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福山~笠岡~倉敷

2008-05-29 18:39:33 | ノンジャンル

<鞆の浦の対潮楼、絶景でした>


<祖母の生家>


<倉敷川の白鳥が、飛んできたアオサギに戦いを挑んでいるところ>

2泊3日の墓参りツアー、1週間前ぎりぎりまで天気予報をにらみ日程を組んだお陰で見事お天気に恵まれ、充実した旅でした。
往復とも富士山は残念ながら見えなかったけど、帰りのN700系のシートは非常に寝心地が良かった。

鞆の浦はさすが鯛網で有名なところだけあって、泊った鴎風亭の刺身はどれも非常に新鮮だしお料理すべてが美味しく、部屋からの景色、露天風呂からの眺めもすごく良くて、今まで泊った旅館の中で一番のところだったと思う。
母も大満足で、親孝行プレイばっちりでした。

2日めの笠岡では、墓参りの後に母の実家の兄嫁が今同居している長女宅におじゃまし。
親戚情報や母の実家のご近所情報など、話が止まらない勢いで花が咲いていました。
別れ際の義理の伯母のお言葉、
「ちえさんが一番若いんじゃから、元気でまた来てくれんとなぁ。」
には、確かに・・・としみじみ。
うちの母は6人兄弟の末っ子で兄たちはすべて他界し、姉たちの夫も他界し、会った兄嫁が82歳、一番上の姉は90歳。
70代なんてまだまだ・・・ということです。
それにしても、本家に嫁いだ方は頭の回転も速くて、やはり田舎の人間関係を生き抜いてきた人は違うなぁと思った。
うちの母は末っ子だったこともあるので、親戚関係についてあまり良く覚えてなかったりする。
母は母親の実家の場所もうろ覚えだったけど、兄嫁さんに聞くと倉敷の美観地区にあるとのこと。
その日はホテル日航倉敷泊、となりに併設されたレストランは重要文化財 「大橋家」の米蔵を改装したオシャレな店で、ここのフレンチもなかなかに美味しかった。
そして翌日チェックアウトのあと、祖母の実家に行ってみました。
なんと森田酒造の並び、吉井旅館の向かいという美観地区の散策コースの中にあり、立派な町屋なのでした。
ちなみに昔は呉服屋さんだったけど、今は母のいとこの子供さんがひっそりと暮らしています。
家の前で記念写真を撮ってから、倉敷川の舟流しに乗り。
そのあと、大原美術館に。
祖母は、大原美術館を設立した大原孫三郎さんとは知り合いだったそうな。
私が倉敷に行くのは二度目だけど、前は高校生時代で両親のルーツなどには興味が無かったし、そんな興味深い話など色々知らなかったことが多かったなと。。。
元気なうちに、聞いておくべき事が沢山あるし、現地に行ってみないと話題が出ないこともあるもの・・・。
またいつか機会を作って、行ってみたいです。。。


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墓参りツアー

2008-05-25 23:34:48 | ノンジャンル
明日から2泊3日、両親の郷里の岡山方面に、母と二人で旅行です。
墓参り2ヶ所と親戚への挨拶がメインだが。
母の出身が岡山県笠岡市、父の出身が広島県福山市、県境を挟んで数駅の距離です。
私が福山、笠岡に行くのは19年ぶりだけど、その時は行きは母と一緒だったものの、向こうで法事の後私は大阪の友達に会いに行ったので、別行動。
往復母と二人旅は、妹の結婚式のハワイ以外では初・・・なので、やや緊張ぎみっす・・・。
しかし今年母の喜寿なので、お祝いも兼ねての親孝行プレイなのだ(汗)。

子供時代には5年に一度位母の里帰りで行ったけど、昔は遠かったよね、小学生時代には新幹線は新大阪までだったし、丸一日かかる距離だった。
今は、のぞみで東京福山間が3時間44分だ。

今回、行きに福山の祖父母の墓に参ったあとは、そこからバスで30分の鞆の浦の温泉旅館に泊ることにした。
父方の祖父は父の幼少時に亡くなったのだが、それまでは比較的裕福だったらしく、夏の間すごす海の家が鞆にあったらしい。
鞆の家という言葉を祖母から何度か聞いたことがあったので、そのあたりに一度行ってみたいと思っていたら、JTBのプランの中に入っていたので。
最近尾道や鞆の浦がブームらしいが、近郊で育った人は案外行く機会がないもので、母も鞆に行くのは初だ。
翌日は笠岡で親戚と一緒に墓参りして、夕方倉敷のホテルへ。
帰りは岡山から、新型新幹線N700系のグリーン車に乗ることにした。
滅多にない機会だから、「シンクロナイズド・コンフォートシート」っちゅうの、経験してみますわ♪

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中掃除

2008-05-14 23:58:28 | ノンジャンル
5月上旬にJ:COMがモデムを新しい物に無料交換するということでやって来て、その時に色々説明を受け、家デンをJ:COM PHONEに変えることにした。
うちは母のと2回線引いているのだけど、2回線目が半額だと言うことだし。
母のは今までKDDIだったけどそれより安くなるし、私の方をNTTのままにしていたのは、以前はNTTでないとダメというサービスもあったりして、何となく他のを信用してなかったのだけど、今はほぼ同じように使えるようになったみたいなので。
で、明日工事が入るので、昨日は仕事部屋を大々的に中掃除・・・中ったって、大掃除も数年やってないんだから、もう、大変でごじゃりました。

2階の仕事部屋は調律のアポ電話をかけるための部屋でありまして、FAX電話の乗った机まわりに、顧客カードやら問屋から送ってくるカタログやらピアノの部品やらが溢れ。
そして、この部屋にはそんなに長時間いないので半分物置状態で、床には捨てるつもりの古着の山とか、いつか使うと思い込んでる袋や空き箱とか、しまわず散乱する各種カバンとかとか・・・床があまり見えなかったわけ。

数ヶ月前には、とうとう恐れていたことが起こった。
6歳の姪が、部屋をのぞきに来て、「散らかってるね~、お休みの日にちゃんとお片づけしなきゃダメだよ!」・・・と(爆)。
いつかは気がつくだろうなーと思ってたけど(笑)、ごまかせるのは5歳までか。。。
ずいぶん言葉が達者になってきて、もう色んな面で油断出来ません~ ase

とりあえず、まあまあ見栄え良く片付いて、なかなか気持ち良いです。
片付け下手掃除下手でも、綺麗な状態は嬉しいものなのだ。
今度姪が来た日に見せて威張ろうok
しかし果たしてこの状態はいつまで持つでしょうか・・・?

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週末3連ちゃん

2008-05-13 01:33:08 | music
金曜は昼間2台調律仕事をこなした後に、純平&friends@ 大宮JAMへ。
この日、久々に会う友達との飲み会もあり、大宮で短時間に女3人かしましい盛り上がりの後に一緒にJAMに行って。
2nd.ステージ頭では、相沢友ちゃん参加のセッションのコーナーに私も参加させてもらいました。
純平氏は数ヶ月後に、ご高齢のご両親の住む郷里に戻られることがほぼ決まったそう。
埼玉近辺でのライブが以前のペースでは観られないようになるのは、とても寂しい。
でも、そんなにすっごい遠くに行くわけじゃないし、きっとセッションの機会は今後もあることでしょう。
一緒に演奏出来るイベントの機会を、大切にしていきたいです。

土曜は、佐野行直さんの四十九日、納骨の法要に伺ってきました。
この日に間に合わせて、親戚の方にも聴いてもらえるように、一緒に演奏したライブの編集CD-Rを作って、ご親戚と友人知人何人かにお渡しました。
佐野さんは歌声もすごく魅力的な人だったので、ラフなセッションだけど声が聴けるものを選んだ。
ロックに縁のない、ギターソロにあまり興味のないかもしれない親戚の方にも、彼の歌っている録音なら喜んで聴いてもらえるかもしれないと思って・・・。

それにしても、この日はあいにくの雨模様で、非常に寒かったです。
雨の中、霊園で立っているのはかなり体が冷えまして、何もしていないのにあとで筋肉痛状態に・・・とほほ。

翌日曜は下北でessenceのリハ。
録音に向けて、打ち合わせつつアレンジをいじったり、終わってからの飲み&ミーティングも密度が濃いです。

そんなわけで・・・。
怒涛の3連ちゃんでかなり疲れていまして、今日も仕事だったので連絡せねばならない用事をこなす体力が残ってなくて。
遅れております件に関しては関係者の皆様、しばしお待ち下さいませ。


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Memory of 佐野行直

2008-05-04 18:11:02 | stage photos
ファンの方からもっと写真が見たいというリクエストがあったので、アップします。










<Photo by COMIC-CAT>

上3枚が、2005年4月2日のPetticoat Lane(千駄木)、下2枚は2005年7月24日次郎吉(高円寺)。

この年の終わりごろからかなり体調が不安定になってきて、2006年にはライブは決まりかけるも残念ながら1本も出演できず、2007年の3月3日Petticoat Laneでの演奏が最後となってしまいました。
しかし、今年の3月の退院後も、「もう少し具合が良くなったらまたライブやりたいから、よろしく」とライブハウス関係者に電話をかけていたそうで、本当に最後まで再度ステージに立つことを目指していました。
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