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沖縄旅行記録その3

2018-02-18 17:32:00 |


6日目、日曜は辺野古の工事車両は入らないので座り込みを休み、この日の午前中はまず「ジュゴンの見える丘」に行って来ました。
素晴らしい見晴らしの最高に美しい景色、パラグライダーの発射地点でもありますし、ここで結婚式を挙げた方もおられるそうです。
お天気は不安定な予報だったけどラッキーにも午前中は晴れてくれて、その後大浦湾のグラスボートに乗りました。
長さ50mにもおよぶ世界最大級、縄文時代から育ってきたアオサンゴは圧巻。
私はウミガメの姿を見るチャンスにも恵まれた。
船底の四角い窓を横切る姿を見れるのはほんの一瞬のことなので、ラッキーだった!
まだまだ生態が解明されてないサンゴ、そしてそれに育まれる5000種以上の生きもの。
辺野古の埋め立て工事が進むと、この貴重な生態系がめちゃくちゃにされてしまう。
そんな取り返しのつかないことを進めてしまって良いはずがありません。
基地に頼らない地域おこしを続ける主旨で、グラスボートの他にカヤックやダイビングなど様々な体験プランが用意されていますので、沖縄を旅行をされる方はぜひ「じゅごんの里」をチェック!

https://www.dugongnosato.jp/
大浦湾をジュゴンとアオサンゴの保護区に!そしてゆくゆくは世界遺産に!がテーマです!


お昼は近くの「わんさか大浦パーク」のマングローブロードを散歩してポーク卵おにぎりを食べ、午後は名護博物館へ。

夜はJAでおかずを買って、宿で晩酌。

翌月曜は朝のうちは激しい雨だったので、午前中の座り込みはお休みさせてもらうことにして、高江までドライブしました。

オスプレイの抗議行動でNEKOが3回泊まり込みをしたテント跡地を見て、その後ゲート前のテントに。
この日は大宜味村の9条の会の方たちがいらしていて、色々とお話を聞かせて頂きました。
大宜味9条の会の会長をなさっているのは対馬丸の生存者の平良啓子さんで、この方にもお会いすることが出来ました。
1661名の乗船者の中、学童が834名、そしてその中で生存できたのはたったの59名。
その一人とお会い出来て、胸が震えるような思いでした。

名護に戻りわんさかパークで、沖縄そば、お肉3種盛り(三枚肉とソーキとてびち)を食べまして凄いボリューム、半月分の豚肉を食べた~って感じだった、安くて美味しいです。

午後は辺野古の座り込み、1回ごぼう抜きされて、その後テント前で池学淳(チ・ハクスン)正義平和賞の授賞式が行なわれるのを見学しました。


<授与式前に披露された伝統舞踊>

ヘリ基地反対協議会が第21回正義平和賞を受賞し、例年の授与式はソウルですが今回は現地での式となったものです。


夕方「海と風の宿」に戻ったところ、この日に到着した女性二人組がなんと先日PANTAがステージを観て感銘を受け共演を決めたというストリッパー、役者、作家としてマルチに活躍する牧瀬茜さん、そして彼女とユニット組むギターとボイスのパフォーマーのおちょこさん。

なんとなんと!数日前にPANTAのFB投稿で知った方と名護でお会いするとは、こんな偶然があるなんて驚きでした。

宿のオーナーの成田さんは、脊椎損傷で車椅子生活を送っておられますが、実にパワフルで世界や日本のあちこちを旅してこられた方、お話を聞かせて頂いていると時間を忘れます。



他にも名護市長選応援のためにこの日に来られたおじさまグループも見えて、皆で遅くまで泡盛を酌み交わしゆんたくを楽しみました。


翌朝宿を後にし、那覇空港に向かう前に宜野湾市の佐喜眞美術館(丸木位里・俊夫妻の「沖縄戦の図」が展示されている)に寄ったところなんと休館日だった~、火曜休館とは・・・予想していなくて残念。

それでその後に那覇の対馬丸記念館に行って来ました。




前日が関東は大雪でしたから飛行機は1時間半遅れでようやく飛び立ち、帰路に着きました。



実に中身の濃い8日間、元気に過ごすことが出来て良い旅でした。

帰京の日の設定も前日だったら雪で羽田には着けなかっただろうし、帰った3日後に2階の水道管破裂があったのも旅の間の不在時でなくて不幸中の幸いだったし、運に恵まれていたと思う。

長々としたブログをその3まで読んで下さった皆様、ありがとうございました。


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沖縄旅行記録その2

2018-02-14 20:15:00 |


5日目、読谷村から1時間足らずで辺野古へ。
雨の中での座り込みも覚悟して登山用のレインパンツとジャケット持参しましたが、ラッキーにもこの日は降られずに済みました。
ゲート前から車で5分ほどのところに車で来た方たちのための駐車場があり、そこからワゴン車で送迎をしてくれます。



横に連ねたテントの下で待機して参加者からの挨拶や音楽などのアピールがあり、1日に2~3回、工事車両が到着する情報が届くと100メートルほど下ったゲート前に移動して座り込みをしマイクで抗議のアピールをする。
機動隊の排除を受けたくない方は道を渡った側からプラカードでアピール。





座り込みと言っても、道に直に座るのではなくブロックに板を渡してベンチを作り座るのでそんなにしんどくないです。
集まった方のトイレやコンビニへの買い物のためにも、スタッフのワゴン車が駐車場まで往復をして皆をサポートしてくれます。
右寄りのマスコミが、抗議行動をする人は日当で集められているなどとありえない情報を流し、実際に「どこで貰えるんですか?」などと言って来るような若者もたま~にいるそうですが、当然のことながら地元の方、沖縄県内の各方面から、そして全国から抗議に集まった人々は全員交通費も宿泊費もすべて自腹で参加しています。
そして一部の特別な人ではありません。
長年反基地行動をされてきた方だけでなく、工事によって大浦湾の珊瑚が生息できなくなる、ジュゴンが住めなくなる、生態系が大きく破壊されることを止めたいという思いで集まった方、頻繁に続く米軍ヘリの事故に危機感を持って最近参加するようになった方まで、さまざまな人々が一緒に行動しています。
現在の工事の進行状況では最低でも10年はかかるだろうということですが、そういう情報は隠蔽されて着々と工事が進んでいるかに見せかけ反対派に諦めさせようという動きが強化されているとのこと。
私たちが行っていた期間は丁度名護市長選の告示の直前だったので、今回の選挙は今まで以上に大注目していました。
選挙の結果が残念でならないですが、諦めることなく行動を続けている人々に寄り添う気持ちを持ち続けて行きたいです。

この日からの宿は名護市瀬嵩の「海と風の宿」、宿泊者は少なめだったので私たちは2段ベッドが二つ入った4人泊まれる部屋を二人で使わせてもらってトイレとシャワーもあり快適に過ごさせてもらいました。

戦跡や座り込みだけではなく、翌日の日曜には観光的なこともちゃんとして来ましたので、続きはその3に。


<海と風の宿のまわりを散歩、沖縄の花々はとても鮮やか>
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沖縄旅行記録その1

2018-02-12 16:12:00 |
1月16日から23日の8日間、同級生のNEKOと沖縄を旅して来ました。
帰京が大雪の翌日、その数日後には寒波に耐え切れず家の2階の水道管破裂というアクシデントがあったり、2月4日には大和市生涯学習センター祭コンサートでリハーサルも含め延べ3日通ったこともあり、すっかり更新が遅くなったけど、自分メモのために記録をアップしておきます。

今回の旅はこの2年間高江と辺野古の抗議行動に何度か通ったNEKOが、南部には行ったことがないので一緒に回ろう、後半は辺野古にも一緒にという企画を立ててくれたもので、リゾートではなく初日から3泊は那覇国際通りに近いゲストハウス・リトルアジア。
2フロアに個室とドミトリーが何室もある宿で、私たちが泊まったのは1室に2段ベッドが6台入っているドミトリー。
固いベッドに3泊するのは辛そうと思ったんだけど、案外と慣れるもんで腰が痛くなることもなく思いのほか快適に過ごせました。
1泊1000円で破格の安さだし、スタッフもフレンドリーで館内は清潔に保たれ、ゲストハウスも悪くないなと思った。
初日の夜は国際通りの観光案内所でゲットした「るるぶFREE」で見つけた「沖縄居酒屋すん」にて、泡盛の残波を飲みながら深夜まで語り合い、帰りにコンビニで残波のシークワーサー割も買って宿のリビングで追加飲み。
翌日は小雨模様だったけどまずはモーニング食べられるカフェにと国際通りを歩いたら、10時前には空いている喫茶店が見当たらず県庁前のA&Wに入りました。
せっかくなので、ハンバーガーと共に初めてのルートビアを体験しましたが、あま~い飲み物でした、ドクターペッパーとかに近い感じかな。
お代わり自由というのが、ウケます・・・私らには1杯で十分だけど。
その後ゆいレールで儀保駅まで行き、ぶらぶら徒歩で首里城へ。



門の前の建物では丁度伝統舞踊のステージがあったのでそれをゆっくり観てから、内部を見学。
タクシーで一旦戻ってから、午後は宿から徒歩10分ほどの「りっかりっか湯」に行ってのんびりと湯につかりまして、その後牧志公設市場周辺を散策して夕方から焼き鳥など。
3日目からはレンタカーを予約していたので、赤嶺に取りに行ってから南部へ。
斎場御嶽のあと道の駅で沖縄そばのお昼を食べ、それから平和の礎、平和祈念資料館、魂魄の塔を回ってきた。






前回友人と行った時には観光タクシーを使い、このほかにもひめゆりの塔にも行きましたが、それだとかなり駆け足で巡る形なので、今回は平和祈念資料館を時間をかけてゆっくり見学できたのが良かった。
出発前の天気予報では晴れが続くはずが、着いてから雨模様になってしまったけど、この日はラッキーなことに降られずに済み、滑りやすい石畳を上り下りする斎場御嶽も歩けて幸いだった。
この日はやはり公設市場周辺の飲み屋を色々探したのだけど、喫煙者の私たち2名がくつろげる店が見つからず、結局初日と同じ「すん」に行った。
続けて行ってもダブらないくらいメニューが豊富だし、居心地良かったです。



4日目、リトルアジアにリフォーム工事が入って朝から職人さんが来るから、その時間には出発して雨の中のドライブで読谷村へ。
宿泊は平和運動家の知花昌一さんのお宅の民宿「何我舎」(ぬーがやー)。
早々と午前10時過ぎには着いてしまって、テラスでコーヒーを頂き一服させてもらってから、チビチリガマにお参り。


<ガマの入り口手前に金城さんの書いた歌碑がある>



<シムクガマに下りる途中の森>

その後シムクガマを見学し、JAのフードコートでお昼にタコライスを食べてから役場で「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」再建完了時の記念パンフのコピーを頂く。
そこから読谷村歴史民俗資料館に向かうもリニューアル工事中で休館だったため、雨の中、残波岬にドライブ。
岬に近づくにつれ小雨が暴風雨になり、車から数分出ただけで傘が壊れそうな風にあおられ散歩は断念。
その後近くに住んでおられる彫刻家の金城実さんの自宅兼ギャラリーを訪ね、お留守だったけどお庭の作品を見学させて頂きました。


<金城さんのお庭>

そしてスーパーで買い物の後は宿に向かいお風呂に入り、晩酌していたところ知花さんが帰ってみえたので一緒にお酒を酌み交わし深夜まで語らいました。
翌朝は7時半過ぎに出発して辺野古へ。
その2に続く。



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6月にルーマニア

2017-04-05 19:55:00 |
早いもので、年度も変わり4月になりました。
最後の更新から1ヶ月以上経ってしまっておりましたが、FBにたまに近況を書いているので、ブログの方はお留守になってました。
3月はどのように過ごしていたかと言いますと、10月29日に予定している「月まで飛んでプロジェクト」、還暦の友人たちと企画しているパーティの準備で、クワイアのアレンジ、デモ録音と譜面書きにかける時間が多い日々でした。
ZOOMのR8という8トラのMTRを購入して、安全バンドの「月まで飛んで」の3声コーラスアレンジをして、自分の歌の下手さにうんざりしながら何度も重ねたり、マニュアル首っ引きで作業の日々でした。
参加者の皆さんからはおおむね好評を頂きまして、それを元にプロジェクト2回目の集まりで練習をしたのが2週間ほど前。
また次の練習用の別曲のアレンジも始めねばなりませんが、今月は22日にギタリスト森永淳哉さんの企画、ボーカルにケネス・アンドリュー氏を迎えてのスペシャルライブ@CAVALLINO、私はピアノで参加するため、今は毎日その練習に取り組んでます。

さて、昨日のFBで大宮パスポートセンターの帰りに献血をしたことをアップしましたが、パスポートの理由は6月にルーマニアとブルガリアへの旅に出ることになったため。
なんと、向こうで和太鼓を打って来るのです!
昨年8月は西野師匠、恒田師匠、太鼓塾の有志の皆さんがニューヨークで公演をして来られましたが、私はその時期は9月のライブが迫っていたので同行が叶わなかったのです。
今回、ジャパンフェスティバルに行くことが決まったというお話を聞き、思い切って参加させて頂くことにしました。
自分がヨーロッパで和太鼓を?!、なんだかまだ実感が湧きませんが、のんびりペースの女子部のお稽古に加えて先輩方に教わる機会を増やして、皆さんの足を引っ張らないよう頑張らねばと思ってます。
海外は17年前に妹の結婚式でハワイに行って以来。
パスポートはとっくに切れてるし、旧姓の時のでありました。
最初のパスポートは別の名字だったな~、これで3種類目だ・・・自虐ネタ(笑)。
ちなみに、過去の渡航歴は中国2回とバリ島2回とハワイ。
ヨーロッパなんて初も初なわけですが、ルーマニアを良く知ってるという方は多くはないかと思いますけど、ご存知の方はアドバイスよろしくです。

写真は昨日の献血後、10回記念で頂いたぐい飲みグラス。
多田美波さんという作家の作品で、こんな立派な物が頂けるなんて感動しました。
次の記念品は30回目、年齢制限の69歳までにあと20回は無理そうだけど、血を取ってもらえるのも健康の証だし(前回は比重が足りなかったので、今回はセーフで安心した)、今後もたまに出来ればと思ってます。


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名古屋ツアー報告、その2

2016-10-21 19:17:00 |
今回ライブ中のMCで、行きの新幹線の話をしたのだけど、都内のラストリハ後の打ち合わせまで、KYOKOとギターの長田氏がご夫婦で参加した我ら4人組は東京駅で待ち合わせて一緒に行くものとばかり思い込んでいたのです。
ところが、世田谷組は品川から、KYOKOは新横浜の方が近いということで、結局同じ列車の別々の席で名古屋に向かって名古屋駅で待ち合わせる形でした。
考えてみればそれが近いのだけど、新幹線=東京駅というのは自分だけの思い込みであったことに軽いショックを受け、これは埼玉県人のものであったと思い知ったわけでした(^_^;)
ちなみに帰りも、長田氏は体育の日の月曜に昼から三線の演奏が世田谷であるので早朝に帰路に着き、KYOKOは小学生時代に育った名古屋の家周辺を散策するとのこと、私は名古屋の友人と観光ということで、全くの別行動でした。
まあ、それだけ近いということですね、名古屋は。
といっても、今回我らは新幹線だったけど、都内リハには古澤&伊藤組は車で機材を積んで片道5~6時間かけて何度も通ってくれましたし日帰りの強行軍も多く、来年還暦を迎えるというのに彼らがすごいエネルギーでそのスケジュールをこなしてくれたことに改めて感服しました。

8日は昼に名古屋駅に着いて鶴舞で待ち合わせ、古澤さんの車できしめんのお昼を食べに行ってから植田のヤマハのスタジオでリハ。
きしめんは、しのだという塩味系のものを初体験。


普通のきしめんはしょうゆ味で、薄味系がしのだなのだそうです。

KYOKOが食べたカレーつけ麺のきしめんというのも、初めて見るものでありました。
リハ後は鶴舞から車で10分ほどの、魚鍵旅館という和風ビジネス旅館にチェックインしてから、鶴舞で前夜祭。
味噌串カツや味噌おでんなど食べつつ飲んでから、宿へ戻る。
6畳に2名で一人1泊素泊まりが4600円という超安い宿をKYOKOがネットで見つけてくれていましたが、鈴鹿のF1と重なって市内のビジネスホテルが満室かかなり割高になっている期間に、安い宿が見つかってラッキーでした。
翌朝は喫茶店で名古屋モーニング。
噂にたがわずモーニングの盛んな地で、近所の雁道商店街までの数分の間に5軒くらいは喫茶店があったかな、日曜の朝早くでもやっていてどこも賑わっていました。
昼前に古澤氏が車で迎えに来てくれて、彼のアトリエでしばらく和み一曲KYOKOの歌の録音などもして、昼は味噌煮込みうどんを食べに行って、アトリエに戻って着替えやメイクをある程度済ませてからk・Dハポンへ。
ちなみに、近所の鶴舞公園ではその土日に「から揚げ王選手権」なるイヴェントをやっていて17店舗のから揚げ店が勝敗を競うというチラシを古澤さんに見せてもらって、私たちは行けなかったけど名古屋の友人に土曜にメールで知らせたら「良いことを聞いた!」と、一緒にライブを観に来てくれた二人でから揚げを堪能してからハポンに来たそうです。

ハポンはエスニック系のフードの良い匂いが漂ったり、コーヒーも注文があってから丁寧に1杯ずつドリップしてくれる、とても落ち着いた良い雰囲気のお店。
名古屋地元の二人は高校の同級生で、昔からロックを一緒に聴いたり演奏してきた友人の方たち、また古澤さんのライブで対バンをしたミュージシャンなどが集まってくれて、終演後も熱心に音楽を語り合う時間を持ち、片付け後に昨夜と同じ串太郎に行ったところ、その同級生にまた会ったりして話が弾みました。
宿の門限が12時なので、ギリギリまで飲んでコンビニで買い物してタクシーで滑り込みでした(^_^;)

さて、ライブの翌日は金山駅まで宿の車で送ってくださり、その後KYOKOは育った町へ、私と名古屋在住のYasue=マゼンダの初期にギターで参加していた旧友とモーニングを食べゆっくり久しぶりの再会の会話を弾ませて、昼からは東山動物園へ。
なぜ東山動物園に行くことにしたか、それは古澤さんの「夢」という新曲が、東山動物園のソマリノロバという絶滅危惧種に出会ったことがきっかけだったという話を聞いたから。
彼が東山動物園でソマリノロバの前に行った時、目が合って向こうが全く目をそらさずずっと見つめてきたと。
なんと、15分も!
その見つめ合った体験から、曲が生まれた。
しかし、私たちが行った時は奥の小屋の前で黙々と餌を食むばかりで、こちらをチラッとも見てくれませんでした。
「さくら」という名前で、「呼ぶと振り向くよ」って書いてあるので、何度も何度も「さくら~!」って呼んで、園内一周してからまた戻って再度「さくら~!」って呼びかけましたが、その時も黙々と餌を食む姿はまったく変わらずでありました。



祝日の青天で家族連れで混み合う園内だったので、何度も呼ばれてうっとうしかったのかと思いますが、空いていたって15分も見つめ合うというのは古澤さんにしか出来ないことなんじゃないかと思います。
彼女の心に届く波長を持っている、古澤さんの目にはそう感じさせる澄んだ深さがあります。


<良いお天気に恵まれ、景色が堪能出来ました>


<タワーから、下のボート池を眺めるとこんな感じ>

さて、さくらちゃんへの訪問の間には、園内のスカイタワーに上って景色を眺めたりまったりと過ごしてから、栄のYasueの生家を訪ねた。
以前一度だけ来たことがあったのですが、それは22年前の西安ロックプロジェクトの時、長沢ヒロのバンドの中国公演の折に名古屋空港を使ったのですが、滑走路で私たちが乗る時間の直前に事故があり7時間足止めを食らったので、その間に一緒に訪ねたのです。
しかし、このお宅はご家族の他界と老朽化で来月取り壊すことが決まっていて、彼女が幼少時に弾いていたピアノも処分するのでその相談も受けピアノを見せてもらった。
その後、近所の居酒屋で新幹線の時間までエビフリャーなどつまみに語り合ってから帰路に着きました。
ライブ、そして旧友との再会など充実の名古屋旅行、楽しかった!


大エビフライは、カットしますか?何個に?と聞かれ、2個にカットしてもらった。
大満足のサイズでした!

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