<鞆の浦の対潮楼、絶景でした>
<祖母の生家>
<倉敷川の白鳥が、飛んできたアオサギに戦いを挑んでいるところ>
2泊3日の墓参りツアー、1週間前ぎりぎりまで天気予報をにらみ日程を組んだお陰で見事お天気に恵まれ、充実した旅でした。
往復とも富士山は残念ながら見えなかったけど、帰りのN700系のシートは非常に寝心地が良かった。
鞆の浦はさすが鯛網で有名なところだけあって、泊った鴎風亭の刺身はどれも非常に新鮮だしお料理すべてが美味しく、部屋からの景色、露天風呂からの眺めもすごく良くて、今まで泊った旅館の中で一番のところだったと思う。
母も大満足で、親孝行プレイばっちりでした。
2日めの笠岡では、墓参りの後に母の実家の兄嫁が今同居している長女宅におじゃまし。
親戚情報や母の実家のご近所情報など、話が止まらない勢いで花が咲いていました。
別れ際の義理の伯母のお言葉、
「ちえさんが一番若いんじゃから、元気でまた来てくれんとなぁ。」
には、確かに・・・としみじみ。
うちの母は6人兄弟の末っ子で兄たちはすべて他界し、姉たちの夫も他界し、会った兄嫁が82歳、一番上の姉は90歳。
70代なんてまだまだ・・・ということです。
それにしても、本家に嫁いだ方は頭の回転も速くて、やはり田舎の人間関係を生き抜いてきた人は違うなぁと思った。
うちの母は末っ子だったこともあるので、親戚関係についてあまり良く覚えてなかったりする。
母は母親の実家の場所もうろ覚えだったけど、兄嫁さんに聞くと倉敷の美観地区にあるとのこと。
その日はホテル日航倉敷泊、となりに併設されたレストランは重要文化財 「大橋家」の米蔵を改装したオシャレな店で、ここのフレンチもなかなかに美味しかった。
そして翌日チェックアウトのあと、祖母の実家に行ってみました。
なんと森田酒造の並び、吉井旅館の向かいという美観地区の散策コースの中にあり、立派な町屋なのでした。
ちなみに昔は呉服屋さんだったけど、今は母のいとこの子供さんがひっそりと暮らしています。
家の前で記念写真を撮ってから、倉敷川の舟流しに乗り。
そのあと、大原美術館に。
祖母は、大原美術館を設立した大原孫三郎さんとは知り合いだったそうな。
私が倉敷に行くのは二度目だけど、前は高校生時代で両親のルーツなどには興味が無かったし、そんな興味深い話など色々知らなかったことが多かったなと。。。
元気なうちに、聞いておくべき事が沢山あるし、現地に行ってみないと話題が出ないこともあるもの・・・。
またいつか機会を作って、行ってみたいです。。。