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久々の高熱~JTアートホールまでドライブなどなど

2011-04-25 14:10:00 | 調律師の仕事
10日ほど前から咽喉が少し痛くて風邪かな~悪化したら困るな~と思いながら葛根湯+ビタミンCで様子見つつそこそこ忙しく仕事をこなしていて、途中からは漢方薬局で処方してもらった川きゅう茶調散を飲みつつ早寝も心がけていたのだが、先週火曜日、鴻巣熊谷2台のハードなお仕事日の午後から急激に悪化。
その晩はまだ熱が上がらなかったのだけど、翌朝いきなり38度で昼過ぎには8度6分を記録して、医者へ。
出来るだけ漢方だけで治したかったのだけど、この熱の出方だとインフルの検査もせんとしゃあないなぁと。
昨年11月にワクチンは受けているものの3ヶ月過ぎると効力が落ちるという説もあるし、先週あたりB型が流行ってきてるということだったし。
咽喉の腫れもなく高熱と頭痛が主症状とあって、医者もインフルエンザくさいねーと言ってたんだけど、検査は陰性だった。
普通の抗生剤と鎮痛解熱剤と鼻水の薬をもらって、大人しく飲んで寝てたら翌日には7度台前半に下がった。
金曜はなんとか7度弱になり、予約の歯科医院へ。
咳やくしゃみが出るようだったらパスかと悩んだのだけど、ブリッジの出来上がりの日だったので、ここで延期してさらに1週間仮歯は耐え難く、なんとか治療が受けられる体調になったので新しいブリッジの仮止め。
2日間じっと寝てたら、腰の調子がかなり危うく夕方は急遽予約を入れて鍼治療。
夜は本当は和太鼓の2回目の稽古の予定だったけど、残念ながら延期にさせてもらった。
そんでもって、土曜は顧客のバイオリン奏者のリサイタルを母を伴って観に行くことになっていて、クラシックコンサートも咳やくしゃみが出るようだとアウトなので午前中の体調をギリギリまでみて何とかダイジョブそうと行く判断をし、車で虎ノ門のJTホールへ。
行きは首都高、帰りは一般道で皇居の周りをしばらく走るルートだったので景色が楽しめて母も喜んでおりやした、久々の親孝行プレイだった。
昨年、陸前高田市でコンサートをやったヴァイオリニストのリサイタル、被災地への深い祈りのこもった演奏会でした。
夜は、近所で中学の同級生と飲み会。
近所の気安さもあってついつい飲みすぎちゃって、翌日午前中の仕事がキツかった~(汗)。
と、そんなわけで久々に高熱を出したわりにはすぐに動き始めちゃって、今日はやっと完全オフだけど、まだやはり本調子ではなくて鼻水はアレルギーとは違う感じのが続いてるし少々疲れやすい。

連休前というと、もう少し仕事を頑張って片付けないといけないのだけど、詰め込むと風邪がぶり返しそうなので、今週はおとなしめに1日1台2日やったらオフという休み休みのペースにしておきます。

今年の連休はオットはお休みナシだそうで。
体調が戻ったら、私も出来るだけ休日指定の顧客に連絡を入れて仕事が組めたらと思っているところ。
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「吉祥寺Meg」レコードコンサート~リハーサルの再開~そしてなんと和太鼓

2011-04-16 11:39:00 | music
なにかと忙しくて、ここ1週間分の週記を昨日からやっとまとめてアップしようとしたら、先ほどまた大きな地震。。。
大きな余震や地震が続いていますが、被災地の被害が広がらないことを祈るばかりです。

さて、先週土曜は、吉祥寺Megでのアナログレコードを聞く会に参加。
国立のSingsの武田さん主催で、年に2回のこのイヴェントはなんと10年続いているそう。
今回は矢野誠さんがゲストで、生ピアノを演奏をするコーナーもありました。
国立のSingsには数年前から調律に伺っているのですが、ある時、国分寺在住の矢野誠さんと帰りに待ち合わせてお茶(私はお酒だけど・・・笑)するという話をしたら、オーナーの武田さんが70年代にやっていたグループ「日暮し」の初期のアルバムは矢野さんがアレンジを担当されていて当時は付き合いが深かったそうで、その後連絡先が分からなくなっていたので、よろしく伝えてというメッセージを託されたことがあり。
以後、矢野さんはたびたびSingsを訪れるようになり、それが今回のゲスト出演に繋がったかと思うと、縁というものは不思議、そして面白いと改めてしみじみ。
昨年から矢野さんの活動は非常に活発になっていて、今年はマンダラ2でのソロライブや、5月には「1974」という南佳孝、あがた森魚とのアルバムを再現する二夜連続コンサート企画、ソロアルバムの発売も予定されているそうです。
ソロライブは、1月、3月、5月と3回の企画ですが、前2回を諸般の事情で行きそこねていたので、今回Megに行ってやっと久しぶりにお会いすることが出来ました。
始まる前にヘル?さんと飲んだり、会場ではマイミクのサキツミさんに久しぶりに会って、震災を挟んでの皆さんとの再会は感慨深く、ゆったりとアナログのボーカルものに身をゆだねる時間が持てたことが嬉しかった。

そして翌日はアンクル・トモズ・キャビンの、4ヶ月ぶりのリハ。
震災以前に、なにしろ今年1月から義父の入院、他界と色々とあったから、今年に入ってベースを弾く機会がないままだった。
2月にやったイヴェントはピアノでの参加だったし。
久々にスタジオでアンプを通してべースを弾いて、ドラムやギターと合わせ歌って、終わってメンバーと飲んで・・・、そんなことも震災後ではやっとこうして集まれたという思い。
自粛ムードがまだまだ続いていますが、自分たちがやってきた活動ペースを取り戻していくことが復興にも繋がっていくことだと思っています。

そして、新しいことも始めました。
リハから中1日で火曜には、なんと和太鼓の初稽古。
まだ今後の展開が分からないので、メンバー等の詳細はぼかしますが、和太鼓とロックの融合を目指す「鼓絆」の関係者の方が中高年女性のための和太鼓ワークショップをスタートさせる計画がありお誘いを受けました。
とりあえず50代女友達4名で、しばらくお試しレッスンを受けることになったのです。
それぞれの骨格に合った形でバチを持って個性を生かして行くという考え方に、西洋音楽、西洋の楽器とは違う面白さを感じました。
太鼓を叩くのは有酸素運動にも繋がるので、リズムを体で表現することを楽しみながら運動不足の解消にもなれば良いな~ということで、当面月2回位のペースで続けていく予定。

と、そんなこんなで、色々な活動が一気に戻って来た1週間でした。
オットの繁忙期もやっと落ち着いて、この土日は彼は休み。
今日は午後から友人宅の調律、元々オットとバンドをやっていた元・関東石田組の組長!宅( 注、バンド名です)に伺うので、オットも一緒に行って組長夫妻とゆっくり旧交を温めてきます。





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歯科治療

2011-04-09 01:26:00 | health
元々は歯が良かったんです、小学校高学年の頃には良い歯のコンクールで浦和市一位になるくらいに。
でも、そういう私も歯医者通いで苦労する年齢になりました。。。
20歳ごろまではほとんど虫歯のない人生でしたが、その後、下の親不知が横向きに生えていて腫れるようになってから歯医者通いが始まりました。
20代半ばで、横向きの親不知抜歯は3時間近くかかるような手術、その歯に押されていた手前の7番は虫歯になっていてクラウンに。
で、その後20年位は問題なく過ごせていたけど、7年ほど前に噛み合せの強さから左上の5番が割れて抜歯という事態が。
それで、結局前後に虫歯はないのに削ってブリッジ。
3年前にはクラウンの部位も歯周病で腫れて抜歯。
昨年末にブリッジの奥の端に虫歯が出来てブリッジが外れてしまったので治療が再スタートし、左上に残っていた7番は下の歯がないので下がってしまっているから神経を抜いて削ってクラウンに。
そして今日はブリッジの作り直しで麻酔して、神経を残しながら2本を削って。
今、仮の被せをしているけどブリッジが出来上がるまで2週間このまま、当面左では噛めない状況で過ごさねばならないです(涙)。

歯が丈夫な質でも、この年になるとトラブルは出てくるものなのだね。。。
しかしそれにしても・・・、うちの母は驚くほど頑丈です。
80歳のいまだにすべての歯が健在、親不知も含めて32本全部!
色んな面で母より先にダウンしないことを肝に銘じて生きていかねばならないと思う、今日この頃。。。


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ウィーンから帰国したお客さん

2011-04-08 19:27:00 | 調律師の仕事
古くからのお客さんでヴァイオリン奏者の方が、ウィーン短期留学から戻って調律の依頼があり昨日伺ってきた。
年に一度2週間、ウィーンで同じ教授にレッスンを受けていて、今回1年おきに行っているリサイタル前におさらいをしてもらうべく渡欧したのが3月上旬。
3月11日をウィーンで迎えることになってしまってからの怒涛の日々のお話を、色々と聞かせてもらった。
戻る予定の便が成田に飛ばない、その後の便も成田行きが取れず、関空から伊丹経由で帰る振り替えになるということだったけど、国内便はヴァイオリンケースを機内持ち込みできないそうで、その状況ではとても帰れないということで、成田便が取れるまで10日間延長してウィーンで待ったそうだ。
IAEAのあるウィーンでの報道は日本とは大きく違っていたわけで、帰らないほうが良いと多くの人に説得されたそうだけど、4月下旬に決まっているリサイタルをキャンセルするにしても戻らないわけにもいかないし。
やっと戻って東京ののんびりさ加減に唖然としたということだけど、その辺は地震後の交通や流通の混乱を目の当たりにしていなかったり、都内在住で計画停電についても実感がないということはあるでしょうが、原発事故についての報道の大きな違いについてのお話は生々しく実感させられました。
去年のミニコンサートでゲスト出演された声楽家の方は陸前高田市の出身だったため、昨年春にそこでも一緒にコンサートを行っている思い出深い地ということです。
その声楽家の方のご両親はなんとか命は助かったけど、ご自宅は流されたそう。
ステージマネージャーの方は相馬市のご出身で、お母様は入院中に被災され、孤立した病院から別の病院に運ばれたけれど残念ながら亡くなられたそうだ。
悩みに悩んだけれど、リサイタルは予定通り行うことにしたということで、来週からリハーサルに使うご自宅のピアノを調律させて頂きました。
コンサートのプログラムの正規の印刷は間に合わないので簡易な物に変えて、その費用や集った義援金を陸前高田市に送りたいというお話だった。
23日にJTアートホールで行われるリサイタルのチケットを買わせて頂いたので、母と一緒に観に行く予定です。


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友との再会~安全囃子メンバーらによるベネフィット・ライブ

2011-04-03 12:56:00 | 安全バンド関連
4月1日は、ROLLY meets 安全囃子の企画が延期になった代わりにベネフィット・ライブが行なわれて、久々に下北沢に向かった。
その前の日曜にも都下の仕事の後にライブには行きましたが、その日は一日単独行動だったから、友達と待ち合わせてライブに行く、友達と飲んで語り合うということが、震災以来初なのでした。
お互いそんな状況だったから、色々と話が尽きず感慨深かったです。
会ったメンバーの大部分がさいたま市や県南在住といっても、地震での家具や食器への被害や停電の状況もそれぞれだし、病院勤務の友人の場合、院内での懐中電灯の必要性は一般宅よりもさらに切迫していたわけですが、電気店やホームセンターではどこも売り切れの中、見事な知恵で自転車パーツや自動車関連グッズのショップでゲットした話など、皆の経験を生で語り合う機会が持ててとても良かったです。
被災地の方たちとは比ぶべくもないレベルではあるけれど、やはり皆この震災で受けた心の傷や先の見えない不安感を大きく抱えているわけで、親しい仲間と語りライブを観る機会を作ってくれたことを、ベネフィット・ライブを行ってくれたミュージシャンと主催者には本当に感謝したい。

長丁場のスタンディングはキツイしってことで、5時に待ち合わせて2時間ほど飲んで語り合ってからCLUB Queに向かいました。
会場に着くと森園氏、大二さん、大西さん、中村哲さんに関雅樹さんのセッションの真っ最中、もう少し早く着けば良かったかも・・・(苦笑)。
その後、中川五郎さんに大二さん、坂下さんのセッション。
あの長いLike a rolling stoneを日本語詞にされた五郎さんの歌が、沁みた。
そして、安全囃子のセッション。
いきなり、安全バンドの2nd.アルバムの「時間の渦」から渋くスタート。
安全囃子という組み合わせでのセッションは、70年代当時から何度か行われてきたけど、森園氏と大二さんが加わった「時間の渦」を聴くのは初ですんごくカッコ良くて痺れました。
「おまつり」の後にROLLYが参加して「空と雲」、そしてROLLYのオリジナル曲のあとに「けだるい」。
続きは、6月28日に決定した本編をお楽しみにということで、最後に金子マリさんらが加わったセッションも思いのほか短めにあっさりとイヴェント終了。
以上、順番とか違ってたらごめんなさい、そこそこ酔っぱらって行ったものでm(__)m

終わってから、会場で会った友人とも合流して、再度下北で飲んでから帰路に着きました&一部メンツで蕨でも続き飲みをしてタクシー帰宅。

次は6月28日!たっぷりと演ってくれることを楽しみに待ちたいと思います。


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