ野は昔
60歳になった老人を捨てた場所だという。
昔は村ごとにデンデラ野と呼ばれる
場所があったという。
----
デンデラ野...。
朽ち果てた案内板がもの悲しい。
人生60年で「あがり」...。
この「デンデラ野」について
おもしろい記述を見付けたので、
下記にリンクを貼っておくので
興味のある方は閲覧すると良いだろう。
『元祖 成吉思汗鍋 「あんべ」』pm12:30-着
- 遠野ジンギスカン文化 -
ジンギスカンといえば
「北海道」を想像される方も多いだろう。
しかし、
ここ岩手県遠野地方にも
約50年の「ジンギスカン文化」があるのだ。
遠野ジンギスカン文化の
元祖「あんべ」さんで
昼食をいただくことにした。
羊肉は好みの分かれるところ...。
「あんべ」さんでは、
羊肉(マトンとラム)の他
豚や牛などの肉も用意されているのが嬉しい。
成吉思汗定食(ラムカタロース)定食と
豚カタロースを注文。
成吉思汁鍋(鉄鍋)は、
北海道のそれと寸分違わない。
待つこと数分...。
美しい肉厚のラムカタロースが運ばれてきた。
良質なラム肉なのだろう...
羊肉特有の「嫌な癖」も無く、
しっかりと焦げ目が付くまで焼いて
特製の「成吉思汁タレ」に漬け
白飯と一緒に食べると
...美味い♪美味い♪
『めがね橋』
1943(昭和18)年9月竣工、
鉄筋コンクリート造の5連アーチ橋。
正式名称は宮守川橋梁、
通称「めがね橋」と呼ばれ、
JR釜石線が国道283号と
宮守川をまたぐ形で架けられている。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の風景は、
この「めがね橋」や達曽部川橋梁「岩根橋」を
モチーフにしたといわれている。
アーチの形が美しく、
歴史的土木構造物の保存を目的とした
「土木遺産」にも選ばれている。
----
遠野の歴史や文化を堪能し、
仙台へと向かう...。
遠野より仙台へと向かう途中、
「石ノ森章太郎ふるさと記念館」と
「石ノ森漫画館」に立寄ったのだが、
それは、
『東北ツーリング- 番外編 -』と題し
後編とは別にお伝えしたいと思います。
<石ノ森章太郎ふるさと記念館>
<石ノ森漫画館>
「石ノ森章太郎」の関連私設とは別に
仙台市内へ入る前に...
東松山市「鹿妻駅」の
ブルーインパルス「T-2型128号機」の
オブジェを撮影♪
無事に仙台市内へと入り、
仙台名物「牛タン」で腹を満たす。
全行程9日間など
始ってしまえば早いものだ。
明日はフェリーに乗船し
「帰路」に着く。
様々な感情を胸に
仙台の夜は更けてゆくのであった。
10月24日(水)
『仙台港』am11:30ー着。
仙台港に着くと、
新造船「きそ」が着岸を終え
忙しく貨物車の積み込みをはじめている。
昨年はこの場所で、
大破した
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2を眺めながら
「これからのこと」を想像して
途方に暮れていたことを思い出す...。
pm12:10ー頃。
いよいよ案内開始。
車輌甲板へと続くスロープを
駆け上がればこの旅は終わりを迎える。
pm12:30-乗船。
荷物を二等客室の
二段ベットに放り込み
デッキへと急ぐ...。
昨年乗船した「いしかり」と
この「きそ」は同型船。
失意の中
昨年撮影した「あの構図」を探す。
...あたりをつけシャッターを切った。
....と同時に、
出航を知らせる汽笛が鳴り響く。
太平洋フェリー「きそ」
名古屋へ向け定刻で出航ス。
10月24日(木)am10:20-
航海距離:770km
航海時間:21時間40分
名古屋港へと「きそ」は滑り込む。
この日も「晴天」。
汐風が肌に心地良い♪
「ガントリークレーン」にお出迎えされ、
名港トリトン(中央大橋)直下を通過する。
フェリーならではの景色。
無事に...帰ってきた♪
無性に故郷の味が恋しくなり、
下船後「故郷(名古屋)のソウルフード」
「寿がきや」さんに直行。
9日間を締め括るグルメ(笑)
...これはこれで良し♪
2018年の
秋ツーリング(再挑戦)は
最高のものとなった。
2017年の夏...
あの夏の日に「あの場所」へ
置き忘れシ物...
取り戻すこと
やっとやっと叶う♬
Perfume/Dream Fighter
---- あとがき ----
土砂の中に埋もれた
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2を
引っ張りだして...1年。
失いかけた「情熱」を
再び取り戻す為だけに、
金も時間も労力も
目一杯費やしてきた...。
Machineは修復(再生)できたのだから、
昨年夏に起きた東北での出来事から
目を逸らすことは簡単ダ。
しかし、
今も木々が迫る「山道」を走る際には
「息苦し」さに襲われ喘ぐ。
「気持ち」は前向きであっても
潜在意識の中では何も終わっちゃいない。
いや...
正確には
なにも始っちゃいない...か(笑)
だからこそ...。
今年のロングツーリングは
「東北の地」と迷わず決めた。
経験や知識を余すこと無く注ぎ込んだ
旅の計画を用意周到に練り、
臆することも、
一切の妥協をすることもなく、
「あの地」を踏む。
...あの日あの瞬間に奪われた
「情熱」を取り戻すことのできる
その瞬間が訪れることを
どれだけ待ち侘びたことだろう。
私にとっての「旅(ロングツーリング)」とは
「最高と感じられる旅」を成し得る為の
終わりなき挑戦(チャレンジ)なのだ。
勝ち負けではないが、
私の「旅」はまだまだ続く...。
では
Thanks for coming!
Web-yoshy'sGarageは
ライダーの皆さんのお越しをお待ちしております♪
【関連記事】
【2018年東北ツーリング - 再挑戦(前編) -】<2018年11月12日更新>
【2018年東北ツーリング - 再挑戦(中編) -】<2018年11月17更新>
【2018年東北ツーリング - 再挑戦(中編)その2 -】<2018年11月19日更新>
【関連記事】<再挑戦(リベンジ)>
【Preparation for going to the Touring】<2017年8月19日更新>
【2017年夏ツーリング-前編-】<2017年9月20日更新>
【2017年夏ツーリング-後編-】<2017年9月27日更新>
【DEC.2017】<2017年12月19日更新>
【おまけ...みたいなもの?かな(笑)】<2017年12月31日更新>
【はじまりのとき】<2018年2月10日更新>
【ModifyRecord (1) -復活- 】<2018年3月4日更新>
【関連リンク】
【八戸観光Navi】-八戸観光情報サイトー
【みなと食堂】-食べログ-
【Walker+】-全国のおでかけ&イベント情報ー
【児玉製菓】-ババさんアイスの元祖-
【ぴょんぴょん舎】-公式HP-
【白龍】-公式HP-
【伝承園】-公式HP-
【デンデラ野の語源】-不思議空間「遠野」をWebせよ!-
【成吉思汁「あんべ」】-公式HPー
【牛タン炭焼 利休】-公式HPー
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【2018年東北ツーリング - 再挑戦(中編) -】
の「その2(続き)」です。
内容があまりにも盛り沢山で...
ブログの「文字制限」に
引っ掛かって仕舞うという
不測の事態となりましたので、
中編を「その2」マデ拡大し、
19日(土)・20日(日)に加えて
21日(月)終わりまでを中編とし
お伝えします。
青森県むつ市で昼食後...。
いよいよ、
このツーリングの
「目的と据えたもの」のひとつ、
「尻屋崎」へと
愛車Kawasaki/ZRX1100ーC2の
鼻先を向けた...。
ここから
中編の続きとなります、
では、
「その2」をご覧下さい。
10月20日(日)
『青森県道6号線』pm1:30-頃のこと。
青森県道6号線は
むつ市より「尻屋崎」へと延びる県道。
この県道を使い
今回の東北ツーリングの目的のひとつ
「尻屋崎」へと向かった。
「尻屋崎」は、
今回の東北ツーリングの
「中核」に据えた地...。
何故なら「尻屋崎」は、
過去2回チャンスがありながらも
空振りし続けた「未到達の地」だからだ。
1度目は「雨天(豪雨)と濃霧」のため断念。
2度目は「土砂崩れ」に見舞われ
近付くことも許されずに断念。
...と散々な思い出が脳裏を過ぎる、
この負の思いを「払拭」せんがため、
今回は万全を期して「尻屋崎」へと挑む。
『尻屋崎ゲート』
寒立馬(野生馬)が
遠くへ行かない様に設置されたゲート。
近付けば開閉する仕組み。
<尻屋崎ゲート開閉時間>
4月1日から4月30日までは、
午前8時から午後3時45分まで。
5月1日から11月30日までは、
午前7時~午後4時45分まで。
12月1日から3月31日までは、
冬期間ゲート閉鎖。
----
尻屋崎ビジターセンター横
「尻屋崎ゲート」。
愛車Kawsaki/ZRX1100ーC2を
ゲートに近づけてゆくと...。
ゆっくりとポールが上がった。
これより
寒立馬(野生馬)の生息地域を通り抜け
「尻屋崎灯台」を目指す。
『寒立馬(かんだちめ)』
東通村の海岸地帯には、
南部藩政時代から「田名部馬」と呼ばれる
比較的小柄で、
寒気と粗食に耐え、
持久力に富んだ馬が「四季置付」と称し
周年放牧されていました。
これらは
「南部馬」を祖とし、
藩政時代から明治、大正、昭和に亘って
主として軍用馬として外来種との交配によって
改良されてきた田名部馬であり、
なかでも、
尻屋地区ではこの田名部馬を
「ブルトン種」と交配することにより
独自の農用馬(肉用馬)として
改良してきた。
- 青森県観光情報サイト アプティネットより -
『「寒立馬」の名前の由来』
かつてこの地方に
生息していた「かもしか」を
動物作家戸川幸男氏は
「寒立(かんだち)」と名付けたといいます。
昭和45年、
尻屋崎小学校の岩佐勉校長先生が
当時「野生馬」と呼ばれていた馬を
「東雲(しののめ)に
勇(いさ)み嘶(いなな)く寒立馬
筑紫ヶ原(つくしがはら)の 嵐 ものかは」
と短歌に詠みました。
以来、全国の皆さんに
「寒立馬」と呼ばれ可愛がられています。
ちなみに
マダギ(狩人)たちも、
カモシカが厳寒のなか
動かず何日もじっとたたずむ姿を
「かんたち」と呼んでいました。
この馬にもその状態を
見ることがあります。
- 青森県観光情報サイト アプティネットより -
----
「寒立馬」の背後に
北海道をも見て取ることができる。
なんと美しい風景か...。
『尻屋崎灯台』
本州最北端尻屋崎の突端に立つ白亜の灯台。
明治9年10月20日に
東北地方に初の洋式灯台として完成しました。
尻屋崎は、
昔から難破岬と呼ばれ遭難船の多い所として
船乗り達から恐れられていました。
明治時代に入り、
日本も世界各国と貿易を行うようになったため、
航行船舶の安全を守るためにイギリス人が設計し、
尻屋崎で焼いたレンガで建てられた灯台です。
レンガ造りの灯台としては日本一の高さを誇ります。
----
「寒立馬」を観察しながら
岬の先端に立つ
「尻屋崎灯台」へと向かう。
<尻屋崎の景観>
尻屋崎といば、
「灯台」や「寒立馬」に
つい目を奪われがちですが...
美しい岬の景観もまた圧巻。
大自然を感じながら
尻屋崎灯台の周辺をしばし散策。
灯台周辺を見渡してみるも
「寒立馬」の影は薄い。
ドコに居るのだろうか....。
売店に立寄り話しを伺うと、
灯台周辺には「夏の期間」に
よく集まるのだが、
「この時期は岬の逆側にいるのでは」
ということなので、
岬をグルリと
周り込んでみるとソコには...。
数頭の「寒立馬」が草を食んでいました。
ここで
オートバイ雑誌の様な写真を...
と目論んでいたのだが、
人懐っこい「寒立馬」は
オートバイを怖がるどころか、
興味津々で近付いてくる(汗)
数百Kgもある馬の鼻先が
オートバイに積んである荷物に
少しでも触れ様ものなら、
オートバイなんてものは
軽く転がされてしまうのだろう。
興味津々に近付く馬から
愛車を守りながらの撮影では
これが限界というもの。
....残念ダ。
青森県下北郡東通村のマンホールは
「寒立馬と能舞」がモチーフ。
"Manhole Collection Get"
あまりに美しいので
「尻屋崎」を2周(1周約9Km)し(笑)
むつ市まで戻り
この日の行程を終了....
とはなりませんでした。
この日のお宿は、
翌日の行程を加味し
「むつ市内」に取ったのですが、
これが後に
「大正解」の選択となります♪
『ホテル「フォルクローロ大湊」』pm3:30-着。
オートバイを駐車場に入れ
荷物を降ろしていると...!?
大湊駅に隣接したホテルの周辺では、
「ニホンカモシカ」が遊んでいる。
ホテルのフロントの方に話しを聞くと
これが普通の光景なのだとか...。
『むつ市夜景・星空ツアー(無料)』
- 無料バス・タクシー運行 -
実施期間:H308月下旬~10月下旬
対象:期間中にむつ市内の対象宿泊施設に
お泊まりのお客様に限る。
コース:出発時間は各自自由(20:00最終)
①ホテル発→釜臥山展望台→
ホテル着(タクシー80分)
②ホテル→釜臥山展望台→恐山宇曽利山湖→
ホテル(+40分)
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チェックINの際に、
ホテルの「Information」に
このポスターが貼られていたので、
フロントの方に尋ねてみると
当日の申し込みでも「参加可能」。
"Surprise!""Unbelievable!"
時間に少しの余裕を取り
「pm7:00-発」で申し込みを済まし、
明日の準備と夕食をとりながら
お迎え時間を待ちます。
それにしてもむつ市...。
無料でこのツアーを開催するなんて
凄いサービスを考えるものだ。
『ホテル前』pm7:00-ジャスト。
「尻屋観光」タクシーさんがお迎え。
驚くことに無料ツアーなのに
タクシー1台貸し切り。
"Rich!"
真新しい「TOYOTA プリウス」で
「釜臥山展望台」へと向う。
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「尻屋観光」タクシーのドライバーさん♪
道中楽しいお話しを
ありがとうございました。
「釣りキチ三平」の話しは笑えました♪
『釜臥山展望台』pm7:40ー着。
「釜臥山(かまふせやま)展望台」は、
下北半島の最高峰(標高879m)
頂上近くにある展望台からは、
近くに幻想的な宇曽利山湖の翠の湖面、
南に陸奥湾をはさんで八甲田の山々、
振り返って尻屋崎灯台、
晴れた日には、
はるか先の北海道が望める360度の
大パノラマです。
夜景は更に美しく、
むつ市街の灯りが優雅に羽を広げる
「アゲハ蝶」のように浮かび上がります。
- 青森県観光情報ネット アプティネットより -
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山頂は強風で寒い...。
然りとて、
この時期は空気が澄んでいるので
夜景撮影には適している。
アゲは蝶が
羽を広げた様なと表現される
「陸奥湾」がなんとも美しい...。
この「釜臥山」からの夜景が、
あまり県外の人に
アピールされていないのが残念ダ。
展望台からむつ市の夜景を
見つめていると...。
下北半島は「むつ市」に宿をとり
巡るのが最良だと感じられた。
『むつ市には魅力がいっぱい』
魅力溢れる観光地の多い
「下北半島」において「むつ市」は
軍港のまち...
というイメージが強い。
しかし...
「むつ市」の魅力はそれだけにとどまらぬ。
グルメ・景観もさることながら
魅力溢れる人との出逢いがある。
美味小屋「蛮」のマスター。
ホテルのフロントの女性。
尻屋観光タクシーのドライバー。
大湊吉田ベーカリーのお姉さん。
※吉田ベーカリーのお総菜は
ある意味で日本一だと思う(笑)
理由は各自でお調べ下さい。
そして...
エチゼンヤのお母さん。
「むつ市」の老舗洋菓子店、
開業50年の「エチゼンヤ」さんへ
夕食後のデザートを買いに立寄った。
「エチゼンヤ」さんの息子さんは、
パティシエとして
数々の国際的な賞を受賞されている様で、
店内にはところせましと
息子さんの偉業を伺い知ることのできる
品が並べられている。
このお店のウリは、
「東奥日報」でも取上げられた
昔ながらの「パイ生地」が懐かしい
「ブルーベリーパイ」だ。
東通村産ブルーベリーが
惜しげも無く
きっしりと詰められているのが
その人気の理由であろう。
ブルーベリーに含まれている
「アントシアニン」は
目の疲労回復もはかれるので、
大満足のデザートともなった。
それにしても
1/6カット300円は安い。
会計の際に
息子さんのことに話しが及ぶと...、
お母さんの顔に浮かんだ
息子を想う母親の「満面の笑顔」もまた
むつ市の「魅力」なのだろうと感じた。
「下北半島1日目」は
「尻屋崎」を巡ることが叶ったのと同時に、
"Surprise"で
むつ市の「無料夜景ツアー」にも参加でき
大満足のうちに終えた。
10月21日(月)am5:00-起床。
「下北半島2日目」が始る。
むつ市にお宿を取ったのには
歴(れっき)とした理由がある。
「下北半島」で
2日間の時間的な余裕を取ることで、
このツーリングの「中核」と据えた
「尻屋崎」を晴天で巡ることのできる
確立が上がることと、
首尾良く1日目に
「晴天の尻屋崎」を巡ること叶えば、
2日目には、
時間的に余裕がないと
到底訪れることの出来ない
「仏ヶ浦への遊覧上陸」を
果たせるのであろうというのが
この日程の目論見なのだ。
----
お宿から
海岸線(国道338号線)を走ると、
「仏ヶ浦駐車帯」に着く。
この場所に以前(昨年)までは
駐車帯などは無く、
ガードレールの横にオートバイを止め
「仏ヶ浦」を見たものだが、
今回は立派な観覧台が出来ていた。
観覧台より
眼下の「仏ヶ浦」を望みながら、
これから
「あの地(ばしょ)」へと上陸するのだ...
ということを想像するダケで
胸が高鳴った。
観覧船乗場の
「佐井港」までは、
国道338号線の
海岸線を縫うようにして走る。
この日も
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2の
調子は頗る良く、
曲がりくねった海岸線を
切り返しながら走る。
...爽快♪
『仏ヶ浦遊覧船』
- そこは船で行ける「極楽浄土」 -
秘境「仏ヶ浦」に
遊覧船を使い手軽に
"Access"できるのが「仏ヶ浦遊覧」。
その中でも
仏ヶ浦遊覧上陸コースは、
「佐井港」から仏ヶ浦までの遊覧と
仏ヶ浦の散策が楽しめる、
所要時間1時間30分の遊覧コース。
佐井港を出航し
片道約30分の船旅をゆったりと満喫、
目的地仏ヶ浦では、
桟橋から上陸して
約30分の散策を楽しむことができる。
この遊覧船は、
4月25日から10月末日まで
毎日運航している「定期観光船」。
- 仏ヶ浦観光海上HPより -
----
仏ヶ浦遊覧船のりば
佐井港「アルサス」am9:40ー着。
第2便の乗船時間まで
まだ少し余裕があるため周辺を散策♪
『海峡ミュージアム』
佐井村は海から開かれた村で、
山車行事は京都の影響を受けたものだが、
お囃子(はやし)は佐井村独自のものだそう。
佐井村の御礼祭は、
1696(元禄9)年
箭根森(やのねもり)八幡宮の
神輿渡りから始まり、
下北で最も古いとされる。
----
「アルサス」の2F展示スペースには、
常設展示の「山車」と、
H28年に佐井村の
「鬼退治伝説」を題材とした
大型ねぶた「箭根森八幡(やのねもりはちまん)
のミニチュアが展示されていた♪
『箭根森八幡(ミニチュア)』
『蝦夷錦(えぞにしき)』
蝦夷錦、山丹服(さんたんふく)は、
江戸時代にアイヌ民族が
沿海州の民族との交易で入手した、
雲竜(うんりゅう)などを織り出した
中国産絹や清朝官服のこと。
----
階段ホールには
北前船及び山丹交易で
江戸時代にもたらされた、
「蝦夷錦」もみることができる。
『仏ヶ浦遊覧船』am10:30ー
「ニューしもきたⅡ」に乗船し、
「仏ヶ浦」へ向けて出航。
港を出るとこの「遊覧船」...。
飛ばす飛ばす(笑)
これまでにこれほど飛ばす
「遊覧船」に乗ったことありません。
高速船かと思うほどの
水飛沫(みずしぶき)が飛び散ります(笑)
走ってきた
海岸線を船上から望む。
佐井港を出港し定刻の30分ジャスト...
「仏ヶ浦」の海域に到着。
「遊覧船」は勢いを緩め...
海岸線に近付いてゆきます。
am11:00-仏ヶ浦上陸。
- 極楽浄土を思わせる神秘の秘境 -
約2Kmにわたり連なる奇岩が
太古の神秘を感じさせる仏ヶ浦。
その圧倒的スケールと
自然が作り上げたとは思えない
奇跡の造形美はまさに絶景。
如来の首や五百羅漢、
一ツ仏や極楽浜など、
仏にちなんだ名がつけられたその地には、
極楽浄土を思わせる世界が広がっています。
----
奇岩の織りなす造形美も素晴らしいが、
「海の青さ」に心を奪われること必然。
『仏ヶ浦』
海底火山の噴火と地層の隆起で生まれた仏ヶ浦。
不思議な形をした奇岩群は、
この地の凝灰岩が途方もない年月をかけ、
風雨や波により削られてできたもの。
自然の産物とは思えない姿をした奇岩は、
顔の形をしたものや
花のような形をしたものもあり、
その美しさに魅了されます。
----
「観光ガイド(船頭さん)」が
約30分掛け「仏ヶ浦」を案内。
「仏ヶ浦」に祀られている
「地蔵尊」で旅の無事を祈願し
「仏ヶ浦遊覧」を終えた。
『長宝丸』pm12:30-着。
- 伝説の440kgのマグロを釣った漁師の店 -
長宝丸は、
自社の持ち船「第十一長宝丸」にて水揚げした
大間産マグロを格安で食べられるお店。
また、
マグロ業界では初めての
急速冷凍システム
「イータマックスシステム」を導入し、
一年中生と変わらない
美味しいマグロが食べることができます。
- まぐろ長宝丸HPより -
----
大間産マグロを味わうべく
長宝丸さん再訪。
以前にいただいた「大トロ丼」は
夕食の事も考慮して(笑)
今回の注文は少しダケ控えめ...
中トロ中心の「マグロづくし丼」
...とはいえ中トロ最高♪
『大間埼』pm13:30-着
「大間埼」は
下北半島国定公園に指定されている、
「本州最北端の岬」である。
晴れた日には
函館山から恵山岬にかけての
北海道の海岸が目前に広がる。
----
大間といえば...
この碑でしょうか♪
この日も多くのライダーが
「本州最北端の地」を目指し
集まっていました。
『大間灯台』
「大間埼灯台」は、
本州最北端に当たる
下北半島大間崎の沖合にある弁天島に位置し、
白と黒のツートンカラーに
塗り分けられている中型灯台で、
「日本の灯台50選」にも選ばれる。
大間崎から灯台と津軽海峡の向こうに、
北海道を見渡すことができる。
----
撮影者で混み合う「碑」を避け、
大間埼灯台を行き交う漁船を
撮影してみることに。
白黒の
「灯台(大間埼灯台)」が見守る
津軽海峡の向こうに北海道...。
荒波を蹴って走る漁船が美しい。
大間の岬で
「碑」がもうひとつありました。
「みちのく慕情/天童よしみ歌碑」
....よく分りません(汗)
『十和田バラ焼き』
バラ焼きは、
戦後の青森県三沢市の
屋台で生まれたといわれている。
三沢といえば米軍基地。
戦後まだまだ高価で
一般の人々の手には入りにくかった牛肉だが、
三沢では米軍払い下げ品として
赤身以外のバラやモツが比較的安く
手に入ったのだという。
では、
そのバラ肉をいかに美味しく食べようか。
それを工夫し試行錯誤して
生まれたのが「バラ焼き」なのだ。
三沢で生まれたバラ焼きは、
同じ文化圏の十和田市に伝わり、
市民権を得る事となる。
家族や友人同士で鉄板を囲み、
じゅうじゅうとあがる煙の中、
わいのわいのと談笑しながら
バラ焼きをつつく。
今や十和田市内で
バラ焼きを提供する店は60軒以上。
子供からお年寄りまで
幅広い年代に好まれるその味は、
いつしか十和田市民の
ソウルフードとなったというわけだ。
- JAPAN WEB MAGAZINE HPより -
----
大間埼より宿泊地である
「八戸市」へ直接向かわず、
十和田市にある
「十和田バラ焼きゼミナール」の
チャンネルショップである
「バラ焼き大衆食堂 司」
さんにて夕食。
※十和田バラ焼きゼミナールについては、
下記HPより検索下さい。
バラ焼きの美味しい食べ方や、
バラ焼き大衆食堂「司」さんのことは、
下記にリンクを貼っておいたので
そちらをご覧いただくとして...(笑)
この「十和田バラ焼き」
単なるバラ焼きジャンと侮るなかれ!
....最高に美味いのだ♪
運ばれてきたのは...
鉄板の上に敷かれた
特製の「バラ焼きのタレ」の上に、
大量の「玉葱と牛バラ肉」...ダケ(笑)
美味しくいただくには
「儀式(食べ方)」があるのは必定(笑)
まずは...
何も考えず玉葱ダケを
時計回りにクルクルと回しながら焼くノダ♪
玉葱が「しんなり」してきたならば...
バラ肉も一緒にクゥル・クル♪...と回す。
....おー!良い感じ♪
玉葱が「あめ色」になるまで焼いたら
ハイ!食べ頃♪
...なのだが、
これだけが「バラ焼き」の
魅力にあらず...。
バラ焼きを半分ほど食べた頃に
「追いうどん」を投入...。
この美味さ♪
「十和田バラ焼き」を実際に
味わっていただく以外には
けっして伝わりません(笑)
現在、
十和田市にて「バラ焼き」を提供するお店は、
60軒以上に及ぶという...。
十和田市に立寄る機会があれば、
是非自分好みの「バラ焼き」を
探してみては如何だろうか。
次回は十和田市にお宿を取り、
「十和田バラ焼き」を楽しみながら
生ビール...といきたいものだと感じながら、
十和田市から八戸市に移動し...
東北ツーリング5日目を終えた。
....この日も愛車は快調。
ツーリングは最高ダ♪
次回、
【2018年東北ツーリング - 再挑戦(後編) -】
は「被災現場(土砂崩れ)」を含めた
21日(日)・22日(月)・23日(火)に巡った
「旅の模様」をお伝えしますのでお楽しみに♪
後編へつづく...
では
Thanks for coming!
Web-yoshy'sGarageは
ライダーの皆さんのお越しをお待ちしております♪
【関連記事】
【2018年東北ツーリング - 再挑戦(前編) -】<2018年11月12日更新>
【2018年東北ツーリング - 再挑戦(中編) -】<2018年11月17更新>
【関連記事】<再挑戦(リベンジ)>
【Preparation for going to the Touring】<2017年8月19日更新>
【2017年夏ツーリング-前編-】<2017年9月20日更新>
【2017年夏ツーリング-後編-】<2017年9月27日更新>
【DEC.2017】<2017年12月19日更新>
【おまけ...みたいなもの?かな(笑)】<2017年12月31日更新>
【はじまりのとき】<2018年2月10日更新>
【ModifyRecord (1) -復活- 】<2018年3月4日更新>
【関連リンク】
【アプティネット】-青森県観光情報ネット-
【尻屋観光】-尻屋観光HPー
【エチゼンヤ】-むつ市の老舗洋菓子店(食べログ)-
【仏ヶ浦遊覧船】-仏ヶ浦観光海上公式HP-
【まぐろ長宝丸】-大間産まぐろのお店ー
【JAPAN WEB MAGAZINE】-Web情報サイトー
【十和田バラ焼きゼミナール】-公式HPー
ヨッシーは走ることで日本を応援しています。
Web-yoshy'sGarageへようこそ♪
管理人のヨッシーです。
東北ツーリング- 中編 -は、
秋田県と青森県の県境「白神山地」より、
青森県は「津軽半島」「下北半島」へと向かう、
19日(土)・20日(日)の2日間の
出来事をお届けします。
では...
『2018年東北ツーリング - 再挑戦(中編) -』
をご覧下さい。
- 再挑戦(中編) -
10月19日(土)am5:00起床。
お宿の窓を開け放つと...。
この日も
「最高の青空」が広っていた。
『ウェスパ椿山』
青森県深浦町のウェスパ椿山は、
夕陽が美しい日本海や世界遺産白神山地、
十二湖など人気のスポットに囲まれた、
宿泊もできる自然豊かなリゾート施設。
----
宿泊した
「鍋石温泉・ウェスパ椿山」は、
深浦町営の施設。
管理も行き届き
ゲストハウスを利用すれば
格安での宿泊も可能。
日本海に突き出した
露天風呂の宿として人気の
「黄金不老不死温泉」と同様の源泉も引かれ、
質の良い温泉が
疲れた身体を優しく癒やしてくれた。
「モヤイ像」
- 人と人の心をつなぐ「結び」の象徴 -
モヤイ像の前で手を繋いで空を見上げたら、
あったかい気持ちがあふれてくる。
あなたとあなたの大切な人が「結ばれ」、
「モヤイ合う(想い合う)」日々が
末長く続きますように、
人々の
「モヤイ合う(想い合う)」心が
さらに縁を結びますように。
『友好の証』
昭和59年6月、
伊豆七島新島の新島村から
東京都大田区蒲田東口商店街に
「友好の絆」として贈られました。
以来、
JR蒲田駅東口の広場に鎮座し
「モヤイ合う」蒲田東口商店街の人々の姿を
見守り続けてきたモヤイ像。
所ジョージさんがメインパーソナリティを務める
テレビ番組「所的蛇足講座」(福岡放送制作)で
全国に紹介され、
視聴者にプレゼントされることとなり、
平成11年2月17日、
大田区蒲田東口商店街から
800キロの長旅を経て
「ウェスパ椿山」へとやって来ました。
モヤイ像は
新島と蒲田東口商店街、
そして深浦町の友好の証として
ここに鎮座している。
『表裏で表情の違うモヤイ像』
片方は女性、
もう片方は男性の表情をしたモヤイ像。
人との絆や結びを表し、
歴史とロマンを秘めています。
女性は貴重な動植物が生息する
世界自然遺産「白神山地」を、
男性は雄大な日本海を見守っています。
自然と人とも結び、
「ウェスパ椿山」の象徴とも呼ぶべき像です。
大切な誰かとモヤイ像の前に来たら、
手を繋いで静かな気持ちで
空を見上げてみてください。
『新島「モヤイ像」の由来』
旅はいつも
「思い出」が残る。
新しい風景や見知らぬ人に会いたくて旅に出る。
しかしそこで待っているのは
「自分自身の内側」に
ほかならないことを発見する。
新島の「モヤイ像」は
心の片すみに放ってある
「透明な旅の日々」と同じなのではなかろうか。
身をひるがえして牙をむく自然を相手に
私たちの祖先は、
流人ともども漁に農に力を合わせて
その生を生きた。
流人もその要請によくこたえたという。
古くから新島では
「共同して仕事に当たる」ことを
「モヤイ」と呼んだ。
私たちにとって「モヤイ」とは、
そういう
歴史とロマンを秘めた言葉である。
ここに集う人々よ、
物言わぬモヤイの像は
あなた達に何を語りかけるであろうか。
願わくば私たちと共にその、
遥かなる祖先の声を聞かれむことを。
-東京都新島村長/出川長芳-
-新島石彫グループ代表/大後友市-
----
旅とは...
「等身大の自分と向き合う」ものナリ。
我今...
遙かなる旅路へと赴かん。
東北の旅(ロングツーリング)は
まだ始ったばかり。
『白神山地』
白神山地は、
秋田県北西部と青森県南西部にまたがる
約13万haに及ぶ広大な山地帯の総称です。
ここには人為の影響をほとんど受けていない
世界最大級の原生的なブナ林が分布し、
この中に多種多様な動植物が生息・自生するなど
貴重な生態系が保たれており、
1993(平成5)年12月に
世界遺産(自然遺産)に登録されました。
- 白神山地ビジターセンターHPより -
----
ウェスパ椿山より
白神山地は「十二湖」へと、
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2の
鼻先を向ける。
国道101号線より
県道280号線へ入るとスグ、
浸食崩壊により凝灰岩の
白い岩肌がむき出しになった、
「日本キャニオン」が目に飛込んできた。
美しい...。
『十二湖散策コース』
コバルトブルーの「青池」をはじめ、
エメラルドグリーンの「鶏頭場の池」、
ブナの原生林、野鳥などの
「白神山地」の色彩を
色濃く体験できる散策エリア。
アップダウンも少なく、
足下も砂利やウッドチップが配され
歩きやすく人気の散策コース。
----
自然遺産「白神山地」にある
散策ルートの中でも特に人気のある、
「十二湖散策」をトレッキング。
-所要時間1時間30分(休憩時間10分)ー
『十二湖』
十二湖(じゅうにこ)は、
白神山地西部に位置するブナ林に囲まれた
33の湖沼群の総称。
江戸時代に発生した大地震による
山崩れによってできたといわれています。
その際、
大小33の湖沼ができたが、
崩山から眺めると12の湖沼が見えたことから
「十二湖」と呼ばれるようになった。
青いインクを流したような色といわれる
「青池」が特に有名です。
『青池』
-自然が作りし奇跡のブルー-
「青池(あおいけ)」は十二湖の内の1つ。
青池のブルーは完全に自然が作り出したもので、
はっきりとした原理はいまだに解明されていない。
天気や光の当たり具合、
見る角度によって表情を変える青(ブルー)は、
四季折々に訪れる者を魅了する。
----
美しい「鶏頭場の池」を横目に
歩くこと500m。
小高い坂を登ると...
神秘的なブルーに身を包んだ
「青池」がその姿を現わした。
湖畔に設置されたウッドデッキより
「青池」を観察してみると...。
太陽光を浴び
ブルーに輝く湖の色もさることながら、
この湖の透明度に驚かされた。
『ブナ自然林』
世界遺産「白神山地」は
ジブリ映画「もののけ姫」の
舞台(モデル)になったとも言われる場所。
「白神山地」に
一歩足を踏み入れるとそこには...
世界最大級規模の
「ブナの原生林」が広がっている。
風に揺れ奏られるブナの葉の音。
どこからともなく聞こえる野鳥の声。
そしてなにより...
澄み渡った空気は
『呼吸することが心地良い』
ということを改めて教えてくれる。
世界遺産「白神山地」で出会った
「ブナ」の自然林は
癒しの力に満ち溢れている...。
『沸壺の池』
十二湖のなかでも
「青池」に匹敵する透明度の沸壺の池。
青池⇒ブナ林⇒沸壺の池という
人気の散策コース上にあるので
観光しやすいスポット。
近年、
木造の展望スペースも設置されたことで
鑑賞しやすくなった。
----
ブナ林を抜け
300mほど歩くと...。
「沸壺の池」が現れた。
駐車場管理の方が、
落ち葉の多いこの季節は
「青池」よりも美しですよと仰った通り、
この日の「沸壺の池」は、
「青池」に負けず劣らずの
美しさであった。
どうやら
「沸壺の池」は青池よりも
水の流れ込みが多い様で
落ち葉は池に溜まらず
下流へと流れていく様ダ。
『青森県道200号線-鶴田町-』
青森県鶴田町では、
9月上旬ごろから10月下旬に掛けて
「つがる・千秋・世界一・ジョナゴールド・
北斗・陸奥・王林・ふじ」など、
美味しさにこだわった
「津軽の代表品種」のりんごが
数多く栽培されている。
----
白神山地は十二湖を後にし...
「青森県の新絶景」を見る為に、
国道101号線(大間越街道)を
鰺ヶ沢方面へと向かい、
岩手山が美しく望むことのできる
県道200号線に入ったところで
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2を止めた。
りんごの果実が実る季節に
青森県に訪れたのであれば、
こんな写真を撮影したくなるものだ。
県道に接した
「りんご農園」で記念撮影をしていると...
軽トラに乗った農場の皆さんが
不思議そうな顔をして通り過ぎる。
彼らにとっては
"あたりまえ"に思える様な光景もまた、
ツーリングでは忘れ得ぬ光景となるものなのだが...
きっと"りんご泥棒"だと
思われていたことでしょう...(笑)
『鶴の舞橋-青森県鶴田町-』
ー 日本一の木造三連太鼓橋 -
鶴の舞橋は平成6年7月8日、
岩木山の雄大な山影を
湖面に美しく映す
「津軽富士見湖(廻堰大溜池)」に、
日本一長い三連太鼓橋
「鶴の舞橋」として架けられました。
全長300メートルもの三連太鼓橋は
ぬくもりを感じさせるような
優しいアーチ形状をしており、
「鶴と国際交流の里」
鶴田町のシンボルとして、
多くの人々に愛されている。
岩木山を背景にした舞橋の姿が
「鶴が空に舞う姿」に見えるとも言われ、
また、
橋を渡ると長生きできるとも言われます。
夜明けとともに浮かび上がる
湖面の橋の姿や、
夕陽に色づく湖と鶴の舞橋は絶景で、
季節の移り変わりと共に
多くの観光客たちの目を楽しませています。
青空と岩木山を背景にした
「日本一の木造三連太鼓橋」の姿は、
真に鶴が舞うかの如くに優美な
「青森県の新絶景」であった。
「鶴と国際交流の里」である
鶴田町のご当地マンホールもやはり...。
ヨッシーはかなり以前より
ツーリングに訪れた先の
「ご当地マンホール」を撮影し続けていて、
その撮影枚数はかなりの数にのぼる(汗)
いつかブログで公開できれば
興味のある方も居られるのかもしれませんが、
今は面倒なのでやりません(笑)
『青森名物街道-メロンロードー』
津軽半島の日本海側に
屏風山(びょうぶさん)と呼ばれる
砂丘地帯があります。
津軽平野から見ると、
松林が立ち並ぶ砂丘がまるで
屏風を巡らせたようだとその名はつけれた。
この一帯には、
遮光器土偶で有名な
縄文時代後・晩期の「亀ヶ岡遺跡」
約2万5千年前の「世界最大規模の埋没林」
季節ごとに
きれいな花々が咲き誇る「ベンセ湿原」など
見所はたくさんありますが、
夏の間ひときわ賑わうのは、
砂丘地帯の名産「メロン」と「すいか」の
露天が連なる「メロン・すいか街道」
である。
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「津軽富士見湖(廻堰大溜池)」を後にし
「津軽半島」の最先端「竜飛岬」へと
愛車の鼻先を向ける。
以前に「龍飛岬」までのルートとして
「五所川原広域農道(通称:米マイロード)」
は利用したことがあるので、
今回は
「屏風山広域農道(通称:メロンロード)」
を使い向かいます。
どこまでも延びる
メロンロードの直線を走っていると、
季節でも無いのにどこからともなく
「メロンの香り」がしてくるというのは
ホントウの話しだから面白い(笑)
『小説「津軽」の像記念館』
太宰と子守のタケが
数十年振りの再開をした場所で
「津軽」のラストシーンを具象化した像が
建てられている記念館。
その他、
タケが思い出を語る映像や
太宰ゆかりの資料等が展示されている。
『太宰治』
太宰 治(だざいおさむ)、
1909(明治42)年6月19日-
1948(昭和23)年6月13日(没)は、
日本の小説家。
本名は津島修治(つしましゅうじ)
自殺未遂や薬物中毒を克服し
戦前から戦後にかけ多くの作品を発表。
没落した華族の女性を主人公にした
『斜陽』はベストセラーとなる。
その作風から
坂口安吾、織田作之助、石川淳らとともに
「新戯作派」「無頼派」と称された。
主な作品に『走れメロス』『津軽』
『お伽草紙』『人間失格』がある。
『小説「津軽」』
小説「津軽」は青森県出身の作家、
太宰治の主な作品の一つ。
小山書店の依頼を受け、
「新風土記叢書」の第7編として
書かれたものである。
特に「人間失格」「斜陽」などの作品は、
登場人物の境遇や心情において、
救われない・やりきれない思いを
感じさせるものが多いが、
「津軽」では
それら憂鬱さを感じさせる出来事はなく、
出会う人々との
心地の良い交流が描かれている。
小説「津軽」の中では、
主人公(太宰治)が
郷里である津軽各地を見て回り、
懐かしい人々と再会しながら、
最後は小泊村(現:中泊町小泊)に住む
太宰の幼少時代の子守「越野タケ」と
再会を果すまでの道中に訪れた
舞台が紹介されている。
以前に津軽半島へ
ツーリングで訪れた際に
立寄ることが出来なかった、
小説「津軽」の像記念館に
今回は立寄ることにした。
小説「津軽」の作中で、
太宰が子守「タケ」と
30年振りに出会うという
「ラストシーン」を具象化した
「小説津軽の象」を
ようやく見ることが叶った。
幸運にも、
今年は太宰治生誕110周年にあたり、
来場記念として期間限定(数量も限定)の
オリジナル缶バッチも
いただくことができた。
いつの日か...
ゆっくりとした時間の流れの中で、
太宰ゆかりの地を旅してみるのも
よいものだな...、
と記念館の壁に掛けられていた、
「斜陽館」の版画を見ながら感じた。
※斜陽館:太宰治の生家。
現在は五所川原市太宰治記念館。
小泊より国道339号線は、
小泊道より竜泊ラインへと
その呼び名を変える...。
『竜泊ライン』
津軽半島最北端の西側海岸線を走る
国道339号線の小泊(こどまり)から
竜飛崎までの区間。
荒々しい日本海を眺望しながら走る
南側の海岸道路は、
途中から一気に山岳道路と化し、
海と山の両方の道路を楽しむことができる。
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折腰内より
「眺瞰台(ちょうかんだい)」まで
海岸線の絶景を見ながら向かう。
『眺瞰台(ちょうかんだい)』
「眺瞰台」は、
小泊から竜飛崎をつなぐ国道339号
通称「竜泊ライン」の最高地点にある展望台。
天気の良い日には、
日本海から津軽海峡、北海道や小泊岬、
龍飛埼灯台等の景観が綺麗に眺められる。
- 360@旅行ナビより -
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竜泊ラインを軽快に駆け、
「眺瞰台」に
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2を止めた。
昨年は
「濃霧」の中であったが、
今年は打って変わり、
心地良い秋風を全身に感じながら
岬越しに「北海道」を望む
贅沢な一時であった。
下記にリンクを貼った
「360@旅行ナビ」で、
竜飛岬周辺の
臨場感のあるパノラマ画像が
楽しめますのでどうぞ♪
『青函トンネル記念館』
海底240m、総延長53.85Km。
津軽海峡の海の底を貫く「青函トンネル」。
「展示ホール」では構想から42年、
過酷な条件の中で繰り広げられた数々の軌跡を、
当時の資料をもとに
「音や映像」「立体モデル」などを交えて、
わかりやすくご紹介している。
そして、
海面下140mの世界を体験できる
「体験坑道」へは日本一短い私鉄
「青函トンネル竜飛斜坑線/もぐら号」に
乗り込み「斜度14度の斜坑」を、
わずか9分で下ります。
今も利用されている「地下坑道」の一角に、
特設展示エリアを設け
実際に掘削に使われた機械や器機などを展示し
当時の現場を再現展示することで、
世界に誇る大事業を体感することができる。
- 体験ツアーの所要時間は約45分 -
『体験坑道』
海面下140mの別世界に
竜飛斜坑線で行く体験坑道。
津軽海峡の海の底を貫く青函トンネル。
実際に工事作業に使った
「地下の坑道」に下り、
24年という長い工期の末にたどり着いた
その壮大なプロジェクトを体感できる。
『青函トンネル竜飛斜坑線/もぐら号』
日本一短い私鉄
「青函トンネル竜飛斜坑線 もぐら号」
青函トンネル工事における作業員の移動や、
物資の輸送などを目的として建設されました。
青函トンネルにある2つの定点のうち、
本州側の竜飛定点(旧・竜飛海底駅)に通じる。
斜度14度の斜坑を、
わずか9分で海面下140mへ到達する。
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35便「記念館駅」pm4:05-発。
もぐら号に乗り込み
海面下140mの旅に出発♪
けたたましい「警報音(ブザー音)」とともに、
斜坑を通じて
風が吹き抜けないように設置された
「風門(鉄の扉)」がゆっくりと開いてゆく...。
すると、
水面下140mへと続く坑線が姿を現わす。
是真に「映画の如く」。
確実に安全を確かめる様に、
ゆっくりゆっくりと「もぐら号」は
水面下140mの世界(地下坑道)へと進む。
『坑道駅』pm4:13-着。
「坑道駅」より約100m下降まで
坑道は続くとのこと。
フェンスのさきは「暗く不気味」。
『坑道展示エリア』
実際に作業坑として使われた一角に
展示エリアを設け、
実際に掘削に使われた機械や器機を展示し、
当時の現場の雰囲気を再現展示している。
ー 青函トンネル記念館パンフレットより -
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係員の女性の指示に従い
「坑道内部」を進みます。
ボーリングなどの
穴開けに用いる先端の刃の展示。
『ダイヤモンドビット』
『メタルビット』
『スタビライザー』
『青函トンネル』
本州側の青森県東津軽郡今別町浜名と
北海道側の上磯郡知内町湯里とを結ぶ
全長53.85km(海底部23.3km)の
海底トンネル。
旧国鉄の青函連絡船5隻が暴風雨に見舞われ転覆、
1430人が犠牲となった
「洞爺丸事故」を機に実現に向けて大きく動き出した。
掘削は昭和64年北海道側より始まり、
2年後に本州側も掘削を開始。
1987年に完成し翌88年3月、
青函連絡船に代わり
「JR津軽海峡線」が開通した。
2016(平成28)年3月の
北海道新幹線の開業に伴い、
トンネルは海峡線と北海道新幹線が
共用するようになり、
狭軌の在来線と標準軌の新幹線が
通行できるように
「3線軌条(さんせんきじょう)」となっている。
『青函トンネル体験坑道を終えて』
仲間がツーリング記に
「体験坑道」を書いていたのを見て
立寄ることにしました。
時間の掛る「体験坑道」は、
「竜飛岬」や「竜飛岬灯台」「階段国道」と
見所の多い「竜飛岬」では
訪れる機会の少ない場所なので、
今回はとても良い機会となりました。
仲間に感謝♪
『体験坑道/体験証明書』
体験証明書もゲット。
「証明書」は
ツアラー御用達のアイテムですね(笑)
<青函トンネル工事の記録>
青函トンネル記念館を後にし、
「竜飛岬」を巡る♪
『竜飛岬-津軽海峡冬景色歌碑ー』
石川さゆりさんの名曲
「津軽海峡・冬景色」の歌謡碑。
ボタンを押すと...
「ごらんあれが竜飛岬北のはずれと…」
と2番の歌詞が流れる。
津軽海峡を見下ろす高台にあり、
名曲の世界が一望できる。
----
お約束の「歌碑」。
青空のもとで聴く
「津軽海峡冬景色」は最高の一言♪
今回は「ボタンを3回」押しました(笑)
『石川さゆり/津軽海峡冬景色』
ー詞:阿久 悠/曲:三木たかし-
<石川さゆり/津軽海峡冬景色>
『階段国道339号線』
昭和49年に国道に指定された
「階段国道339号」は、
竜飛漁港バス停と
龍飛埼灯台を結ぶ総延長388.2m、
362段の日本で唯一の階段国道。
----
何度も訪れている場所なので
階段の写真は割愛(笑)
『竜飛埼灯台』
「龍飛埼灯台たっぴさきとうだい)」は、
青森県津軽半島の竜飛埼の突端に立つ
白亜の円形大型灯台。
周辺は津軽国定公園に指定され、
展望台からは
津軽海峡越しに北海道を望む風光明媚の地。
日本の灯台50選にも選ばれている。
『竜飛岬の名物』
-たっぴyAの母さん-
竜飛の名物はといえば
「津軽海峡冬景色歌碑」駐車場の
「たっぴyAの母さん」だ...。
明朗快活な彼女の
セールストークに眉をひそめ
通り過ぎる方達も多いが、
彼女の明るさもまた
旅を彩る良い
「旅情」なのではないかと感じ、
「ねぶた」が印刷されたパッケージが
土産に最適な
「ほたての塩焼き」を買った。
母さん...
これからも頑張ってな♪
「竜飛岬」pm5:00-
『竜飛漁港ー太宰治文学碑』
昭和50年10月9日、
龍飛漁港に建立された太宰治の文学碑。
碑文には小説「津軽」の一節、
「ここは、本州の袋小路だ。読者も銘肌せよ。
諸君が北に向って歩いている時、
その路をどこまでも、さかのぼり....」
と刻まれている。
----
誰そ彼時迫る...
真に美しきかな「竜飛埼」。
太宰の文学碑を後に、
今別・外ヶ浜と駆け抜け
青森市内に予約したお宿へと向かう...。
東北ツーリングの3日目も、
好みの乗り味に仕立てられた
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2は
快調そのもの♪
夕陽沈む「青森湾」を望む
国道280号線を経て
青森市内へ入る頃には、
時計の針は
pm7:30ーを指していた。
10月20日(日)am5:00-起床。
お宿の駐車場で荷物を積みながら
頭上を見上げると...
心地良いほどの快晴♪
この日は「下北半島」を巡ります。
下北半島に訪れるのは3度目なのですが...
過去2回「振られた(辿り着けなかった)」
場所に向かいます。
『岩木山展望所』
青森の市街地から
八甲田山へ国道103号を
登っていく途中にある展望所。
天気のいい日には
岩木山を望むことができるほか、
「八甲田除雪隊の歌碑」は
近付くと隊歌を聴くことができます。
----
青森市内より国道4号線(奥州街道)を使い
「下北半島」へ
直接向かうのも良いが...。
それでは面白くもない(笑)
紅葉の季節らしいツーリングをしなくては
この時期の東北を巡る価値はない。
....という事で、
国道103号線(八甲田ゴールドライン)で
「八甲田山」へと向かう。
『萱野高原』
「萱野高原」は、
「十和田八幡平国立公園」の北の玄関口。
八甲田山の北麓に展開する標高 520mの高原。
初夏には、
新緑の絨毯を敷きつめたようになり、
秋には、
紅葉した八甲田山を間近に望む。
芝生のなだらかな傾斜地は
ウマの放牧場となっている。
「萱野高原」を駆け抜け...。
酸ヶ湯温泉を越えたさきの
「酸ヶ湯公共駐車場」に
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2を止めた。
登山口の美しい紅葉が眩しい。
「八甲田ゴールドライン」の
美しい紅葉のトンネルを駆け抜け...。
国道103号線を左に折れ
国道394号線に入ると
息を呑む風景に出会う...。
対向車も無い貸し切り状態の
国道394号線を、
『田代平湿原』方面へ向いさらに進む...。
ここまで深く色付いた紅葉の中を
走る経験はそうそうは出来まい...。
『田代湿原』
「田代平(たしろたい)湿原」は、
「八甲田」最大の面積を誇る湿原で、
裏八甲田に位置している。
見通しが良くダイナミックなパノラマ風景を
楽しむことができる。
----
県道40号線を跨ぎ
右コーナーを抜けたさきに、
この風景が広がる...。
深々と色付いた(紅葉した)
「田代平湿原」越しに
北八甲田山系(連峰)の「雛岳」を一望。
『八甲田連峰』
那須火山帯の中の、
八甲田火山群地域を「八甲田連峰」と称します。
大岳(1,585m)を主峰として
高田大岳、井戸岳、赤倉岳、前嶽、田茂萢岳、
小岳、硫黄岳、石倉岳、雛岳と10の山々を北八甲田、
櫛ヶ峰をはじめ6峰の山々を南八甲田といいます。
それぞれの山は
円錐状か台形状になっており、
高田大岳と両側に同じ間隔である小岳、
雛岳と噴火口の無い三峯が連なっているのは、
火山帯としては珍しいものです。
八甲田連峰は、
どれも四方にきれいに裾を開くようになっています。
そのため川が多く流れ、
上流では美しい渓谷や滝がよく見られます。
火山のなごりとして、
地獄沼などの噴気孔跡や温泉も数多くあります。
標高1,000mくらいまでは
「ブナの林」になっていますが、
それより上は「アオモリトドマツ」などの
針葉樹が主体になります。
1,400mより標高が高くなると高山帯で、
「ハイマツ」の群生となり
ナナカマドやミヤマハンノキなどの
低木が混成しています。
また、
多数の湿地帯があり
湿原植物の宝庫になっています
----
あまりに美しい風景に
見惚れるばかり...。
この地は訪れた翌週に
「積雪」が観測されたという...。
この景観は、
八甲田の魅せる
一瞬の煌めきであったのだろう...。
貴重な瞬間に出会えしことに
ただただ感謝。
『じゅねもち』
- 後世に残したい郷土の味 -
「じゅね」とは、
シソ科の一年草の「えごま」の事を指します。
「えごまの効能」としては、
美肌になれたり、
コレステロールを排出する手助けをしたり、
血管をやわらかく若返らせたりと、
まさにスーパーフードなのです。
「じゅねもち」とは、
そんな「えごま」の実を
煎って味噌と和えて「じゅねみそ」を作り、
そば粉や小麦粉で作った「串もち」に
たっぷり塗り焼いて食べる、
青森県南部地方のソールフードです。
----
道の駅「しちのへ」に立寄った際に、
秋田県南部地方のソウルフードの
「じゅねもち」が焼かれていたので
1串いただくことに。
焼かれた
「じゅね味噌」の香ばしさと
「そば餅」の風味が
絶妙なバランスで調和し、
重すぎず軽すぎずで間食に最適。
ふと思い出した際に
食べたくなる様な素朴な味であった。
『美味小屋「蛮(ばん)」』
美味小屋(うまごや)蛮(ばん)は、
下北半島(むつ市大湊)で
美味しいランチがいただけると人気のお店。
地元にとどまらず、
ビジネスや観光に訪れた人々の
「リピート率」も高い。
----
道の駅「しちのへ」より
国道279号線(下北半島縦貫道路)を使い
一気に北上し「むつ市」へ...。
東北ツーリング3日目の
目的地へと向かう前に、
国道388号線沿いにある
美味小屋「蛮」さんにて昼食。
『アランドロン』
美味しい料理を提供されている
「蛮」さんの中でも、
群を抜いて人気のメニューとなるのが、
「蛮」さんオリジナルの
「アランドロン」となります(笑)
(画像はご飯大盛り)
「アランドロン」は、
タップリ♪のチーズを包んだハンバーグに
衣をつけ揚げ焼きされたもので、
和風ソース(ご飯とは別皿)とカレーがあります。
今回はカレーを選択。
ハンバーグにナイフを入れると...
「サクッ♪」とした手応えを感じたあとに
「アラン♪ドロン」
とチーズがあふれ出てくる。
これがネーミングの由来か...(笑)
肝心のお味は、
想像していたよもずっと「マイルド」。
いかにも質の良い肉は
チーズとの相性も抜群。
肉汁とチーズが奏でるハーモニーは
言葉にならぬ美味しさ。
カレーは、
野菜のうま味(ブイヨン)がほど良く
スッキリとした味わい。
揚げ焼きされたハンバーグを
チーズと絡め食すもヨシ。
カレーに漬けて食すもアリ。
どちらにしても下北半島(むつ市)へ
訪れる機会があれば...
「アランドロン」はお薦めです。
「美味小屋 蛮(ばん)」
- Information -
青森県むつ市大湊新町16ー2
営業時間:10:00~20:00
定休日:火曜日
※お店の前に駐車場がありますが、
3台くらいしか停められないので注意が必要。
道路を挟んで向かいに
有料駐車場がありますので、
満車の時はご利用下さい。
(お食事の方には駐車券サービス)
中編の途中ですが...
あまりに内容が多く、
ブログの「文字制限」に引っ掛り
これ以上アップできなくなりました(笑)
この続きは
中編(その2)へと続きます...。
では
Thanks for coming!
Web-yoshy'sGarageは
ライダーの皆さんのお越しをお待ちしております♪
【関連記事】
【2018年東北ツーリング - 再挑戦(前編) -】<2018年11月12日更新>
【関連記事】<再挑戦(リベンジ)>
【Preparation for going to the Touring】<2017年8月19日更新>
【2017年夏ツーリング-前編-】<2017年9月20日更新>
【2017年夏ツーリング-後編-】<2017年9月27日更新>
【DEC.2017】<2017年12月19日更新>
【おまけ...みたいなもの?かな(笑)】<2017年12月31日更新>
【はじまりのとき】<2018年2月10日更新>
【ModifyRecord (1) -復活- 】<2018年3月4日更新>
【関連リンク】
【ウエスパ椿山】-公式HPー
【白神山地ビジターセンター】-公式HPー
【十二湖info】ー十二湖の観光情報Webサイト-
【メデタイ・ツルタ】-鶴田町観光Webマガジン-
【太宰治ミュージアム】ー公式HPー
【360@旅行ナビ】-日本全国観光案内サイト-
【青函トンネル記念館】ー公式HPー
【アプティネット】-青森県環境情報ネット-
ヨッシーは走ることで日本を応援しています。
Web-yoshy'sGarageへようこそ♪
管理人のヨッシーです。
2018年10月17日から
9日間(内東北は8日間)の行程で、
青森県を中心とし
東北地方を旅してきました♪
昨年(2017年)夏の
東北での出来事をご存知の方は、
表題にある
『再挑戦』という意味を
ご理解いただけるものかと...。
【関連記事】のリンクを
下記に貼っておきますので、
ご存じ無い方は
リンクをご覧いただくことで
再挑戦(リベンジ)の意味を
ご理解いただけるものと思います。
この東北ツーリング記は、
ツーリングの全9日間の行程を
「前編」「中編」「後編」という
3つのパートに分け
お伝えしていきますので、
最期まで
お付き合い下されば幸いに思います。
そして、
このツーリング記とは別に
『東北ツーリング- 番外編 -』と題し、
「石ノ森章太郎の世界」と
「MICHELIN ROAD5インプレッション」も
お届けしたいと考えていますので、
そちらも
楽しみにお待ち下さればと思います。
では...
『2018年東北ツーリング - 再挑戦(前編) -』
をご覧下さい。
- 再挑戦(前編) -
10月17日(水)am3:00-のこと。
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2改に
9日分の荷物を積み...
東北に向け出発。
初日は、
山形県は酒田市までの移動日。
この時点で「皮剥き」さえも
済んでいない状態(走行4km)の
Newタイヤ(MICHELIN ROAD5)での実走(汗)
とは言え...
このタイヤの「各所での感覚」を
確かめられるので、
高速道路中心の行程であっても
「退屈はしないだろうな」と
感じながらの出発となりました。
名神高速道路「小牧JCT」より
中央自動車道へ流入し快調に走るも...。
「駒ヶ岳SA」で雨雲レーダーを確認すると、
新潟県地方には日本海から
「大量の雨雲」が流れ込んでいる様子。
流石にこれはマズイと判断し、
休憩ついでに早目の朝食にて時間調整。
食後に雨雲レーダーを再確認すると...
新潟県に到達する3時間後には
雨雲も少なくなっている様子なので
「駒ヶ岳SA」を離れることにした。
「岡谷JCT」==長野自動車道==
「更埴JCT」==上信越自動車道と走り...
「松代PA」am8:00-立寄り。
休憩と給油をするため
松代PAに入り、
再度雨雲レーダーをチェック。
「松代PA」で
これからの天候(雨雲)の変化を
再確認してみると...、
行く手は確実に雨(汗)
3時間予測を確認すると、
山形県に入れば
雨雲も皆無になる事が確認できた♪
せめてもの心の救いと感じ(笑)
諦めてここから
レインウエアを着込み...、
長野県北部から新潟県まで
「雨天強行突破」を決意。
「松代PA」を飛び出し...
「須坂長野IC」を少し越えた辺りで
土砂降りの雨...。
その後は、
時折強い雨に見舞われながらも、
「小布施」「妙高高原」を越えて
新潟県に入ります。
「上越JCT」より北陸自動車道に入るも...
雨模様は変らず(笑)
しかし、
辛抱していれば
必ず報われる時も来るものだ♪
長岡を越えた辺りから
どす黒い雨雲は千切れだし、
雲の隙間から「青空」が覘く様に。
" feel so good "
天候回復が確信できたので、
「黒埼PA」で合羽を脱ぎ捨て
「村上瀬波温泉IC」まで一気に加速。
そして日本海へと出ます。
『笹川流れ』
- 日本海の荒波が作り上げた造形美 -
澄み切った碧い海が美しく、
日本屈指の透明度を誇る笹川流れ。
11km続く海岸線は、
日本海の荒波の浸食によりできた
奇岩や岩礁、洞窟などの
変化に富んだ風景が広がり、
豪壮な景観は国指定の
「名勝及び天然記念物」となっています。
ー にいがた観光ナビより -
国道345号線(笹川流れ)の景観を
堪能しつつ北上し、
『笹川流れ塩工房』さんで
天然塩作りを見学。
屋内に足を踏み入れると...
巨大な窯が豪快に湯気を上げている。
塩造り職人の「小林久」さんの作り出す塩は、
笹川流れの海水を汲上げ薪で焚き...
不純物を
「さらし布」に通すことで取り除く
昔ながらの「塩づくり技法」。
15時間という時間(とき)を掛け
煮詰められた海水からは、
海の恵みいっぱいの
「塩の結晶」が誕生します。
「塩の結晶」を
「わらの苞苴(ツト)」に置くこと丸一日...。
こうした手間を掛けることで
えぐみのない美味しい塩が出来上がるのです。
※苞苴(ツト)とは、
わらなどを束ね、
その中に食品を包んだもの。わらづと。
『鼠ヶ関漁港』
鼠ヶ関(ねずがせき)漁港は、
山形県鶴岡市の
庄内地方最南端に位置しており、
新潟県との県境にある港町。
----
笹川流れを後にし国道7号線に入り、
山形県は「鼠ヶ関漁港」に入り
「網焼き屋」さんにて昼食♪
『弁天茶屋』am11:40-
鼠ヶ関港の鮮魚センター前にある
「弁天茶屋」で昼食。
この筋には数店の「干物屋」さんが
軒を連ねています♪
天日の恵みを受け、
うま味の凝縮された「イカの干物」と
新鮮な海藻たっぷりの味噌汁...。
素朴で味わい深い
「イカの一夜干し定食」をいただきました♪
実はこの定食は...
メニューには無いもので、
店先で土産用に売られていた
「イカの干物」を特別に焼いてもらい
作っていただきました(笑)
美味しい干物は
大満足でしたが本題は別にあり...。
食後は「鼠ヶ関」の
「新奥の細道ー義経上陸のみちー」を散策♪
(コチラがメインの理由になります)
『源義経上陸の地碑』
昭和四十年、
NHK大河ドラマで
「源義経」が放映されました。
原作者の「村上元三」先生に
「源義経上陸の地」という揮毫(きごう)を
お願いしたところ、
「今のところ上陸ということに確信が持てない」
ということで、
「源義経ゆかりの浜」と書いていただき、
その碑が厳島神社の境内に建立された。
その後二十年経って、
今度は先生の方から
「義経が上陸したことに間違いない」
というお話しがあり、
その際に揮毫(きごう)していただいたのが
「源義経上陸の地」という碑になります。
除幕式の際には、
源義経は能登半島から潮流に乗り、
佐渡を経て鼠ヶ関に上陸したと
先生はお話しになられたそうです。
ー 源義経上陸の地碑説明看板より -
※揮毫(きごう)とは、
毛筆で何か言葉や文章を書くこと。
「毫(ふで)を揮(ふる)う」からこの語がある。
『厳島神社』
厳島神社は、
かつて離島だったとも言われている
「弁天島(現在は岬)」にある神社。
境内の松が
潮風に焼けて所々茶色くなっているのが、
海に迫った場所に立つ
神社の趣を増していて味わい深い。
この弁天島には、
一周約50mの遊歩道があり、
岬の先端の
「鼠ヶ関灯台」までは
歩いて行くことが出来ます。
晴れた日には
日本海を間近に望む絶景が楽しめ、
夕方には海に沈む美しい夕日が見られます。
また毎年4月15日には、
神輿を担いだまま鼠ケ関川に飛び込む
「神輿流し」という神事が
とり行われることでも有名です。
市杵島姫命(いちきしまひめみこと)
「弁財天(弁天さま)」が祀られる。
広島県の安芸の宮島、
厳島神社からの勧請(かんじょう)。
※勧請(かんじょう)とは、
神仏の分霊を他の場所に移し奉ること。
『源義経碑』
境内(厳島神社)に立つ源義経碑。
源頼朝の追討を逃れた
義経・弁慶主従が奥州平泉の里へ向かう途中、
ここ「念珠関(ねずがせき)」で弁慶の知恵により
関を通ることができたとされる。
更には、
関守の世話で当地に宿泊し
疲れを癒やしたとも...。
この碑は、
NHK大河ドラマ(昭和41年)
"源義経"にちなみ
原作者・村上元三氏の揮毫により
この地に建てられたものである。
参拝を終え、
「鼠ヶ関灯台」まで歩いていく事に...。
整備された遊歩道...のハズなのだが、
打ち寄せる波が遊歩道に被り
行く手を濡らす...(汗)
途中は手摺りもなく
曲がりくねった細い道が続き、
気を抜くと足を滑らせ海に転落しそうだ。
『鼠ヶ関灯台』
古来より鼠ヶ関は、
越後と出羽の国境とし
重要な位置を占めており、
名前が示すとおり関所が置かれていた。
白河、勿来と並び
奥州三関として奥州の入り口とされた。
江戸時代には「念珠関(ねずがせき)」と呼ばれ
交通の要衝になっていた。
港としての重要度も高く、
「北前船」の寄港地として
栄えていた経緯もある。
「鼠ヶ関灯台」の初点灯が
大正14年と早い時期であるのは、
このような背景に寄るところが大きい。
岬(灯台)には
「金毘羅神社」が奉られている。
『恋する灯台プロジェクト』
ここ鼠ヶ関灯台は、
恋する灯台に認定されている。
灯台(岬)の袂から日本海を望めば、
誰しもその美しさに
心を奪われることであろう。
- 認定理由 -
名勝弁天島にある灯台は、
宗教建築物である赤い鳥居の奥に
白亜の灯台が立つという、
日本と西洋が交わった
独特な景観が特長だ。
また、
源義経・弁慶らの一行が兄頼朝に追われ、
奥羽に逃れる時に舟で上陸した地として
伝えられており、
歴史の郷愁を強く感じさせる。
そして、
近くの浜辺から見る日本海に沈む夕日は
何よりも素晴らしい。
赤く染まる世界に映える
灯台のシルエットは、
潮騒の音とともに
心を温かく満たしてくれるだろう。
- 恋する灯台プロジェクトHPより -
『県境標』
鼠ヶ関(山形県鶴岡市)は、
新潟県と山形県の県境に位置した町で、
町の中に自然な形で
二県の「境標」が設置されている。
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「源義経」や「鼠ヶ関灯台」という
新奥の細道だけでなく...、
「県境標」も目的なのでした♪
「鼠ヶ関」は
住宅地の道路を挟み
右が新潟県、左が山形県という
県境の町になります(笑)
鼠ヶ関(新潟県との県境)を越えれば
1日目の宿泊地とした
山形県酒田市まではあと少し。
「山居倉庫」pm4:30-着。
『山居倉庫』
1893(明治26)年に建てられた
米保管倉庫が
「米どころ庄内」のシンボルでもある山居倉庫。
米の積出港として賑わった
酒田の歴史を今に伝え、
NHK朝の連続テレビ小説
「おしん」のロケーション舞台にもなった
白壁、土蔵づくり9棟からなる倉庫の
米の収容能力は10,800トン(18万俵)。
夏の高温防止のために背後にケヤキ並木を配し、
内部の湿気防止には二重屋根にするなど、
自然を利用した
先人の知恵が生かされた低温倉庫として、
現在も現役の農業倉庫となっている。
----
酒田を1日目の宿泊地とした
理由のひとつが
「山居倉庫」といえる。
米保管倉庫群がなんとも美しい。
『酒田の歴史』
1622(元和8)年に「最上家」が改易となり、
「酒井家」が
13万8千石で鶴ヶ岡城に入り
庄内藩を立藩すると、
1国1城の中、
酒田市にある
「亀ヶ崎城」だけは例外的に認められ、
庄内藩は鶴岡と酒田の両輪で安定した
政治が行なわれる事になる。
特に酒田市には
古くから
奥州藤原氏の家臣36人の子孫と呼ばれる
「酒田三十六人衆」が自治組織を作り上げ、
「鐙屋」や「本間家」といった
日本有数の豪商が育っていく。
1672(寛文12)年に
「河村瑞賢」が西回り航路を整備すると
酒田港は北前船の寄港地になり、
最上川舟運の発展に伴って
内陸部の米(天領米)や
紅花や青砥といった商品作物も
一手に取り扱うようになり
飛躍的に繁栄します。
戊辰戦争では、
奥羽越列藩同盟に属し
結果的には敗北しますが、
主戦場が秋田県側で行なわれた為、
酒田市では
大きな損害を受けず明治時代を迎えた。
現在の酒田市には、
豪商の町屋や料亭、洋風建築、
史跡などが数多く残り、
繁栄した当時の様子を
今に伝えている。
『酒田獅子頭』
酒田獅子頭は、
「銀山獅子」ともよばれ、
200年前から郷土玩具として作られ
魔除けとしても珍重されている。
耳の立った黒塗りの
「雄獅子(陽)」と、
耳の垂れた赤塗りの
「雌獅子(陰)」の一対からなり、
雌雄そろっているのは全国でも珍しい。
獅子は古くから「悪病災害厄除け」の
霊獣として民間信仰の対象とされ、
神楽や獅子舞に登場し
民俗芸能として発展し親しまれている。
酒田でも正月祭典には
奉納行事として欠かせない存在で、
氏子の家々を廻り
一家の「繁栄無病息災」の
祈願がこめられていた。
また子供の玩具としての獅子頭は、
素朴な木彫りに豊かな色彩で親しまれ
酒田を代表する郷土玩具として
全国に評価され最近では床の間飾りや、
玄関飾りとして人気を博している。
酒田市は、
昭和51年10月に
「市の中心街を焼きつくす」
大火にあったが、
全市あげての努力により
三年後に盛大に復興祭が行われた。
その時、
市のシンボルとして
「獅子頭」が選定された。
毎年5月には
一対の巨大な獅子頭が市中をねり歩く
「酒田まつり」が行われ、
市民や観光客に親しまれている。
その際に使用した獅子頭は
酒田市役所に飾られる。
(画像は山居倉庫の獅子頭)
酒田を
1日目の宿泊地として選んだのは、
庄内地方の歴史と文化に
触れる為ではあるが...。
「山居倉庫とオートバイ」
これを撮影したいという思いが
この地を選んだ理由でもあるのです。
そして...
地域の食文化を堪能することもまた、
大切な旅の楽しみ♪
「山居倉庫」の売店で、
このツーリング初となる
「つや姫(山形のお米)ソフトクリーム」を
食べました♪
『三代目 兵六玉』pm7:00-着。
ー 郷土の素材を活かした酒田の食文化を堪能 -
庄内地方の地酒と
郷土料理が自慢の居酒屋。
本格焼酎も多数あり、
好みでおすすめの地酒を選んでくれます。
豆腐料理は約10種類もあり、
庄内浜地魚など旬の料理を
心ゆくまで楽しむ事ができます。
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お宿に荷を降ろし...。
事前予約しておいた
まごころ茶屋『三代目 兵六玉』さんに
向かいます♪
『刺身三点盛』
酒の肴は
店主お薦めの刺身三点盛。
この日は、
「鯛・鯵・そい」の三種♪
『焼き鳥串盛』
説明の必要はありませんね(笑)
焼き鳥(もも・皮)の塩焼きです♪
『むきそば』
美味しい食材や料理が揃っている酒田で、
伝統ある郷土料理として伝えられているのが
「むきそば」になります。
「むきそば」とは、
そばの実をむいて茹でたものに
ダシ汁をかけて食べる酒田の郷土料理。
もとは関西方面の寺院で食されていたものが、
江戸時代の中期に酒田に伝えられ、
家庭の食べ物となっていった。
明治初期、
北国一の港町して酒田が繁栄した時代に、
一流料亭「相馬屋」で食膳に上げられ
全国的に有名になったのではないかと思われる。
素材を生かした上品な味は、
まさに日本料理の逸品といえる。
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酒田市内でも料亭以外で
この「むきそば」を提供している店は少ない。
「兵六玉」さんで
「むきそば」を食べられたことは
有り難い限りでした♪
『きりたんぽ鍋』
「きりたんぽ鍋」は、
炊いたご飯をすり潰して
木の棒に棒状に塗りつけて焼いたものを、
地鶏・ねぎ・きのこ・ごぼう等を入れた
鶏がらのスープで煮込んだ鍋料理で、
秋田県北部の郷土料理です。
秋田では、
新米が収穫できる
秋から冬にかけて食べられる鍋料理で、
秋田産の「あきたこまち」などの新米、
日本三大地鶏の一つである「比内地鶏」、
根をつけたままの地元産のセリ、
山で採れた舞茸など
地元の食材がふんだんに使われます。
----
山形県(酒田市)で秋田の郷土料理
「きりたんぽ鍋」なの...
と言わないで下さい。
「兵六玉」さんで提供される
「きりたんぽ鍋」に使われている
比内地鶏は、
大館の牧場から直送の素材厳選の一品で
秋田県知事の証明付きのもの。
その比内地鶏から出る
良質の「鶏ガラだし」と
酒田伝統の「和風だし」を
絶妙に掛け合わせ、
秋田県で食されている味を把握した上で
あえて「庄内風」の味に仕上げられた
「兵六玉」オリジナルの
「きりたんぽ鍋」は絶品でした。
嬉しい事に「兵六玉」さんでは、
「きりたんぽ鍋」を一人前から
提供して下さっています。
『比内地鶏プレミアム親子丼』
庄内米と比内地鶏のコラボレーション。
山形県と秋田県の誇る最高峰の食材が
ふんだんに使われた親子丼は...
真にプレミアムな味でした♪
美味端麗...。
まごころ茶屋「三代目 兵六玉」さんにて
酒田の食文化を
心ゆくまで堪能させていただき大満足。
そしてさらに嬉しいことも...。
「兵六玉」さんのご主人が
オートバイ乗りということが
話しの中から発覚(笑)
偶然とは言え
互いにKawasaki乗り♪
自然に「オートバイ談議」にも
花が咲き気分爽快...。
お店の宣伝をブログでするので、
私のブログを読んだよという
オートバイ乗りが尋ねてきたら
「宜しくね♪」とお願いしておきました。
酒田へ
ツーリングに行かれる際には、
是非「三代目 兵六玉」さんを
ご指定下さい。
『若葉旅館』pm9:30-帰着。
- 時を奏でる宿 若葉旅館 -
湊町さかたは、
江戸時代に
「北前船交易」の拠点として発展し、
かつてその繁栄ぶりは
「西の堺、東の酒田」と謳われるほど。
その面影は今なお随所に残り、
豊かな自然を背景に、
独自の歴史と文化が息づいている。
「若葉旅館」は
そんな酒田の街の中心に位置し、
目の前に山居倉庫、近辺に豪商「本間家」旧邸、
廻船問屋鐙屋、山王くらぶ等の
観光スポットが点在し、
散策にも大変便利な立地となっています。
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良き歴史・素晴らしき文化に触れ...。
心地良くも
酒田の夜は更けゆく。
『おしんの宿 -若葉旅館-』
貧しい小作農に生まれた女性が、
時代の荒波を生き抜く姿を描いた
NHK朝の連続テレビ小説「おしん」は、
昭和58年4月から放送され、
視聴率62.9%と史上最高を記録し、
その後も世界60ヶ国で上映された。
酒田での撮影の際には、
スタッフ・キャスト全員が
「若葉旅館」に宿泊した。
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撮影後何度も、
小林綾子(おしんの子役)さんは
この旅館を利用されているのだとか。
最近では(9月に)出川哲朗さんが、
バラエティー番組の
「充電させてもらえませんか?」のロケで、
酒田を訪れた際に宿泊されましたよと、
女将さんからお聞きました。
『山形こけし -若葉旅館展示品-』
- 子供を守る魔除けの玩具 -
こけしは、
東北地方の山間地に
湯治が定着した江戸時代末期、
土産品として木地師が作ったことで誕生した。
現在、
山形市にはふたつの系統が伝わり、
「山形作並(さくなみ)系」は
初代・小林倉治が1860(万延元)年、
仙台藩作並の木地師に弟子入りし、
その後、
山形の旅籠町で木地業を開いたのが始まり。
「蔵王高湯系」は
1887(明治20)年頃、
福島の秋保方面から蔵王温泉に
伝わったといわれています。
----
若葉旅館の帳場横には、
美しい伝統工芸品が置かれ
宿泊客の目を楽しませくれる。
pm23:30ー就寝。
長野県と新潟県の県境で雨に見舞われるも...。
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2改の
調子も頗(すこぶ)る良く、
翌日からのツーリングに
更なる期待感を抱きながら
ツーリング初日を終えた。
10月18日(木)am5:30-起床。
山形県酒田市を
1日目の宿泊地とした
もうひとつの理由(わけ)は、
朝の散歩からはじまります♪
宿泊した「若葉旅館」さんは、
酒田の観光スポットへの散策に
とても便利な立地。
徒歩で
「山居倉庫」「酒田奉行所跡」
「本間家旧本邸」を巡ることが可能なのです。
朝陽を浴び、
新井田川に浮かび上がる
「山居倉庫」の白壁が美しい。
日中の喧騒とは無縁。
静けさに包まれた「山居倉庫」。
『ケヤキ並木』
「山居倉庫(最上川側)」には
樹齢150年以上のケヤキ36本の連なる
「ケヤキ並木」がある。
このケヤキは、
季節の移り変わりとともに
その表情(色合い)を変え
訪れる人々を魅了する。
ー 山居倉庫観光パンフレットより -
----
秋...
木々達が冬支度をはじめる季節。
この季節に
山形県は酒田市を訪れる機会を
得られるのであれば、
人影無い中でこの景色を感じてみたい...。
それが酒田を
宿泊地とした理由(わけ)なのです。
売店も眠り、
観光バス(観光客)も着かぬ
早朝の一時にだけ、
現実とは思えぬほど美しい景色を
愛でること叶う。
観光パンフレットなどでなく
現実に広がる世界...。
貴重な一瞬に
出会えることもまた、
ロングツーリングの醍醐味といえる。
『酒田町奉行所跡』
酒田は日本有数の湊町として栄え、
酒田三十六人衆を中心とした
「自治都市」が形成されていた。
1622(元和8)年、
酒井家が庄内に入部し
酒田町代官(のち酒田町奉行に改称)が置かれた。
酒田奉行所は、
町奉行が執務及び居住したところで、
東側には庄内藩の米蔵(いろは蔵)等があった。
1715(正徳5)年の
酒田町奉行屋敷図によれば、
表口約94m、奥行約130mの規模で、
敷地は不整台形をしていた。
酒田町奉行は亀ヶ崎城代の下で、
酒田町の治安や町政を担当し、
その配下には同心や町年寄役、
大庄屋、三十六人衆、肝煎(きもいり)
などが置かれていたが、
1869(明治2)年3月、
酒田民政局によって廃止された。
- 酒田町奉行所説明看板より -
----
※肝煎:諸事の世話をする人。
『本間家旧本邸』
- 歴史を刻む武家屋敷 -
本間家旧本邸は、
本間家三代光丘が
幕府の巡見使一行を迎えるための宿舎として
1768(明和5)年に新築し、
庄内藩主酒井家に献上した
二千石格式の長屋門構えの武家屋敷です。
巡見使一行が江戸に戻ると
屋敷を酒井家から拝領し、
商家造りの方で
1945(昭和20)年の春まで住んでいた。
桟瓦葺平屋書院造りで、
武家造りと商家造りが一体となっている
建築様式は、
全国的にも珍しいものです。
- 本間家旧本邸HPより -
『旧本邸別館「お店(たな)』
別館「お店(たな)」は、
本間家初代原光の「新潟屋」開業以来、
本間家が代々商いを営んだ場所。
館内には、
実際に使用された帳場や度量衡、
行灯等の照明具、台所用品、
そして商いに使用された
看板などが展示されています。
また、
酒田は火事が多かったため、
これに備えて本間家が用意した
消火道具なども展示し、
地域とともに歩んだ本間家の様子が
紹介されている。
----
日本一の大地主として知られる酒田の本間家。
彼らのおもてなしの心や商人としての気概、
地域貢献の精神に興味のある方は
下記リングからHPをご覧下さい。
「若葉旅館」am7:30-出発。
酒田散策(朝散歩)を終え
「お宿」に戻り朝食をいただき
酒田を後にします...。
『酒田市内より鳥海山を望む』
「山居倉庫」の
紅葉のケヤキ並木と...
更にもうひとつ酒田での
楽しみとしていたのが、
酒田市内からの鳥海山の眺望。
青空と鳥海山のコントラストは、
言葉を失うほどの美しさでした。
酒田市内を後にし、
海沿いの国道7号線と平行する
山側の県道353号線を
「鳥海山」に向かって走る。
あまりに鳥海山が美しいので
愛車Kawasaki/ZRX1100-C2を
路肩に止め「記念撮影」。
『鳥海ブルーライン』
鳥海ブルーラインは、
海抜ゼロから一気に1,100mまで
駆けのぼる山岳道路。
この道路は日本海を望む国道7号線と、
秋田県にかほ市、山形県遊佐町とを結ぶ
観光用バイパスとも言える
一大迂回路となっており、
広大な鳥海山麗の草原を
左右に迂回しながら登る。
眼下には日本海の青い海と
遠くに飛島、佐渡を眺め、
はるかに男鹿半島、
そして左右に庄内平野を望み
その雄大な視界を楽しみつつ
両県をつき抜ける
快適なドライブコースとなっている。
----
鳥海ブルーラインの開通期間は、
4月下旬から10月下旬まで。
美しい山岳道路を
オートバイで登れるのも
残り僅かな期間...。
「鳥海ブルーライン」で出会えた
道路の両脇から迫る紅葉は、
改めて山岳道路の美しさを
教えてくれた。
『国民宿舎大平山荘』
大平山荘は、
登山の拠点として、
また、
春山スキー・夏山登山・紅葉狩りなど、
四季折々の自然の美しさを
楽しむことができる宿泊施設。
----
「鳥海ブルーライン」の
ほぼ中間(四合目)に位置する
国民宿舎前より山頂方面を望めば、
ワインディングの向こうの
山全体が色付いていた。
展望台からは、
日本海と庄内平野の絶景を一望。
『iPhoneによるパノラマ撮影』
スマホでパノラマ撮影した画像に
手を加えて(縦横比率を加工して)いますので
画像に「歪み」が出ていますので
ご了承下さい。
『鉾立展望台』
鉾立は、
鳥海山(5合目)にあたる
象潟口(きさがたぐち)登山道の
起点となる場所で「鉾立展望台」がある。
山形県遊佐町吹浦と
秋田県にかほ市象潟町を結ぶ、
全長34.9kmの「鳥海ブルーライン」の
最高地点である。
----
「鳥海ブルーライン」では走りを...。
「鉾立展望台」では自然を...楽しむ♪
紅葉した木々、
その向こう側に広がる
「森林限界」と「鳥海山の巓」との
コントラストが美しい。
『オートバイ誌で見た様な風景』
鉾立展望台(駐車場)に居合わせた
多くのオートバイ乗りの皆さん方も、
この雄大な景色を写真に収めようと...
かなり構図に苦心しながら
撮影されていました。
ヨッシーは、
手持ちの望遠レンズを使用して...
「オートバイ誌で見た様な風景」の
撮影を試みる。
皆さんこの場所に魅力を感じる様で、
ここで撮影するには
かなりの順番待ちとなるほどの場所。
気が付くとあっと言う間に
「人集り」になってしまうので...(笑)
オートバイから離れ...
望遠レンズで枠の中に人を入れずに
撮影するには
かなりの苦労が伴うものであった。
『甘味味噌焼き -焼きたんぽ-』
鉾立のレストハウスで、
焼きたんぽ(甘味味噌焼き)♪
「きりたんぽ」を
焼いて食べるのは初体験。
甘味味噌が香ばしく焼け...
故郷の郷土料理である
「五平餅」を思い起こさせる味わいで、
とても親しみを感じるものであった♪
「鳥海ブルーライン」を
秋田県側(にかほ市象潟町)方面へ向かい、
いくつかのカーブを下ると
この絶景がシールド越しに広がる。
真に息を呑むほどの美しさ...。
「鳥海ブルーライン」は、
秋深まり山燃ゆる
「山岳道路」の素晴らしさを
心ゆくまで堪能させてくれた。
『秋田市民俗芸能伝承館(ねぶり流し館)』
秋田市を代表するまつり
「竿燈まつり」をはじめ、
土崎神明社祭の曳山行事や
太平三吉神社の三吉梵天祭など、
秋田市の民俗行事に関する資料を展示。
本物の竿燈に触れ持ち上げることもできる。
----
「鳥海ブルーライン」を下り
「象潟IC」から
日本海東北自動車動(無料区間)を使い、
秋田市民俗芸能伝承館
「ねぶり流し館」に立寄り。
『竿灯祭り』
竿燈まつりは、
真夏の病魔や邪気を払う
ねぶり流し行事として、
宝暦年間にはその原型となるものが
出来ていたという。
現在残っているもっとも古い文献は、
1789(寛政元)年、
津村淙庵の紀行文「雪の降る道」で、
陰暦の7月6日に行われた
ねぶりながしが紹介されている。
このときにはすでに
秋田独自の風俗として伝えられており、
長い竿を十文字に構え、
それに灯火を数多く付けて、
太鼓を打ちながら町を練り歩き、
その灯火は二丁、三丁にも及ぶ、
といった竿燈の原型が記されている。
- 秋田市竿燈まつり実行委員会公式HPより -
『竿燈妙技』
竿燈には、
「流し」「平手」「額」「肩」「腰」に竿燈をのせる
「竿燈妙技」なるものが存在する。
妙技の数々は、
ねぶり流し館内でパネルで
紹介されています。
また...
mini竿燈を実際にあげる
体験もできますので、
「竿燈祭り」を疑似体験されたい方は
訪れてみることをお薦めします♪
----
mini竿燈に
法被・鉢巻が用意してあり、
「竿燈まつり」の疑似体験を
楽しんでると...。
観光に訪れていた方達に
写真撮影(モデル)を
お願いされて仕舞いました(笑)
調子に乗って
「竿燈妙技」まで披露してしまう私って...。
かなりのお調子者です(汗)
「秋田市民俗芸能伝承館」の
通路に貼られていた、
秋田県(犬)の観光PRポスター♪
秋田県の数多くの観光名所で
撮影されたものが存在している。
下記にリンクを貼ってある
「2017年夏ツーリング-後編ー」にも
多数紹介していますのでご覧下さい♪
今回のツーリングは、
2017年の夏...。
不意の「土砂崩れ」に見舞われた為に
行くことが叶わなかった場所へと向かう
「再挑戦の旅」。
秋田の魅力に魅了され足を止めていては
本来の目的に到達出来ぬというもの...。
後ろ髪を引かれながらも秋田を後にし、
国道101号線(大間越街道)で
白神山地に向かい日没終了。
翌日からのツーリングにも、
期待を感じながら
2日目を終えるのであった。
次回、
【2018年東北ツーリング - 再挑戦(中編) -】は
19日(金)・20日(土)に巡った
「旅の模様」をお伝えしますのでお楽しみに♪
中編へつづく...
では
Thanks for coming!
Web-yoshy'sGarageは
ライダーの皆さんのお越しをお待ちしております♪
【関連記事】
【タイヤ - MICHELIN ROAD5 -】<2018年10月10日更新>
【関連記事】<再挑戦(リベンジ)>
【Preparation for going to the Touring】<2017年8月19日更新>
【2017年夏ツーリング-前編-】<2017年9月20日更新>
【2017年夏ツーリング-後編-】<2017年9月27日更新>
【DEC.2017】<2017年12月19日更新>
【おまけ...みたいなもの?かな(笑)】<2017年12月31日更新>
【はじまりのとき】<2018年2月10日更新>
【ModifyRecord (1) -復活- 】<2018年3月4日更新>
【関連リンク】
【にいがた観光ナビ】-新潟県総合観光サイト-
【笹川流れ塩工房】-(有)日本海企画HP-
【恋する灯台プロジェクト】-公式HPー
【三代目 兵六玉】ー山形県酒田市の居酒屋-
【山形こけし】-山形県HPー
【本間家旧本邸】-公式HPー
【秋田市竿燈まつり実行委員会】-公式Webー
ヨッシーは走ることで日本を応援しています。
Web-yoshy'sGarageへようこそ♪
管理人のヨッシーです。
雑誌のご案内です
1冊目は、
☆キャブレター・ノート完全版
FCR、TMR、CRのセッティングと
同条件比較試乗。
ヨシムラMJNの原理とセッティング。
キャブレターの構造、歴史、雑学。
「BikersStation/監修:佐藤康郎」
混合器が
キャブレターから
EFI(電子制御燃料噴射装置)へと
進化を遂げた昨今。
FCRだのTMRだのと言っているのは
時代錯誤の様にも思えるが(笑)
今の時代にあっても
キャブレターのダイレクト感に
魅了されている輩は確かに存在しうるのだ。
アタリ・ハズレという
セッティングの「妙(みょう)」に
一喜一憂するのもまた酔狂。
しかし、
キャブレターセッティングは
決して「博打(ばくち)」などではなく、
確かな知識と経験に裏付けされた
緻密で繊細な作業なのである。
箱型形状のフラットバルブの真髄に
少しでも近付きたいと思うのであらば、
この冊子は買いと言える。
2冊目は、
☆RACERS Volume52
250のようなコーナーリング性能で
同胞の4気筒NSRを追い回せ!
NSR500V
[THE SCENE from scenes]
ホンダ次世代GP-1レーサーはVツイン
[INTERVIEW]
岡田忠之、青木琢磨
両ライダーそれぞれの1年間
[TECHNICAL REVIEW]
課題はコーナリング性能と
加速性能の両立だった
'96のGPシリーズに
HRCは2タイプのNSRを
GPで走らせる様だ...。
市販レーサーとしての
2気筒(Vツイン)エンジンを搭載した
NSR500Vというモデルの開発を
託されたのが、
岡田忠之選手だと知った時に
「楽しみだな」と感じたものだ。
しかし...
GPレーサー(4気筒NSR)にも馴れ、
当時登り調子で来ていた
伊藤真一選手が
このNSR500Vでの
参戦に決まったと聞いた時には
正直残念でならなかったのを
良く覚えている。
彼こそが
日本人初のGP500ccクラスの
チャンピオンを獲得できる逸材だと
ヨッシーは信じていたからだ...。
その後も
日本人が最高峰クラスで
タイトルを獲得できなかったのも
「あの時代(とき)」に...
という思いもある。
NSR500Vがもたらしたものは、
GPの活性化であったのか
それとも...。
刊末に次号のRACERS発行まで
少し時間を下さいとのことが書いてあった...。
このまま廃刊とはならぬのだろうとは思うが、
まだまだRACERSには
取上げてもらいたいと感じられる題材が
数多くあるので、
今後とも頑張ってもらいたいものである。
Real-yoshy'sGarageの本棚に
ご紹介した冊子を置いておきますので、
コーヒーでも飲みながらご自由にご覧下さい。
では
Thanks for coming!
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ライダーの皆さんのお越しをお待ちしております♪
ヨッシーは走ることで日本を応援しています。