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変形性股関節症

2019-12-31 15:03:00 | health


年も押し迫ったタイミングで病気の話ばかり続いて恐縮でありますが、肩の方は数週間で一応治るはずのものであるけれど、実は先日、これから一生付き合っていく病気も見つかってしまったのでアップしておきます。
以前から右股関節に微妙な違和感はあったのだけど、今年10月末ごろから歩行時にたまに痛むようになり始めて、地元の掛かりつけ医の整外クリニックに行ったのが11月中旬。
そこでごく初期だけど股関節に変形が見られると告げられ、MRIを検査専門のクリニックに撮りに行ったのが12月頭。
そのデータを持ち帰っての掛かりつけ医の診断で、股関節唇損傷があるけどどこかに強くぶつけたことはないかと外傷性を一旦は疑われたのだけどそのような記憶もなく、2週後の再度のレントゲンで確認の上、当院で出来るのは一般的なリハビリのみということだったので、紹介状を書いて貰って関節専門医の診断を受けたのが12月23日。
はっきりと初期の変形性股関節症、それも両脚ともそうですと告げられてしまった。
5〜10年で手術になるかもしれないしならないかもしれない、今のところ可動域に大きな問題はないので、進行しなければ一生手術しなくて済むかもしれないということで、経過を定期的に診てもらうことになり次のレントゲンは9月となりました。
ここ数年、ベースを右膝に乗せて座って長時間弾いた後には違和感が強く出ていたし、調律仕事で電車移動の場合に道具をキャリーバッグに入れて持ち歩くとエスカレーターのないところではどうしても重い荷物を持つことになるので、そういったことの積み重ねも良くなかったのだろうと思っています。
変形性股関節症の8割は元々の股関節の形状による先天的なものが原因だそうで、若い時にはあった筋力が低下してくると症状が顕在化してくるということ。
いずれにしても変形は元には戻らないし負担を減らすことと筋力を落とさないようにするしか、進行を止める方法はありません。
正直ショックではあったけど、今後出来れば手術を回避して歩くことに不自由なく生活していくために、調律とミュージシャンの仕事のやり方を見直していくための良い機会だったのだと思っています。
早めの総合病院受診は正解でした。
近所の整外クリニックでは、使う意味のない湿布や効果のあまりない赤外線などのリハビリを勧められるだけだけど、その時間を掛けるよりは少しでも進行を遅らせる効果が期待できる療法を実践する方が希望が持てるから。
股関節専門医の言葉は実にきっぱりしてました、「変形は治ることはありません、赤外線当てても治りません!」でした。
掛かった総合病院は経過観察ということだけで、運動療法等の特別な指導はないのですが、そこを選んだのは再生医療も積極的に取り入れている点で、将来進行した場合に手術以外の選択肢についても相談できそうだと思ったから。
運動療法については、ネットでたどり着いた「ゆうきプログラム」を勉強してトレーニングをして行きたいと考えています。
現時点では安静時の痛みはないし、歩行時に時々少し痛むだけではあるのだけど、近所の買い物程度でも毎日痛みは感じるので電車徒歩の遠出はしづらい状態。
これから杖になるキャリーバッグを購入して、トレーニングも続けてみて、もう少し前向きに出歩けるようになれればというところ。
エレキベースは重くて今後持ち歩くのは厳しいですが、ウクレレベースは良しとして普通のスケールのアコベも必要と思い、以前から持っていたオベーションはロングスケールでボディの大きさ面でも使いにくいのでK.YAIRIのミディアムスケールのアコベが欲しい!などとこの期に及んでも楽器への物欲が落ちないのでありまして、それくらい元気ってことで皆さんどうぞご心配なく!
病気話2連発を読んで下さった皆様、ありがとうございました。
そんなこんなで、股関節専門医への紹介状云々のタイミングと重なったために肩の不具合を同時には近所の整外に相談できなかったんだけど、結果的にペインクリニックを見つけることが出来て正解でした。
近所の整外だったら、肩の痛みの除去にはもっと時間が掛かっていたかと思うので。
来年からは自分なりのリハビリの時間を大切にしつつ、身体に無理の掛からないペースで楽しんで活動していきます。

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石灰沈着性腱板炎

2019-12-30 13:36:00 | health




12月頭に毎年恒例の熊谷の保育園のまとまった台数の仕事をこなして五十肩の調子が悪いな~と思っていた後に続いて、ピアノでのバッキング仕事でいつになく熱心に練習を続けたりライブ後に風邪でダウンしたりで疲れがピークに達していたところ、なんと右肩に石灰沈着性腱板炎を発症してしまいました。
一時は箸も持てない、PCのマウスも動かせずキーボードも打てない、寝返り打てない、痛くて眠れないという過去経験のないレベルの痛みに数日苦しんだけど、1週間前に思い切って大宮のペインクリニックに行って単なる五十肩ではなかったことが判明しステロイド注射と痛み止めの治療を受けて、ようやく眠れるようになり日常生活もおおむね不便のないレベルになってきた。
髪を洗ったりドライヤーを掛けるのも不自由だったので、先日美容院で思い切ってカットしてもらって、それとドライヤークリップという物も買ってみて髪を乾かすのも大分楽に。
ステロイド注射は当面、週一でしばらく続けて行くことになりました。
調律の仕事が右肩にものすごく負担を掛けるので、きちんと治さないととても仕事再開が出来ないのです。
まずはまじめに治療とリハビリに励んで、2月のウクレレ倶楽部の合同練習までに完全復調するのが目標です。

なぜ、もっと早めに肩の診察を受けなかったのかについては、別の病気発症に絡んだ事情がありました。
この後、その件についてもアップします。

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東一邦さんの訃報

2019-12-18 21:29:00 | ノンジャンル

<昨年12月、やど工房の忘年会にて>

今月7日に浦和市民連合の東一邦さんが他界されました。
元埼玉べ平連、近年はさいたまNPOセンターなどで活動され、浦和の市民運動の歴史の中心を生き抜いてきた方、11月に70歳の誕生日を迎えたばかりでした。
私が直接お話しするようになったのは、マゼンダを結成した年の1980年、朝霞自衛隊観閲式反対デモの先頭トラックにバンドを乗せて演奏しながらデモ行進をするというアイディアをURC(ウラワ・ロックンロール・センター)経由で伝えられて、面白そう!って思ったのだ。
今でこそデモ行進に音楽、生演奏があることは珍しくないけれど、当時は画期的な提案だった、しかも20歳前後の女性5人組のバンドがデモの先頭に立つのは市民運動の世界では実に先進的で、それを実現させてしまうのが浦和の繋がりの面白さだったと思います。
当時、浦和市民連合と反戦青年委員会とURCがNew Wave 80という運動体を結成し、マゼンダの活動期間が丁度その時期に重なり、市民運動グループとの繋がりで出会った多くの方たちにも応援してもらった。
浦和市民連合は90年代前半にURCが始めたライブシリーズHIROISMも応援してくれて、その流れが94年の長沢ヒロ&HIROISMの中国西安公演に繋がったのでした。
2013年に浦和パルコで行われた「ウラワ・ロックンロール・センターの軌跡」展も、東さんがパルコの担当者にURCを紹介してくれたことがきっかけだったのです。
私が時々サポート演奏をしているチグリ・ハーブとプロデューサー長沢ヒロ、故・戸井十月さんを繋いだのも東さんでした。
昨年は東さんが埼玉べ平連時代にフォークのストリートライブ活動をしていた「やるぞどこまで工房」通称やど工房のかぞえ50周年記念イヴェントでピアノでのサポートを頼まれ、打ち合わせにリハーサル、8月のライブ本番後はDVDの制作の打ち合わせと1年間みっちり一緒にイヴェントを作る時間を共にすることが出来ました。
10年近い癌闘病を続けながら、常に前を向いて積極的に皆の繋がりを紡いで下さった東さん、長い間本当にありがとう。感謝しています。
心よりご冥福をお祈りします。

12日にお通夜、13日に葬儀、その翌日14日がチグリ・ハーブの3rd.Album、クラウドファンディングで制作された新曲をクラウドのリターンで聴いていただくイヴェントというスケジュールで私がピアノを担当することになっていたので、東さんの訃報に涙をこらえ、そしてこらえきれずに二人で泣いて語り合って練習する日々でした。
今回こんな風に彼女と一緒に東さんをお見送りすることになったのも、チグリと一緒に音楽活動がんばれっていう東さんの気持ちが繋いでくれたのだろうと思いました。

チグリ・ハーブのニューアルバムは1月11日発売です!
http://chiguriherb.jp/

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